第66話 悪いタイミング

 あの日、どんな顔をして謝ればいいんだと、百面相のごとく色々な表情を取り繕って向かった個展会場。いつもの受付の彼女に、すぐ出るから、と無理を言って顔パスで入れてもらい、会場内にいるはずのフミを探した。しかし、グルリと一周してもフミの姿が見当たらない。

 ふと、夢の中の状況と重なったが、夢とは違い会場内はそこそこの入場者が居たため、僕は現実だと判断した。

 受付に戻りフミの居所を訊くと、もしかしたら建物裏にあるカフェの方で接客をしているかもしれないという。

 どうやら、大切なお客とは時間をとって会話をするようにしているとかで、カフェと連携して席を一つ設けているらしい。

 受付の彼女の説明にしたがって、僕は建物裏にあるカフェを目指した。

 しかし、カフェにたどり着く数十メートル手前で足を止める。

 フミの姿を見つけたからだ。

 いや、見つけただけなら立ち止まる必要などはなかった。だけど、そこに一緒にいた榊さんの姿に、僕の足は動かなくなった。竦んだといってもいいだろう。

 なぜなら、フミがとても親密に榊さんの腕に手を沿え、とても真剣に言葉を交し合っていたからだ。

 あんな風に険悪なことになった後だというのに、フミはそんなことなどまるで気にも留めず、僕の知らないところでまたこうやって榊さんと会っていた。

 いや、険悪な状況にしたのは僕だから、フミをそのことで責めるのはお門違いというものだろうが、それでもモヤモヤと僕の腹の辺りが納得できないと蠢いた。

 予想もしなかった瞬間を捉えた視線が、脳や体内に送った信号に警告音が煩く鳴った。その警告音があまりに煩すぎて、真夏は過ぎたというのに、瞬時に頭が朦朧となる。フラフラと体を揺らしながら踵を返し、二人に声をかけることなく僕は大通りへと向かった。その場から離れることで、頭の中で鳴り響く音が小さくなるような気がしたからだ。

 ふらつきながら歩く僕の脳内では、くだらない責任転嫁が始まっていた。

 毎日毎時間、悩んで、悩んで、しんどい思いをしていたというのに、フミはまた榊さんに会っていた。しかも、僕には何も相談することなくだ。

 恩師と会うことをいちいち報告しなくちゃいけないのか。そんな風に言われてしまえば元も子もないけれど、仮にも相手は異性だ。しかも、僕はその異性である榊さんの存在をとても気にしている。そのことをフミだって充分に承知のはずだ。なのに、僕の知らないところでこんな風に会って、いったい何の相談をしているんだよ。

 目を瞑っても、二人の姿が僕の網膜に焼き付いて離れない。ダメージがあまりにでかすぎて、思考がストップする。何も考えたくないと、拒絶反応を起こしている。

 なのに、停止している思考を破るように、耳の奥で夢の中で聞いた声がこだまする。

―――― 僕たち、もうすぐ籍を入れることになるので、祝福してくださいね ――――

 夢の中のせりふが、何度も繰り返される。

 親しそうに交し合っていた笑顔が、脳内を埋め尽くす。

 やめてくれ。

 やめてくれよ……。

 なんなんだよ、これは……。

 吐き気さえもよおして、堪えるように胸の辺りに手をやり一歩ずつ何とか足を前に出していた。

 大通りの先にある植え込みの木に手を突き、僕はふらつく体をなんとか支える。

 ふと見上げた木には、銀杏の葉が黄色くなり始めていた。

 秋か……。

 現実逃避のように意味もなく呟き、銀杏の木から手を離す。ダメージは未だに大きく、ふらりと体がよろめいた。

 よろよろとした足取りで、当てもなく少しの間歩いていた時だった。

「大丈夫ですか?」

 聞きなれた声と共に、肩に手が置かれた。

 できれば二度と聞きたくなかったその声に、僕はゆっくりと振り向いた。

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