坂道

 俺、四方屋成一は、何事につけそれなりにわきまえた性格だ。だから、S子のことにしても、まずは彼女の友人から、その人となりを探っていくことにする。


「え?なに、四方屋君、君もか?」


 S子の友人であるAさんは、上機嫌で俺のおごりのアイスクリームを食べつつ、目を丸くする。どうやら最近、S子は「モテ期」というやつに見舞われているらしく、彼女の嗜好や、行動半径を探ろうとする男子が、それとなくAさんに声を掛けてくるらしい。


「…まぁ、それなりに警戒を、というやつで」


 ちなみに、Aさんは高校からのS子の友人のため、俺がいわゆる『特別枠』であることを知っている。そうはいっても、今の時点では、気のせい→勘違い→無関係になりうる、"特別"の可能性もあるが、それはとりあえず黙っておく。


「まぁね、S子は言動が目立つしね。肝も据わってて、頭がいいっていうのも間違ってはいない」


 Aさんはそう言うと、スプーンに最後の一掬いを載せ、ぱくりと口に入れると、少し遠い目をする。


「けど、あれだ。そこら辺の男は眼中に無いっていうあれ、あれだね。要は」

「?」


 そのまま席を立つ彼女の後を付いて、同じ履修の語学教室へ向かう。小柄な彼女の白い顔には、愛嬌十分なそばかすが浮かび、見た目も実際も、人当たりの良いのは折り紙付きだ。



「四方屋君には悪いが、きっと彼女の理想は高いのだよ。もっと年上で頼りがいがあって、稼ぎが良くて…というのをさ」


「はぁ」



 そもそも俺は、S子の好みや将来設計の話など、聞いたことがない。というより、興味を持ったことさえ無い。


 いや、どうでもいいわけではないが、いつも一方的に語って来る話が、やたらと壮大で『あぁ、そうですか』という感じで、聞き流していた…かもしれない。もしかして、そういうのがまずかったか。


 俺は、自分の胸に手を当て、記憶の欠片も見えてこないことに衝撃を受けた。


「うぐっ」


「ごめん、気分悪くなった?」


「いいや、そういうんじゃなく…」


「あー、忘れてた。四方屋君ってメンタル弱かったよね、S子と違って。ごめんごめん」


 全然悪いと思っていないどころか、面白がっている節もあるこのAさんは、一般的にはとっても気遣いのできる、話し易い相手の一人である。だが、こと俺に対しては2割方、S子と同じ対応をする。


 勿論分かっていた。だが、仕方あるまい。S子が、広く浅くの友人関係より、気に入った相手ときっちり付き合う、をモットーにしている人間なのだから。

 当然、こうしたことを尋ねられる相手は、限られてくる。まぁ、俺と同じで友人は多くないということだ。


 重ねて、AさんがS子の味方であるということは、総じて広い世間の一角においては、俺の評価が概ね”低い"ことは、否定し難いのだろう。


 他人の視点に直接口出しをしても、埒が明かない。ともかく、女性方と口で争っては負けだ。


 気持ちを切り替えて、早々に課題を終えた俺は、教授の許可を貰って、授業終了の15分前に退室する。


 時刻は午後4時を過ぎたころ。普段なら図書室へ寄って新刊本をチェックしてから帰るが、実は昨日の夜、S子からラインで、『ラテン語の課題で教えてほしいことがある』と、久方ぶりの”お願い”があった。


 語学に関してはS子に負けない、という自負、いや結構な得意分野だったりするため、お安い御用である。念のため、昨日のうちに1年の時に取り組んだ演習問題と教科書に、目を通してきている。S子のことだ。せいぜい30分か、長くて1時間も拘束されはしないだろう。


 めぼしい空き教室には、仮眠中の強者含め、大抵誰かがいるので、できれば外のベンチがいい。そう思いつつ、ぷらぷらと学内のコンビニに寄り、菓子パンとジュースで、講義とゼミで消費した分の糖分を補給する。


 バイブが鳴り、S子からの連絡だ。


『予定変更。J教授から呼出。生協前で連絡員を待て』


 という一行だけのお断り文。普通の男なら、ちょっとキレる。だが、俺は付き合いがない分、これでも十分、S子にしては丁寧なメッセージだと考える。


 まずい。もしかしたら俺は残念な男かもしれない。しかし…と、俺はS子のメッセージに、すぐには顔の分からない人間が二人、出てくるのが気になった。


 J教授? カタカナ綴りの、外国籍の教授では、この名前の教授は文学部にはいない。しばらく頭を巡らせた後、ふと、嫌な記憶が頭をよぎった。


『…ほら僕の奥さんは美人だから、イケメンのJ教授と浮気してるって、学生の噂になってるでしょ。僕もう、気になっちゃって…』


 そうだ、あいつだ。Mの妻の浮気相手と目されているのが、”J”とかいう名前の教授だった。どうやら一気に、面白くない流れになってきた。なんだ、学部がまるきり違うじゃねぇかよと、俺はベンチで貧乏ゆすりを始める。そして、問題の連絡員だ。俺の知っている奴か、自分の友人なら、何故名前で言わずに、『連絡員』などと言うのだ。


 おかしい、明らかに何かを隠している。


 S子に限って浮気なんて…と思った瞬間、自分の間違いに気づく。違う。浮気をされているらしいのは、あのMであって、俺ではない。しかし、こうも言う。油断して、根拠のない自信で傍観を決め込んだら最後、、と。


 俺は万全の心の準備をして、生協前でその連絡員とやらを待った。


 だが、出来ることと言えば、普段の自分に合わせる顔の無いようなことだけ。


 証明写真が撮れるボックスの横に陣取り、ろくに文面も追えない文庫本を広げる。そして、あいつか、こいつかと、気配を感じては、往来する人間の顔を過ぎ際に確認し、目の合わないことに安堵する。


 

 腕時計の時間で、S子からの連絡から、かるく30分は過ぎたことが分かった。異様に時間に正確なS子が、俺の反応速度を見誤るはずもないのだから、もうそろそろ、が来ないとおかしい。堪えきれずため息を吐いた。そのときだった。


「お、四方屋じゃねぇの、誰かと思ったけど」


 そう言って俺の肩をたたいたのは、あの、E男だった。


 一瞬だけぴくっと、心臓が傷んだが、ナイナイと自分を落ち着かせる。S子はこいつを知らないはずだ。話題にだってしたことがない。


「あぁ、ちょっと待ち合わせをしてて」


 言った後、しまった、余計なことを言うもんじゃないと内心で舌打ちする。E男は興味を持った様子で、買ったばかりだろうホットドックを手に持ったまま、俺の顔をぽかんと見る。なんだ、何が言いたい?


「あぁ、そういうあれね、あぁ…そういう展開か」


 ふんふんと一人肯いて、ようやく手にあるものに齧りついたE男を、今度は俺の方が怪訝な顔をして見つめる。ひとつには、もしこいつが居たら、肝心の連絡員と会えないんじゃないかという心配から。そしてもう一つは…言うまでもない。


「ねぇ四方屋、お前、”失恋”ってしたことある?」


 E男が、その細く整えた眉を上げ、意味深な質問をしてきた。くちゃくちゃと、食べながら話をしてくれるので、俺はそれとなく距離を取る。


「は?」


「いや、お前って自意識強そうっていうか、思ったこと口にしないで、腹の中でぶちぶち、なんか言ってんだろうなぁっていうタイプだろ、俺と真逆の。そういう奴ってさ、人間の好き嫌いから一歩引いてるっていうか、無自覚っていうか。だから、失恋しても、みたいな。きっと相手は、まだ自分のことが好きなハズ、とか思っちゃう系かなってさ」


 余計なお世話である。どんな発想から、他人のことをそこまでけなせるのか。そもそもが、うざすぎる。


「そういうあんたは、しゃべりすぎでフラれることが多そうだな」


 何か、言って返してやらないと気が済まなかった。よりにもよって、今日の、このタイミングを図ったかのような揶揄には、耐えかねる。


 E男は、へぇ、と感心したように笑うと、食べ終えた包み紙を丸め、目と鼻の先のゴミ箱へ投げ入れる。そして、手をパンパンと払うと、怪しげな呪文の書かれた紫色のシャツの、腰のあたりを撫でつける様に指先を拭った。見ていられない。


「俺、お前のこと好きになりそうかも。ってか少し、見直した。他人に興味ない訳じゃねぇんだな」


「どういう返しだよ、それ」


 本気でため息を吐いて、腕尽くで追い払ってしまいたかったが、授業時間の関係か、さっきから人の往来が途絶えてきている。もしかして不安は的中だろうかと、目の前の男を睨む。


「おお、こわ。まぁいいや。お前の彼女から呼び出し」


 やっぱりか、と一気に緊張が解ける。自棄やけな気分で本を鞄にしまい始めると、E男はぷらぷらと、俺の前で腕のストレッチをしながら、説明を続けた。


「俺がたまたま理学のキャンパスを通りかかったんで、呼びつけられてさ。やだねぇ、ああいう、男をあごでこき使いそうな女ってさ、何様って態度じゃん?あ、ごめん。ひとの女の悪口を言うなってやつだろ? まぁ、許せって、ここまで来てやったんだからさぁ、そう怒るなよ」


「怒っては、いない」


「嘘つけ」



 S子は、E男を少なくとも知っていたのかと、そちらの方に気が行く。E男もE男で、頼みもしないのに、S子を俺の"彼女"扱いしてくる。で、何だったんだ。さっきの唐突な質問は…と、歩きながら隣の奴を横目に見ると、どうやら普通に付いてくるらしい。


 理工キャンパスへの、慣れない坂道を、E男と進む。


 いったいどういう事情で、こいつと行かねばならないのか、俺には全く解らない。だが、帰る訳にもいかないらしいと、俺はS子の意図の前に、自身の思考を諦めた。

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