第10話 鐘の音の中で

「もう、ダンスパーティー始まっちゃったね」

「さすがのケイタもお前みたいなブスをある程度見られるところまで持っていくには時間がかかったな」


 余計なことを言う琉香さん。


「琉香さん、私が急に綺麗になったから、惚れちゃった?」


 冗談で言っただけなのに、彼は背筋が凍るほどの冷ややかな瞳で私をチラリと見た。


「お前、ちょっとくらい、きれいに着飾ってもらったくらいで、調子に乗ってんじゃねーよ」

「ち、違うよ」

「俺がきれーだと言ったのは、その衣装と髪形のことで、お前自身のことじゃない。加えて言えば、若干見られるようになったその顔は、ケイタのスペシャルなメイクのおかげであって、お前は、『かわいいと思ってエッチしたものの、シャワーから出てきて来て、すっぴんになったら別人だった』という、男を恐怖のどん底に陥れる、妖怪すっぴん地獄だ」


 そうか。全部、妖怪のせいなのねーって、もう!


「分かってるよ。言われなくたって、ちゃんと、自分はブスだって自覚しているから」


 私が大きくため息をつくと、琉香さんは満足げにうなずいた。


 それから長い長い渋滞を越え、ダンスパーティーの終了時刻ぎりぎりに学園の近くまでついて、駐車場に車を置いた琉香さんは、なぜか会場には向かわず別の道を進んだ。


「どこ行くの? 早く行かないとパーティー終わっちゃうよ?」


 その問いにも答えず、彼は学園裏の丘にある公園に向かった。高台の見晴らしの良い公園からは、学園が一望できる。イルミネーションで彩られた学園が美しく浮かび上がっていた。風に乗ってパーティー会場の音楽が微かに聞こえてくる。


「パーティー行かないの?」

「あぁ」

「せっかく着飾ったのに……」


 瑠偉兄に見てもらいたかったな……と、少しだけ残念に思う。


「お前なんか、俺が誘ってやらなきゃ、どうせ出られなかったんだし、別にいいだろ」


 琉香さんの小バカにした様子にムッとした私は、

「ちゃんと誘ってくれた人いたもん!」

 と思わず言い返していた。


「は?」

「わ……私にだって、私の事……かわいいって言ってくれる人いるんだからね」


 途端、鋭く瞳を細める琉香さん。

 う……この目は……。


「それって、こないだ眼鏡持ってきた男?」

「そう、だけど……」

「何お前、そいつと本当は行きたかったわけ?」

「そ、そういうわけじゃないけど」

「……じゃぁ、瑠偉と? 瑠偉と行きたかった?」

「え……。だって、瑠偉兄は……先約済みだし……」


 私の言葉に、彼は「ふーん」とつぶやいて、黙り込んだ。


「琉香さんは鐘のの伝説に連れて行きたい子いなかったの? 一人に絞ろうとは思わないの?」


 そう聞くと、彼は黙って私のことを見つめた。


「……いたら、お前みたいなブス連れて歩くか」


 ふいと顔を逸らせてそんなことを言う。

 ですよね……。


「もうすぐ終了だな」


 闇夜に浮かぶ学園の時計台。あと五分で、午前零時となる。


「ねぇ、瑠偉とのファーストキスって、どういう流れでそうなったわけ?」


 琉香さんは柵にもたれ掛って、斜めから私を見つめた。


「小学生とはいえ、瑠偉がそんなことするとは思えないんだよね。お前のエロい妄想じゃねーの?」

「わ、私の大切な思い出を穢すようなこと言わないでよ! 琉香さんと違って、そういう、穢れたキスじゃないんだから。だいたい琉香さんが悪いんだからね」

「なんだよ、それ」

「初めて会った時、『こんなブスが妹なんてやだ』なんて、傷つきやすいお年頃の私に酷いこと言ったでしょ! それで、瑠偉兄は私を慰めようとして、キスしてくれたんだもん」


 そう言うと、琉香さんは一瞬、キョトンとした顔で私を見て、それから大爆笑した。


「まじかよ。それがお前のファーストキス?」

「いっ、いいでしょ! 私にとっては大切なファーストキスの思い出なんだから!」

「あぁ、分かったって。くっ。せいぜい大切にしろ」


 堪え切れないという感じで笑っている琉香さんに、私は自分の思い出を踏みにじられた気がして、猛烈に腹が立った。


「本当に頭来る! 人の初恋を笑うな!」

「あー腹痛てぇ」


 笑いすぎて涙を浮かべた琉香さんが、ふぅとため息をついて、私を見つめる。


「初恋ねぇ」


 その時、教会の鐘が鳴りだした。

 重く、厳かで、それでいて透き通った響き。

 怒りも忘れて、星空に響く、その音に耳を澄ます。


「いいなぁ。永遠に結ばれるんだって」


 瑠偉兄は今頃、美姫さんとキスしているのかなぁ。

 きっと、二人のその姿は、私みたいに魔法が解けると元に戻ってしまう偽物なんかじゃなくて、本物の王子様とお姫様みたいに美しいのだろう。


「瑠偉の事考えている?」


 そう聞かれて、琉香さんを振り返ると、彼は少し首を傾げて、私のことを見つめていた。

 厳かな鐘のの中で、光瞬く夜景の前に立つ彼は、まるで地上に降り立った闇の使徒のようで、息が止まるほど美しい。その妖艶な瞳に吸い込まれるように私は彼を見つめ返した。


「うさぎ……」


 囁くように呼びかけた琉香さんは、私を引き寄せて、おでこに優しくキスをした。


 静寂な空気を震わすように鐘のが鳴り響く中、私を見つめる彼の瞳が、イルミネーションに反射してキラキラ輝いていて、私は夢の中にいるような錯覚に陥った。


 彼がなぜキスをしたのか、よく分からない。小学生の頃の些細な出来事を未だに大切な思い出として取ってある私に同情して、瑠偉兄の代わりを演じてくれたのかもしれない。

 けれど、優しく私を見つめる彼に、不覚にも私はトキメいてしまった。



 翌日————


「おはよう。莉兎。昨日は、琉香と出かけていたんだね」


 朝食を作っていた私のもとに、歩み寄った瑠偉兄がそう言った。


「あ、うん、そう。琉香さんが言っていた?」

「いや。二人の写真がネットに投稿されていたらしくて、僕もみんなにいろいろ聞かれたから」

「えっ?!」


 いくら未だガラケーを使っている私でも、瑠偉兄の言っていることが何なのかは理解できる。


「ど、どんな写真?!」


 慌てて瑠偉兄に聞くと、彼が携帯を取り出して、見せてくれた。

 私のおでこに琉香さんが口付けをしている写真がしっかりと掲載されている。

 だ、誰がこんなもの……。

 引きつる私の前で、瑠偉兄は小さくため息をついた。


「これが莉兎だってことは、みんな分かっていないみたいだけど、炎上騒ぎだよ」


 慌てて、その写真に寄せられたコメントを見ていくと、

『この子、誰?!』

『見たことない。琉香様のモデル事務所の子?』

『鐘のの伝説に連れて行ったってことは、本命かなぁ?!』

『信じられない! 合成じゃないの?』 etc etc ……


 私は自分だってバレていないことに、ホッと胸をなでおろした。


「少し軽率なんじゃないの?」


 そんな私に瑠偉兄が言った。

 珍しく責める口調だったので、私は一気にシュンとする。


「ごめん……なさい」

「琉香と永遠の愛を誓い合ったの?」


 突然聞かれて、驚いて瑠偉兄を見上げると、彼は真剣な眼差しで私を見ていた。


「そ、そういうんじゃなくて……。琉香さんが、私に同情してというか……」

「同情?」

「たぶん、琉香さんは私のために瑠偉兄を演じてくれたんだと思う」


 私の精一杯の告白に、瑠偉兄は驚いたように私を見つめて、それから、うつむいて唇をかんだ。

 あ。突き放される……。


「って、鬱陶しいよね。ごめんね。瑠偉兄と美姫さんが、あまりにお似合いだからさ。ブラコンな妹としては、ジェラシーを禁じ得ないと言うか。あぁ、カッコいい兄を持つと、困っちゃうなぁ」


 瑠偉兄に何か言われることが怖くて、話し続ける私を、彼は静かに見ていた。

 その視線に耐え切れず、慌てて冷蔵庫を開けて、

「えっと、卵どこだっけ」

 なんてゴソゴソ探し始める。


「美姫と鐘のは聞いていない」


 そんな私に瑠偉兄が言った。

 振り返ると、思い詰めた表情で、瑠偉兄が私を見ていた。


「どうして?」


 間の抜けた声を出してしまった私に、彼は一瞬我に返ったような表情を見せて、それから大きくため息をついた。


「いろいろあってね、途中で帰ったんだ」

「そう、なんだ……」


 てっきり、二人は鐘のを聞きながら永遠の愛を誓っているのだと思っていた。いろいろって、なんだろう。何があったのか聞きたかったけれど、私が話し出す前に瑠偉兄が口を開いた。


「もし、僕と琉香の両方から誘われていたら、莉兎はどちらを選んだ?」


 突然、そんなことを言われたものだから、私はびっくりして卵を落としかけた。


「え? な、なにそれ?! そんなの瑠偉兄に決まって……」


 そう言いかけた途端、鐘のの中でおでこにキスをしてくれた琉香さんの顔が思い浮かんで、私は動揺して言葉を呑んだ。

 あの夢のような出来事は私の心に小さな波紋を起こしていた。


「で、でも、瑠偉兄には美姫さんがいるし、琉香さんは私のことペットくらいにしか思ってないし、二人ともお断りだな」


 そう言うと、

「振られちゃったか。残念」

 瑠偉兄はそうつぶやいて、小さく笑った。


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