ベージその2 さようなら、僕らの世界。
雪原、見渡す限りの雪の山。
僕らは暗い暗いその部屋から、ようやく外に出ることができました。
外に出れば何もかもが解決するんだと、そう思っていました。
けれど、その幻想は、その希望は、あっけなく散ることになります。
一面の銀世界、見渡す限り人はいません。
「・・・・・なんじゃこりゃ」
そこで僕は、いえ、ここにいる全員がようやくお互いの姿を認識しました。今までは暗すぎて顔もよくわからなかったから。
ヒステリックな声を上げていた男は先ほどまでの金切り声ではなく、驚愕に目を見開いていました。髪を金色に染め、ピアスをいくつも開けて、その声の印象とそう違わない格好をしていました。
「ここは、日本なのか・・・?」
今まで、皆を引っ張って勇気づけてきた男。大柄で黒髪の短髪。精悍な顔つき、爽やかなスポーツマン。そんな印象でした。
そんな安心できていた声が、不安に戸惑っているのがわかるほど、僕らは揺れていました。
そして、そんな不安は皆に伝染していきました。
ここはどこなのか。これからどうすればいいのか。そしてあの部屋よりも、また一段と寒い。
結局、外に出ても疑問も不安も、変わることはありませんでした。
そういう僕も、不安といえば不安でした。
ただ一つ違ったのが、僕はその時日本という場所を思い出していたのでした。
男の一言で、日本という場所、景色、背景。そういったものが頭の中で鮮明に映像として映し出されていきます。
けれど、思い出せたのはそこまででした。
僕はそこにいた。日本という場所にいたことは理解としてあります。
けれどそこから先がわからない。具体的に日本というどこに住んでいたのか、家族は?生活は?友人はいたのか、恋人は。
どういう性格で、何が好きで、何が嫌いで。
そういう具体的なことは、根幹に迫る部分は。依然、霧に包まれたようにはっきりしません。
「とにかく!こうして外に出られたんだ!ここにいたってしょうがないし、進もう!」
「進むって、どこによ」
「それは・・・・・」
その声は扉を見つけた女の声でした。
茶髪の髪を腰まで伸ばし、けれど身なりはボロボロ。薄い服が一枚だけ、肌もいろんなところが露出していました。今にも凍傷を起こしそうなほどに。
周りを見ても、その女の人と似たり寄ったり。厚着をしている人はあまりいませんでした。
かくいう僕はというと、長袖の黒い制服。学ランを着ていました。
そこでまた僕は思い出します。
中学のこと、あまり友達と呼べる人間はいなかったこと。彼女なんて考えたこともなかったこと。勉強だけが、僕の居場所だったこと。その勉強も、そんなに目立つことはなかったこと。
だんだんと、一個一個、噛み締めるように。
「あ、おい!」
リーダー格の男の声で、僕は思考から現実に戻されました。
気づくと、僕ら以外の人達はすでにグループのように自然と偏っていました。
その中の一つのグループが、この雪原から出発しようとしていたようです。
「なんだよ?」
その中の一人、八重歯が印象的な青年が、男の声にこたえます。
「どこにいくんだ。個々で散らばるより、まずはみんなで固まっていたほうが―――――――」
「おいおい、外に出られたのはあんたらのおかげだ。それは認める。だがな、外に出てからのことまでアンタに従う筋合いはない。俺らは俺らで道を決める」
そういうと、その青年と一行は、雪降る景色の向こう側へと、消えていきました。
これは僕の推測に過ぎませんが、きっとあの部屋で話し合っていたのでしょう。ここを出たら、自分らだけで進むと。
その青年たちに感化されたのか、それともやはり前々からそう決めていたのか。
皆、散り散りになっていきました。
ある者は謝りながら、ある者は感謝しながら。またある者は、何も言わずに。
皆、その場を去っていきました。
どうするという具体案も、目的地も何もないままに。
「・・・・・・・・・」
残ったのは、僕含めたった十人もいない。あの部屋からずっと男の周りにいた人達でした。
――――――――僕は、一人では何一つ、決断できませんでした。誰かに付いていくことも、何かを決めることも、何かを成すことも。
ですから、そこに留まったというよりかは、いつの間にかその場所に置き去りにされていたと表現するほうが正しいでしょう。きっと、そうなるしかほかにありませんでしたから。
「これから、どうするの?」
女が聞きます。
「・・・・・とにかく、寒さを凌げる場所を確保しよう」
悲しそうでもなく、嬉しそうでもない。
その顔は、一体どんな感情だったのでしょう。
僕には・・・・わかりませんでした。
とにかく、僕らは進みました。
どちらが南で、どこにいけば人がいて、どうすれば現状を把握できるのか。
何も、わからないままに。
それでも、進むしかありませんでした。進むことしか、できませんでした。
「なあ、自己紹介、しないか?」
歩いて、歩いて、歩いて。それでもまだ歩いて。
歩き疲れたその時に、男は言いました。
それまで、誰も何も言葉を発さずに、ただ黙って進んでいました。そんな重苦しい空気に、耐えられなかったのでしょう。
「はっ、じゃあ俺からだな。名前はヒカル。年は22。つってもそれくらしかわかんねえ。なんかよく覚えてねえんだ」
金髪のヒステリック男が最初にそう言いました。
僕は名前とか年よりも、気になる発言に「あ、あなたも!?」と、つい大きな声を出してしまっていました。
「ん?なに?お前もヒカルっていうの?」
「違いますよ!よく、覚えてないって本当ですか?」
「ああ」
さして不安そうでも、怯えている様子でもない。
さらっと言ってのけるヒステリック男、もといヒカルさんに僕は面食らってしまいました。あの部屋の時のような落ち着きのなさとは打って変わっていましたから。
だから、僕はそれ以上、何も聞けませんでした。
「それで?お前の名前は?」
「あ、ああ。福谷利太郎。です。年は14です」
俯きがちにそう答えて、それから順番に自己紹介は進んで行ってしまいました。
僕の不安が、解消されることはなく。
「私は、名前、覚えてないの。だからはい。次」
薄着の女がそう言って自己紹介をパスする。
「あ、あの。シライリサです。年は・・・わかりません」
ずっと、隣にいた女の子。黒く長い髪が目元を隠してしまっていて表情はよくわかりませんが、おどおどと、常に何かに怯えているようでした。 その時も、皆の視線から僕の後ろに隠れるように。
「友達か?」
「いえ・・・・」
快活に笑う男に僕は否定します。
僕より年下か、よくて同い年くらいだと思うその女の子は、僕の学ランの裾をきゅっと握りしめます。その感覚は、でも確かに、悪いものではありませんでした。
頼られているという感覚と、人とのつながりは、僕の中の不安を幾ばくか消してくれるものでした。
「最後は俺だな。カネコユウトだ。覚えているのは東京で引っ越し業者をしていたことくらいだな。俺も皆と同じでそれくらいしか覚えてない」
そうして最後の自己紹介が終わりました。
そして分かったことが一つ。
皆、程度はあれど何かしら、記憶障害が起きているというとこです。
自分の経歴や、思い出から、果ては自分の名前さえ思い出せないという人まで。様々でした。
理由なんて誰一人わからないまま。それでも前へと進みます。
いや、本当は前かどうかもわからない。道にすらなっていないような所を、それでも。
進むしかありませんでした。
まるで、なにかから逃げるように。留まったら、その瞬間に、死んでしまうかのように。
ザクザクと雪を踏みしめ、空から降ってくる雪を追い越すように歩きます。
ここはいったいどこなのか、本当に前に進んでいるのか。この先に人はいるのか。なぜ、自分らはあんなところに閉じ込められていたのか。
歩けば消えると願って進んだけれど、その疑問は消えるどころか、むしろ募っていくようで。
そしてそれは、当然、僕だけじゃなく。
みんな、限界でした。体力的にも、精神的にも。
だから、そのときそれが見つかったのは奇跡だったでしょう。
奇跡、幸運、日ごろの行いが良かった。
理由なんて、なんだってよかった。
「おい!洞窟だ!」
その声を上げたのが誰か僕はわかりませんでした。意識が朦朧としてたんだと今ならわかります。
だけどはっきりと、その言葉通り洞窟を見つけたときには、僕は大きな声をあげて。皆、嬉々とした声をあげて中にはガッツポーズする人までいました。
喜びのムードの中、皆を静止したカネコさんは冷静で。洞窟にただ一人調査しに入って行きました。
数分か、数十分か、わかりませんが、とにかく僕らは待ちました。カネコさんが待てというのだから待つ。それほど、その時の僕らはカネコさんを信頼していました。
程なくして、カネコさんは出てきました。
頭上に大きなマルを作って。
「よっしゃ!」
とりあえず、今夜の宿が決まったようでした。
洞窟の中は比較的快適、とまでは言えませんが極寒の中行き倒れるよりは万倍マシでした。
外よりもいくらか暖かく、なにより風に吹かれないというのがこれほど有り難いと思ったことはきっと生涯でこの時だけでしょう。
ただ、食料もなければ、毛布もない。暖かいとはいえ、それは雪降る外よりはという話です。やはり暖をとる必要がありました。
ということで、男たちは焚き木をするべくなにか燃えそうなものを拾いに行きました。
残ったのは僕と、シライさん。そして名前を覚えていないという女の人。他には、扉を開けた張本人である青年、確かクルマ マヒルと名乗っていたような気がします。や、小学生くらいの女の子。この子は自己紹介の時、喋らなかったため名前がわかりませんでした。僕らもそれ以上深くは聞き出しませんでしたし。
「ねえ、ただ待ってるのも暇だし。この洞窟探検しましょうよ」
「・・・・・・」
「パス」
「」(フルフル)
「・・・じゃ、じゃあ」
僕以外の三人は行く気が無いようだったので、仕方なく、僕は手を挙げました。
「うーん・・・一人?ま、いっか」
納得したような、していないような。曖昧な返事。
「はいじゃあレッツラゴー!」
妙にテンションが高い。どこにテンションあげる要素があったのでしょうか。
そんな女の背中に付いていこうとすると、不意に、後ろから重力がかかった。
「・・・・・・、」
「シライ、さん?」
不安そうに揺れ動くその瞳。
その瞳は、一人になるのが心細いと、そう言っていました。
「大丈夫だよ、ちょっと行って来るだけだから」
今度は、ちゃんと言えました。安心させたくて、ちゃんと言葉が出てきました。
「いいのー?彼女置いてきちゃって」
「か、彼女!?///」
「違うの?」
「違います!」
「いやー初々しいねー、青春だねー」
完全にからかわれていました。
ケタケタと笑う女の人に、僕は尋ねます。
「あ、の。名前、覚えてないって本当ですか」
「うん。覚えてにゃーい」
軽い。あまりにもその答えは軽かった。
それでも。
「僕も!覚えてないんです。家族のこととか、人生の、思い出とか。どういう人間でどういう性格で、どういう生活を送っていたのか。思い出せないんです」
皆がいる時には言えないことも、その時なら言えました。言わないと自分が爆発しそうでした。一人では、抱えられませんでした。
不安で。
不安で不安で不安で、不安で。
わかることなんて指折り数える程度。わからないまま、前に進めませんでした。
不安に押しつぶされそうでした。
口に出したことが、なおのこと。
けれど心のどこかではきっと、解決はしないんだろうと思いつつ。
「へー。皆、記憶があやふやなのね。ま、そのうち思い出すんじゃない?」
「・・・・・・はい」
やっぱり、願った答えは得られませんでした。
けれどそれも、致し方のないことでしょう。
だって、当の本人である僕が。その願ったものが、願った答えが、どんな願いだったのかわからないのですから。
どんな答えを得れば安心するのか、わからないのですから。
その後も、何を話したのかよく覚えていないほどただ適当に会話を重ねていきました。
「あ、水」
幸いなことに、洞窟には湧き水がありました。
歩いて数分。人二人分ほどの小さな窪みに、水が沸いていました。
「わー、ラッキー。丁度喉乾いてたんだよね」
女の人は、顔を近づけて躊躇いなくその水を飲みます。
「だ、大丈夫なんですか」
「うん?ああ、まあ平気よ平気。変な味はしないわよ?」
いや味の問題ではなく、衛生的な問題からそういったのですが、伝わったのかそうではないのか、イマイチわかりません。
とにもかくにも、ひとまず水を見つけられたのは喜ぶべきことでしょう。
先行きが不透明な中、ひとまず優先すべきは寝床と食料とそして水でしたから。
だから本当に、この洞窟を見つけられたのは不幸中の幸いでした。
それ以降は、少し歩くと行き止まりで、他に大した発見はありませんでしたが。
「おお!水場があるのか!それは有り難い」
カネコさんに報告すると、わしゃわしゃと頭を撫でられました。なんだか従兄弟のお兄ちゃんみたいだと、その時思いました。
カネコさんたちは枯れた木の枝や、木の葉とともに帰ってきました。
辺りはもう真っ暗。空を見上げると、満点の星空が綺麗だと、そう感じました。そんなことを思うほど、余裕があったとは思えませんでしたけど。
でも、確かに感じたのです。こんな時でも、夜空は綺麗だと。
「どうやって火起こすんだ?」
「ライターならあるぜ・・・・あれ?点かねえな」
「大丈夫だ。石でできる」
そう言うとカネコさんはそこらにあった適当な石をぶつけて火花を散らします。
やがてパチパチと燃え盛る炎。暖をとることには、成功しました。
「すごーい。カネコ君って何でもできるのね」
「何でもはできないよ。サバイバル好きでそういう知識があるってだけだ」
「はっ。あいつらもこっち来ればよかったのにな!今頃凍え死んでんじゃねえの?」
「おい、ヒカル。滅多なこと言うなよ」
「す、すまん」
炎を中心に、皆思い思いに距離を取ります。
「・・・・・・」
「シライさん、寒い?」
「え、あ。・・・・ちょっと」
あたふたと目線を泳がせて、最終的には顔を埋めてしまいました。
そんなシライさんは、やっぱり寒そうで。
「・・・・あ」
僕は、彼女に学ランを上からかぶせました。
「・・・ありがとう」
「うん」
何かしたい。ただ、その気持ちだけの行動でしたが、感謝されるのはやっぱり良いものでした。
「で、明日からどうするのよ?」
お嬢が尋ねます。
ああ、お嬢というのは名前が思い出せないという女の人のためにカネコさんが付けた仮の名前です。いつもでも名無しじゃあ不便でしたから。
「とにかく、人のいる街を目指そう。さっき枝を拾っているとき、人の痕跡のようなものもあったから。きっとそう遠くないところに町があると思う」
そう話すカネコさんの声は、期待に満ちていて、自然、僕らの中にも希望や期待が大きく膨らんでいきました。
まるで、ゆらゆらと揺らめく炎のように。
「ねえー、お腹空いたー」
「うるせえな、黙ってろよ」
「アンタに言ってないわよ金髪。ねえ、カネコ君。なんか食べられそうなもの持ってないの?」
「悪い、生憎そういうのは持ち合わせてないんだ。食料になりそうなものも見つけられなかったし」
落ち込んだような様子。だけどそれも一瞬で。
「だから、リタが水を見つけてくれたのには本当に助かった。ありがとな」
リタ。利太郎だから、リタ。そう呼ぶのはカネコさんだけで、ていうか、僕みたいな地味な人間の名前を呼ぶのなんてカネコさんくらいです。
「い、いえ。僕は、何も・・・・」
そんなカネコさんに褒められて、僕は嬉しいような、恥ずかしいような。変な気持ちでした。
あんな風に皆を引っ張って、リーダーシップがあって、輝いているような人に認められているような気がして。
「そうよー、私だって一緒だったんだから」
「ああ、お嬢もありがとう」
でもやっぱり、カネコさんは皆のリーダーなので。
僕以外にも頼られていて、僕以外にも信頼があって。僕よりも何倍も頼もしい。
「さて、そろそろ寝よう。明日は体力がいるからな」
「えー、お腹空いて寝れなーい」
「ゴチャゴチャ言うんじゃねえよ、お前は」
「ふふ」
あ、笑った。
初めて、シライさんの笑顔を見ました。
「っ~~~!!」
そんな笑顔を僕に見られたからか、髪から覗く瞳が合うと顔を真っ赤にして体を反転させます。
なんだか得をしたような、そっぽを向かれて、残念なような。
布団なんてない。地面は硬くて体は痛いし、洞窟の向こう側は何もないと分かっていても不気味だし。
最低最悪のはずなのに、不思議と僕は嫌な気持ちはしませんでした。
それどころか、きっとその表情は笑っていたことでしょう。
シライさんの背中を見ながら、僕は、ゆっくりと目を閉じました。
・ ・ ・
これが、僕の、僕らの一日目。
色々あったようで、それでも思い返すと、この手記のたった二ページほどに収まってしまうものなんでしょう。
短いのか長いのかは、よくわかりませんが。
とにかく、この手記は続けていくことにします。なにせまだ始まったばかり。
そう、ほんの些細な。まだたった一日の出来事ですから。
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