第2話

 重松佳奈子の実家は、群馬で『しげまつ』という旅館を営んでいる。『しげまつ』は、佳奈子の父親が4代目となる100年以上続く老舗の温泉旅館だった。家族と親戚だけで切り盛りをする、客室が7部屋しかない小さな旅館だったが、地元の食材を使った手料理と豊富な湯量が自慢の宿だった。

 これまで『しげまつ』は何度も経営危機に見舞われたが、そのたびに地元の仲間に助けられ、リピーターのお客様に励まされながら、かろうじて存続してきた。最近では…といっても佳奈子がまだ生まれる前の話だが…上越新幹線が開通した1980年代前半、『しげまつ』はおおいに活気づいた。部屋数が少ないとはいえ、3か月先まで予約で埋まったこともあった。しかし、佳奈子の父親が言う「新幹線バブル」は長く続かず、新幹線の開通に合わせてオープンをした大きくてきれいなホテルに客は流れていった。それでも、初めて『しげまつ』を利用した客の約1割がリピーターになってくれた。

 佳奈子は、父親が49歳の時に出来た遅い子供だった。きょうだいはおらず、一人っ子の一人娘。みんなにちやほやされ、甘やかされて育った。

 小学生までは『しげまつ』の中を走りまわって宿泊客らの笑顔を誘い、中学生になると台所に入り、皿洗いや母親の料理の手伝いをした。高校生になると、仲居として部屋の掃除をしたり料理を運んだりした。最初は嫌々だったが、お客様の笑顔や帰り際の「また来るよ」の一言がうれしかった。『しげまつ』を絶やさず存続してきた両親に、佳奈子はいつしか尊敬の念を抱いていた。

 一方父親は、『しげまつ』の存続に頭を悩ませていた。佳奈子が成人する時、自分は70歳。経営状態は良好とはいえないが、悪くもない。しかし、佳奈子が結婚し、婿を後継者として迎え入れたとしても、果たしてそこまで自分の体力や気力が続くだろうか。いや、佳奈子の結婚相手が『しげまつ』を継ぐ意思のある男であるのだろうか。昔ならまだしも、今の時代に娘の結婚相手に条件を付けるのは酷な話であったし、そもそも佳奈子の父親はそこまでの古い考えは持っていなかった。ただ、自分がしっかりしているうちに結論を出さなければいけないと考えていた。

 そんな矢先、富岡製糸工場が世界遺産に承認されるかもしれないというビッグニュースが舞い込んだ。富岡製糸工場は『しげまつ』から車で90分ほどの場所にあった。世界遺産に登録されればもちろん、仮に登録されなくても全国レベルの新しい観光地になることは間違いなかった。

 佳奈子は自分が『しげまつ』の後継者になることを決め、両親に伝えた。そして、観光と経営についてきちんと学ぶために、大学へ行きたいことも伝えた。父親は後ろにひっくり返るほどびっくりしたが、泣き笑いの顔で了解をしてくれた。

 「観光学」と「経営学」を学びたいという佳奈子の学欲を満たす大学は、群馬県内にはなかった。もっとも近い大学は横浜にあった。

 佳奈子が横浜にある大学に入学したその年の6月に、富岡製糸工場は正式に世界遺産に登録された。

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