フェアリーマート小古瀬店

 ザアザアと鳴り響く雨音に紛れて聞こえてきたピロピロという電子音に、サトウは機械的に顔を上げた。

「らっしゃいませー」

惰性で挨拶をする。だがその客は商品を見るでもなく一直線にサトウの方に向かってきて語り掛けた。

「やあ、サトウ君。ちょっと久しぶりだね」

そこで彼はハッとしてようやく客の顔をまともに見ると、それは友人のハオだった。

「おお、ハオ君か。一月ぶりぐらいかな。新しいハケン先でも決まったのかい?」

「そうなんだよ。今度からスティーヴンイレヴン小古瀬店で働くことになったんだ」

「なんだって!あの、バイトが次々やめるんで悪名高いスティイレ小古瀬店に。噂によると恐ろしい店長がいるらしいじゃないか」

「はは、仕方ないね。断れるような身の上じゃないしね」

「それになんといってもこことはライバルだ」

「まあお互いお互いの所で物を買うようにしようよ。そうすれば僕たちの給料も少しぐらい上がるかもしれない」

「はは、そうだな、頑張って働こう」

「それで、さっき駅前でチェ君にも会ったんだけど、チェ君も建築現場で続いてるみたいでよかった」

「チェ君は力持ちで誠実だから、きっとあの仕事は長く続くよ」

「グエン君も相変わらずかい?」

「いや、グエン君はまた変わった。今度はファミレス」

「そうかあ・・・あんなに真面目で美人なのに、どうしてずっと苦しいんだろう」

「本当に。僕みたいなのはさ、こうなってしかたないけど、グエン君はもうちょっと幸せになっていい気がする」

「同感だ。少なくともまたあんなことになるのだけは止めないとね」

いよいよ雨は激しく殴りつけていた。とその時、店の表で微かにカタンという音がして、見れば大きな黒い影が揺れている。サトウとハオが様子を見ようとドアに近付くとその影は人力車だと認められた。車夫の青年と、姿は側板に遮られて見えないが老人と思しき声の会話が聞こえる。青年は高級そうな青の和装でおよそ車夫らしくはなかった。

「困りました。スティーヴンイレヴン同様、こちらにも駐車場はございません」

と青年。

「ふむ、仕方がありませんね。路上に停めておくのは迷惑です。ここは私が降りて自ら“蜂蜜オリオ”と“西瓜パッキー”を買い求めましょう。君は適当にそこら辺を回っていて下さい」

と言って老人はゆっくりと人力車から降りてきた。茶色っぽい作務衣を着た小柄な老人だった。サトウは慌ててレジの内側に戻った。

「かしこまりました。それでは三十分ほどで戻って参りますのでごゆっくりお買い物をなさって下さい。それにしましても蜂蜜味の“オリオ”や西瓜味の“パッキー”とは。この世にありとあるものは、げに様々にございますね」

「いかにもいかにもその通り。君は良いことを言いますね」

そう言い交わすと青年は人力車を曳いて去って行き、老人はそれをたっぷり見届けてからようやく自動ドアに向かって一礼してこれを開き、店内に入って来るとドアの近くに突っ立っていたハオにまた一礼してから、商品棚をしげしげと眺め始めた。五分、十分、老人は時折商品を手に取りながら棚の隅から隅まで詳細に調べている。目当ての“蜂蜜オリオ”と“西瓜パッキー”はとっくに見つけているのに、わざわざ一旦手にしたそれらを棚に戻して、スポーツ新聞など全く関係ないものまで念入りに見て回っているのだ。そんな様子を見てハオが再びサトウに近付いてきて、小声で

「もしかして」

と言って自分の目を指差した。

「いや、そうではないと思うけどなあ」

サトウは懐疑的に首を傾げた。

「でもあんまり迷っているようだったら声かけてみたらどうだい?」

「うーん、それもそうか」

実際それから更に十分ほど経っても老人はまだ棚から棚へと回遊していた。サトウはとうとう声を掛けた。

「お客様、何かお探しでしょうか」

もちろん外での会話を聞いていたとも言いにくいから、いかにもただの世話焼きな店員という体で。すると老人はハッと顔をサトウに向けて済まなそうに微笑して

「おお、これは失礼しました。つい、面白くて夢中になってしまいまして。すぐにお菓子をもってお会計に伺います」

と言うや、先ほどまでとは打って変わってスタスタと菓子の棚まで歩いて行き、“ワラビーのワルツ”(チョコレート味)と“つちのこの森”を掴んでレジに向かった。サトウは老人の心変わりの理由が何故だか無性に知りたくてならなかったが、やはり問うわけにもいかず、ただ駆け足で老人を追い抜いてレジに戻った。老人はレジに辿り着くと「こちらお願いします」と言って礼をして商品を差し出し、金を払うと「ありがとうございます」と言ってまた礼をしてからドアに向かった。

 老人が店を出たまさにその時、人力車を曳いた青年が戻ってきた。彼らが一言二言短く言い交わすと、老人が座席にチョコンと収まって車は出発した。サトウがそれを目で追っているとハオが三度みたび近付いてきて呟いた。

「どこか不思議な感じのする客だったな」

「いや、どこかというか、明らかに、普通の客ならたかがコンビニで安菓子買うくらいであんなに悩まないだろう。どれを買っても大して変わりはしないし。それに食べ物でもない、全然関係ないものまで見て回っていたじゃないか」

「それもそうか。しかしあんなお爺さんだから普段コンビニに馴染みが無いとも考えられる」

「ふーむ」

サトウは思わず考え込んでしまった。物心ついた頃から色々な菓子を当たり前のように消費していた自分にとっては、それはどうでも良い、全く重大でない選択だが、それに慣れていない者からすれば圧倒的な選択肢の数に戸惑うかもしれない。そういうものなのかもしれない。もっともそのサトウだって今や安菓子とはいえポンポン買える身ではない。彼はすっかり底辺に滑り落ちてしまったのだ。偶にビールを一缶買ってハオやチェやグエンと路地裏で飲むのが贅沢である。しかし今日はまさにそんな特別な日ではないだろうか、と彼はハタと気付いた。名目ならある。

「そうだ、ハオ君。今夜はみんなで飲もうじゃないか。君の新派遣先決定を祝して、ということで。ビール代は僕が出すよ」

そんなわけでサトウが提案した。

「おお、それは良いな。だけど自分のビール代は自分で出すよ。貯金はまだ少しあるんだ。気を遣わないでくれ」

ハオの貯金が本当に残っているかどうかはわからなかったが、彼としても友人たちと酒を呑むのが楽しくないわけがない。

「すまない。じゃあそういうことで決まりだ。チェ君とグエン君には僕からメールしておこう」

「よろしく頼んだ。僕はビールを取ってくるよ」

ハオはそう言うと足取り軽やかに酒類の棚に向かい、サトウも早速携帯を取り出してチェとグエン宛に「夜飲もう」とだけの短いメールを送った。だがサトウが携帯をしまってもハオは戻って来ない。見ればハオはビールの缶を横にしたり逆さにしたりしてしげしげと眺めている。

「何をしているんだ、君は」

サトウは呆れ声で言った。

「いやね、僕もこうしていれば何か悟れるかもしれないと思って」

ハオはそう答えて笑うと大股でレジにやって来て「こちらお願いします」と礼をしながらビール缶二本を恭しく差し出した。

「お会計、396円になります・・・と、半分は僕が出すんだけど」

サトウも改まってみたものの、すぐに自家突っ込みを入れながら何だかとても可笑しくなってしまった。こういう瞬間があるから、こんな人生も悪くないと思う。もうすっかり夜になってしまった外を見遣りながら彼はしみじみと心の中で呟いた。

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