第14話 豹変
玄関を開けて目が合った途端、視線を逸らしてうつむいた坂倉君に、私は正直戸惑った。
「どう……したの?」
「うん……。俺さ……」
坂倉君が話し始めた時、ちょうど、同じ階の住人が玄関の前を通りかかって、彼が話すのをやめた。
「あ……ここじゃ話しにくいよね」
一瞬だけ瑠偉兄の言葉が頭を横切ったけど、いつもの真っ白な歯を見せて二カッと笑う彼からは想像もできないような落ち込んだ姿に、私は、「今お茶入れるから、あがって」と彼を家に上げた。
「コーヒーと紅茶とどっちがいい?」
「いいよ。すぐ帰るから」
視線を落としたまま坂倉君が覇気のない様子で答える。
「でも、せっかくだから。じゃぁ、コーヒーでいいかな? 豆から挽いて入れるから、私のコーヒー美味しいんだよ!」
彼の意気消沈ぶりに、私の無意味に元気な声が空回りしている。
コーヒーを入れている間も、坂倉君はソファに座ってうつむいたままで、これはどうしたものかと、ただでさえ男の子と二人きりという苦手なシチュエーションの中で、私は内心焦っていた。
「きょ、今日、部活は?」
「サボった」
「そ、そっか。たまにはサボりたくなるよね……」
それ以上会話が続かず、シンとする。
「えっと……そういえば、坂倉君、スポーツ推薦で大学決まっているんでしょ? うちの大学には進まないんだね」
「……うん」
「す、すごいなぁ……私なんて受験嫌だし、何も取り柄ないから、このまま進学できるよう頑張らないと。ははっ」
再び途切れる会話。
結局、彼を励ますなんて高等な技術を、口下手な私が発揮できるはずもなく……。そのうちかける言葉もなくなって、コポコポとコーヒーサイフォンのお湯が沸く音だけが部屋に響き渡った。
カップに注いだコーヒーを持って、彼の前のテーブルに置く。
「はい。美味しいから飲んでみて。きっと心もあったまるよ」
あ。なんか余計な言葉つけちゃったかなって、焦ってしまって、しまいには、「テレビでも見る?」なんて、見るわけないのにどうでもいいことまで言い出して、自分のコミュニケーション能力の低さに、もう……ホント私って情けない。
「何か、あったの?」
私は直球勝負に入ることを決めて、彼の隣に腰かけた。
いつも明るくて、クラスの中心で笑っている坂倉君。こんなに元気のない彼は初めてだ。
「さっき、校庭を横切る七瀬を見かけて……」
話始めた彼の言葉にドキリとした。
「裏庭で、七瀬が兄貴と話していて……」
ドクリドクリと心臓が鳴っている。
「二人が……キス、するの、見た」
暗い表情で坂倉君が私を見つめる。
「何やってんだよ、七瀬……兄妹だぞ」
責めるように言われて、私は何も言い返せずうつむいた。
「なぁ、七瀬。やめろよ、自分の兄貴と、あんなこと……俺、七瀬の事本当に好きなんだ。だから……」
しばらく沈黙が流れて、坂倉君が私の生乾きの髪に手を触れた。
「風呂、入ったの?」
「え? う、うん」
「兄貴に抱かれるため?」
彼の仄暗い瞳がじっと私を捕えて、急に怖くなった。
「やっ、やだ。坂倉君。変なこと言わないでよ」
思わず立ち上がろうとした私を引き寄せて、坂倉君は私の首元に顔を埋めた。
「いい匂いする」
「や、めて……」
彼から離れようと、両手で押しのけようとした私の腕を坂倉君は掴んで、無理矢理、唇を重ねた。
「ん……やっ」
顔を背けた私に、「なんでだよっ」と坂倉君は怒鳴って、両腕を押さえつけるようにして、私をソファに押し倒した。
「俺にしておけよ、七瀬……」
苦しそうに言って、再び顔を近づける坂倉君。
「やめてっ! 坂倉君!」
首を倒して顔を背けると、彼は私の首筋に強く吸いついた。
「やぁ、やだぁ」
逃れようと体を捩っても、筋肉質な彼の体はビクともしない。
「七瀬、好きだ、七瀬」
うわ言のように繰り返しながら、坂倉君は私のTシャツをたくし上げた。
「やめてっ、お願い、やぁ!」
怖くて、怖くて、私は泣き叫んだけれど、まるでその声によって煽られるかのように、坂倉君の瞳が興奮を帯びていった。
露わになった下着を食い入るように見つめる彼の狂気に満ちた姿。
「きれい、だよ。七瀬……」
「やめて。お願い、坂倉君……」
泣きながら懇願すると、「兄貴に穢されるくらいなら、俺が穢してやる」と言って、片手で私の両腕を押さえつけたまま、もう片方の手で胸を凌辱し始めた。
背筋を這い上がる恐怖と鳥肌が立つほどの気持ち悪さに吐き気がする。
「やぁっ! 琉香さん! 琉香さん、助けて!!!」
思わず琉香さんの名を呼んで助けを求めていた私に、坂倉君は一旦顔を上げて、恐い顔をすると、「すぐに、俺の名前を呼ぶようになるよ」そう言って、スカートの中に手を差し入れた。
「いやぁっ!」
恐怖で身がすくむ。
「やめて……坂倉君……お願い……」
抵抗する体力もなくなってきて、ただただ、彼に訴える。けれど、彼は微かな笑みを浮かべ、「最初は痛いけど、大丈夫だよ」と言った。
カシャカシャとベルトを外す音。
「いやっ、いやだっ、やぁぁぁぁ!」
身を捩って足を蹴り上げて逃げようとするけど、馬乗りになった彼の元から抜け出すことはできない。
「ほら、七瀬のことがこんなにも好きなんだ」
欲望に大きく膨れ上がった自分を見せつけるかのように、坂倉君は笑った。
「やめてっ! いや、いやぁっ!」
全身に広がった不快感に、私は力の限り抗った。
その時————
「莉兎!!!」
轟くような怒鳴り声と共に、坂倉君が私の上から吹き飛ばされた。
「瑠偉……兄……」
「大丈夫か?! 莉兎!!!」
必死の形相で自分を見つめる瑠偉兄の姿に、私はホッとして意識を手放した。
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