身代金の金額

 午前十時五十五分。犯人から再び電話がかかるまで残り五分という所で、清水良平がいるマンションの一室に四人の刑事が集まった。 

 合田は刑事達と顔を合わせ、最終確認を行う。

「麻生は交渉しろ。上条と西野も引き続き逆探知をしてもらう」

 その後で合田は無線機のスイッチを付け、話しかける。

「春野と斉藤と青田。聞こえるか。後五分で電話がかかる。すぐ逆探知した場所にいけるようにスタンバイしろ」

『はい』

 無線機から春野達の声が漏れ、合田は最終準備が整ったと確信する。

 静かな時間が五分間流れる。その静寂を壊すように、電話のコール音が鳴り響いた。現在の時刻は、午前十一時。おそらく誘拐犯からの電話だろうと、刑事達は思った。

 刑事達は互いの顔を合わせ、麻生は受話器を握った。

『警視庁の麻生さんだね?』

「はい。そうです」

 相手の声は、またしても声を変えていない男性の物だった。しかも、その声は小澤の物ではない。またしても誘拐犯は、アルバイトと称して他人を誘拐に利用しているのかと思うと、刑事達は憤りを覚えた。

『一度しか言わないからよく聞け。身代金を詰めたアタッシュケースを正午に東京駅に届けろ。取引現場に警察を張り込ませても構わない』

「すみませんが、あなたの目的を分かりやすく説明していただけませんか?」

『大工健一郎の不正を暴くことだと言っただろう。そんなことより身代金は用意したのだろうな?』

 電話の相手は慌てたような口調で、再び要求を口にしたのだった。一方で麻生は、犯人らしい男に応える。

「はい。ちゃんと十三時間一分一秒分の身代金を用意しました」

『分かった。遅れるなよ』


 電話が切れるのと同時に、青田と清水良平が自宅マンションに戻ってくる。二人は重たそうなアタッシュケースを机の上に置く。

「合田警部。すみません。遅れました。指示通りの金額を準備しました。紙幣番号も控えています」

 そうして青田は一枚の紙を合田に手渡す。

「ご苦労」

 合田がアタッシュケースに手を伸ばそうとした時、何も知らない上条は身を乗り出す。

「どういうことですか? 合田警部。二十四時間ではないのですか?」

「あの誘拐犯の身代金の要求方法は不可思議な物だった。一時間が一万円。ここでなぜ誘拐犯は一時間を一万円にしたのかを考えた。このことについてどう思う? 上条」

「だから計算がしやすいからでしょう」

 上条の答えに、合田は首を縦に振った。

「そうだ。計算がしやすいから。兎に角、誘拐犯にとって、それは都合のいいことだった。ではもしも誘拐犯が想定していないことが、起きたとしたら」

「それが一分と一秒」

 上条が短く答えると、合田は自信満々に説明する。

「計算上一分は四捨五入すると百六十七円。一秒は四捨五入すると三円。百七十円で誘拐犯の作戦を狂わせることができる」

 合田はアタッシュケースを開けた。そこには百万円の束が七つと、八十枚程の一万円札の束が収められていた。

 それから被害者の父親は、財布から百円玉を一枚と十円玉を七枚だけ、アタッシュケースの近くの机の上に並べる。その後で合田は並べられた八枚の硬貨をカメラで撮影する。

 表向きになっている硬貨を、裏返しにして、再び撮影すると、その硬貨をアタッシュケースの中に入れる。

 最後に発信機をアタッシュケースの中に仕掛けた合田は、ケースを閉じた。

 身代金の準備が終わった合田に対し、西野は顔を上げて報告する。

「合田警部。電話の逆探知ができました。場所は東都大学です」

「東都大学。まさか……」

 大学の名前を聞き、合田は報告を思い出す。被害者の元上司、酒井は大工健一郎の密着取材のために、東都大学に向かったという。もしも酒井が地声で、電話をかけてきたとしたら。

 嫌な予感を覚えた合田は、無線で春野達に呼びかける。

「今すぐ東都大学に行け。確か午後一時から東都大学で大工健一郎が講演会をする」

『つまり一時間前には大工が大学に来る。誘拐犯の要求は大工の不正を公表しろ。この要求から大工を恨んでいる人物が誘拐犯』

「大工を恨んでいる人物なら暗殺をする気かもしれません」

『しかし矛盾していませんか? 記者会見をさせろというのが要求だった。ここで暗殺したら要求が達成できない』

「確かに飛躍した推理かもしれない。兎に角、その大学内に電話をかけた奴がいるかもしれない。そいつの捜索も頼む」

 合田は無線を切り、周囲の刑事達に今後の指示を出す。

「後一時間が勝負だ。俺は声紋テープを鑑識に渡すために警視庁に戻る。麻生と上条と西野はここで待機だ。春野達を呼び出して、東京駅に張り込ませる」


 丁度その頃、喪服を着た男は清水美里を監禁している部屋の中にいた。その部屋の床にうつ伏せの状態で転がっている清水美里は、顔を上げて、目出し帽で顔を隠されている男を睨みつけた。だが、男は気にすることなく、椅子に座った状態で携帯電話に耳を当てている。

「分かりました。制限時間は、十三時間一分一秒。それを過ぎたら、人質を殺せ」

 男の物騒な言葉を聞いた瞬間、女子中学生は脅え始める。

  その様子を椅子に座り見ていた喪服の男は、電話を切ると、椅子から立ち上がる。そうして唸りながら脅える少女の耳元で囁く。

「大丈夫」

  それから男は、再び彼女の元から姿を消す。そしてドアを閉じ、目出し帽を脱ぎながら、近くの床に放置された紙袋へと視線を移した。前髪を七三分けにした黒髪短髪の男が素顔を晒す。

 その男は、紙袋の中に入れられた大量の映画のチラシを監禁部屋のドアの前にばら撒く。

 男は床に散乱した十五年前に公開された古臭い映画のチラシを瞳に焼き付け、そのまま立ち去った。


 午前十一時二十分。合田は警視庁に戻り、声紋テープを北条に渡す。

「北条。この声紋テープの解析をしろ」

「分かった。それと、例の誘拐事件の証拠映像の解析が終わった。とは言っても、清水美里の体を自動車の後部座席に押し込んだ人物の解析はまだだが、映像を撮っている人物は分かった」

「本当か?」

 北条は頷き、自動車のカーウィンドーの部分を拡大する。解像度を上げると、思いがけない人物の顔が浮かび上がった。

「被害者の元上司、酒井か」

「そのようです。つまり彼は事件に関与しているということですね?」

 大工健一郎と清水良平の接点は見つからない。それは、誘拐事件は意図せずに発生してしまったことを意味しているとしたら。

 当初の目的は大工健一郎衆議院議員の不正。

 様々な考えが頭を過り、合田は思わず唇を噛んだ。

「マズイな。酒井が拳銃を持っていたとしたら……」

 合田は、午前十一時三十分を指す時計を睨み付けた。

 それと同時期、合田の携帯電話に、葛城からの報告が届いた。

『葛城です。所轄署の刑事が、東京湾第二コンビナート前で、高崎が運転していたスカイラインを発見しました。その自動車には、高崎の姿がなく、現在自動車が発見された周辺を調べています』

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