3年前9月

第5話 連帯責任

 大人になると、褒められるという事が減っていく。なのに、叱られるという事が減ることはない。寧ろ、幼い頃に叱られていた内容よりも、もっと裏のあるえげつない感情で叱られる事の方が多い気がする。

 会社でいえば、見栄や偏見や地位や名誉。そういうものが裏にどっぷりと潜んでいて、上っ面だけの然も正しいって顔で叱らたりする。

 こっちも二十歳を越えたばかりでも大人は大人だから、それ相応の対応をしなくちゃいけないわけだけど。裏っ側のグチャグチャした感情がようく見えていても、頭を下げざるを得なかったりするのが嫌でたまらない。それでいて、納得できないまま頭を下げたりするものだから、吐き気なんかしちゃうわけだけど、気持ち悪りぃ、なんて正直に口にできる奴なんかいないと思う。ただ、グツグツいっている納得できない煮えたぎった感情に、冷水を少しずつ加えて宥めすかすよりないんだ。それがよくいう大人ってやつらしいから。

 ああ、でも、同じアルバイトの中に例外はいるかな。

 数分前まで、目ん玉ひん剥いて怒っていた構成スタッフや上司がランチタイムで居なくなったのをいいことに、言いたいことを言う奴が約一名。

「だっりぃ」

 本当にダルイという様に、椅子に浅く腰掛け両足を投げ出している西森が、ぶーたれた顔で愚痴を零している。

「だいたい。何で石井がミスったことで、俺らまで怒られなくちゃなんないわけ?」

「だから、ごめんて言ってるじゃん」

 眉根を下げて謝る石井は、さっきからしつこいほどに西森から文句を言われ続けていて、半ば開き直り始めていた。

「お前より俺のほうがメチャメチャ忙しいのに、ミスなんてしてないじゃん? つーか、毎回同じことやってんのに、何でミスすっかなー」

 確かに西森は要領がいいし、仕事が早い。言われたことをすぐに理解して動けるのは僕も尊敬するところだけれど、石井は石井なりに一生懸命なわけだし、そこまで言わなくても。

「何が全体責任だよ。なんのグループだよ。一緒に責任とらされる意味がわっかんねぇし。マジ、うぜぇ」

 西森は言いたい事を言いたいだけ言って、石井の座るパイプ椅子の脚をドカッとひと蹴りした。グラつく椅子に掴まりながら、蹴るなよっ、とミスした事も忘れて石井が言い返す。そんな二人のやり取りを、僕を含む他のアルバイト達は遠巻きに眺めるだけだった。

 まぁ、いつものことっていえばいつものことだから、きっとみんな面倒に思って放っておいているのだろう。

 かくゆう僕も、上司の機嫌が悪いところへ石井がミスしたせいで怒られた事に納得しているわけじゃない。けど、済んでしまった事にグチグチ言っていても仕方ないしと物分りのいい大人を演じて見せる。

 でも、こんな風に個人的なことだけじゃなく、社会に出ればひと括りにして責任を問われる事は、小さくも大きくもこの先ずっとあることだろう。責任の所在は? なんて訊かれて、頭を下げなきゃいけないのが子供のときとは違うよな。

 大人っていうのは、本当に面倒な生き物だよ、まったく。

 僕は滅入っていく気分を変えたくて、さっき路上で配布していたミントのキャンディーを一粒口に放り込んだ。口内をスースーと刺激してくれたミントキャンディーだけれど、気分は少しも晴れなかった。舐め終えた頃には口の中が甘ったるくて、食べたことを後悔した程だ。

 それからふと思う。連帯責任といわれて叱られているうちの方が、まだ気楽なのかもしれないと。

 何でそんな風に思ったかといえば、フミのことを思い出したからだ。

 フミは一人でイラストを描き続けている。個性的なフミの絵を誰かが変わりに描くなんてこと、できるはずもないのだから当たり前のことだけれど。

 もしも、フミが締め切りに間に合わず原稿を落とすなんて事にでもなったら、たくさんの人に迷惑がかかるだろう。それは、もちろんその雑誌を心待ちにしている読者であったり、フミの担当を請け負っている雑誌社の人であったり。印刷所やなんかもそうか。下手したらクビになる人なんかも出てくるのかもしれないし、フミ自体仕事がなくなってしまうことだってありうる。

 そう考えると、それら全てを背負って描き続けていく仕事への精神力ってすごい。イコール、フミは凄い。改めて、惚れ直してしまった。

 今日は、シフトの時間が遅くまで続く。取材でやってくる何とかっていう会社のどっかの社長さんのインタビューに、僕も参加しなくちゃいけないからだ。と言っても、やらされるのはお茶汲みや下準備的な雑用だろうけれどね。

 西森も一緒だから、ちゃんとやらないと石井みたいなことになりかねない。座っている椅子の脚をがっつり蹴られるなんて、冗談じゃないからね。

 クビがかかっているわけじゃないし、一生を左右するような仕事でもないけれど、フミを見習って頑張るか。

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