第163話 彩雲

 天界では、赤星王が新たな四天皇帝として即位した。

 あろうことか、格下に見ていた橙星王ごときに九星王剣に封印されたという屈辱に、赤星王の怒りは容易には収まらず、それを宥める為に、実情、そう図るしかなかった為である。 更に、蒼星王がその補佐役の智司に就くということで、事態は一応の決着を見た。


 その結果、早々に冥府の王の椅子に座った橙星王の後任の戦司は藍星王が引き継ぐことになり、空いた火と雷の司は、新たに着任した黄星王と黒星王に振り分けられ、他の司は留任ということで話が付いた。

 新皇帝は、咎人となった二人の元星王の処遇について、その在位と同等の期間、地上において、人として転生を重ね、贖罪の生を生きるべしという裁可を下した。

 そして、即位の勅令において、今ひとつ重大な決定が下された。


「未だ地上に戦の種は絶えないが、人類の移植は軌道にのり、その数は増え続けている。いずれは、かつて失われた命と同数の命が、そこには根付くだろう。 また、地上には星王が関わらずとも、人の手によって成立した国もある。一方で、星王が関わりながら、他国を侵略し滅んだものもある。 今回、前黄星王の職務怠慢により、地上に大乱を呼んだが、それでも、華煌はそれなりに存続していた。もしそこに、他の星王の介入が無ければ、これが滅亡することはなかっただろうと考える。 つまり、この世界はすでに、我ら星王の力を必要としない程に成熟したのだと言えよう。 故に、我は星王がこれ以上地上に接触する必要はないと考え、この星の存亡に関わる事態が起こらぬ限り、今後、我らはこれを見守るのみとする。よって、以後、地上への星王の降臨は行わないこととする」


 これにより天界と人との距離は次第に遠のき、やがて星王の存在は、自然と一体となり目に見えぬ畏怖すべきものへと、その存在を変えていく事になった。






 ふわふわと、紫紺の霞たなびく空間に瑠璃の珠は漂っていた。奏の魂は確かにそこに定着して、きらきらと眩い蒼く透明な光を零しているのに、そこからは一向に生気というものが生じて来なかった。


 再び形づくられた体は、かつて彼女が地上にあった時のまま、寸分も違わず同じ姿でそこに存在するというのに、その魂は一向に与えられた体に馴染まずに、すぐにそこから抜け出ては、 静寂の空間を当てもなく漂った。それを白星王が見とがめて注意すれば、魂は言われるまますんなりと、与えられた体に入り込む。だが、目を離せばすぐに、それは又、体から抜け出して、空間を漂い始めるのだ。


 新皇帝より、再び星の司の任を拝命し、天界から戻った白星王は、又そんな瑠璃を目にして短い吐息を漏らした。

「奏……」

 白星王が呼ぶと、魂はすいと体に戻り、奏が閉じていた瞳を開いた。

 そこに瑠璃の輝きは投影されていない。それは恐らく、今の奏が肉体の存在を特に必要としていないせいなのだろう。 だが、器を持たない魂だけの存在では、その存在は脆弱すぎて、些細なきっかけでその存在は失われてしまう。故に、その魂を早急に体に定着させること。 司の任命を受けた時、四天皇帝から、いの一番にそう厳命された。


 言われるまでも無く、白星王自身もそれは充分に承知している。だが、正直なところ、手詰まりであったのだ。前例のないことであるから、これという有効な方法が見付からなかった。 新たに智司となった蒼星王にも意見を求め、戦司に異動になった先の智司、藍星王にも癪ながら意見を求めた。それでも、埒は明かなかった。


 ところが、実に思いがけないところから、その問題解決のための手立てが示された。未来見の自分が、それを聞かされた瞬間、思わずしてやられたと唇を噛むほどに思いがけないところから……。


「奏、程なくこちらに、此度、新たに任命された西方将軍白虎殿が挨拶に参られる」

「西方将軍、白虎どの……ですか」

 奏が良く分からないという顔でそう繰り返す。

「西方将軍とは、この中天界の警護の任を負う者だ。当然、この天明宮と、そなたたち星見の奏の警護も務める者ゆえな。着任の挨拶を兼ねて、天明宮の視察に参るそうだ」

「……はい」

「その案内役を、そなたに命ず」

「……私が……ですか?」

 ここに来て日も浅く、ほとんど自室に籠ったままの奏には、中天界のことも、この天明宮のことも、まだ良く分からない。案内役に適任とは到底思えなかった。 そんな奏の戸惑いを、白星王は意にも介さず、畳みかけるように告げる。


「他の者は皆、手がふさがっておる。なに、案内など、並んで宮の中をぐるり一周すれば、それで体裁は整う。ということで……宜しいか?」

 良く分からないが、それで良いと言うなら、自分にも出来そうだとは思う。

「構わぬな?」

 そう念を押された所で、奏はようやく頷いた。

「……承知いたしました」

 奏が未だ事情を良く呑み込めていない表情のまま、頭を垂れて部屋を出て行くのを見て、白星王の口から、ふと笑みが漏れる。

「全く、これはどういう趣向じゃ……橙星王め。一体、趣味が良いのか悪いのか……」

 橙星王が、前冥王と図って、自ら冥府の王の後任に収まった理由がこれだったとは。白星王には全く、思いもよらないことだった。


――それが、彼が、劉飛と交わした二度目の盟約だったのだ。


 橙星王がと言うよりも、劉飛という者が、ある意味、やはり傑物だったということなのだろう。

 橙星王にしても、単純に、劉飛の願いを聞き届ける為というだけではなく、それにより手に入れた冥王の権限により、更にいずれは、彼を再び地上に転生させ、そしてその先のことまでも、 奴は恐らく視野に入れている。今はそんな未来を漠然と感じる。


……まあ、それで、奏が幸せになれるのなら……


 これを貸し一つに数えてやらないこともない。そう思い、不敵な笑みを浮かべた後。不意に神妙な表情になって、白星王は天を仰ぐ……。


「大丈夫だ、奏。今度こそお前は幸せになれる」

 その口から紡がれた言霊は、風に乗って、たなびく雲の原に広がって行った。







 奏は、白虎を出迎える為に、天明宮の外門へ続く雲海の中に浮かぶ回廊を歩いていた。自分の意志でというよりも、白星王の言葉のままに、ただ歩を進める。

 ここに来てから、奏に自分の意志というものは何もなかった。ただ、言われるままに、自分はここに存在する。奏にとっては、どちらでも良かったのだ。


 ここにいてもいなくても。

 特別な奏だから、ここにいろと言われるから、ここにいる。奏にはそれだけだった。


 星を読めと言われれば読んだ。

 未来を見ろと言われれば見た。


 ただ相手の望むままに……言われるままに。

 ただそれだけが、自分がここにいる理由なのだろうと。ただ漠然と、そう思っていたから。

 そして更には……。


 必要がないと言われれば、すぐにでも、その存在を消しても構わないと。

 そんな風にも思っていた。



 遠く霞がかった回廊の向こうに、人影が浮かんだ。

……あの方が……

 白虎どのだろうか。


 奏は足を止めて目を凝らす。宮への来訪ならば、門の横にある待合の場で待ち、まず取次の者をこちらに寄越すのが、慣例である。

 それを出迎えの者の迎えも待ち切れずに、かの人はこの回廊を渡って来たのか。無礼と言われても仕方がない振る舞いをするほどの、火急の用件というのでもないのだろうに。

 奏は半ば呆れ、半ば不審に思いながら、そこに佇んで、次第に近づいてくる人影を見据えていた。




 やがて回廊の上をゆるやかに、霞が吹き流れていく。そしてそこに、その人影をくっきりと浮かび上がらせた。奏の瞳に、白虎の装束を纏った西方将軍の姿がはっきりと映った。

「……」

 その姿を目にした奏の瞳が、信じられない思いに見開かれて行く。


 相手も奏に気づいたのか、その足を止めた。刹那、彼は懐かしそうな表情を浮かべ、そして柔らかな笑顔を纏って言った。

「……華梨」

「……どう……して……」

 一気に込み上げる様々な思いに、否応なく声が詰まり、僅かにその言葉だけが辛うじて音を成した。

 すると、呆然とそこに佇むばかりの彼女の体を、逞しい腕がたちまち引き寄せて、ぎゅっと抱き竦めた。愛おしく懐かしい温もりに、身も心も包まれる。

 これまで何も感じることが出来なかった心が、大きく揺らめいて、彼女の頬を涙がひとすじ伝い落ちた。


「やっと……届いた。この手は……お前に……」

 涙で滲んだ視界に、それでも耳元で囁かれたその声だけで。彼女はそこに、確実に彼の存在を感じることができた。

「……周翼……」

 未だ信じられない思いでそう呼ぶと、自分を抱く腕の力が更に強くなる。

「もう……絶対に離しはしない……もう二度と……」

「周翼……」

 本当に間違いなくそれは周翼で、そう確信した途端に胸が一杯になり、喘ぐようにようやくその名だけを口にする。訳の分からない感情に心が掻き回されて、息が詰まりそうだった。

「愛してる」

 言われて、もう止めようもなく涙が溢れた。堪え切れずに、盛大に啜り上げると、周翼の腕が緩み、様子を伺うように顔を覗きこまれた。

「……華梨?」

「……どうしよう、私。こんなに……嬉しくて……嬉しいのに……涙が止まらない……」

 うわ言のようにそんなことを呟いて、涙でぐちゃぐちゃのまま、多分、自分は笑っていたのかも知れない。

 そんな華梨を見て、周翼もまた、少しはにかんだような笑みを浮かべた。

「……華梨、お前を愛している……だからこれからは、ずっと俺の隣に……」

 華梨が頷くのを確認するような間があって、ゆっくりと唇が重なった。



 過ぎ去った時間の流れは、すべてここへ辿り着く為のもの。

 すれ違い傷つけあうしかなかった過去を忘れることはないけれど。

 今ならば、きっと全てを許すことが出来る。

 私達はきっと。

 だから……。


 そんな華梨の思いを確信に変えるように……

 その声は聞こえた。


……大丈夫だ、奏。今度こそお前は幸せになれる……


 風が吹き流した雲が、頭上に蒼天を広げ、そこから雲海に陽光が差しかかる。そして、それは二人を祝福するように、一面を虹色に染め上げた。


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