第2話 シンデレラ
「おい、うさぎ! 車で家まで送ってやるってメールしたのに、何、無視してんだ。うさぎのくせに! っていうか、いい加減、ガラケーやめてスマホにしろ。ラインできなくて、面倒なんだお前」
「る、琉香さん!」
高校の正門の前に堂々とシルバーのポルシェを横付けして、窓から叫んでいる琉香さんを見た私は泡を食って飛び上がった。
「やめてよ! 学校では兄妹ってこと内緒にしてって言っているじゃない!」
「この俺様が迎えに来てやったのに、クソ生意気な奴だな。メール無視した挙句に、俺の親切を踏みにじる気か」
琉香さんの綺麗な瞳がギロリと光る。
「け、携帯、家に忘れちゃったんだって。それに、何、この車。目立つから……」
私は皆の視線を浴びて、あわあわしながら、身を隠すようにして助手席に乗り込んだ。
「すごいだろ、新車だぜ」
「借りたの?」
「いや。買った」
「え!?」
ポ、ポルシェって、ものすごく高くなかったっけ?
「パパとママに内緒でこんな大きな買い物しちゃったの?」
「いいだろ。自分の金をどう使おうが。新しい事務所と契約して、まとまった金が入ったんだ」
嬉しそうにハンドルを撫でる琉香さん。
すごいなぁ。ポルシェをポンと買っちゃうくらいの契約金ってどんなだよ。モデルってそんなにお金儲かるんだ。
「俺の愛車に乗せてやるんだ。感謝しろよ」
琉香さんは恩着せがましく言って車を走らせた。
重低音のエンジン音に、燃費悪そうだなぁなんて、私は常に現実的。
「どう? ポルシェの助手席に乗った気分は?」
「この車、ハイオク? 税金も高そうだね」
私の答えは彼の機嫌を損ねたようで、途端、眉をしかめた琉香さんは、
「乗せてもらっておいて、そのくだらない回答はなんだ。もっと、気の利いたこと言え」
と舌打ちをついた。
乗せてなんて頼んでないのに……。
けれど、ここで言い返したら、その何倍もの仕打ちが返ってくることを知っている私は、しおらしく、彼が言ってほしいであろう言葉を言ってあげた。
「カッコいいね。スパイ映画に出て来そう」
「だろ? お前なんかを乗せるにはもったいないくらいだ」
だったら乗せなきゃいいのにと、軽くイラッとしたものの、自慢気な顔で嬉しそうにつぶやく琉香さんはちょっとかわいい。
お気に入りのおもちゃを手に入れた子供みたいだ。
「ちょっと、事務所に寄っていい? 野暮用があって」
「うん。いいよ。新しい事務所ってどこなの?」
「青山」
「え?!」
ここ、横浜なんですけど。
「先、家に送ってよ。帰る途中に寄るような場所じゃないじゃん」
「はぁ? 何、俺様に意見してんだよ。乗せてもらっているだけ、有難いと思え」
「でも、歩いて帰った方が早いよ。じゃぁ、ここでいいから、降ろして」
そう言うと、どうやら琉香さんの地雷を踏んでしまったらしい、彼の瞳が冷ややかな色を帯びて行った。
こ、恐い……。
「この俺が、わざわざ納車直後の新車のポルシェで、お前をドライブに連れて行ってやろうって言っているのに、それを断るわけか?」
優しく静かに聞いてくるのがさらに恐怖を煽る。
「うっ嬉しいです! ありがとうございます!」
慌てて言うと、「最初から、そう言え。ブスのくせにいちいち生意気なんだ、お前」とブツブツ文句を言ってきた。
「琉香さんこそ、ドライブに誘いたいなら最初からそう言えばいいじゃん。家に送ってやるとか言って、どう考えたって、最初からそのつもりない……きゃぁっ!」
突然の急ブレーキに、私は前につんのめって悲鳴を上げた。
「俺が、いつ、お前を、ドライブに、誘いたい、なんて、言った?」
目、目が据わっている……。
「る、琉香さん。車道の真ん中で停まっちゃ、危ない……」
「だーかーらー、俺が、いつ、お前を、ドライブ」
「そ、そうだよねー! 琉香さんが私みたいなブスな子誘いたいわけないよ。うん。分かっているよ。もっと、素敵な人誘えばよかったのに。ごめんね、私なんかで」
冷や汗を垂らしながらそう答えると、琉香さんは一瞬黙って私の顔をじっと見た後、
「あぁ。俺も今お前の顔を見て、しみじみそう思った。スパイ映画だと、助手席には絶世の美女が乗っているはずなんだけどな。俺の知り合いの中で、金曜の夕方にすぐ捉まる暇そうな女はお前しか思いつかなかった。残念だ」
と無表情に言って、車を走らせた。
ほんっとに、ムカつくわ。あとで、十円玉で車に傷つけてやる。
私はそう決心して、顔には出さず、「それは残念だったね」とだけ言った。
◆◇◆
「えっ!? こ、この子、琉香君の妹なの?」
ついた事務所は、モデル事務所というだけあって、とてもオシャレなオフィスで、スタッフだという人もモデルなんじゃないの? っていうくらい、イケメン美女ぞろいで、一人だけどう考えても、ドブネズミが紛れ込んできちゃったよ的な状況に、私は内心ため息をついた。
だから、車で待っているって言ったのに。
「あの、私達、血は繫がっていないので……」
おずおずと言った私に、大きなリングのピアスをした可愛らしい女性は、先ほどの信じられないといった顔を、心底納得した表情に変えて、大きくうなずいた。
そこまで納得しなくても……。いえ、分かっていますけどね。でも微妙に傷つくんですけど。
「琉香の妹って言うから、どんな派手な子かと思ったら、ずいぶん清楚な子だね」
後ろから響く低い男性の声。きっと地味な子だねと言いたいところを、清楚な子だと置き換えてくれたのだろう。なかなか気が利く人だ。
そう思って振り返ると、琉香さんよりも背の高い小麦色の肌の青年が立っていた。ドレッドヘアの長い髪を後ろで結わいたそのスタイルは、彼のエキゾチックな顔立ちと相まって、とても素敵だ。
けれど、私は一気に緊張に包まれる。あぁ、苦手なタイプ。というか、男の人はみんな苦手だけど、特にイケメンは嫌いだ。テレビの画面越しで見るイケメンはいいが、生のイケメンは困るのだ。
後ずさりした私は、琉香さんの後ろに隠れた。
「ライさん。怖がられてるし」
彼の後ろから、ケラケラ笑いながら、小柄な男性が近付いてきた。といっても、背の高いモデルがたくさんいる中で、小さく見えるだけで、きっとうちの学校に居たらごく平均的な身長なのだろう。フワフワの金色にした髪がキュートで、男の人なのに可愛らしい顔をしている。
「ライは俺のモデル仲間で、この事務所を紹介してくれた奴。で、こいつは、ケイタ。この事務所の専属スタイリスト」
琉香さんが説明してくれた。
二人がよろしくと笑顔を見せる。その笑顔は素敵すぎて、私はますます固くなっていく。
「こ、こんにちは……。ね、ねぇ、琉香さん、もう先に車に戻っていてもいいよね?」
琉香さんの腕にしがみついて、懇願するように言うと、彼は楽しげに目を細めた。
「お兄ちゃんの仕事場を見ていきたいだろ?」
意地悪く口の端を吊り上げて、琉香さんが笑った。
あぁ、私がこういう場が苦手って分かっていて、わざと言っている。
「悪魔」
琉香さんにだけ聞こえるように言うと、彼は私の頭をよしよしと撫でて、
「お兄ちゃんが好きだからって、あまりくっつくなよ。俺はちょっと宣材用の写真を撮らなくちゃいけないから、ここで待ってろよ」
と言って踵を返した。
「ま、待って。琉香さん」
慌てて彼の後を追う。
やめて! こんなところで一人にしないでー!!!
「本当にうさぎはお兄ちゃん子で困るなぁ」
嬉しそうに目を細める琉香さん。
絶対、絶対、ポルシェに傷つけてやる。デビルって十円玉で書いてやる。
「妹がブラコンとか、うらやましいな、琉香」
「俺も妹ほしかったなぁ。しかも、うさぎってなんだよ。萌えるし」
ライさんとケイタさんが、そんなことを言っている。
ち、違う。そんなんじゃない。
琉香さんは満足げに微笑むと、再び踵を返して、隣の部屋に行ってしまった。
「じゃぁ、俺たちとあそぼっか」
ケイタさんがニコリと笑って振り返った。
ひー。
「わ、私、ひ、一人で……大丈夫」
一生懸命声を出したんだけど、その声は小さすぎて届かなかったようで、ケイタさんは突然私の顔をじっと覗き込んで、
「肌きれいだね。普段から、化粧はしないの?」
と言った。
「け、化粧なんてしても……私、ブスだし……」
後ずさりする私に、彼は顎に手を添えて、ふむと何だか考える素振りを見せた後、いきなり私の眼鏡を外した。
息がかかりそうなほど間近で私の顔を見たケイタさんが、意外そうに目を見開く。
「へぇ。予想外だな。ちょっとこっち来て」
突然手を引いてどこかに連れて行かれたが、眼鏡を外されたままなので何も見えない。
「はい。ここに座って」
私は言われるまま、椅子に座って、そしたら突然ケイタさんが私の顔に何かを塗り始めた。
「ひー。な、なんですか?!」
「きれいになる魔法をかけているの」
そう言って、今度はスポンジのようなもので私の顔をポンポンと叩き始めた。
「や、やめてくださいっ! けけけ、結構です!」
「けけけって、笑わせるのやめてよ。手が震える」
ボヤけてしか見えないが、ケイタさんはお腹を抱えてプルプル震えているようだ。
「うさぎちゃん、せっかくだからケイタに綺麗にしてもらいなよ。こいつが仕事以外で誰かに化粧してやるなんて滅多にないことなんだから。ガチで頼んだらいくらすると思う?」
後ろから、ライさんの声が響く。
「じゃ、じゃぁ、余計に申し訳ないです。私なんか化粧したって、無駄ですから……」
「うさちゃん、本当にそう思っているの? 素材いいんだから、自信持ちなって」
ケイタさんがそんなことを言って、私の顔を間近からじっと見つめた。
「はい。シンデレラ」
そう言いながら、口紅を塗る。
素材がいいだなんて……そんなこと、そんなこと、初めて言われた。
あぁ、涙が出そうだ。
きっと、あれだな。よく番組であるじゃない。ビフォーアフター的な。
とてもきれいとは言えない一般人が、メイクさんに化粧されて素敵な髪形と服で飾られて、見違えちゃうってやつ。
私なんかでも、少しは変われるのだろうか……。
それから、私は彼のなすまま、化粧されて髪も結われて、まるで本当に魔法をかけられているかのような気分で、座っていた。
「はい。できた。ジャーン」
ケイタさんが、私の前からどいて、目の前の鏡を指し示した。
「どう? うさちゃん、感想は?!」
私の顔を覗き込む。
「あ、あの、私……ド近眼でよく見えません」
そう言うと、ケイタさんは大爆笑した。
「最高だよ。うさちゃん。はい、眼鏡」
眼鏡をつけて鏡の中を見た私は、ピンクのチークや艶やかな唇、編み込んでフワリとまとめられた髪に、呆然とした。
眼鏡だけが異様に浮いているが、それでも、これまでの私とは雲泥の差だ。すごい!
「どう? うさちゃん」
「す、すごいです。さすがプロの技です。ビフォーアフターの番組に出られそうです!」
「ビフォーアフターって」
ケイタさんはひとしきり笑った後で、
「僕は大したことしてないよ。素材を生かしただけ。さ、琉香にも見せに行こ」
と私の腕を取って立ち上がらせた。
ニコリと笑ったケイタさんにつられて、私も思わず微笑む。
「あ。ようやく、うさちゃんが笑った。いつもそういう顔していればいいのに」
「だな。笑顔、すごくかわいいよ」
ケイタさんとライさんに言われて、聞きなれない言葉とシチュエーションに、顔がカァッと熱くなる。
「あ、ありがとう……ございます」
あぁ、今日はなんていい日なのだろう。ポルシェに傷をつけるのは、やめにしよう。
二人に連れられ、隣の部屋に移動すると、そこはスタジオになっていて、琉香さんがパシャパシャと閃光を浴びながら、いろんな表情を見せていた。
上目遣いに鋭くカメラを睨み付ける琉香さん。
顎を上げて少し口を開いた状態で悩ましくカメラを見つめる琉香さん。
首を傾げて、けだるげに視線を落とす琉香さん。
す、すごい。
どれもこれも、すばらしくカッコいい。
普段からカッコいいとは思っていたけど、今日の琉香さんは最強だ。
天上の人にすら思えて来る。
「やっぱ、すごいなぁ。琉香は」
隣でため息をつくようにケイタさんがつぶやく。
つられて顔を見ると、彼はキラキラした瞳で琉香さんを見つめていた。
あれあれあれ? もしかして、ケイタさんって……。
こういう業界の人って、そっち関係の人が沢山いそうだもんな。
琉香さんとケイタさんが絡み合うシーンが頭に浮かんで、私の頭がボンと爆発した。
いやぁ。男同士なのに、しっくり来すぎだろう。
「え? 何?」
私の視線に気付いたケイタさんが振り返った。
「え、いえ。あの、ケイタさんって、もしかして琉香さんのこと好きなのかなって」
「えー!? それって、ゲイかってこと? うさちゃん、おとなしそうな顔して、結構グイグイくるね」
ケイタさんが大きな目をさらに丸くして、私を見つめる。
そ、そうだな。確かに、直接的に聞き過ぎた……。
「す、すみません」
「まぁ、確かに、モデルとしての琉香は好きだけどね。世界にも通用する一流のモデルだと思っている。僕は男とか女とか関係なく、綺麗なものがすごく好きなんだ」
そう言ってニコリと笑うケイタさん。
なるほど。純粋にモデルとしての琉香さんを、キラキラした瞳で見ていたわけか。
「私も、今日初めてモデルとしての琉香さんを見ましたけど、モデルは天職だなって思いました。だって、写真なら性格は映らないし」
「うさちゃん、もう、笑わすのやめてよ、本当に」
「琉香をそんな風に貶す子は初めて見た」
楽しげに笑っている二人を見たら、私も笑いが込み上げて来た。ケイタさんの魔法によって緊張もほぐれた私は、いつのまにか普通に会話もできるようになっていて、そうこうしているうちに、撮影が終わって、カメラの前から琉香さんが戻って来た。
私達に気付いて立ち止った彼が、息を呑んだように私を見つめる。
「可愛いだろ、うさちゃん。眼鏡取ったら、もっとすごいよ」
そう言って、ケイタさんは私の眼鏡を勝手に外した。
途端、視界がボヤけて、琉香さんがどんな顔をしているのか見えなくなる。
「感動で声も出ない?」
ライさんのからかうような声が聞こえた後、ドスドスと足を踏み鳴らすようにして、琉香さんが近付いてきた。
「俺のうさぎに勝手なことしてんじゃねーよ」
唸るような声で琉香さんは言うと、突然、私の髪をクシャクシャと手で崩し始めた。
「いっ痛いよ! 琉香さん」
無理矢理、編み込んだ髪の毛を引っ張られて、ブチブチと髪の毛が抜けて、それでも琉香さんは構わずに、せっかく結ってもらった私の髪をほぐしてしまった。
「おい。眼鏡!」
怒鳴り声と共に、琉香さんはケイタさんから眼鏡を引ったくった。
その眼鏡を私の顔に押し付けて、
「ブスは何したってブスだって言ってんだろ。調子に乗んな、クソバカ」
そう言って私を睨み付ける。
うぅぅ。やっぱり、絶対、ポルシェに傷つけてやる。フロント部分に大きくデビルって書いてやる!
「なぁんだ、そう言うことか」
呆気にとられていたケイタさんが呆れた声でつぶやいて、苦笑いした。
「うるせぇ。帰るぞ、うさぎ!」
琉香さんは私の腕を掴むと、引きずるようにして、部屋のドアへと向かった。
「け、ケイタさん、ありがとうございました。ライさんも、さようなら」
琉香さんに引きずられながら、とりあえず挨拶だけすると、二人はニコリと笑って、片手を上げた。
「うさちゃんも、大変だね」
最後に、ケイタさんの楽しげな笑顔を目にして、私はその場を後にした。
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