黒い探偵

 午後一時五分。東都大学の講堂のステージ上から、木原と神津は客席を見下ろす。この場所で被害者は殺害された。

 二人の刑事は、不可解な行動をとった朝倉教授が怪しいと思っている。だが、どこにも彼が殺したという物的証拠がない。

 北条の話によれば、殺害現場は講堂のステージ上で間違いないらしい。

「死因は、心臓を拳銃で撃ち抜かれたことによる失血死。だが、この講堂の火災報知器は、煙草一本の煙でさえ反応してしまう。だから、教授が予め講堂に持ち込んだ和傘を使えば、何とかできそうだが……」

 神津の隣で木原は、彼の言葉に続けた。

「証拠はありません。おそらくステージの床を濡らしたのは、床に付着した硝煙反応を消すため。殺害から半日以上が経過しているから、証拠は全て処分されている可能性が高いですね」

 手詰まりとなった刑事の元に、一本の電話が掛かってくる。

『北条です。やっと鑑識作業の結果が出ました』

 その電話の相手は北条からで、木原は遅すぎる鑑識結果に不満を口にする。

「遅いですね」

『文句は言わないでください。千間刑事部長からの命令で、殺人事件の鑑識作業を後回しにされたんですから。まず、講堂の赤い絨毯から、硝煙反応が検出されました。まるで被疑者の足跡のように。しかも、その硝煙の形が、革靴の靴先の形と一致しました。この奇妙な硝煙反応は、講堂の男子トイレまで続いています』

「奇妙な硝煙反応。革靴……」

 北条からの報告を聞き、木原の頭に一つの仮説が浮上する。

『次に、防犯カメラを解析した結果、午後十時に朝倉竜彦が講堂から出て行く所が映っていました。その三十分前、講堂に向かう侵入者の影を防犯カメラが捉えました。顔認証システムで詳しく解析したら、清水美里の顔が浮かびましたよ』

 その事実は、これまでの刑事達の仮設を覆す。報告が終わり、電話が切れると、木原は思い切り首を横に振る。

「この講堂で起きた事件は二つあったということです」

 それから木原は神津に対し、北条から届いた新たな事実を伝える。それを聞き、神津が頷く。

「これで真実が見えて来たな」


 二人の刑事は、容疑者が集まる大学の会議室に戻り、ホワイトボードの前で三人の容疑者に真実を伝える。

「誰が大森敏夫を殺害したのかが分かりました。昨晩、彼を殺害した犯人は、朝倉教授。あなたです」

 木原が朝倉の顔を指さす。しかし、朝倉教授は突然の出来事に失笑する。

「まだ私を疑うのか? あの不可能犯罪をどうやって説明する? 講堂の火災報知器は、煙草一本の煙でさえ、反応するんだ。よって講堂内で射殺なんて不可能」

「それができるんだよ。教授が持ち込んだ和傘を使えば。朝倉教授は、被害者のバンド仲間を先に帰し、犯行に及んだ。その手口は、和傘を差した状態で被害者を射殺するもの。そうすることで、上空に昇るはすの硝煙反応は傘に弾かれて、床に叩きつけられるという仕組みだな。こうやって、あなたは煙を上空に挙げることなく、被害者を射殺した。水をステージ上に撒いたのは、ステージの床に付着した硝煙を消すため。だが、あなたはとんでもないミスを犯したんだ」

 神津のトリックの説明を聞いていた中林は首を捻る。

「とんでもないミス?」

「靴ですよ。あなたは目に見えない硝煙を靴で踏んでしまったのではありませんか? 講堂の男子トイレに向かう通路から、硝煙反応が検出されました。しかも、その形は教授が履いている革靴と同じ形。靴に付着した硝煙は落としたかもしれませんが、あなたの履いている革靴と、現場の通路に残された硝煙の形を照合したら、あなたが殺したという物的証拠になるんですよ。朝倉教授」

 ここまでかと思った朝倉竜彦は、落胆する。

「負けたよ。変な奴に唆された私が殺した。中林君。知っているかもしれないけれど、私は七年前に交通事故で亡くなった小木君の家庭教師として、彼のベースやボーカルの指導をしてきた。彼の才能に惚れたから、彼の両親に頼んで」

「教授は、どうして大森を……」

 中林が疑問を口にした後で、朝倉教授は刑事達に視線を向けた。

「刑事さん。この世界には恐ろしい奴がいるよ。現に私には殺意がなかった。だけど、突然私の元に、TAっていう悪魔のような奴に唆されて、大森君を殺したんだよ。七年前の交通事故で小木隼人君は、赤信号を渡ろうとした愛澤葵さんを助けようとして、トラックに轢かれた。アイツは、愛澤葵さんだけが死ねば良かったと言って、あの日風邪を引いて寝込んでいた大森を恨めと言ってきたんだよ。小木君は大森君に誘われて、コンビニで立ち読みをしていたから、あの交通事故の日も同じようにコンビニで立ち読みしていたら、少なくとも小木君は死ななかったとね」

「確かに、大森は小木や俺をコンビニへ誘って、良く漫画雑誌を立ち読みしていましたよ。でも、そんなことで……」

 中林が事実を述べ、朝倉は首を縦に振る。

「コンビニで立ち読みをする習慣があったというのは、事実だったようだな。半信半疑だったが、これで分かったよ。アイツは本来なら抱くはずのない殺意を呼び起こす。黒い探偵だってことが。兎に角、TAを逮捕しないと、今後も私のような善良だった人間が殺人者になる」

「最後にお聞きします。なぜ昨晩は、ラーメン店の割引券をあの二人に渡して、夕食としてラーメンを食べるよう促したのでしょう?」

「あの二人のアリバイを確保したかった。そうしたのは、友人の命を奪ったという罪悪感があったのかもしれない。中林君。清水さん。君達のバンド演奏は素晴らしいと、本当に思ったよ」

 少し間が空き、朝倉竜彦が刑事達に訴える。

「刑事さん。私は爆弾なんて知らない。講堂の映写機を設置したのは、私じゃない!」

「そうでしたか。これでハッキリしましたよ。朝倉教授が大森を殺害した日、もう一人の犯人は講堂に侵入しました。正確な時間は午後九時三十分。その人物は、講堂に映写機を設置して、例の犯行声明のフィルムをセットした。そうですよね? 清水美里さん」

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