第15話 放たれた猟犬

 陽子の言った言葉は下水道だった。彼女達は再び、少し離れた場所へと移動。その際も上空からの監視を避けるように建物の影などを使い、移動。そして、マンホールから下水道へと侵入したのだ。

 「臭い」

 陽子は顔を顰める。

 「下水道ですから。ただ、気を付けてください。二酸化硫黄などが発生していると死にますよ」

 奥田がサラリと言う。

 「下水道で死にたくないわよ」

 「まぁ、ここは多分、雨水などを流すための大きな下水道なので、多分、大丈夫ですけどね」

 「これを使って、人工衛星が失探した所で別の場所から上がれば、欺けるはずよ」

 陽子は臭いのを我慢しながら高笑いをする。

 「まぁ、何でもいいですよ。セーフティハウスに到着したら、一度、日本上空の人工衛星の運行をチェックしますね。それで相手が使ってなければ、安心ですから」

 「今度はヘマして、場所を特定されないでよ」

 「わかっていますよ」

 彼女達は無事に別の場所から地上に上がり、目的地の前のマンホールへと出た。三人は周囲を警戒しつつ、すぐに目的地である廃工場へと入る。

 「町工場みたいな感じね」

 廃工場となっているが、大きさは50坪程度の敷地に建つ小さな工場だ。中にはまだ、古い工作機械がそのままになっている。

 「うげぇ。埃が溜まっているわね」

 陽子達はとりあえず、事務所になっているスペースに入る。そこには応接セットと事務机があった。

 「おっ、パソコンがある。しかもそこそこ新しい」

 奥田は事務机の上に置かれたノートパソコンに触れる。

 「ここは掃除がされているみたいだから、柊木がセーフティハウスとして用意する時に片付けたのかもしれないわね。そのパソコンもその為に用意した物だと思うわよ」

 「なるほど・・・じゃあ、有り難く使わせて貰おう」

 セーフティハウスには有線ながら、ネット環境も備わっている。

 「へい、こっちには武器の整備キットがあるぜ」

 ブラウンが銃のメンテナンスに使うツールや油などを持って来た。

 「さすがに銃や弾薬などは無いみたいね」

 陽子は念のために彼方此方を見て回る。並んでいる金属加工用の工作機械は埃こそ被っているが、そのまま使えそうな感じだ。多分、何かしらの武器などを調達するために活かしてあるのかも知れない。

 「さて・・・オタクは何をやっているの?」

 「人工衛星の件を探っているよ」

 「用心深くやりなさいよ。せっかくのセーフティハウスが戦場になるのはゴメンよ」 

 「わかっているよ。だけど、どうやら、人工衛星は問題が無いようだ。人工衛星のログにも僕らを追うような動きは無いみたいだし、介入されている様子も無い」

 「そこまでは力が及ばないかって事ね」

 陽子は奪った拳銃を取り出して、分解する。彼等が持っていた拳銃はシグ・ザウエル社製P232中型自動拳銃だ。最近ではフルサイズの大型自動拳銃をベースにコンパクト化するのが主流なので、最初からコンパクトサイズを目指して開発されたこの手の銃は徐々に市場から姿を消しつつあるが、そのフォルムは滑らかで携帯性等々から、人気のあるモデルでもある。

 「使っている弾丸は9ミリショート。亜音速弾じゃないけど、大型のサイレンサーで音はしっかりと抑えられているわけね」

 陽子は敵が持っていた拳銃を念入りに整備する。ブラウンも同じように拳銃を分解整備を始めた。

 「陽子、この銃を使うのか?」

 「当たり前よ。私の拳銃をバカスカと使っていたら、色々な意味でこっちが不利よ。せっかくくれたもんだから、有り難く使わせて貰うわ」

 組み立てを終えて、弾丸を装填した弾倉を銃把の下から突っ込む。そしてスライドを引いた。薬室に初弾が装填される。銃把の左側にあるデコッキングレバーを下に降ろせば、撃鉄が倒れ、ハーフコッキング状態で止まる。この状態でとりあえず、安全に携帯が出来る状態となる。陽子はこれに合うホルスターが無いので、とりあえず、制服の上着のポケットに入れた。反対のポケットには予備弾倉を2本、突っ込む。

 「サイレンサーも使うかも知れないから、鞄には入れておくわ」

 陽子は学生鞄の中に筒状のサイレンサーを入れた。

 「俺にはわからんが、学生鞄を持ち歩く理由はなんだ?」

 ブラウンはその学生鞄を見て、思った。確かに高校生としては当然のアイテムだが、このような事態になっても持ち歩く理由はあまり無い気がする。

 「バカね。この学生鞄の中には防弾プレートが入れてあるのよ?」

 陽子は分厚いプレートを取り出した。それは心材に特殊合金を用いて、そこに特殊な繊維素材を重ねた物だ。

 「ライフル弾でも貫通させないわよ」

 「本当かよ?」

 ブラウンは驚きながらそのプレートを見た。

 「それよりも、あんたはどうするの?成り行き上、連れて来たけど・・・」

 陽子はブラウンに尋ねる。陽子と奥田は仕事として成り立っているが、この外国人は何も無い。このまま、一緒に居ても足手まといだなと陽子は思った。

 「そんなぁ、俺、このままだと、殺されて終わりだぜ?」

 ブラウンは泣きそうな顔で言う。

 「まぁ・・・正直、あんたがどこで野垂れ死にしようとどうでも良い事だけど、私達と一緒に居ても一銭の価値にもならないわよ?」

 「それでも死なないだけ、マシだ」

 「裏切ったら殺すし」

 「うっ・・・うぅ・・・わかっているよ」

 陽子の冷たい視線に屈服するブラウン。

 「あぁ、さっきのおっさんから渡された書類なんだけどさぁ」

 奥田が茶封筒から取り出した書類を眺めている。

 「何かわかったの?」

 「全然」

 「ダメじゃん。やっぱりガセ?」

 「そうじゃないみたい。ただ、これの意味を知るにはもっと情報が必要って事だ」

 奥田が書類を陽子に渡す。そこにはどこかの組織の名簿が入っている。それだけだ。それが何処の組織で、名簿の人間が何者なのか。それらは一切、わからない。

 「わかったわ。オタク、この名簿を調べなさい」

 「あぁ、時間が掛かると思うけど?」

 「構わないわ。時間だけはたっぷりとある。真相さえ掴めれば、やりようがあるからね。しっかりやりなさいよ」

 「了解」

 奥田はパソコンを前に気合を入れた。



 美緒の目が覚める。

 「目が覚めたようね」

 ベッドの隣には恵那が座っている。

 「あの・・・私、どれぐらい・・・」

 「三日程度よ」

 「そ、そんなに・・・すいません」

 「良いわ。ヘルパーになったみたいで・・・ね」

 「ヘルパー?」

 美緒は恥ずかしそうにするが、恵那は笑うだけだった。

 「さて、問題は・・・なぜ、あなたが狙われるかね」

 「はぁ・・・私にも何が何だか・・・」

 恵那はじっと美緒を見る。正直、嘘発見器に掛けたい気持ちだが、美緒の表情から、それが嘘じゃないと理解した。

 「わかったわ。何にしても、敵は、確実にあなたを狙っている。問題が解決するまでは学校も休みよ」

 「す、すいません」

 美緒は申し訳なさそうにする。

 「あんたの責任じゃないわよ。たぶん。今、私の放った犬達が、彼方此方、嗅ぎまわっているから、その内、獲物を追い出してくるわ。それを私がズドンと射止めれば終わりって寸法よ」

 恵那は軽く笑った。

 美緒がクローン人間。かつて、禁忌とされた研究だが、非合法に行われている噂は聞いた事がある。例えば、クローン人間を作って、開発中の薬の試験を行うとか。倫理的に完全にアウトだが、最も研究成果が解り易いのは間違いないだろう。

 だが、それはあくまでも噂であり、実際の研究者はそんな非合法な方法で実験するよりもスーパーコンピューターによるシュミレートと動物実験で充分に事足りる。リスクしか無くて、高コストなだけの無意味な実験で、やっている奴なんて、相当のアホだと切り捨てている。

 クローン人間については、クローン技術がある程度、確立した現在では笑い話程度にしかならない。誰がそんなのを作って喜ぶという事だ。クローン人間を作ったからと言って、その成長を早める事は出来ない。故に、まったく同じ顔を下人間を自分の身代わりに造るなんて事は出来ない。それに成長過程で、顔も体型も大きく変わる。知識や考え方など、知能だって、教育を施さねばならない。

 簡単に言えば、クローン人間など、臓器を作り出すぐらいしか、用をなさないのだ。だが、これとて、ES細胞などが進んでいる為に、わざわざ、クローン人間を産み出してなんて、無駄しか無い。

 じゃあ、なぜ、この子は産み出されたのか?

 この疑問が最大の謎である。

 見た目はまったく変わりない。裸にしたが、何処か不自然な点も無かった。簡単に言えばただの人間だ。外見に変化が無いとすれば、頭の中や体内と言うわけだが、それを調べるには病院での精密検査しか無い。

 今、この状況で外に出るのは危険だ。奴等はこのマンションですら、狙っている。敵は外だけじゃない。中にも居ると考えられる。何の策も無しに出るのは無謀以外、何物でもない。理由はとにかく、あの二人を信じて、待つしか無い。現状では、敵が誰かを確認する手立てが無い以上、恵那は外にすら出る事は出来なかった。

 その頃、セーフティハウスでは、奥田が、名簿について調べていた。

 「名簿の名前から探ったけど・・・ここから、ここまでは・・・官僚だね」

 奥田は名簿に記載されていた人物を探った。全てでは無かったが、一部の人物が何者であるか判明した。

 陽子は隣でモニターを見る。

 「官僚?どこの?」

 「防衛省から、自治省、厚生労働省とか。皆バラバラだ」

 「この辺の外国人の名前は解る?」

 「そいつらは米軍だよ。在日米軍のお偉いさんばかりだ」

 「米軍・・・。よくわからないわね」

 「この辺は自衛隊か。かなり危険な臭いがしてきたよ」

 奥田は額に汗を流して、名簿の解析を進めた。

 「まぁ・・・この名簿が何かは・・・こいつらから、聞いた方が良いわね」

 陽子はニヤリと笑う。それを横目で見た奥田はドキリとする。陽子の妖しい笑みは彼の心を揺さ振る。

 「官僚の情報をこっちのスマホに頂戴。ちょっくら、聞いて来るから」

 「だ、大丈夫?」

 「問題は無いわ。直接、聞いた方が早いでしょ?」

 「まぁ、この名簿とにらめっこしても、答えが出るわけじゃないからねぇ」

 陽子はブラウンを連れて、セーフティハウスを後にした。


 東京都町田市

 夜半近く。一台のタクシーが閑静な住宅街に入って来た。それはある一戸建ての家の前に停車する。後部座席から降りて来た客は少し疲れた感じの中年男性だ。

 大原保

 厚生労働省の課長である。彼を狙った理由は簡単。


 ガチャリ

 大原は玄関の扉を開いて、真っ暗な我が家に入る。そして、玄関の電灯を点けようと、手を伸ばした時、頭に激痛が走り、意識を失った。

 彼を狙った理由は彼が、最近、離婚して、妻と子どもは実家に帰っているからだ。簡単に言えば、戸建ての一軒家に彼一人なのだ。襲撃するには都合が良い。

 大原は目を覚ますと、居間の床に転がされていた。手足はしっかりと縛られ、動かない。

 「あら?起きたようね」

 大原の前には覆面を被った女が現れた。

 「な、何を?」

 「大声出さないで・・・私、暴力は嫌いだから」

 カシャン

 特殊警棒を伸ばしながら女はそう言う。その姿に大原は恐怖するしかない。これまで生きて来た人生の中で最大の危機だと思った。幸か不幸か、学生時代なども不良に絡まれる事も、イジメに遭うことも無く、平穏に過ごしてきた彼にしてみれば、この目前に突き付けられた暴力の臭いは強烈だった。

 「わ、わかった。騒がない。だから、ぼ、暴力だけは・・・」

 その様子を見て、陽子は相手の精神状態を更に追い込む。

 ドン

 陽子の足が大原の横っ腹を踏む。かなりの強さで踏んだので、大原は驚いて、小便を漏らしてしまった。

 「お、お願いだ。何でも持って行って良いから、許してくれ」

 大原は涙を流しながら許しを請う。

 「私は泥棒じゃないわ。これ・・・知っているでしょ?」

 大原の前に名簿を刺し出す。大原は必死に名簿を眺める。

 「こ、これは?」

 「惚けないで。今度はかなり痛いわよ?」

 陽子は警棒を振り上げる。

 「ひっ、止めてくれ。許してくれ。こ、これは・・・あぁ、これは、あの計画の名簿か。い、いや、なんで、君が・・・これは国家機密だぞ?」

 「へぇ・・・国家機密なんだぁ。教えて貰いたいわね?」

 「バカな事を言うな。こんなことを口外したと判ったら、私は・・・」

 ドスン

 陽子の警棒が大原の目の前に振り下ろされた。警棒の先が床にめり込む。

 「今を心配しなさい」

 「わ、わかった。お願いだ。殺さないでぇ」

 陽子は覆面の下でニヤリと笑う。

 「あなた次第よ。これは何の名簿?」

 「そ、それは・・・新人類計画の名簿だ」

 聞きなれない言葉に陽子は訝し気に尋ね返す。

 「新人類計画・・・私もよくは知らない。ただ、私のレベルで知らされた事は、現在の人類を超越した存在を作り出す事としか、知らされていない。知っているのは政府中枢と研究に携わっている連中、アメリカ軍だけだ。我々は予算承認などの為に集められただけに過ぎない」

 「なるほどねぇ・・・それで・・・それを知っている奴はこの名簿のどれ?」

 陽子は大原から、重要な情報を握っているだろう人物を特定させた。

 「も、もうイイだろ?」

 大原は怯えながら陽子に尋ねる。

 「まぁ・・・次、会ったら死ぬ時だと思いなさい」

 陽子の一撃で大原は気を失った。

 翌日、大原は目が覚めると、拘束は解かれていた。彼は慌てて、登庁する。そして、彼の直属の上司である五十嶺部長の下へと直行する。

 「部長、昨晩、何者かに襲われまして」

 そう聞いた五十嶺は顔色を変えた。

 「襲われたって・・・君・・・」

 「はぁ、何とか無事でして」

 「警察には通報したのかね?」

 「いえ・・・それが、その・・・」

 大原が少し躊躇ったので、五十嶺が逆に問い質す。

 「どうしたのかね?」

 「実は、犯人が新人類計画の名簿を持ってまして、それについて聞かれました」

 「なに?」

 五十嶺は相当に驚いたのか、口をあんぐりと開けた。それからガクガクと震え出す。

 「ほ、本当かね?」

 「は、はい」

 「そ、それで・・・君は何を答えた」

 「私は何も知らないので、ただ、知らないと・・・」

 五十嶺の不穏な雰囲気に大原は言葉を選ぶ。

 「ほ、本当かね?それで、相手は無事に君を解放してくれたと?」

 「は・・・はい」

 五十嶺はジッと大原の顔を見る。

 「わ、私はこれで・・・」

 大原はその動きを察して、去ろうとした。

 「本当に・・・君はそれ以上、漏らしては無いんだね?」

 「は・・・はい」

 「そ、そうか・・・戻り給え」

 大原は緊張しながら、自分の席に戻った。

 五十嶺は大原が去ったのを確認してから、懐からスマホを取り出す。

 「あぁ、五十嶺です。実は・・・」

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