抜け道
俺の質問の意味を、もしかして相手は、理解しなかったのかもしれない。その不安が持ち上がるほど、時間が過ぎた。困った俺は、相手の手元をよく見ようと、椅子から立ち上がる。すると、ようやく相手も動きを見せた。
教卓に手をつき、何をするのかと思いきや、軽々、台の上に全身を乗り上げ、足を前方に投げ出すと、読んでいた本を押しのけ、そこに座った。
バタンと、耳ざわりな音を立てて落ちた本を見つめ、俺は一瞬、反射的に拾いあげようと、腰をかがめる。しかしその思考を遮るように、真っ青なジーンズに、真っ赤なスニーカーを履いた足が、目の前で揺れた。
俺は思いとどまると、その奇妙な相手を、当惑を込めて見返した。教卓の上で、伸びがあがるように胸を反らし、俺を見下ろす存在は、小さく予備的な動作で唇を動かすと、次のような言葉を発した。
「四方屋は、星を探しているんじゃなくて、何か違うものを探している」
合成に失敗した動画のように、唇の動きと、耳に届く音がずれている。ちなみに、聞こえる声は中性的で、やっぱりどちらか分からない。俺は、『困ったな』と思いつつ首を振り、言葉を返した。
「さっきから俺が巻き込まれてる、それ。星だの、何だのって、よく分からないんだけど、説明してくれる?」
星を捕まえるとか、E男が言っていた。いや、S子だったか。目の前の人物は、ひときわ驚いたような顔をして、すぐさま、穏やかな表情に戻った。『なんだ?』と俺が首をひねっているうちに、話し出した。
「どうやら地球というのは、とても、のんびりとしたところらしい。僕は、とりあえずWと名乗っておくけれど、ここには視察に来たんだ。君は面識があるだろう、その彼女が、宇宙の調停者である彼女が、生まれた銀河へ帰還する恒星を捕まえる、その場面を、見に来たんだ」
「宇宙の調停者…」
何やら壮大な話だなと思った。面識がある彼女と言われて、思い浮かぶのは、ただ一人である。俺がその名前を口に出すと、目の前のWは大きく頷いた。俺は、その返答に「はぁ」という生返事を返したが、どういうリアクションをすればいいか、分からない。
たとえばS子が宇宙人だとして、そういう、果てしなく不可解な使命を負って、この地球に ”やってきた” のだとしたら、あの意味不明な突っかかりも、余人と異なる性格も、説明がつくのだろうか。
「じゃあ、俺はどうなんだ」
胸の内で思ったことが、口をついて出た。『あっ』と思ったが、遅い。S子が宇宙人で俺が一般人ならば、いったいどういう接点で、いまの関係があるのか、俺としても興味があった。
Wは、いつ拾い上げたのか、またさっきの巨大な本を、大事そうに膝の上に抱えている。もしかして宇宙の秘密だとか、そういうものが書かれている本だろうか。
「いったいどんなことが?」
その本を指さし、俺はWに尋ねる。
「あぁこれはね」
Wは、さらっと本の表紙を撫でるようにして、愛おしいものを見るようにこう答えた。
「これは地球の歴史を、簡潔にまとめたもの。
「俺のこと?」
ひどく妙な気分で問い返した。いったい地球規模のどんな理由で、俺のことが書かれてあるというんだ。まったく想像できない。
不審に思った俺の気持ちが読めたのか、Wは、少し間をおいて、言葉を選ぶように、こういった。
「そうさ、四方屋のことも書いてある。君は地球の『目』だろう? 自覚が無いのだろうけれど、君が見ているものが、この惑星の意識の向いている先だということだ。
つまり、君が気付けば、地球が気付く。君が迷えば、地球も迷うだろう。この惑星に頭脳は無い。腕も足も耳も、たくさんあるが、目ほどは、重要じゃない。四方屋、君は何を探してるんだ? 君はいったい今、何を見ている?」
「俺は…」
俺は足元を見、自分の伸ばした腕の先、青白い血管の浮き出た手の甲を見つめる。そうだ。俺が探しているのは…
「未来だ。ただ時間が過ぎるんじゃなくて、今ここに無いものが、ある未来だ。どうしたら手が届くのか。何を今、すればいいのか。遅すぎるのか、早すぎるのか。見当がつかないから、迷ってるんだけど」
「星は」
やや大きな声で、俺の話を遮ったWは、遠くを見つめて、思い出す様に語りだす。
ようやく唇の動きと、言葉のはじまりが揃っている。俺は話半分、Wの視線の先を見つめたが、教室の壁しかない。
その視線とクロスするように、真っ青な青空を切り取った窓に、注意を向けたものの、変わらず、わざとらしい白い雲が、浮かんでいるだけだった。
「役目を終えると、恒星は故郷の銀河、そこに浮かぶ惑星に、帰って来る。いいかい、四方屋。煌々と銀河を照らす熱源、恒星は、人間から作られる。何代もそうやって銀河を広げ、宇宙を開拓してきた。
この地球のある銀河は遥か昔、出発点であったけれど、今じゃあまりに遠すぎて、まるで時間が止まっているようだ。恒星の爆発まで何十億年だなんて、有り得ない話。今じゃ6千年がいいところ。世代交代が忙しくて、その分、星の帰還にも大わらわだ」
俺は、いつか観た科学番組のシミュレーション映像を思い出す。
"太陽が爆発する"
その可能性自体が衝撃的で、恐怖を煽るような演出だとか、そんなことくらいしか考えられなかった。もしそれが、たったの数千年だと言われたら、感じ方が違ったのだろうか。
「どうしてそんな大変な思いをして、太陽を殖やすんだ」
いつのまにか俺も、Wの話に順応している。Wはそんな俺を見て、得たり、という顔をすると、話を続けた。
「それは、必要なエネルギー源だからさ。この地球上の技術では、まだ充分に換価できないようだけれど、僕たちの宇宙では最上のもの。それが太陽エネルギー。
あらゆる生命を育む環境を生み出すために必要な、銀河の第一構成単位。もし四方屋だったら、どうする? そんな存在に成れるとしたら、立候補するかい?」
尋ねられて真剣に検討してみる。始終燃えている、というのはどんな気分だろうか。そして燃え尽きた後、誰の目にも分かりやすく粉塵に帰す、というのは、どんな最期だろうか。
人類の役に立つ仕事? 確かにそうだろうけども、文字通り、自分の一生をかけるのだ。いや、でもそんなことより。
「たった一人、ということですよね。話し相手もいなくて、銀河の中心でずっと燃え続ける。楽しい、わけないか。俺にはとても」
Wは、ふいっと視線を逸らして、俯いた。
「僕の友人は、立候補したよ。とても優しくて、意思の強い人だった。周囲の反対も押し切って、新しい銀河の中心で、輝いている。星に成ったら、会話はおろか、人格自体が消えてしまう。長い役目を終えたときに、わずかに記憶が残る場合もあるそうだけど、どうかな。彼の帰還の際に、僕はきっと、生きてはいない」
Wの言葉には、後悔がにじんでいた。大事な、友人だったのだろう。
そう思うと、自分のことでもないのに、淋しいような、やるせないような気持ちになる。俺は言った。
「みんな、バラバラだな。人生の何をどう選んでも、理解してもらえる正解が、あるわけじゃない。でも俺は、そんな一人を生きたいわけじゃなくて」
孤独に耐えて、偉大なことを成す。でもそれに価値を認めるのは、社会じゃなくて、自分自身じゃないと、何一つ、受け入れられない。自分ってなんだ。自分の価値観って、そもそも、何がどうだっていうんだ。
いつだって、俺の価値観に口出しするのはS子で、俺自身じゃない。どうしてそれが気に喰わなかったのか。それは、俺が自分に言いたくても、言えないことを、何でも彼女が先に、言葉にしてしまうからだ。
悔しい。
言われたことが的を得ていなくても、俺以上に、俺のことを考えている風なのが、それに甘えて、「自分」という対象に、投げやりでいられる俺自身が、本当はかっこ悪くて、恥ずかしくて、嫌だったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます