第21話 メッセージ
リビングで流れる洋楽は、女性ヴォーカル。深い深海の中でただ流れに身を任せられるような、ゆったりとした落ち着く歌声だ。
睡眠不足だったら確実に眠ってしまいそうな曲だけれど、フミは彼女の歌が好きなようで、部屋を訪ねると流れていることが多い。
今日もその音楽を聴きながら、緑茶の香りとたこ焼きに掛かるソースの香りに僕は目じりをたらし、いただきまーす。と口に放り込む。たこ焼きが喉を通るときに痛みが走ったけれど、味がわからないほどじゃない。
「うまい」
「うん。美味しいね」
少し冷めてきてはいたけれど、商店街のたこ焼きは作りおきだったにもかかわらず、外はパリッと中は柔らかく、ソースとマヨネーズの絡み具合も絶妙で美味しかった。もちろん、中に入っているたこもケチった大きさじゃない。
やるなぁ、なんて。たこ焼き屋のおっちゃんの顔を思い出しながら、また買ってこようなんてほくそ笑む。
フミは、ハイビスカスの花を両手でそっと包むようにして緑茶を美味しそうに飲んでいる。その顔色はいつもと変らず、頬はほんのりピンク色をしていて、睡眠薬を飲んでいるようには見えずに、僕は少し安心していた。さっき、チラリと棚の中を覗いたけれど、それらしい袋も見当たらなかった。
午後の穏やかな雰囲気の中、たこ焼きを摘んだあとはウトウトとしてしまいそうになる。流れる音楽のせいもあるけれど、小腹が満たされたことも一因だろう。それとも、ここへ来る前に飲んできた風邪薬のせいだろうか。
僕の脳みそが活動を緩め始めた時、それを邪魔するように電話が鳴った。
穏やかに流れる曲をも邪魔するようなその音に、フミは相変わらずのように少しも反応を示さない。
元々インターホンにも電話にも出ないフミだから、それは当たり前の行動だ。用件があるなら訪ねてくるなり、電話にメッセージをどうぞ、って言うわけ。
傲慢に感じるけれど、フミの人見知りがそうさせているのを僕は解っている。
そのうちに、カチリと留守電に切り替わった。
『もしもし、史佳。俺……』
留守電に吹き込まれる声に、フミの体が一瞬にして硬直したのがわかった。
さっきまでゆったりとした気分で過していたはずなのに、その声の主のせいで緩やかに流れる音楽さえなんの効力もなさなくなっていく。
以前のフミなら、電話をかけてきた相手があの人だと判った瞬間に、僕の存在などなきものにして受話器を手にしていたわけだけれど。看病をしにいって追い返されたことや、嘘か本当かわからない奥さんの妊娠話に以前のような気持ちを保てられていないのは明らかだ。
『少し話さないか? ちゃんと顔を見て話したいんだ』
留守電だから一方的にしゃべるのは当たり前のことなのだけれど、受話器に向って神妙な面持ちをしているだろう相手を想像すると、酷く滑稽な気がした。
ハイビスカスをしっかりと握ったまま、フミは身動き一つしない。聞えているにはいるだろうけれど、まるでその声の主を無視するかのように、外界の音総てを遮断しているように見える。
あの人は、フミに何を話すつもりなのだろう。
留守電を締めくくる機械音が響くと、それを合図のようにフミは握っていたハイビスカスから手を放した。
ことりとテーブルに置かれたピンク色の花が、フミをじっと見つめている。同じようにして、僕もフミを見ていた。
数個残っていたたこ焼きは、どんどん冷めていき、緑茶も湯気を失っていく。
「逢いに、行くの?」
何も話さずじっとしているフミに痺れを切らせた僕は、なるべくやさしく訊ねた。
本当はこんな事を訊きたくはないけれど、今はない薬の袋がちらついて、訊かずにはいられなくなった。
相手のことには、干渉しない。それが暗黙の了解ともいえるこの場所で、最近の僕はやけにフミに対して突っ込んだ事を言ったり、気にかけてしまったりする。それが何故なのか、理由は明確だけれど、その感情をなかなか口に出すことも出来ずにいた。
フミは、ハイビスカスを見つめたまま何も応えない。
僕は辛抱強く待ってみたけれど、結局答は返って来なかった。
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