第1話 天使と悪魔
「俺、こんなブスが妹になるのやだ」
耳を疑うような台詞。
愕然とする私に、パパも彼のママも慌てた様子で、取り繕った笑顔を見せた。
「琉香ったら、こんな可愛い子相手に、バカなこと言うんじゃないの!」
「琉香君は照れているのかな?」
「いや、本心だし」
「る、琉香君も
わざとらしく話を変えるパパ。
そんなの、知っている。うちの学校にいる人なら、誰だって知っているよ、パパ。
西洋人形のように整った気品ある顔立ちに文武両道。学園の人気者として名を馳せる麗しき兄弟。
彼らは西之宮学園の誰もが憧れる双子の王子様だ。
誰分け隔てなく優しくて、信頼も厚い兄の瑠偉君は生徒会長を務めている。対して、弟の琉香君は、スポーツ万能で、どんな負け試合だって勝利に導くスーパーヒーローだ。
その憧れの王子様に「ブス」と言われたのだ。その衝撃は半端なかった。
小学四年生と非常にデリケートで傷つきやすいお年頃の乙女になんという仕打ちだろうか。今思い出しても涙が出て来る。あの後、
私が三歳のころ、母は私とパパを置いて、家を出て行った。あとから知った話だが、若い男と駆け落ちしたらしい。
だけど、それが私の性格に直接影響したわけじゃない。心配性のパパは私が外で遊ぶことを禁じ、幼少期の頃、私はパパ以外の人と接することがないままに成長した。
その上、母に裏切られ人間不信に陥ったパパから、「世の中の人間は悪い人ばかりだから騙されないよう注意しなければいけないよ」と、私は小さな頃から言って聞かされたのだ。
昔は、パパと私を捨てた母を恨んだりもしたけれど、うちのパパが特殊なのだと気付いた今となっては、もしかしたら、母はパパの束縛に耐え切れず逃げ出したのではないかと、若干、同情したりもする。
いずれにしても、そんな風に育ったから、私はパパ以外の人間は悪い人なのだと信じて疑わず、極度の引っ込み思案となった。当然、小学校に入ってからも友達はできず、性格はどんどん暗くなり、見た目は地味になってゆき……。
高校三年となった今じゃ、牛乳瓶底眼鏡に、顔を覆った真っ黒な長い髪、陰でみんなから貞子と呼ばれているのをうすうす気付いている。
私は、なるべく目立たないよう、必要以上のことは話さず、体を小さくして、教室の隅でひっそりと生きて来た。
「なんで目玉焼き半熟じゃないんだよ」
機嫌の悪い声によって現実に引き戻され、チラリと琉香さんに目を向けると、彼は美しい瞳を細めて、舌打ちした。
「ベーコンはカリカリで、目玉焼きは半熟じゃなきゃダメだって、いつも言っているだろ。出来の悪い妹でお兄ちゃんはがっかりだよ」
何がお兄ちゃんだ。私だって、こんな性格の悪い男が兄だなんて、がっかりだよ。
彼と出会った瞬間からそう思ったけれど、人間不信に陥ったパパがようやく立ち直って、再び愛する人に出会えたのだからと、その結婚を反対することはできなかった。
「今日は朝から仕事なんだから、さっさと作り直せよ」
大学二年生となり、さらにカッコよさに磨きのかかった琉香さんは、モデルにスカウトされて、小遣い稼ぎに雑誌に出たりしているようだ。ファッション雑誌なんて手に取ったこともない私には、よく分からないけど。
「お前、ブスなんだから、料理ぐらいできなきゃ貰い手がつかないぞ」
また始まった。お決まりのブス攻撃。何度言われても傷つくものは傷つくのだ。
あぁ、こんなことなら、やっぱりパパとママについて行けばよかったかな。
一ヶ月ほど前から、ニューヨークで暮らし始めたパパとママ。
キャリアウーマンのママが海外赴任することになり、彼女を大好きなパパは仕事を辞めて一緒について行くことを決めた。
すでに大学に進学していた瑠偉兄と琉香さんは日本に残ることを決め、高校生である私は向こうの学校に編入することを勧められたが、ただでさえ人見知りが激しく、知らない土地で新しい人間関係を築くことなど恐怖以外の何物でもなかった私は、一緒について行くことを断固拒否した。
現在通っている高校は小学から大学までエスカレーター式で入れる進学校だ。できることなら、このまま進みたい。
一人娘を日本に残していくのが心配だったパパは最後までゴネたが、
『僕が、莉兎のことは責任をもつから』
と、両親から絶大な信頼を得ている瑠偉兄が言ってくれたおかげで、パパも納得し、ママと二人でニューヨークへと旅立って行った。
だから、自分で日本に残ることを決めたと言えば決めたのだが……。
「早くしろよ」
苛立った様子で手元にあったコースターを私に向って投げつけた琉香さん。顔に命中したのを見てニヤリと笑う。
両親がいなくなって、彼の意地悪に拍車がかかったような……。
とはいえ、それくらいじゃ、私はもうめげない。八年も虐められ続けて、ずいぶんストレス耐性がついた。最初は、何も言い返せず、ひとり部屋で泣いていたもんな。
まぁ、琉香さんに言い返せるようになったのは、別のきっかけがあったのだけれども。
中学一年生の時に起こった事件。
あの日、私の中で、恐怖でしかなかった彼の存在が大きく意味を変えた。
いつもは悪魔のような彼に、あれは白昼夢だったのではないかと、時々思ってしまうけれど。
「おい、うさぎ。痛がるとか、怒るとかさぁ、何か反応しろよ。つまらねーな」
「はいはい」
うさぎというのは、私のあだ名だ。莉兎の兎から、そう呼ばれている。
愛着を込めてとかそういう理由では当然ない。
『お前は妹じゃなくて、俺のペットな。だからこれからうさぎって呼ぶことにした。つまり、俺はお前のご主人様ってことだから、俺のことは琉香様って呼べ。間違っても、お兄ちゃんなんて呼ぶなよ』
この横暴ぶりに、私は最大限の抵抗として、「様」を「さん」とすることで対応した。大した抵抗にはなっていないけど。
「腹減ってんだから、さっさと作り直せよ。相変わらず鈍くせーな」
「気に食わないなら、自分で作ればいいじゃん」
ボソリとこぼした私に、琉香さんは眉毛をピクリと動かした。
やば……。
「あぁ? お前、何、お兄ちゃんに向かって口ごたえしてんの?」
こんな時だけ、お兄ちゃん面した琉香さんが、鋭い瞳をさらに鋭くして私を捕える。
「うちはさ。年功序列なの。あぁ、そうか。お前は部活もやらずにプラプラしていたから、体育会系の厳しさが分かっていないわけだな。しょうがない、お兄ちゃんが教えてやろうか」
そう言って立ち上がった琉香さんは、どす黒いオーラを放ちながら、私に近づいてきた。
ひぃっ。
逃げ出した私を捕まえ、ヘッドロックをかけると、力任せに締め上げる。
「いっ、痛い、痛い、痛いっ! ご、ごめんなさい。琉香さん! 作り直すからー!」
悲鳴を上げた私を解放して、琉香さんは満足げに微笑むと、
「最初から素直にそう言えばいいんだよ。うさぎ」
と言って、席に戻った。
「またやっているの? 琉香、あまり莉兎を虐めるなよ」
おぉ。救いの天使がやってきた。
神々しく輝いている瑠偉兄に、私は眩しさのあまり目を細めた。
同じ顔なのに、なんでこうも違うんだろう。
ちらっと琉香さんを見ると、全身を取り巻くどす黒いオーラ。真っ黒だよ、真っ黒。
きっと、細胞分裂したときに、瑠偉兄は善を、琉香さんは悪を掴んだんだろうな。
「何見てんだよ、うさぎ」
低く囁く琉香さんの口から牙すら見えて、私はパッと目を逸らした。
「別に。今から作り直すから。瑠偉兄のも一緒に作るね。昨日はずいぶん遅くまで仕事していたんでしょ? 大丈夫?」
瑠偉兄は大学生でありながら、NPO法人を立ち上げて、子どもの健全育成を図る活動をしている。「聖人君子」とは、彼のためにある言葉だろう。
「あぁ、大丈夫。今日は大学午後だけだし。僕はこれ食べるから、いいよ」
瑠偉兄は先ほど琉香さんが手を付けずに押し返した皿を見て微笑んだ。
もう、瑠偉兄ったら、本当に優しいんだから。
「それちょっと焼き過ぎちゃったから、きっと美味しくないよ。作り直したの食べて」
「莉兎の作ったものなら、何だっておいしいよ」
やん。
極上の甘い笑顔に、キュンキュンしてしまう。
すると、突然、琉香さんがバンと机を叩いた。
「おい、ブス。てめぇ。俺には焼き過ぎたものを出しておいて、瑠偉には作り直すとか、ふざけんなっ」
人徳の違いだ、バカ。
それは声には出さず、私は後ろを向いて、料理を始めた。
琉香さんがいなくて、瑠偉兄だけだったら、素敵な二人暮らしなのになぁ。
デビルがいるおかげで、プラマイゼロだよ。
「あ。卵割れちゃった」
フライパンに落とした卵につぶやくと、
「ざけんな、ブス。二度も失敗してんじゃねー」
「崩れたって味は同じだから大丈夫だよ」
と同時に声を発した双子の兄弟。
その言葉は正反対で、ホントに天使と悪魔だなぁ、なんて私はしみじみと思ったのだった。
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