第8話 襲撃
部屋に入れば、安全は確保された事になる。ある意味では警護対象と共にボディガードが自由になるのはこの空間しか無い。恵那も拳銃などを外すわけにはいかないが、かなりリラックスした雰囲気になる。
美緒が夕飯を作っている間に恵那は情報を集める。特に問題視しているのはこの仕事の依頼主のことだ。美緒の父親となっているが、一度も会った事はない。娘がこれだけ危険な目に遭っていれば、一度ぐらいは会いに来ても良いはずだ。それが一度も来ない。
ネットを使っての情報収集は違法行為でもしない限りは大した情報などは集まらない。だが、やらないよりマシである。美緒の父親が勤めるのは国立産業科学研究所。通称、産科研と呼ばれるところだ。国の研究機関とはなっているが、元は戦前に作られた軍事研究機関の一つが看板を掛け換えた程度に過ぎない。主に防衛に関しての研究を行っている。
「産科研か。ここなら確かに国家機密に属する内容を知り得るわね。でも、娘が狙われる理由にはならない」
国家機密を扱う研究をしていれば、家族にも警察の警備が入る事はある。今回の場合も本来ならそうあるべきだろう。だが、今回の依頼主はあくまでも対象者の父親だ。個人でこのような警護を依頼する事は少ない。あまりにも不可解ではあるが、ネットで調べられる情報はこの程度だ。あとは金を払った情報屋がどこまで情報を集めてくるか。
こうして、数日が過ぎた。問題は一切、発生していない。美緒も新しいクラスに慣れてきた。まぁ、恵那の前で悪さをしようと考える輩は絶対と言えるレベルで居ないから、イジメに遭う心配はない。恵那はある意味でこの学校の番長的存在だった。入学当初、恵那に目を付けた柔道部の先輩が恵那に言い寄って来た時、それを軽く振った事に腹を立てた男が、恵那に掴み掛ったのを、思いっ切り投げ飛ばし、その後、激しく殴打して、完全にノックアウトされた事に端を発している。
それ以来、恵那にちょっかいを出す奴は居なくなったが、近付く奴も少ない。恵那に近付く奴の大抵は、かなり癖のある連中だ。それがまた、校内では輪をかけて、近寄り辛い感じにしているわけだが。
恵那は何とか、無事に数日が過ぎてた事に安堵する。この数日の間にも敵が襲撃を仕掛けてきたとしてもおかしくは無かった。それで無くても、情報収集などの為に不審な動きが周囲であっても良いはずだった。だが、そのどれも無かった。平穏としか言いようが無い。
最初に銃撃までしてきた連中にしては・・・大人しいわね。
だが、その平穏は恵那からすれば、ただ、気持ち悪いだけだった。相手が何を考えているかわからない事ほど、嫌なことは無かった。
警護という仕事はチェスのようなものだ。キングを守るために、常に相手の思考を理解して、駒を配置していかなければならない。相手の思考が読めないという事は、こちらが手詰まりになる危険性があった。盲目的に駒を配置しても、敵がそれをすり抜け、チェックメイトされてしまう。
奥田からの情報はまだだ。情報屋の仕事は思ったよりも時間が掛かる。事前に調べてストックしてある情報なら、簡単に出してくるが、一から調べるとなれば、それは膨大な作業になる。だが、それでも、少しでも情報が欲しい恵那にはそれが待ち遠しかった。
1週間が経ち、教室で恵那は何事も起きない事にむしろ不安さえ感じていた。
「嵐の前の静けさとは言うけど・・・嫌な感じがするわね。普通なら監視ぐらいあっても良いと思うけど。一体、相手は何を考えているのか」
最初にライフル銃まで使ったにも関わらず、動きをまったく見せない相手。恵那はこの状況にむしろ、警戒心を強めた。情報屋に催促をするが、まだ、答えは無い。いつもなら三日程度で返事をしてくるのに、珍しい。何かもが恵那にプレッシャーとなる。そうこう考えている内に放課後となる。帰宅時間となり裏口へと向かっていると一人の男子生徒が立っている。彼は恵那を見るとすぐに違う通路へと歩いて行った。恵那は彼を微かに見てから、廊下の片隅に落ちているゴミを拾う。それから、裏口に待機している車に乗り込んだ。
恵那はすぐに拾ったゴミを広げる。そこには数字が並んでいる。これは簡単な暗号だった。プロが見れば、すぐに解けるような代物だが、素人では簡単では無い。恵那はすぐに暗号を読み解く。
国家が絡んでいる可能性がある。危険だ。すぐに手を退け。俺はこれ以上、関わらない。
暗号にはそう書かれていた。国家が絡んでいる。その意味を頭の中で探っている時、運転手がバックミラーを動かす仕草をして、合図をした。それは追跡を受けているという合図だ。この時、慌てて、後を見てはいけない。追跡者にそれがバレた事を気付かせれば、何をしてくるかわからないからだ。運転手は追跡に気付いたので、経路を変える。追跡者に気付かれぬように上手に引き離しに掛かる。巧みに速度の緩急を付けながら、信号などを使って、相手を止めようとする。だが、相手も多少、強引な方法を使ってでも追い付て来る。明らかにこちらが狙いのようだ。
「相手を引き離せません。このまま会社の方へと向かいます」
「了解」
運転手は会社に連絡を入れる。危険があれば、会社へと向かって保護を受ける。基本的な流れだ。だが、ここから会社まで5キロある。相手が意図に気付いてどうでるか。恵那はただ、無事に会社まで到着することを願った。
その光景は遥か上空の人工衛星が捉えていた。その人工衛星を管理するのは国家安全保障局だった。彼等は警察と自衛隊を統括する立場にある。人工衛星のオペレーターがディスプレイに映る敵の様子を報告する。指揮を担当する中年男性はその光景を笑みを浮かべながら見ている。
「目標が経路を変えました。会社へと向かっている可能性が高いです」
「マニュアル通りだな。そろそろ、ショーを始めろ。間違っても目標Aを傷付けるな」
「了解」
追跡をしているミニバンは速度を上げた。それに運転手が気付く。
「速度を上げて来た。やるつもりだ」
「美緒、頭を下げて!」
美緒の頭を下げさせる。そして、恵那は脇から拳銃を抜いた。
「こんな所で撃って来ないでよ。他人が巻き込まれるかも知れないから」
恵那はそう祈りつつも冷静に成り行きを見守るしか無かった。運転手は必死に追跡者を引き離そうとする。もう、形振り構わずの走りだ。交差点でドリフトをしながら回った。さすがに本格的なカーチェイスとなれば、偶然、通り掛かったパトカーが見逃さない。サイレンが鳴り響く。これは恵那にとって幸いだった。さすがにパトカーに追跡されては相手も逃げ出すだろう。そう思っていた。
パパパパパン!
派手な銃声が鳴り響いた。
「野郎、パトカーに撃ちやがった!」
運転手が叫んだ。その後、すぐに何かがぶつかる音がする。多分、パトカーが事故を起こしたのだ。美緒を抑えているだけで手一杯で、頭を上げる事が出来ない恵那は運転手に状況を聞く。
「状況は?」
「相手は自動小銃か、短機関銃を装備している!」
「街中で自動小銃をぶっ放しの?」
「あぁ。そうだ。パトカーが穴だらけにされて歩道に突っ込んだ」
「まずい。とにかく逃げて」
「わかっている」
車は更に激しく走る。まさにレースをやっているような感じだ。信号だって無視して突っ走る。
くそっ、パトカーは撃ったけど、こっちは撃って来ないのは、美緒を拉致する目的だからか?
恵那はそう考えて、運転手に指示を出す。
「相手は警護対象を殺すつもりは無い。安全に留意して、会社まで移動して」
「了解!神経が磨り減るぜ」
運転手は汗びっしょり掻きながら車を走らせる。すでにサイレンの音が彼方此方から聞こえる。当然だろう。街中でパトカーが銃撃を受けて事故を起こし、犯人は街中を走り回っているのだ。
「パトカーが走り回っている。ナントカならないかしら」
「わかった。次に遭遇するパトカーを盾にして止める。何ともならなかったら、逃げる」
「それで良いわ」
車は80キロ近い速度で道路を駆け抜ける。前からパトカーが走ってきた。こちらを止めようと道路に横づけにした。それを歩道を使って、ドリフトしてパトカーを盾に車を止める。運転手が窓を開けて警察官に怒鳴る。
「我々は警備会社の者です!あの車に襲われています」
そう言った瞬間、速度を緩めずに追跡者の車がパトカーの横っ腹に衝突した。弾みでパトカーが恵那達の乗った車に衝突する。警察官達は衝撃で車内で倒れているようだ。運転手は必死に逃げ出そうと車をバックさせる。
銃声が鳴り響き、運転手が倒れた。運転手を失った車は全速でバックして建物に衝突する。激しい衝撃で恵那達も倒れ込む。恵那は痛む身体を無視して、何とか窓から外を見る。追跡者達はパトカーに衝突して、すぐに車から降りていたようだ。数は見える範囲で3人。手にはカラシニコフ系の自動小銃が握られている。いくら防弾ガラスでも自動車に使う程度の防弾ガラスでは自動小銃の弾は止められない。恵那は拳銃を握った。美緒は気絶をしているのか、ぐったりとしている。すぐに逃げ出す事は難しいだろう。だとすれば、彼女を守る為にも、自分が生き残るためにも、ここで戦わないといけない。
スライドを退いて、初弾を薬室に装填する。スライド後端にある安全レバーを跳ね上げる。これでいつでも銃は撃てる。サイレンの音が鳴り響く。パトカーが近付いている。敵もそれに気付いたようだ。互いに顔を見合わせてから、彼等は車を放置して逃げ出した。
恵那はその様子を窺いながら、安堵の溜息をつく。正直、助かった。圧倒的に不利な状況だ。相手が撃たなかったのは多分、美緒の安全の為だろう。確実に殺せる運転手は呆気なく撃ち殺したぐらいだ。多分、自分も一瞬で撃ち殺されただろう。恵那はそう思っただけで、肝が冷えた。すぐに美緒の様子を見る。息はしている。頭を打ったとすれば危険だが、くも膜下出血などの兆候は無さそうだ。そして、運転手を見る。顔面に二発の銃弾が撃ち込まれ、大穴が開いている。防弾ガラスのせいで、変形した弾丸は侵入口で大穴を開けただけ、頭の中に留まったようだ。おかげで、多量の血と脳漿を車内でぶち撒けずに済んだわけだが。
パトカーが周囲を囲む。恵那は拳銃をホルスターに戻し、身分証を手にして、両手を挙げて車から降りた。警察官達はあまりの惨事に緊張しながら拳銃を構えている。
「私はボディガードです。中に警護対象者が居ます。すぐに保護してください」
恵那が彼らに向けて、そう言い放つと、ようやく、状況を察した警察官が近付いてきてくれた。
その後、警察に保護された二人は近くの所轄警察署へと移送され、事情聴取を受けた。今回の事件はボディガードの為に作られた民間警備法という法律の中にある防衛行動という事で、起訴されないそうだ。もっとも、起訴されるとすれば、暴走をした運転手になるのだが、彼はもうこの世に居ない。
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