第11話 悪魔の気まぐれ
それは、一枚のメモ用紙から始まった。
前を歩いていた、クラスメイトの村上さんが落としたメモ用紙。
拾って渡そうとしたら、そこに書いてあった文字が見えてしまった。
『利絵ってムカつかない? ちょっとかわいいからって生意気』
ドキッとして、慌ててその紙をポケットにしまったものの……。
利絵ってきっと、千歳さんのことだよね。千歳さんと村上さんって、同じグループでいつも一緒にいるのに……。
見てはいけないものを見てしまった私は激しく動揺する。
前を歩く千歳さんは、村上さんや大森さんと、楽しそうに話しながら並んで歩いている。
あぁ、やだなぁ。なんでこんなの拾っちゃったんだろう。
千歳さんが、横を通り過ぎた坂倉君に気付いて、「坂倉君!」と小走りに追いかけて行った。その後姿を見ながら、村上さんと大森さんが、目を合わせてくすっと笑った。
「男好き」
村上さんの口がそう動いたのが分かってしまって、胸がチクリと痛んだ。多分、あのメモのやり取りは、村上さんと大森さんだ。
私はいつも一人だから、彼女たちの関係を理解することができない。きっといろいろ複雑な事情があるのだろう。なんだか苦しいなぁ。
家に帰った私は、リビングで、ひとり悩んでいた。
うーむ。
ポケットから取り出したメモ用紙を、睨み付けながら、必死に考えてみる。
どうしたものか……。
村上さんに返して、仲良くしなよって言ってみる? どう考えても、余計なお世話だよな。じゃぁ、千歳さんに言う? いやいや、それはダメだろう。余計にこじれる。
やっぱり、このまま隠滅かなぁ……。
「何してんの?」
ひっ!
琉香さんの声がして、私はさっとメモ用紙を隠した。
「かっ帰っていたんだ!?」
「何、隠してんだよ」
ドア口にもたれ掛かった琉香さんが片眉をあげる。
「……ラブレターもらった」
「ありえねぇ。ふざけんな、ボケ。もっとましな嘘をつけ」
「そこまで否定しなくたって」
「ってかさぁ、『ちょっとかわいいからって生意気』って、ひでーこと書いてるな。ブスのひがみ? 俺の妹が虐めなんてお兄ちゃん情けないよ」
いやいや、虐めっ子のあなたに言われたくないんですけど。っていうか……。
「しっかり見てたんじゃん」
「まぁ、俺、両目二・〇だし」
「琉香さんが毎日ブスだって言うから、妹は性格がひねくれてしまったんです」
「ふざけんな、バーカ。お前が書いた訳ねーだろ。ちゃんと否定しろよ」
そう言って肩をすくめた琉香さんに、「どうして、私じゃないって思うの?」と聞いてみた。
「八年も一緒に暮らしてりゃ、分かるよ。お前が誰かの悪口を言ったり、他人を傷つけたりしたことなんか、一度だってないだろ。お前ほど、裏表のない単純明快な人間はいねーよ」
琉香、さん……。
「なんだ、その顔。文句あんのか?」
「あ、いや……琉香さんの悪口は毎日言っているけどね」
そう言ったら、スリッパが飛んできた。
「冗談だって」
顔面に直撃したけど、私はニヤニヤしてしまう。
だって、なんだか嬉しかったから。琉香さんがそんな風に私を見ていてくれたってことが。
「スリッパ顔面に受けてニヤつくな」
不機嫌そうに目を逸らす琉香さんが照れているのだと分かって、余計にニヤけてしまう。
私はスリッパを拾って琉香さんのもとに持って行きながら、
「今、褒めたよね? 私の事」
とわざわざ確認した。
ムッとした顔をして、彼は私からスリッパを引っ手繰る。
「なんでそんなメモ持ってんのか知らねーけど、変なことに首突っ込むなよ。お前は、そういう世界とは無縁な人間なんだから」
怒ったように言って、琉香さんはそのまま部屋を出て行ってしまった。
あれあれあれ。もしかして、心配してくれたのかな?
ふふふと笑いが込み上げる。
琉香さんって、得だよな。普段が意地悪だから、ちょっと優しい言葉を使っただけで、いい人に見えてくる。
そんなことを思って、能天気に笑っていた私だったけれど、それから数日後、私は琉香さんの警告も虚しく、あのメモが引き起こす争いの渦中に引きずり込まれていったのだった。
◆◇◆
「なーなーせーさん」
廊下を歩いていた私の背にかけられたその猫なで声に、背筋がゾワリとした。
「ち、千歳さん……」
彼女の妙ににこやかな笑顔から、これから起こる不穏な空気を感じ取る。
「七瀬さんのお家に、いつ招待してくれるの?」
「え?」
「ほら、こないだ約束したじゃない」
や、約束したかな……。
「善は急げって言うし、今日はどうかなぁって思って」
「きょ、今日?!」
「そう。今日。今日がダメなら、週末でもいいよ」
ど、どうしよう。これはもう断れないパターンだ。
けど、琉香さんは家に家族以外の人間が入ることを非常に嫌がる。彼のファンならなおさらだ。
私はなんとか断る理由を作ろうと一生懸命、頭をフル稼働させた。
だけど……。
「鐘の音の伝説。あの写真よく撮れていたでしょ?」
そんな私の耳元で、突然、千歳さんが囁いた。
「えっ?!」
「あれ、私が撮ったの。ダンスパーティー行ったはいいけど、会いたかった琉香先輩はいないし、瑠偉先輩まで帰っちゃうし、一緒に行った相手と永遠の愛なんて誓う気もなかったから、もう帰ろうかなって。で、先に会場出たら、琉香先輩の事を見かけて」
私は背中に冷や汗がタラリと垂れるのを感じた。
「最初は一緒にいる女の子が誰だか分からなかった。だけど……公園の方に歩いて行くからつけて行って」
そこで言葉を止めて、千歳さんはにっこりと笑った。
「そこで気付いたの。うさぎちゃん」
ひー。
「あの写真の子が、あなただってバレたら、大変だよね? でも私言わないよ。だって、私達は親友でしょ? 親友の私をお家に招待するのは当たり前だよね?」
こうして、私はいつの間にやら千歳さんの親友となった。
「じゃ、じゃぁ、今日で、いいかな……」
できれば、琉香さんがいない時にしたい。今朝、彼が、今日は夜から撮影だと言っていたから、きっといないはずだ。
ホームルームが終わって千歳さんを待っていた私は、「お待たせ」と声をかけた彼女を振り返って驚いた。クラスの女子が三人ほど彼女の周りを囲っている。
「え……」
「今日、琉香先輩のお家に行くって話したら、みんな一緒に行きたいって言うから」
にこりと笑う千歳さん。
は、はい。いいですよ。親友ですからね。
私は重い体を引きずりながら、家路についた。
それにしても……。
きゃっきゃとはしゃぐ、女子たち。その中には、村上さんと大森さんもいる。こうしてみると、千歳さんと彼女たちはすごく仲良さそうなのに。やっぱり人間って怖いんだな。パパの言っていた通りだ。
「お邪魔しまーす」
王子の家見学ツアーが始まり、私はテンションの上がる四人の後ろで、ため息をつきながら、キッチンへと入って行く。
「今、お茶入れるね」
「お構いなくー。あ、私コーヒーダメだから、紅茶でお願い。琉香先輩と瑠偉先輩はいないの?」
「あ、うん。今日、琉香さんは夜から撮影って言っていたし、瑠偉兄はいろいろ忙しいみたいで……」
私の言葉に四人は「えー、残念ー」と大きな声を上げた後、「でも、こっそり二人の部屋見ちゃえるね」なんて言い出して、私は紅茶の茶葉をキッチンにぶちまけてしまった。
「へ、部屋はダメだよ。私も入っちゃダメって言われているから」
「えー。ちょっと見るだけならバレないよー」
ダメだ。見る気満々だ。
私はもう諦めて、散らばった茶葉の掃除を始めた。
「あー! この雑誌、私も買ったよ。この表紙の琉香先輩、すっごくカッコいいよね」
「私も買った! 中の特集も、めちゃめちゃカッコよかったよ」
ふーん。そうなんだ。そういえば、一度も琉香さんが載っている雑誌なんて見たことなかったな。こないだ鍋敷き代わりに使ったら、すねを蹴られたっけ。
「あれ? なにこれ」
突然、真鍋さんがつぶやいた。
「うそっ! やだっ! 信じらんない!」
声を荒げて、みんながざわめく。
そちらに目を向けた私は、彼女の手元にある紙に気付いて凍り付いた。
こないだのメモ用紙!
そういえば、琉香さんが来て、慌ててテーブルの上にあった雑誌に挟んだのだった。
「どうしたの?」
そのメモ用紙を覗き込んだ千歳さんの顔が、一瞬にして強張っていった。
「なに、これ……」
千歳さんは呆然とした様子でつぶやき、私に視線を向ける。
「あの、それ……」
彼女の後ろにいる大森さんと村上さんが青ざめた顔で私を見ている。
「それは、その……たまたま、拾ったって言うか、なんていうか」
「拾ったってどこで?!」
「あの、えーっと……ど、どこで……だったかな……」
「なんでそんなに動揺しているの?! 本当は自分で書いたんじゃないの?!」
詰め寄る真鍋さん。横を見れば、言わないでくれと必死の形相で訴える大森さんに村上さん。
ひー。これぞ、ザッツ板挟み!
拾ったけど誰が書いたかは分からないってしらばくれる? いや、もう駄目だ。真鍋さんと千歳さんの容赦ない瞳。完全に、私が何か隠していることがバレている。
「ご、ごめんなさい!」
パニクった私は咄嗟に謝っていた。
「わ、私、こんなんだから、千歳さんの事がうらやましくて……」
千歳さんが驚いたように目を見開いて、私のことを見つめた。大森さんと村上さんも驚いた顔で私を見ている。
「ありえなーい! 七瀬さん、酷いんじゃない? 利絵かわいそう!」
真鍋さんが声を荒げて言った。
「妬みもここまでいくと醜いね。七瀬さん最低だと思う。聡子と早苗も見てよこれー。酷くない?」
同意を求められた大森さんと村上さんが曖昧にうなずく。
千歳さんは、手をギュッと握りしめて、体を震わせながら、うつむいた。
「友達の振りして、こんな風に思っていたんだ! 最低! 顔も不細工なら、性格も不細工なんだねっ!」
彼女の叫び声が空気を引き裂くように響き渡った。
怒りで顔が真っ赤になって、涙ぐんでいる。
「あ、あの、ごめんなさい……」
ただ謝るしかなくて、頭を下げた私に、「もういい、帰る!」と言って、千歳さんは玄関へ向かおうとした。
その足が驚いたように止まって、私は更なる最悪な事態に心臓を縮こまらせる。
玄関へ続く廊下の壁に琉香さんがもたれ掛って立っていた。
「る、琉香さん。いたの?」
「今日は夜から撮影だって言っておいただろ。仮眠取っていたのに、ギャーピー騒ぎやがって」
なんだ、大学から直接撮影に行くわけじゃなかったのか。
あぁ、こんな状況なのに、すこぶる機嫌の悪い琉香さんまで現れて……。
「あの。ご、ごめんね。でも、みんなもう帰るみたいだから……」
私は慌てて、彼女たちを振り返った。
千歳さんが私からふいと目を逸らせて、「お邪魔しました」と歩き出す。琉香さんの前を通り過ぎようとした瞬間、彼女の目の前で、彼がバンと手を壁についた。
「待てよ。話、終わってねーだろ」
低く、囁くように言う。
琉香さんの顔は無表情で、その瞳は凍えるほどに冷たくて、千歳さんの顔色が一瞬にして青くなった。
「ずいぶんと、うちの妹を侮辱してくれたみたいだけど。あんた、それマジで言ってんの?」
「る、琉香さん。いいよ。私が悪いから」
止めに入った私のことを見向きもせず、琉香さんは千歳さんの顔を見据えたまま、「こいつが、顔も性格も不細工だって?」と口の端を歪めるようにして笑った。
「ふざけんなっ!」
彼の怒鳴り声が響いて、千歳さんがビクリと肩をすくめる。
「うさぎは自分のことより周りのことを考えるクソお人好しな奴だ。俺はこんなに心が綺麗な奴を他に見たことがない。友達の振りしてだって? 友達なら、こいつがどんな奴かくらい分かるだろっ」
彼は怒りを隠そうともせずその場にいる皆を睨みつける。
「いいか、よく聞け! こいつはな、バカがつくほど単純で、誰かを妬んだりするような、複雑な思考は持ち合わせてないんだよっ」
琉香さん……。
私は呆気にとられて、何も言葉が出てこなくて、ただその光景を見つめた。
千歳さんが泣き出して、琉香さんを押しやる様にして、玄関から飛び出した。それを見た他の三人も、「すみませんでした!」と言って、慌てて後に続いた。
玄関のドアがバタンと閉まって、琉香さんと二人きりになって、静寂が訪れて……。
だけど、その後も、私は動くことができず、そのままの状態で立ち尽くした。
「……お前はさ。なんで、そうやって自分のことを傷つけるわけ?」
廊下の壁を見たまま、琉香さんがポツリと言った。
「傷つけてなんか……ないよ。ほら、私は最初からあの子たちと友達じゃないから。まぁ、いっかなって」
「じゃぁ、なんで泣いてんだよ」
琉香さんがため息をついて、私のことを見つめた。
「あれ? なんでだろう?」
私は自分が泣いていたことに気付いて、慌てて顔を覆った。
なんでだろう。さっきまで全然平気だったのに。
琉香さんが、かばってくれたことが、嬉しくて。彼の優しさが、嬉しくて。
いつも虐めるくせに、一番私のことを傷つけているくせに、こんな時だけ……。
フワリと全身が温もりに包まれて、気付けば琉香さんが優しく私を抱きしめていた。
「傷ついてんじゃねーか。あんな奴らに言いたい放題言わせやがって」
「大丈夫だよ。琉香さんに虐められて、慣れているから」
「バカ、お前を虐めていいのは俺だけだ」
琉香さんはそんな理不尽なことを言って、ギュッとその腕に力を込めた。
悪魔の気まぐれだろうか。
その日、琉香さんが垣間見せたその優しさは、私の傷ついた心を包み込んで、温かく癒してくれた。
「ありがとう、琉香さん」
素直にそう言うと、彼はパッと目を逸らして、「寝なおす。お前らがうるせーから」とブツブツ文句を言いながら自分の部屋に戻ってしまった。
ありがとう、琉香さん。
私はその背に向って、もう一度お礼を言った。
◆◇◆
「ごめんなさい」
翌日、昇降口のところで、千歳さんが私に向かって大きく頭を下げた。
登校時間だったので、沢山人がいて、みんなに注目されて、私はあわあわしながら、彼女を廊下の端に連れて行った。
「わ、私が悪いから謝らなくていいから」
そう言った私に千歳さんは大きなため息をつく。
「どうして、あの子たちをかばうの?」
「え?」
「あれ、きっと、聡子と早苗がやりとりしていたものなんでしょ? 本当は分かってた。だって、七瀬さんが私の事を、利絵なんて下の名前で書くわけないし、あの時、聡子と早苗が一言もあなたのこと責めなかったから……。だけど、あそこで二人を問い詰めたら、自分がすごく惨めで。だから、七瀬さんのせいにした」
千歳さんはそう言って、唇を噛みしめた。
「あそこで私が言ったことは、本当は全部聡子と早苗に向けた言葉。直接二人に言えなくて、代わりにあなたを傷つけちゃった。ごめんなさい」
千歳さん……。
彼女は気付いていたんだ。
「本当はいつも恐かったんだ。自分のいないところで、何言われているか分からないって。だけど、そこから抜けたら居場所がなくなるから、知っていてずっと知らない振りをしていた。私は、七瀬さんみたいに一人でいられるほど強くないから」
「わ、私は、強くないよ。臆病で、あ、あの、人と接するのが苦手で、だから、一人でいるだけで……」
「強いよ。他人の罪を自分のこととして被ってあげられる人だもん。すごく、強いよ」
千歳さんはそう言って、「うらやましいな」と笑った。
「私も、七瀬さんみたいに強くなりたくて、だから、ちゃんと向き合おうと思って、それで、聡子と早苗に聞いたんだ。友達なのに、どうしてあんなこと書いたのかって。そしたら、友達じゃないって。私、一人になった……」
うつむいて、涙を浮かべた彼女に、私は胸が締め付けられた。
「あ、あの……わ、私でよかったら、いつでも、相談にのるよ……あ、私なんかじゃいない方がましかもしれないけど……」
そう言ったら、千歳さんは目を見開いて私のことを見つめた。
「七瀬さん……」
「だ、だって、ほら、あの、私達、親友……なんでしょ?」
そう言うと、しばらく黙ったまま私のことを見つめていた千歳さんは、かわいい顔を歪めて、クシャクシャになって、泣き出した。
その日、一人ぼっちだった私は、一人ぼっちの千歳さんと、友達になった。
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