ベージその8 おはよう、燃える太陽。

 その日その時その場所で。

 僕はこの地で目覚めて初めて、一人になりました。

 あの地下で目が覚めた時も、地上へと脱出した時も、街まで信じて歩いていた時も。

 不安や焦りや葛藤はあったものの、一人ではなかった。一人ではなかったからこそ、ここまでこれた。

 けれど、僕はこの時自ら一人の道を選んだのです。

 怖かったから。

 自分が犯罪者なのだと思い出して、自分がどうしようもないクズだと思い出して。

 そのことがお嬢さんやヒカルさん。そしてシライさんにバレてしまうのが、とてつもなく怖かったのです。

 カネコさんのように、一瞬でみんなの信用と好意を裏切ってしまうのが怖かったのです。

 だから、僕はそうなる前に、自分が傷つく前にパーティーを抜け出しました。

 勿論、こっそりと。

 







 そうして、僕は一人になりました。

 一人になって初めて、カネコさんの重みがわかりました。僕はこれからどうしたらいいのか、てんで思いつきません。

 思えばいつも、誰かに頼っていました。

 思えばいつも、誰かの後ろについていくことしかしませんでした。

 それだから、いざ、自分で何かを決めることができない。

 つくづく、自分というやつが嫌になります。

 誰かに道を照らしてもらわないと、進むことすらできない自分に。

 そんな自分は嫌で、引き返すのも嫌で、意地を張ったように僕は歩を進めます。

 幸い、あの通訳さんたちが暮らす大きなお屋敷からここ周辺の地図を貸して、というか盗ってきました。なので、もう道に迷うということはありません。

 ローブを羽織り、灯籠を手に、僕は暗がりの中を進みます。

 目的も、目標も、夢も希望も何もなく。

 ただ、恐怖から逃げるように。僕は歩きました。

 遠くへ行きたかった。シライさんたちに合わないような。そんな遠くに。

 この街に入った時とは逆方向から僕は街を後にしました。

 辺りはまだ日が出ておらず、草原が風になびくばかりです。

 僕らが目を覚ました場所は寒くて、道という道もなかったのに。たった百八十度違うだけで、こんなにも風景が違うものでしょうか。

 途中、街で買った乾物を食べながらそのお世辞にも美味しいとは言い難い味に顔をしかめます。

 カネコさんがいなくなって、討伐の報酬金額が一人頭増えました。だから、今はお金には困りません。

 隣街までは、歩いてどのくらいなのでしょう。地図があるとはいえその距離まではわかりませんでした。

 歩き疲れ、道端で休憩していると、若干の後悔が襲ってきました。もうちょっと計画性を持っておけばよかったと。

 本当に、衝動のままに飛び出してきてしまいましたから。

 それでも、あそこにいるよりずっとましか。

 そう思えるほどに、今の僕にとってあそこは苦痛でしかありませんでした。

 







 歩いていても埒が明かないと思い僕は最初の街に着いたときのように荷車を利用しようと思いました。

 しかし、当然ながら荷車を引いているのは怪物だらけです。

 草原には、時折荷車が通過します。

 そのどれもがやはり、怪物でした。荷車に乗っているのも、荷車を引いているのも。

 ああいや、引いているのは怪物というよりは小動物ですが。

 小さい小鳥のようなものが四匹。荷車の共通点です。あの小さな体のどこに自分の体の何倍もある荷車を引いていく力を宿しているか興味はあります。

 が、今はそんな事どうでもいいのです。

 とにかく、僕は勇気を振り絞ってこれから隣町へと行こうとしている荷車を引き留めるべく、タイミングを見計らっていました。

 けれど、通り過ぎる荷車のそのどれもに僕は声をかけることができません。 

 理由など、怖いからに決まっています。

 あの時は、皆がいたから怖かったけど荷車に乗り込むことができたのです。

 一人じゃとてもじゃないけど荷車を止めて、意思疎通を図って、隣町まで運んでもらうなんて無理。

 どうしようかと、おろおろと歩いているとまた荷車を発見しました。

 その荷車は他とは違いました。

 他の荷車はグングンと先を急いでいるのに対して、その荷車はなぜだか止まっていました。

「?」

 不思議に思って、近づいていきます。

「あー!くそ!ぬかるみにハマりやがった!!」

 それは、聞きなれた言葉。けれど、聞くはずのない言葉でした。

 その言葉に僕はまるで樹液に集まる虫のように、吸い込まれるように近づいてしまいます。

 この世界に人間はいない。ならば、その声の正体は?

 疑問を抱えたまま、恐る恐る近づきます。

「ちっくしょう!早く荷物運ばなきゃいけないってのに」

 どうやら、荷車がぬかるみにハマって動けないようです。

「手伝い、ましょうか?」

 僕は見るに堪えなくなって、つい、そう声をかけてしまいました。

「うん?」

 くるりと、頭を抱えていたその人物が振り返ります。

 ウサ耳?と思しきものが頭に乗っかり、お尻にはちいさなしっぽがモフモフとした僕よりも背が高い女性。

 人間だと言われればそうなんでしょうが、その頭としっぽがコスプレ等ではないのだとしたらやはり、純粋な人間ではないのでしょう。

「おお、なんだ人間か」 

 その反応に僕は面食らいます。だって、この世界には人間は滅んでしまって、いないはずです。

 だからこそ、街で僕らは捕らえられ大騒ぎになったのです。

 それなのに、僕の目の前にいる女性は瞬き一つせずに当たり前のように僕を認識します。

「・・・・人間に会ったことがあるんですか?」

 だから、僕は聞きました。いないはずの人間に会って冷静なのは、人間がいると知っているから。ということは、既に僕以外の人間と会っている可能性が高い。そう判断してです。

「ああ、ほんの数日前にな。八重歯の生意気な男だった」

 ああ、その特徴には心当たりがあります。きっと、地上に出て最初に僕らとは別行動をとった男の人のことでしょう。

 そして、そのことは一つの事実を僕に示していました。

 生きていた。

 そう、生きていたということです。

「あ、あの!その人たちのこと教えてくれませんか!?」

「はあ?」

「荷車、押すの手伝いますから」

「・・・・・・」

 しばし、女性は考えてから。

「よし、まあいいだろう」

 そう結論付けてくれました。

「せーの!!」

 ぬかるみにハマった荷車を、二人で後ろから思いっきり押します。

 隣で荷車が通過していく台数が段々と少なくなっていったとき。

「やった!!」

 ようやくぬかるみから脱出できました。

「いえーい!」

「い、いえーい?」

 ハイタッチ。パチンと小気味よい音が草原に響きます。

「よし、これで隣町まで行ける。ありがとな。じゃ」

「ちょちょちょ、ちょっと!」

「あん?なんだよ」

「いや、前に会ったっていう人間の話、聞かせてくれるって約束だったじゃないですか」

「ああ。忘れてたな」

 その表情は、本当に忘れていたとでも言いたげだ。ほんの数分前のことなのに。

「まあじゃあ約束しちまったもんはしょうがねえ。乗ってけよ。ここで道草食うほど私は暇じゃないんだ」

 そういって、その女性は荷車の先頭に腰かけて。

「ほら」

 手を差し伸べてきました。

 乗っけてってくれると言うならばそれは願ったり叶ったりです。拒む余地などありはしません。

 その差し伸べられた手のひらを握り返して。

 僕は、荷車に乗り込みました。







「あいつらに会ったのは、東の小規模な村でのことだった。私は見ての通り街から町へと商品を売り渡る流れの商人をやってるんだが、そこには商品の仕入れをしに行ったんだ。そこにあいつらはいた」

 小さな四匹の小鳥ではなく、その女性は一匹の大きなカバ?のようなものの手綱を引いていました。

「私はとにかく驚いたよ。人間が絶滅しているなんてこの世界じゃ常識もいいとこだ。なのに、目の前にはどう見ても人間がいる。ビビったし鳥肌が立ったね」

「あ、あの・・・」

「ん?なんだよ」

「その、日本語は?」

 僕は不思議だった。あの街は決して小規模とは言えない規模の街だったはずだ。

 その街ですら日本語を話せるのは一人だけだった。それもひどくカタコトな。

 それなのに、今まさに女性が喋っているのは流暢な日本語。容姿も相まってまるで人間と喋っているようだ。

「ああ、これか。そのに教えてもらったんだよ」 

「そうなん・・・ですか?」

 あの人たちがどういう性格で、どういう人間なのか僕にはわかりません。があまり良い印象を抱いていなかった僕にとってそれは驚きに値するものでした。

「ああ、元々ちょっと知ってたってのもあるけどな」

 知っていた?あの通訳さんのように考古学などに興味でもあったのでしょうか?

 そんな疑問を彼女は知る由もなく、話を続けます。

「人間ってのはすげえな。あいつらは瞬く間にその村を支配しちまったんだ」

「支配?」

「そう、この世界には上も下もない。それなのに、あいつらは一瞬でその村の頂点に立ったんだ」

「・・・どうやって?」

 支配する。そんな発想僕らにはありませんでした。違う方法、違う道。その道にあの人たちは一体、何を見出しているのでしょうか。

「そりゃお前、知恵と力だよ。あいつらはその村の飢饉ききんと骸獣を駆除したんだ。小っちゃい村ってのもあったけどな」

 知恵と、力。

 その言葉が、僕の胸に反芻します。僕には、そのどちらもありませんから。

「私が行ったのは、ちょうどその頃だな。英雄視されてたから、きっと機嫌が良かったんだろう。私にも日本語を教えてくれた」

 ガタガタと、荷車が揺れて彼女の話が終わります。

 つまりはまあ、経緯はどうであれ少なくともあの八重歯の青年についていった人たちは無事だということです。

「あの・・・一つ聞いても良いですか?」 

「なんだ?」

 そして僕は、ずっと気になっていたことを彼女にぶつけます。

「あなたは・・・・その・・・まるで人間みたいです。でも、この世界には人間は絶滅している。そう僕は聞きました」

 ひた走るカバのような動物も。一瞬で流れていく風景も。

 そのどちらも僕の目には留まらずに、ただ僕は下を向いていた。

 もしかしたら、あの通訳さんが嘘をついていたのかもしれないという、淡い期待を抱きながら。

「ああ、なんだ知らないのか。・・・つっても最初にあったときはあいつらも驚いていたなそういえば」

「や、やっぱり!人間は、いるんですか!?」

「落ち着けよ。私は人間じゃない」

 グワッと思わず前のめりになってしまう僕に、彼女はググイと体を押しのけます。

「いいか。あいつらに説明したことをもう一回お前にもしてやる。めんどいけど一応は恩もあるしな」

「はい」

「まず、お前の言った通り人間なんていうのはもういない。とっくの昔に絶滅した。今この地球を占領しているのは私たちだ。その中には私みたいに絶滅した人間と似たような形をしている者もいるがそいつらはあれだな。いわゆる混血、ハーフだ」

「ハーフって、人間は絶滅したんですよね?」

「ああ、な」

 つまり、その言い方は純粋でないならばまだ生きているということでしょうか。

 目の前の彼女のように。

「人間だって、いきなりハイドーンって死んでいったわけじゃない。ゆるゆるとその数を減らしていってそんで今はもう誰もいなくなったんだ」

「で、でも僕は戦争で絶滅したって」

「そりゃ原因がだろ。考えてもみろ、70億人もいたんだろ?人間は。その全員が戦争で死ぬか?そりゃ詳しいことは私にはわかんないけどさ」

 確かに、僕だってカネコさんだってヒカルさんだって。最初はそんな馬鹿なって、そう思ってたはずなんです。

 いつの間にか、戦争で全滅したんだとそう思い込んでしまっていました。

「で、人間と、そのー、なに?交わったんだよ。ご先祖様たちが。それが私たちってわけ。姿形は人間そっくりだろ?」

 今考えれば、僕らが捕まった時だって一発で人間だとばれたのは元々、人間の容姿を知っていたから。そう考えるのが自然です。じゃなきゃ人間だという発想がまず生まれません。だって絶滅しているのですから。

 なぜ、今の今まで気が付かなかったのでしょう。

「じゃ、じゃああの怪物みたいなのは?」

「ああ、ありゃ突然変異みたいなもんじゃねえの?私だって自分以外の事はそんな詳しくない。流れの商人っていう仕事上いろんな話が舞い込んでくるだけさ」

 ガラガラと荷車がゆっくり停車しました。

「ほら、話し込んでたら着いちまった」

 見る限り、あたりはまだ草原です。ところどころに建造物と思しき瓦礫や崖が増えたこと以外これと言って変化はありません。

「あ、あの。ありがとうございました。送ってもらって」

「ああ、まあ案外話しながらってのもいいな暇つぶしになって。私いつも一人だからさ」

「ブルルル」

 そこで、初めてカバのような動物が鳴き声を発しました。

「おお、悪い悪い。お前も併せて二人だったな」

 あははと笑う彼女は。やっぱり人間にしか見えません。

「よし、行くか」

「え?あの、どこに・・・・?」

 先ほども言いましたが、見渡す限り草原と瓦礫と崖しかありません。とてもじゃないけど街なんて気配すらありませんでした。

「何言ってんだ。行くんだろ?街に」

 きょとんと、まるで当然のようにそう言い放つ彼女に。「・・・行きますけど」と、僕はそう返すことしかできませんでした。

 隣街に行くなんて一言も言ってないのに。

 彼女はそう決めつけています。

「でも、街なんてどこに?」

「何言ってんだ。あるだろ

 彼女は言葉と共に指をさします。

 その先にあるのは崖の下です。

「は?」

 僕は、それこそ本当に目が点になっていたことでしょう。

 理解できるのに、頭が追いつきません。

「これから行くのは精霊と賢者の街。知恵の宝庫だよ。私に聞くよりそこで調べたほうが色々と手っ取り早いだろ」

 にかっと笑うその笑顔は、嗜虐的で。



「ぎいぇえええええああああああああああ!!!!!」



「あっはははははははははははははははは!!!!!」

 僕の絶叫が、彼女の笑い声が。崖に木霊して。

 いつの間にか、夜は明けていました。人類が滅んでも環境が変わっても。太陽だけは変わらず今日も昇ります。

 憎たらしいと思えるほどに。

 僕は、ここから第二の人生を歩み始める。

 けれど、今は知る由もないことです。 

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