真犯人の想い
突然刑事の口から自分の名前が飛び出し、清水美里は慌てる。
「私が犯人? 冗談でしょう?」
「講堂の出入り口に設置された防犯カメラの映像に、あなたが映っていた。時間は午後九時三十分。あなたと中林が一緒に外食したラーメン店は、大学から歩いて五分の所にある。そして、あなたには午後九時十分以降のアリバイがない。犯行は可能のはずだが」
神津の推理に対し、清水美里は弁明する。
「講堂に忘れ物をしたのに気が付いて、焦って講堂に戻ったんですよ。映写機なんて設置していません」
真実を追求する神津に代わり、木原は彼女に尋ねた。
「それでは、お聞きします。昨晩忘れ物に気が付いて講堂に戻ってきたあなたは、大森の遺体や殺害して動揺する朝倉教授は見ませんでしたか?」
「見ていません。それに誰とも会っていませんよ」
清水美里の発言を聞き、神津は首を捻る。
「そうか? それはおかしいな。何を忘れたのかは詮索しないが、大切な物だったんだろう。忘れ物に気が付いたとしても、明日探しに行けばいい。現にあなたは、大切なキーホルダーを落としたと言って、警備室で鍵を受け取った。そして講堂の鍵を開け、ステージに転がる大森の遺体を発見した。これらが全て事実なら、あなたは短期間に内に、二度も講堂内に何かを忘れたことになる。さらに、昨晩は午後十時まで講堂は開いていた。物を探すという行為は、落としたと思われる周囲を全体的に探す。それなのに、誰とも会わなかったのはおかしい。ましてや、一番物を落とした可能性の高い講堂の中まで探さなかったのも妙だ。あなたが講堂に戻ってきた時、大森は死んでいた。だから、ステージの上に大森の遺体があってもおかしくないんだよ。それなのにあなたは、警察に通報せず忘れ物を探し続けたんだ」
追い詰められた清水美里は、目を白黒させ動揺した。そして木原は、彼女に追い討ちをかけた。
「あなたの言っていることが全て真実なら、犯罪隠避罪で送検することもできるんですよ」
清水美里は落胆した後で、別人のように表情を一変させる。その顔付きは、落ち着いたどこの大学にもいそうな女子大生の物ではなく、犯罪に手を染めた悪人のようだった。
「そう。映写機を設置したのは私。ステージ端に隠されていた大森君の遺体を、ステージの中央まで動かしたのもね」
「清水。どうしてお前が……」
中林が茫然とした顔付きで清水に尋ねると、彼女は失笑する。
「中林君。前に話したよね? 私は七年前誘拐事件に巻き込まれたって。私は監禁場所の映画館で私を監視していた喪服の男の人のことが好きになったの。こういうのってストックホルム症候群っていうんですよね? 私はあの人のことを忘れたことがなかった」
そうして清水美里は、当時のことを思い出した。
平成二十三年。七月一日。あの誘拐事件から六年が経過した頃、清水美里は自身が誘拐された東都公園の整備された歩道を歩く。
警察の話によれば、誘拐犯の一人は今でも捕まっていないらしい。そんなことを思い出しながら歩いていると、不意に彼女は、喪服の男の声が聞こえた気がした。
「大丈夫。全てが上手く行ったら解放しますから。すべては桜井のため」
突然六年前の記憶が蘇り、彼女の頬に涙が垂れる。目出し帽で顔を隠した喪服の男の声。それを思い出す度に、彼女の頬を赤く染まる。
監禁場所となった映画館で一緒に過ごしただけの人。それなのに、なぜあの男のことを思い出すと赤面しているのだろうと、清水美里は疑問に感じていた。
自分の手足を縄で縛って監禁した悪い人のはずなのに、なぜかこのまま捕まらないでほしいという思いがある。
そして、彼女は考えてしまう。喪服の男は口走った桜井という人物のことを好きだったのかと。
そういう数々の疑問を抱えたまま、彼女は平和な六年間を過ごしてきた。だが、その平和は、偶然聞こえて来た男の声によって一変する。
「大丈夫。すぐに終わりますから」
ベンチに座り誰かと電話をしていた男の声を聞いた瞬間、清水美里は六年前の出来事をフラッシュバッグした。
顔の見えない喪服の男が、自分の後ろ髪を優しく撫でてくれた。
顔の見えない喪服の男が、口を塞いでいたガムテープを剥がし、お茶を飲ませてくれた。
顔の見えない喪服の男が冷房を付けて、監禁場所で快適に過ごせるようにしてくれた。
悪い人のはずの喪服の男から感じ取られた優しさ。やっと答えに気が付いた清水美里は、頬を緩める。
清水美里は、喪服の男のことが好きになった。それは彼女にとっての初恋。
自分の気持ちに気が付いた清水美里は、ベンチに座る黒色のスーツを着た男の顔を見る。
歳は三十代くらい。前髪を七三分けにした真面目そうな男。その男の顔を見た時、清水美里の心臓が大きく震えた。
「あの……私と会いませんでしたか? 六年前に」
気が付いたら、彼女は公園のベンチに座る男に声を掛けていた。その男は、突然の出来事に動じず、彼女に微笑む。
「人違いではありませんか?」
再び男の声を聞いた瞬間、清水美里は直感した。今、目の前にいる男は六年前自分を誘拐して、監禁場所で一緒に過ごした人だと。
本来ならば、警察に知らせなければならない。自分を誘拐した男を見つけたと。だが、あの喪服の男のことが好きという気持ちが、正しい事を邪魔する。
清水美里は、心の中で首を横に振り、男の隣に座る。そうして二人は出会い、互いに交友を深めていった。
二人の出会いを二人の刑事達の前で思い出した清水美里は、供述する。
「私は、あの人のことが好きだった。だから協力したの。あの人から朝倉教授が大森君を殺すって聞いて、犯行計画の隙を狙って講堂に忍び込んだ。そうして予め映画研究サークルから盗んだ映写機を講堂に設置して、あの人から預かったフィルムをセットした。そうして私は、あの人がやろうとしている劇場型犯罪を演出したのよ。これで私は、あの人に愛される。これって大した罪にはならないんでしょう?」
罪は認めた物の、反省しない被疑者に対し、木原は冷たく言い放つ。
「建造物侵入に窃盗。それから犯罪隠避。遺体を動かしたことによって、証拠が消えたかもしれないから、証拠隠滅罪も適応されるかもしれません。いずれにしても、あなたの愛情は間違っていますよ。続きは取調室で聞きます」
二人の刑事は、互いの手錠を二人の被疑者に掛けた。そうして朝倉竜彦と清水美里は、警視庁に移送される。
朝倉竜彦と清水美里は、警察官に付き添われ、大学の校門まで足を進める。
その時、事件が起きた。刑事達の耳に、微かな風を切るような音が届く。その直後、風に乗って血液が噴き出した。
慌てて周囲を見渡すと、腹部から血を流した清水美里が、アスファルトの上に仰向けの状態で倒れていた。
近くにいた木原は、うつ伏せの状態で血塗れとなって倒れている被疑者の肩を揺さぶった。
「しっかりしろ!」
その隣で神津は携帯電話を取り出し、救急車を呼ぶ。
「東都大学で女子大生が撃たれた!早くしろ!」
神津は怒鳴り電話を切る。そして彼は前方の高層ビルを睨み付けた。
その様子を、東都大学の校門の正面にある、六百ヤード離れた高層ビルの屋上で一人の女が、カラビーナ98kと呼ばれるライフル銃のスコープ越しに見ていた。
茶色のショートカットの髪型に、黒色のヘッドフォンを装着した若い女は、屋上に転がる薬莢を拾ってから、携帯電話を取り出し、仲間に電話する。
「タイミングはバッチリ。よく分かりましたね。そろそろ彼女の口を塞いだ方が良いって」
女は電話を切ると、うつ伏せの状態で狙撃した性で、小さな胸の下まで下がった黒色のライダージャケットのチャックを上げた。それからカラビーナ98Kをライフルバッグに仕舞い、スナイパーは立ち去った。
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