第4話

エツ > 夕飯を食べたら眠くなってきた。寝る前に誰かと少し話したいな。


(・・・・まだ8時なのに、この人はもう寝るのかな)

 佳奈子はエツの部屋の「入室」ボタンをクリックした。


カナ > こんばんは。


 あいさつは佳奈子からした。とりあえずの短いメッセージ。でも、いくら待っても、エツという男からのメッセージはなかった。

(またからかわれたのかな)

 「退室」ボタンをクリックしようとした時、新しいメッセージが表示された。


エツ > ごめん、トイレに行ってました。こんばんは、カナさん。


(自分で部屋を作っておきながらいなくなるかね・・)

 アルコールの力も借りて、めずしく気持ちが大きくなっていた佳奈子だったが、それでも部屋を出ようという気持ちにまではならなかった。


カナ > はじめまして。

エツ > こちらこそ、はじめまして。


(ここからだ)

 佳奈子のわずか1時間ほどの経験でしかないが、ここから「今日はどんな下着をつけてるの?」とか「もう濡れてるんでしょ」などと聞いてきて、エロモードに突入するはずだ。

 しかし、またしてもエツからのメッセージはなかった。しびれを切らしたのは、佳奈子のほうだった。


カナ > もう寝るんですか?

エツ > はい。

カナ > まだ8時ですよ。早すぎませんか?

エツ > 夜中にバイトをしているので、仮眠ですね。

カナ > エツさんは、学生なんですか?

エツ > 違いますよ、27歳、社会人です。

カナ > そうなんですか。それなのに夜中にバイトを?

エツ > 昼間は契約社員だから、午後4時には上がれるんです。それに夜中のバイトは時給がいいからね。

カナ > そんなにお金が必要なんですか?


(・・・なんで私、この人のことばかり聞いてるんだろう)


エツ > うん。ちょっとね。

カナ > 何か欲しいものでもあるんですか?


(完全に向こうのペースじゃん)


エツ > なんで今日初めて話した人に、そこまで言わなきゃいけないの?


 大きくなっていた佳奈子の気持ちは、みるみる萎んでいった。強い口調で言われると、途端に自分の殻に閉じこもってしまう。佳奈子があまり外に出られなくなったのも、少なからずそこに原因があった。

(とりあえず謝らなきゃ・・・もう、指がうまく動かない)


エツ > いや、ごめん、言いすぎた。・・・・カナさんはいくつ?


(え?なんか違くない??この人・・・)


カナ > 20歳です。大学2年です。

エツ > そうですか。まだ夏休み中かな。

カナ > はい。もうすぐ後期の授業が始まります。

エツ > いいな、青春のキャンパスライフってやつだね。


 大学での専攻、アパートでひとり暮らしをしていること、実家から送られてきた玉ネギが多すぎて持てあましていること、塩を入れすぎてしょっぱくなったカルボナーラ、少し飲みすぎた赤ワイン・・・・。佳奈子は自分でもびっくりするほど自分のことをよく話した。チャットとはいえ、こんなに長い時間誰かと話すのは久しぶりだった。しかも相手はどこの誰なのかもわからないのである。

 テーブルの時計が9時になろうとしていた。


エツ > もう9時か。そろそろ寝なきゃ。カナさん、ありがとう、とても楽しかった。


 佳奈子は、まだまだ話し足りなかった。もっとエツと話していたかった。でも、エツにも都合がある。無理に引き留めるわけにはいかない。


カナ > 私も楽しかったです。エツさん、ありがとう。


 やがてこの「部屋」は閉じられる。佳奈子は急に悲しくなった。


エツ > カナさんともっと話したいんだけど・・またここで会えないかな?


(え?! エツさんも私と同じ気持ちなの?)


カナ > はい。私もエツさんともっと話がしたいです。でも、私でいいんですか?

エツ > うん。カナさんと話したい。毎日は無理かもしれないけど、夜の7時くらい

にここに部屋を作って待ってるから、カナさんの都合のいい時に来てくれる?

カナ > はい。わかりました。


 電源の落ちた真っ黒な画面に映る自分の顔を、佳奈子はぼんやりと見つめていた。またエツさんと話ができる、そう思うだけで顔が火照ってくるのが自分でもわかった。こんな気持ちは、初めてだった。

 コップに残っていた赤ワインを飲み干すと、佳奈子は立ち上がり、もう一度時間を確認した。もうすぐ彼から電話がかかってくる時間だった。佳奈子は洗面所へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る