第164話 我らの盟約

 天高く、彩雲を見る。

 そんな瑞祥の知らせが、時を置かず冥王府にも届いた。その知らせを持って、劉飛が王の間に姿を見せると、難しい案件に眉間に皺を刻んでいた橙星王の表情が、たちまちに緩む。

 新たな四天皇帝の即位によって、間違いなく事態は好転したのだろう。自身が仕掛けた策謀の首尾に、橙星王は満足げな笑みを浮かべた。ならば……。

 自分はもう、誰に遠慮することもなく、次の幕を上げることが出来る。


……上々だ……


「どうやら周翼は、無事に華梨と再会を果たせた様だな。……お前の望み通りに」

 少しからかうように言ってやる。だが、眼前に控えていた劉飛は、その台詞に表情を変えることもなく、そのまま聞き流して、話を別の方へと向けた。

「それにしても橙星王様は、四天皇帝様の即位式にお出になられずに残念でしたね」


……あからさまに、避けるか……


 そんな劉飛の態度に、橙星王は苦笑しつつも、機を伺いながら話を続ける。

「……まあ、ここを空ける訳には行かぬしな。四方将軍もこちらに来る余裕もなしでは、いた仕方あるまいよ。まあ、畏まった式典など、さほど興味はないがな。そんなことよりも、劉飛……」

……が。

「……っと、他に御用がなければ、俺は、境海へ参りますので」

 ことあるごとに持ち出す案件を口にしようとした途端、その気配を察してか、劉飛は逃走体勢に入る。それでも橙星王の執念は、それを逃がすまじ、と、言うべきことはしっかりと言う。

「劉飛、そなたもそろそろ、転生して地上へ戻らぬか」

 しかし……。

「いえ、俺はまだっ……」

 相も変わらずの返答で、橙星王は思わず失笑する。


 この新冥王の目論見は、劉飛を一日も早く転生させて、今度こそ地上の覇王となす。そういう心積もりであるのだ。橙星王としてみれば、自分が選んだこの男こそが、真にその資格を持つ者であったのだと、他の星王達にどうしても示したいのだ。要するにそれは、単に橙星王の矜持の問題である。だが、自信はあった。ところが、当の劉飛が、一向にその話に乗って来ない。理由は単純だ。羅綺の魂を宿した麗妃、つまり真白の存在である。


 真白はいまや羅刹の王として、妖魔討伐の先陣に立ち、冥府には欠くことの出来ない存在となっている。その一方で、猩葉が守者として命を全うしたことで、緋燕の魂は転生の輪に戻った。

 彼がまた、羅刹として転生するのかどうかは分からないが、少なくとも、真白はその行く末を見届けたがっている。どうも真白は、羅綺の魂が再び緋燕と出会うように計らうという使命を、緑星王から託されたものらしい。その事に関しては、厄介なことに、冥王である自分でも手出しは不可の領域なのだ。


 星王と盟約者の盟約とは、それ程に神聖不可侵の代物であるからだ。

 そこを考慮して考えると、まず緋燕をとっとと転生させて、すると羅綺の件に片が付くから、そうすれば真白を地上に転生させて…。そうなれば、劉飛もようやく首を縦に振るのだろう。


……しかし……一体、そこまでに、何年かかることやら……


 覇王を定めずに星王が撤収してしまった地上の混乱は、そうそう簡単に収束はしない、ということなのだろう。しかも、天界は、新皇帝の英断により、今後一切、地上へは不介入という方針を決めたという。 下手をすれば、当分、戦乱の世が続くということである。

「畜生。俺は当分、忙しい身の上なんじゃないかよ」

 冥王という、四天皇帝に比肩する大きな権限を、首尾良く手に入れたは良いものの、そこに付随する忙しさは尋常では無く、覚悟の遥か上を行く。それでも、今更、職務放棄などできる筈もなく……。 全く忌々しい。全く世の中、良いことばかりではない。しかし、それが彼の盟約者の望みだったのだから、そこは仕方がないというところか。



『もし、願いを叶えてくれるっていうんなら……冥府に囚われている周翼の魂を、転生させて欲しい。もう一度、華梨と出会えるように』



 らしいといえば、らしい。

 それが、劉飛の『願い』だった。



 自分のことなど微塵も願わずに、ただ、友の幸せを願った。まるでそうするのが当たり前なのだというように。そんな願いだったから自分は、「叶えてやろう」などと、つい思ってしまったのだ。


 そしてその願いを叶える為には、自分には冥王の力が必要だった。だから、冥王が持ちかけて来た取引……九星王剣を回収することの見返りとして、冥王が捨てようとしていたその地位をそのまま要求した。後悔はしていない。してはいないが、劉飛が地上の覇王となるまでは、このもやもやとした敗北感は、一向に晴れることはないのだろう。

 そんな事を考えながら、新しく冥府の王となった橙星王は、大きなため息をひとつ落とし、又その眉間に皺を寄せて、頭の痛い仕事に戻っていった。








「……っ」

 体が無意識に寝返りを打とうとしたらしく、それによって襲われた激痛に、杜陽は眠りを覚まされた。一体、あと何回、こんな不愉快な目覚めを繰り返さなければならないのか。 そう思うと暗澹あんたんたる思いに囚われる。


 あの日、体中に無数の傷を負い、死に掛けた杜陽は、劉朋によって河南軍の本陣に連れ帰られた。

 杜陽を送り届けた劉朋もまた、そこで力尽き、意識を失ってしまったのだという。そして、指揮官を失った河南軍は、杜亮の判断でそのまま兵を引くことになった。

 巫族の八卦師、冬位の力によって、杜陽は一命を取り留めた。負った傷も大方は塞がり快方へ向かっている。 だが、父に刺し貫かれた傷だけが、一向に癒えず、未だ杜陽が屋敷の寝所から離れることを許さなかった。


 その痛みを押し込めるように、目を閉じ、身を固くしてじっとしていると、杜陽の脳裏には、あの時、劉飛と交えた剣の記憶が鮮明に蘇る。

 そうして幾度もそれを思い返す度に、気づいたことがある。剣を交えていた時は、夢中で分からなかった。

 だが、周藍によって、剣の奏でる色を聞き分ける感覚を鍛えられていた杜陽には、そこに憎しみと呼べるような負の感情が、微塵も存在しなかったことを感じ取っていたのだ。憎しみでもなく、相手をねじ伏せる為でもなく。自分はただ、その圧倒的な力を叩きつけられた。


「くっ……」

 その時のことを思うと、胸に受けた傷がいつも疼く。


 劉飛はその存在の全てをぶつけて、自分に刻みつけて行ったのだ。半端な覚悟で、力を求めることへの戒めともいうべきものを。

 力とは、守るべきものがあって初めて、求めることが許されるもの。ただ無暗に力のみを求めれば、人はその力に飲み込まれてしまう。人間とはそんな危うさを持つ、実に頼りない存在なのだと。


 そして、杜陽は、己の器の小ささというものを思い知らされ、気づかされた。河南国主という場所も、自分の力で勝ち取ったものではない。 自分がそこにいるのは、星王の力を信じた者たちに期待されて、担がれた結果に過ぎないのだということを。

 そんな事を考えるうちに、傷口が熱を帯びて、また意識が遠退き始める。

 赤星王の力を失った自分にはもう、国主の資格などないのだろう。もう自分は、誰にも必要とされない……。


……俺、もうこのまま、死ぬのかも……知れないな……


 弱気に浸食され続ける思考が、どん底を掠った。そんな間合いで、扉の向こうに人の気配を感じた。


……誰でもいいから……誰……か……


 口を動かすものの、その言葉は声にはならなかった。救いを求めるように、ただ視線だけが扉を見据える。

 果たして、その願いが届けられたように、扉はすぐに開いた。

「……」

 そこに現れた者の姿に、杜陽の意識がすうっとはっきりとした。そして、思いがけず、何とも言いようのない、安らいだ気分に包まれた。

「お目覚めでしたか。傷の具合はいかがですか?」

 琳鈴が、笑顔でそう聞いた。

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