ベージその3 初めまして、異質な世界。
緊張と不安と何もわからない一日目は終わり、二日目の朝がやってきました。
寒い。
痛い。
疲れた。
寝起きの感想はそれです。
まだ日も昇っていない薄暗闇の中。僕は目が覚めました。
あんなにユラユラと燃え盛っていた炎は、今は見る影もありません。寒かったのはきっとそのせいでしょう。
思い出したわけではありませんでしたが、きっと人生で最悪の目覚めだったと実感できます。なんとなくそう思いましたし、そうであって欲しいと願います。
目をこすりながら体を起こそうとすると、不意に体が重く感じました。
寝起きだからか、それともやはり心労がたたっているのか。
なんとなく憂鬱になりながら目線を落とすと。
そこにはシライさんがいました。
いえ、シライさんがいるのは当たり前なんですが。特筆すべきことではないんですが。
重要なのは、そのシライさんが僕の腕にくっついているということ。
女の子特有の柔らかさとか、肌のすいつきとか、こんな時でも甘くていい匂いがするとか。
一定のリズムで動く胸元とか。その大きな胸元とか。ちょっと当たっている胸元とか。
唇から漏れる寝息とか。強くもなく、けれど弱くもないその絡めとられた腕とか。
あと・・・・・あと・・・・・・。あ、いや、もう止めときましょう。
とにかく、なんだか色々なことが頭の中をかけ巡りました。
困惑していた。そう言い換えても差し支えはないでしょう。
「・・・・・・?」
わたわたと世話しなく動揺していた所為か、シライさんは目を覚ましました。覚ましてしまいました。
目を覚ましてくれてホッとしたような、ちょっと名残惜しいような。
「・・・!!!」
たっぷり三秒ほど、間をあけて現状を認識したのか、シライさんは顔を真っ赤にしながら勢いよく僕から遠ざかっていきました。
その反応にちょっぴり傷つきながらも、なんだか安心したというか。こんなラッキー自分には荷が重い。器が小さいというかなんというか、自分でも呆れる時があります。
「——————————///」
シライさんは完全に背をこっちに向けてしまいました。なんだか申し訳ないです。
「んー、なあにー?」
あんまり言葉を発していたつもりはありませんでしたがどうやら騒がしくしてしまっていたようです。
お嬢さんを起こしてしまいました。
「・・・」
お嬢さんもたっぷり三秒。間をあけます。
なぜなら、お嬢さんの隣にはぴったりとくっついたヒカルさんがいびきをかきながら気持ち良さそうに寝ていたからです。
「」
「ぐげぶ!!」
その現実にお嬢さんは不愉快になったんでしょう。
冷めた瞳で眠っている無防備なヒカルさんのボディを執拗に攻めていました。
「ちょ!タンマっ!なに!?ぐえ!」
問答無用。
そんな言葉が頭に浮かぶほどに、それは凄惨なものでした。思わず顔を背けるくらい。
それほど嫌悪すべきものだったんでしょう。
やがて、粛清は終わり、お嬢さんは冷めた瞳のまま二度寝しました。
「———————————、」
恐る恐るヒカルさんを見ると、ヒカルさんもまた寝ていました。
まあ、もう起きることはないかもしれませんけれども。
「あっちじゃなくて良かった」
思わず、声に出してそう言ってしまいました。
しばらくするとまた、静脈が帰ってきます。
皆それほどまでに疲れていたのでしょう。毛布も布団もないただの洞窟で、ぐっすりと眠っていました。
一度起こしてしまったシライさんも、今は僕から距離を置いて寝ています。
お嬢さんもヒカルさんもカネコさんも、クルマ君も小学生のような女の子も皆寝静まっていました。
けれど、その輪に僕は入ることができません。
なぜか眠れない。一度起きてしまった今、眠気が迷子になってしまったかのようでした。
頑張って眠ろうとしましたが、上手くいきません。
仕方がないので起きていることにしました。
ただ起きていてもつまらないし、他の人を起こしてしまったら悪いので僕は散歩に出かけることにしました。
散歩といってもそんな悠々自適なものではありません。
外は今、激しく身を打つほどの雪は降っていませんでしたが、それでも洞窟内部より冷えることは確かです。
ザクザクと雪を踏みしめる感覚にバランスを崩しそうになりながら、僕は歩きました。
キョロキョロと視線を彷徨わせて、何かないかと探します。
つまるところ、僕は何かを探していました。
その何かとは、何であるのか具体的なものなどわかりませんが、ただ。
役に立ちたい。僕の胸にはそれしかありませんでした。
カネコさんに褒められたとき、僕は恥ずかしさもありながら、それでもやはり嬉しかったのです。
だから、もう一度、褒めてもらいたくて。
僕はその一面の銀世界を歩いていました。
歩いて。
歩いて。
歩いて。
見つけたものは、結局ありませんでした。
それもそのはずでしょう。たかが僕程度が数分歩いた程度で何かを見つけられるくらいならカネコさんたちが昨日のうちにとっくに見つけているはずです。
唯一あったのは近くに小さな雑木林。
それもほとんど雪に埋もれていてあまり意味はありません。
それでもまだ歩いていたのは、自分の中の何かが解消できていないからでしょう。
昨日、湧き水を見つけたのは本当に偶々です。僕が行こうと行くまいと結局それは見つかっていたでしょう。
だけど、褒めてもらえて、自信というものが少しできてしまった。
そしてそれは、きっと過信と呼ぶべきものだった。
だから、この結果に。この当たり前の結果に僕は満足できなくなってしまっていた。
ただそれだけの話です。
「よお、リタ。散歩、にしちゃ地形が悪すぎるぞ」
「カネコさん・・・・」
結果、何も見つけられずに洞窟に帰ると、いつの間にか、目の前にはカネコさんがいました。
入口のところにドカッとあぐらをかいています。
「どうしたんだ?浮かない顔して」
「・・・いえ、別に」
「そうか?今なら誰も起きてこないようだし、秘密の話ができるんだがな」
明朗に、そして快活に笑うその笑顔に、僕はなんだか後押しされるようで。
「僕は、役に立たないな。と思って」
「そんなことはないさ、湧き水を見つけてくれたじゃないか」
「あれは、別に僕じゃなくてもその内見つけられていました」
「そうかな。俺は見落としていたけれどね」
「それは、カネコさんはあの時安全かどうか見に行ったんでしょう?」
「そうだけどね、見落としていたことに変わりはない」
「僕は、カネコさんのように体も大きくないし、誰かを安心させることもできないし、皆を引っ張って行くこともできないから。ダメなやつなんです僕は」
「————————、」
話せば話すほど、陰鬱な空気になっていきます。別に、そんな空気にしたかったわけではなかったのですが、自然とそうなっていってしまいました。
不安、焦り、怒り。
あの日、あの時、あの場所で、目覚めてから僕はずっとこうでした。
元からこういう性格だったのか、それともこの状況下でこうなってしまっているのか、それすらわかりません。
わからないという事実が、酷く嫌でした。
自分のことのはずなのに。
「リタは、記憶は?」
「・・・・ありません」
「俺もない。東京で引っ越し業者をやっていたということはわかるんだが、どんな同僚がいて、どういう生活をしていて、どういう人間だったか。わからないんだ」
それは、僕と一緒でした。
「リタは、俺に憧れてくれているようだけど、俺に言わせればリタのほうが俺はすごいと思っている」
「・・・・なんで?」
「だって、君は知っているじゃないか。自分が弱いということを。記憶がなくてもちゃんと知っている。そういう人間は凄いよ。俺なんて本当は不安なのに自分を騙しながらやってる。本当は凄いやつなんだって思いたいんだ」
その顔は、嬉しそうでも、悲しそうでもなく。
やっぱりどういう感情なのか、僕にはわかりませんでした。
「だから、俺なんて君に憧れてもらうような、そんな大層な人間じゃないんだよ。君は俺になんかならなくていい。いや、なっちゃダメだ」
それは、何かを悟ったようなしっかりとした否定の言葉でした。
僕はよく意味が分からなくて、ただの謙遜にも思えず伏し目がちに下を向くしかありませんでした。
肯定も、否定もできませんでした。
「お、日の出だ」
その言葉に、僕も顔をあげます。
ゆっくりと昇っていく太陽はその歩みなど我々には感じられません。
けれども、昇っている。
こんな時でも日は昇るんだと、そんな当たり前のことを思いました。
ひとまず僕とカネコさんはもう一度火を起こすべく焚き木を拾いに行きました。
先ほどチラリと見た林にはそれまでと比べると些か少ないですが、やはりそれでも雪が積もっていて、枯れ木や枯れ葉はその下に眠っています。
けれどこれは湿っているので最初に火をつけるには適しません。なのでまだ湿っていない木の上や雪の上のものを優先的に取っていきました。
「カネコさんは物知りなんですね」
「言ったろ、サバイバル的なものが好きなんだよ」
でもやっぱりカネコさんは凄い。僕が知らない知識と、僕にはできない行動力がある。憧れるなとは言われたけれど、僕はやっぱり凄いと感じずにはいられませんでした。
この地域に四季があるのかどうかはわかりませんが、この寒さにもかかわらず木を見るとまだ枯れていなかったり、つけている葉がすべて枯れているものなど様々な木が生殖していました。
この地域はあの寒さでまだ本格的に寒くなってはいないのかもしれないと、その時は思いました。
とりあえず少しばかりの木を拾って洞窟に帰ると、まだ皆寝ていました。
いや、よく見ると一人だけ起きています。
シライさんです。
「あ・・・・・」
僕を見ると、顔を真っ赤にして目を逸らされました。
若干の気まずい空気。
カネコさんはそんな空気をものともせずに大声で他の人を起こします。
各々、あくびをしたり伸びをしたり、体をほぐしたり。
なんとなく朝なんだと、そう実感しました。いや、変な話であるのは重々承知しているのですが。
皆で顔を洗って、焚き木で体を暖めて、そして、その洞窟を僕らは出発しました。
「街までどれくらいあんだ?」
「そんなの私が知るわけないでしょう」
「というか、本当に街なんてあんのかよ」
「だ・か・ら!そんなの私が知るわけないでしょ!?大体街があるって言ったのはアンタよね!?」
「俺じゃねえよ!カネコさんが言ったんだ」
後方でヒカルさんとお嬢さんは口喧嘩。そのもっと後ろに一人でいるのがクルマ君。その近くに潜んでいるといった表現がぴったしな小学生くらいの女の子。そしてシライさんは僕と一番遠くに離れて、お嬢さんのすぐ後ろにくっついています。
一番前で、道を作っているのがカネコさんでした。
僕はというと、そのちょうど中間あたりでカネコさんの足跡を追うように歩いていました。
ザクザクと雪を踏みしめる音が、僕の身の内に木霊します。
段々と意識が朦朧としていく中で、最初は元気だった後ろの二人も次第に口を開く回数が減っていきます。
昨日はここで洞窟を発見できましたが、今日はどうやらそうはいかないようです。
こうやってただ歩いているとやることといえば思考することしありません。
そして、この状況下でそれはあまり良い事とは言えませんでした。
きつい。 いつまで歩けばいいんだろう。 寒い。
疲れた。 後ろうるさい。 もう歩きたくない。 まだ?
なんで?
痛い。
本当に、街なんてあるのだろうか?
きっと、それはいけないことでした。
考えてはいけないことでした。
けれど、考えてしまった。本当に、この先に街はあるのかと。
自分のことも何もかも思い出せていない、わからないこの僕が、この先に街があるのだと確信することなどどうしてできましょうか。
カネコさんが言ったから。だから僕らは歩いています。この先に街があるのだと信じて。
カネコさんが言ったから。かろうじて僕らはまだ、不満を言わずに歩くことができている。
カネコさんが言ったから。だから、僕らはあの洞窟を捨ててまでこうして歩いている。
カネコさんが言ったから。
思考は堂々巡り。出口のない迷路に入ったような、そんな絶望感が刻一刻と僕を蝕んでいきます。
でもきっとそれは僕だけじゃなくて、皆そうだった。
皆、口には出さずとも絶望感におしつぶされそうだった。
もう、口喧嘩ですら聞こえてこない。沈黙が場を支配して何分たったのでしょうか。歩き始めて何分たったのでしょうか。
時計もない、誰も時間など把握していません。
唯一の救いは、今日は昨日ほど吹雪に見舞われていないということでしょうか。
気分を変えようと空を見上げます。
空は雲一つない快晴で良い天気ではあります。
せっかくの良い天気なのですから、良いことがあっても良いのではないか。そんなロマンチックなことを考えました。
考えただけで、良いことなどは起こりませんでしたが。
やがて太陽も真上まで昇ったころ。
歩いて歩いて、歩いていると。ふと、違和感が襲います。
その違和感は、足元から襲ってきました。
雪。
そう、雪が、確実に、薄くなっているのです。
先ほどまでは足首が埋もるほどどっぷりと積もっていた雪が、今では靴底ほどまで下がってきています。
見渡す景色に変わりはありませんが。相も変わらず雪ばかりですが。
ですがしかし、その確かな変化は、僕らの歩く理由になるには十分でした。
「おいおい!これはもうホントに近いんじゃねえの!?」
「なによ。まだ雪が少なくなっただけじゃない」
先ほどまで黙っていた二人が、喋りだした。ほんの些細なことですが、それでも空気が変わったことが救いでした。
その後も、喋ったり、喋らなかったり、変化があったり、なかったり。
何も知らないこんな世界で、何も知らない相手と、一喜一憂しあう。こんな変なことはありません。
が、不思議と、嫌な気分ではありませんでした。
全部を思い出したわけではありませんでしたが、僕の人生でこうやって誰かと何かを共に成すことがなかったから。だからこんな変なことでも僕はそれほど嫌悪感を抱いていたわけではなかったのでしょう。
そうはいっても、流石に歩き疲れ。
「もう無理。歩けない」
「お嬢」
誰かがそう言うのは必然だったでしょう。
ただでさえ、薄着のお嬢さんです。今はカネコさんが自らの服をお嬢さんに貸しているとはいえ、この場の誰よりも寒いのはお嬢さんのはずです。
であれば、一番体力の消耗が激しいのもお嬢さんで間違いないでしょう。
「・・・・仕方ない。俺がおぶろう」
だから、お嬢さんが音を上げたのは致し方ないことであり、ある種、想像できたことです。
ですが、カネコさんがそう言うことは、僕には想像できませんでした。
音を上げたのはお嬢さんでしたが、他の皆も限界なのは火を見るよりも明らかです。
そんな中、いくら女性とはいえ、人一人を抱えていくほどの余裕はないはずでした。
「・・・・・い、いいわよ」
それを、お嬢さんも理解していたのでしょう。特にカネコさんは今まで他の皆よりも動いています。次に体力の限界が来るのは彼かもしれません。
「いや、ダメだ。この中で君を担いでこの先を歩ける人はいない。ほら」
そう言って、カネコさんは有無を言わさずに、お嬢さんをおんぶしました。
そして、何事もなかったかのように、また歩き始めます。
先と、寸分違わぬスピードで。
かっこいい。
ただ、僕は素直にそう思いました。
今まで、自分が何に憧れたのか覚えてはいません。が、今までのどんなヒーローよりも、今までのどんな大人よりも。
ただ、ひたすらにかっこよかった。
そう、確信しました。
やがて、そのカネコさんの行動が実を結んだのかわかりませんが足元を覆っていた雪もなくなりました。
進んでいくのはまるで獣道。ですが、確かに、微かに人が通っているような。そんな気配。
足は、依然として重いまま、まるで棒のように固く、筋肉の節々が悲鳴を上げています。それでも気持ちはだいぶ楽になりました。
その事実と、先を歩いていたカネコさんの言う通りだったと、信じて良かったという思いで一歩、また一歩と進んでいきます。。
そして————————。
僕らは、完全な道に出ました。
まだまだ荒いですが、それでも前よりも確実に道でした。
そして、続け様に聞こえてきます。ガラガラと、車輪の音が。
「46z!32@<5d@75tbk7¥4!g84ⅰsv@w@whyd@7<5!」
車輪の音が、くっきりとした輪郭を表します。
それはダチョウのような、見たことない生き物。ただ、不完全な記憶の底に眠っているだけかもしれませんが。
何を喋っているのか、いまいち聞き取れません。
そして、それ以前にもっと驚くべきこと。
それは。先の声を発した人物。
いえ、それは人物では、人間ではありませんでした。
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