殺意の迷宮
そして午前十一時五十五分。私服を肥やしていそうな程、太った体付きに、顔の皺が目立っている衆議院議員の大工健一郎は、警備員に囲まれて、大学の構内を歩いていた。
大学内では、大学生達が衆議院議員の歩く様を見ている。すると、突然校内で銃声が鳴り響いた。
突然の銃声に大学生達が慌てていると、グロッグ17を手にした酒井が大工の前に姿を見せた。
「大工先生。残念ながらあなたには、死んでいただきます」
銃口を衆議院議員に向けた酒井の前に、月影が飛び出す。
「やっぱりあなたが犯人でしたか? 酒井さん」
酒井は指を引き金にかけ、笑った。その直後、警備員達は、大工を囲み後退りする。その様子を見た酒井は、アスファルトを銃弾で撃ち抜く。
「動かないでください。あなたを殺さないと、俺達のやったことが全て水の泡になるから。それと、大学生の皆さんは、自由にしていいから。逃げ出しても殺さない」
酒井が大声で叫び、大学生達はパニックを起こし、次々と逃げ出していく。その様を見ながら酒井は月影に問う。
「なぜ俺が犯人だって分かった?」
「きっかけは、高野が殺されたと青田が言ったと報告された時。あなたはまったく驚かなかったと報告された。それなのにあなたは高野さんのことを覚えていた。菅野さんと飲んでいたと」
「それは知っていて当たり前でしょう。上司でしたから部下の交友関係くらい知っていても」
酒井の最もな意見に、月影は首を横に振る。
「違いますね。あなたは言ったそうですね。六本木のザーボンロックって店で飲んでいたと。これが変なのです。その店は三か月前に開店しました。つまり、それを知っているということは、あなたは三か月前に、高野さんに会ったことになる」
「たしかにそうだが、俺が殺した証拠はあるのか」
「その拳銃です。その銃が高野さんを殺害した凶器ならライフルマークが一致するはず。赤い落書きの筆跡を鑑定すれば、あなたが犯人だという証拠はハッキリするでしょう。誘拐事件の証拠映像に、あなたの顔が映り込んでいたので、それも証拠として使えますね。あの時間に、あなたが犯行現場に行ったという明確な証拠です。さらに、あなたが誘拐した清水美里さんが証言するでしょう。犯人はなただって。彼女は唯一の目撃者ですから」
度重なる証拠の応酬に、酒井は肩を落とす。
「入社当時、私は思った。高野はこの時代に必要な記者だと。不正を民衆に伝えることができる奴だと思った。大工健一郎の脱税疑惑を最初にスクープしたのもあいつだった。だが、俺はアイツに裏切られたんだよ!」
それは五カ月程前のことだった。
「デスク。郵便が届いています」
昼休み中、酒井は部下の新聞記者から、手紙を受け取った。黒色の大き目の封筒の封の部分には、純白の羽を纏った天使のシールが貼ってある。差出人の欄には『TA』と記されている。
酒井は疑念を抱きながら、封を開ける。その封筒の中には、十枚程度の写真とワープロ打ちの文字のカードが入っていた。
『あなたは優秀な部下を裏切りますか?』
たった一言のカードの裏面には、電話番号が記されていた。
意図が分からないメッセージを読み、酒井は首を捻った。しかし、その疑問は同封された写真を見て、ハッキリする。
写真に映っているのは、大工健一郎衆議院議員と、高野が密会している様子だった。
良く写真を見ると、酒井は大工に箱のような物を手渡していた。
もしもこの写真が外部に流出したら。そんな考えが頭を支配して、酒井は誰も居ない新聞社の屋上に上がり、カードに記された電話番号を携帯電話で打つ。
電話は、たったのワンコールで繋がった。それはまるで、最初から連絡を待っていたかのようだった。
『結構早かったですね。東都新聞社社会部デスク、酒井さん』
電話の声はボイスチェンジャーで声を変えているような、不気味な物だった。
「お前は誰だ? 脅迫のつもりか? あの写真はどこにも渡していないんだろうな?」
矢継ぎ早に質問する酒井に対し、電話の相手は失笑する。
『写真はあなただけのプレゼント。今後どこにも送らないと約束しますよ。もちろん脅迫するつもりもありません。正直な話、あの写真見て、どう思いました?』
目的が分からず、酒井は沈黙する。一方、質問に答えられないと思った電話の相手は、受話器越しに頬を緩めた。
『裏切られたと思いませんでした? 大工健一郎衆議院議員の脱税疑惑を最初にスクープしたのも彼だっていう情報は、知っています。多分今後の取材で化けの皮が剥がれるのを嫌がった大工健一郎は、スクープした新聞記者を買収したんですよ。不正を民衆に伝えるのが、新聞記者の義務だったら、失格ですよね? 酒井さん』
電話の相手の話を聞かされた酒井の瞳は、次第に曇っていく。それと共に、彼の頭は電話の相手の話で埋め尽くされていた。
「分かった。お前の言っていることは正しい」
酒井は、無意識の内に、電話の相手の話に同意した。
『話が分かる人で良かったです。また電話します』
その一言で電話は切れた。鳴り止まないコール音を聞いた瞬間、酒井の心は闇の中に閉じ込められた。
「リストラだけでは許せなかった。アイツは正義の味方だと思っていたからな。裏切られた。だから殺した!」
大工健一郎に銃口を向ける酒井が、大声で自供する。それに対し月影は、冷静に対処した。
「あなたは利用されているだけだってことが、分かりました。ですが、部下を殺した瞬間に、植え付けられた殺意は満たされましたか? 悪いのは、あなたを利用して拳銃で大工健一郎を殺そうとした黒幕です。これ以上黒幕の言う通りに動くのは、間違っています」
酒井は月影の問いかけに対し、自問自答を繰り返した。そうして結論を導き出した酒井はアスファルトの上に、グロッグ17を落とす。
それから月影は、拳銃を回収し、彼の両手首に手錠を掛けた。その後で月影は、覆面パトカーの後部座席に座らせ、彼の話を聞く。
「清水美里さんはどこにいますか?」
「分からない。誘拐事件に関しては、関与していないから」
「それでは共犯者の身元は分かりますか? あの映像には、あなた以外にも清水美里さんを後部座席に押し込んだ人物が映っていましたが」
「それも分かりません。計画の全容すら聞いていないから」
「つまりあなたは、ただの囮だったということですか?」
「電話の相手の指示に従っただけだ。二週間前くらいに、自宅にグロッグ17が一丁と犯行計画書が届いた。俺はその書類に記された手口で高野を殺したんだ」
「続きは取調室で聞く。車を出してください」
月影は運転手に促す。その直後、路上駐車していた覆面パトカーは走り始める。 月影は車窓を険しい表情で見つめた。
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