朝日奈恵子との再会

 東都大学で木原達が殺人事件の犯人を追い詰めていた頃、陰雷館の二号室の客室の中で、合田警部は月影から思わぬ事実を聞かされた。

『東京で起きた連続爆破事件の容疑者に、朝日奈恵子が浮上しました』

 突然かかってきた電話。それを聞いた合田は驚愕を露わにする。

「本当か?」

『間違いありません。七年前に国枝によって殺されたはずの彼女と瓜二つの人物が、爆弾犯です。彼女が偽物の爆弾を設置している様子が何度も防犯カメラに映っています』

「分かった。こっちに彼女が殺されてから、何度も朝日奈恵子の亡霊と遭遇した婚約者の男がいる。彼に話を聞く」

 合田は電話を切り朝日奈恵子の婚約者だった小野次郎が宿泊する五号室へと向かう。

 旅館の中は、国枝の起こした殺人事件の裏付け捜査のために、多くの警察官達が集まっていた。そんな状況の中で、合田は五号室のドアをノックする。

 すると、すぐに小野次郎がドアを開ける。

「小野次郎。彼女の死後に、朝日奈恵子と遭遇したそうだな。その時の状況を教えてほしい」

 合田が早速尋ねると、小野は頷き、瞳を閉じ語り始める。

「あれは一年前のことでした」

 

 平成二十三年七月一日。愛する婚約者、朝日奈恵子を失ってから六年目の夏。梅雨明けで空気の温度が上がる中、小野次郎は額から汗を流しながら、交差点を歩く。

 ラッシュアワーという時間帯ということもあり、多くの人々が交差点を渡っている。

 朝日奈恵子が死んでから、小野次郎は抜け殻のように生きて来た。何度もアルバイトでお金を稼ぐだけの毎日。楽しいこともなく、当たり前のような生活が過ぎていく。

 この日も小野次郎は、バイト先のコンビニへ向かうため、いつもと同じ交差点を渡る。

 不意に一瞬、冷たい風が吹く。小野次郎は懐かしい雰囲気を漂わせる髪の長い女と交差点ですれ違う。

 一瞬だけ女と視線を合わせた小野次郎は、思わず交差点の中心で叫ぶ。

「恵子!」

 交差点で小野次郎が遭遇した女。それは朝日奈恵子と同じ顔だった。

 朝日奈恵子らしき女に、婚約者の叫びは届かない。彼女はラッシュアワーの雑踏の中で姿を消す。

 その日から、小野次郎の心は生まれ変わる。朝日奈恵子は生きていた。自殺したというのは嘘で、本当は死んでいなかった。

 夏の幻ではないかと、小野は一割だけ疑ったが、それでも良いと彼は思う。彼女と思わぬ再会を果たし、心は救われたのだから。

 それから小野次郎は、朝日奈恵子の亡霊と何度も遭遇する。だが、彼は彼女と言葉を交わすことはなかった。


 亡霊との再会から二か月が経過する。その日小野次郎は休日だった。普段なら自宅に引き籠るのだが、今日は街中にいるはずの朝日奈恵子を追いかける気分になれた。

 これまで小野次郎は、何度も彼女を追いかけたけれど、その度に朝日奈恵子は彼の前から姿を消す。それはまるで幽霊のようだと、小野は感じていた。

 この日も朝日奈恵子は、交差点に出没する。いつもと同じ時間帯。同じ交差点。小野次郎は雑踏の中から、朝日奈恵子の姿を見つけると、すぐに彼女を追いかけた。

 朝日奈恵子は背後を歩く小野次郎の姿に気が付くことなく、高層ビルの近くで立ち止まった。そして、彼女は路上駐車している自動車の助手席に乗り込む。その自動車のボディに株式会社アカツキという文字がプリントしてあるのを、物陰に隠れていた小野次郎は目に焼き付ける。その車内の様子を凝視すると、朝日奈恵子は丸みを帯びた輪郭に老けた顔付きの男と会っていた。会話は聞こえなかったが、朝日奈恵子は三分程で男の運転する自動車から降り、密会の相手の自動車は、すぐに走り始めた。

 それから朝日奈恵子は、いつもと同じように、小野次郎の前から姿を消す。


「株式会社アカツキ?」

 小野次郎の話に出て来た会社の名前を復唱した合田は首を傾げる。

「間違いありません。それで車のナンバーを控えた僕は、探偵を雇って調べてもらいましたよ。そうしたら、あの日恵子と会っていたのは、株式会社アカツキの専務、清水良平さんだっていうことが分かりました」

「清水良平」

 その名前に合田警部は聞き覚えがある。彼は七年前に発生した誘拐事件の被害者の父親。

 朝日奈恵子の亡霊の正体は分からないが、その亡霊と清水良平が密会していたというのは事実。

 月影から七年前の誘拐事件の身代金を流用した爆弾事件が発生したことを、合田は聞かされている。もしも、七年前の誘拐事件と今回の爆弾事件に関係性があるとしたら。

 合田の脳裏に様々な疑問が飛ぶ。その中で警部は連行される直前の国枝の言葉を思い出す。

「合田警部でしたっけ? 斎藤一成が殺害された現場に、『TA』っていう殴り書きが残されていたでしょう。あれは僕からのダイイングメッセージ。お膳立てしてくれた黒幕に、僕は殺されると思うから」

 国枝のダイイングメッセージ。爆弾犯が仕掛けた爆弾の目印。この二つは、同一の『TA』という文字。

 七年前から続く一連の事件には必ず『TA』という文字が絡んでいる。もしも、この文字が黒幕を示しているとしたら。

 合田警部は急いで、国枝が宿泊していた三号室に向かい、走る。三号室には、既に多くの刑事が集まっていて、その中には鮫崎の姿もあった。

 三号室には、国枝が宿泊していた時の部屋の様子を再現されていた。机の上にはノートパソコンが設置されている。

 鮫崎はノートパソコンの前で唸る。それから三号室に駆け付けた合田を見つけると、彼に向かい歩み寄った。

「合田警部。被疑者が過ごした客室の捜索は終わりそうだ。だが、この部屋に残されたノートパソコンのパスワードが分からない。刑事の勘が、このパソコンの中に事件の証拠が隠されていると言っているのに」

 それを聞き、合田は国枝のノートパソコンの画面を覗き込む。そこには水色の背景に白い羽を纏う天使のイラストと、パスワードのヒントを示すメッセージが表示されていた。

『国枝博を殺すのは誰か?』

 アルファベットを入力すればパスワードが解除される仕組みなのだろうと、合田は思った。

「TAじゃないのか?」

 合田の問いかけに鮫崎は首を横に振る。

「違うな。TAと入力してもパスワードが解除できなかった。おそらくTAというのは略称で、正式名称を入れないと介助されないのかも」

「正式名称?」

「Tedious angels.」

 開きっぱなしになっている三号室のドアの外から、流暢な英語が聞こえた。

 合田がドアの先を見つめると、そこには高崎一の姿があった。

「何だ?」

「直訳すると、退屈な天使たち」

「だから、何でお前がここにいる!」

 邪険に扱う合田を他所に、高崎は説明を続ける。

「暇つぶしに散歩したら、朝日奈恵子という名前が聞こえたものだから、まだ彼女絡みの事件は終わっていないと思った。だから、情報を提供する。朝日奈恵子と密会した男が漏らした英語だよ。そいつが言うには、朝日奈恵子はあの組織の構成員らしい」

 高崎はそう言うと、三号室の室内に足を進めて、ノートパソコンの前で立ち止まる。

 そうして、キーボードで『Tedious angels.』と打ち、エンターキーを押した。

 すると、ノートパソコンが立ち上がり、画面に犯行計画書と爆弾の遠隔操作プログラムが表示された。

「見せろ」

 鮫崎は高崎に声を掛ける。一方の高崎は、後ろに一歩下がった。

 ノートパソコンの前の席に座った鮫崎は、マウスで画面をスクロールさせ、犯行計画書に目を通す。

 そして、全ての文書に目を通した彼は、悔しそうな顔を合田に見せた。

「ダメだ。爆弾をどこに仕掛けたのかという重要な情報が書いてない。分かったことは、国枝は犯行計画書に従い、殺人を繰り返していたことと、石橋の爆破は、国枝のパソコンを使い遠隔操作されていたことだけ」

 落胆する鮫崎の隣で、合田は彼の右肩を掴む。

「警視庁で解析したら、別のことが分かるかもしれない。兎に角、そのパソコンは重要な証拠品だ」

「あっ」

 急に鮫崎が声を上げた。彼の正面に設置されているノートパソコンの画面が、突然真っ黒になる。慌てて刑事が電源のボタンを押すが、再びノートパソコンは立ち上がらない。

 何者かに破壊させられたノートパソコンの前で、刑事達は苦渋を呑む。

 合田警部は、真実を導くための貴重な証拠品を失った。

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