第6話:恋愛相談ッス、な日常
おはよう、サキです。
ミーシャが学生支援室に居着くようになって数日。ジェラルドたちは今から魔術学の授業を受けるってところ。
前に立っているのは少しばかり年齢の高い感じの女の先生。
「おはよう、皆さん。わたくしが皆さんの魔術学を担当させていただく、イスキアです。見ての通り、種族は人間ですが、幸運にも少しばかり魔力適性はありますので実践的な指導もある程度は出来ます。とは言え、魔術の要は適性よりも勉強。この授業で皆さんが魔術を発動させることはほとんどないかもしれません」
魔術式の準備は勉強さえしていれば誰にでも出来るけど、準備された魔術式に魔素を集め、実際に魔力をもって魔術として発動させるには魔力に適性のある人の力が必要になる。そんなわけで教育的な魔術学を実践的な分野にしてしまうと適性の有無で全てが決まってしまうから、「魔術学の要は勉強」って言われる――んだってさ。
以前にも言ったと思うけど、ジェラルドには魔力適性はない。種族的にはエルフが一番魔力適性が高くて、ホビットと人間がまちまち、ドワーフとオーガは基本的に低い、って感じになってる。不思議なことに、魔力適性と身体能力が反比例するようになってるみたい。もちろん、亜人はこの限りじゃないんだろうけどね。
「今回は初回ということで、半分復習のようなものです。高等部への入学を果たされた皆さんであれば、今から書く種類の魔術式は暗記していて当たり前でしょう」
イスキア先生はそう言うと、前の黒板に「事象現出式」という言葉を書いた。
「それでは――そこのエルフのあなた、お名前は?」
「はい、ヴィオラです」
「では、ヴィオラさん。《事象現出式》の派生式を三つ、答えてくださいな」
「《事象現出式:火》、《事象現出式:氷》、《事象現出式:光》などです」
「よろしい。わざわざ発展的なものまで答えてくださってありがとう。他に、基本的なものでも《事象現出式:風》や《事象現出式:水》など、この式は派生式に事欠きませんね。もしかすると皆さんの中にはどうして今更こんなに単純な式について? と思っていらっしゃる方もいるかもしれません」
特に、《事象現出式:火》や《事象現出式:水》みたいな基本的な魔術は、そこら辺を歩いている(魔力適性のある)人ですら使ったことがあるかもしれないような普遍的なものだ。私でも魔術式の構造は覚えてるくらいだし。主にジェラルドの勉強を見てだけど。
「しかし――よく言われることではありますが――《事象現出式》は単純にして奥が深い。聡明な皆さんに今更言うようなことでもないかとは思うのですがね」
そう言うと先生は懐から一枚の紙を取り出した。そのまま机の上に広げ、真ん中に石を一つ置くと、両手をそこにかざす。
一瞬だけ小さな火が起こって、ポン、という音が教室に響いた。
今のはなんだろう? 音を鳴らすだけ……にしても火が起こってたし。
「ここに書かれている魔術式は、《事象現出式》二つを組み合わせたものです。真ん中に置いたのは
ほとんどの人(私やジェラルド、リエル含む)はよく分からない、といった顔をしているけれど、何人かから手が挙がった。その中にはヴィオラの姿もあった。
「では――再びになりますが、ヴィオラさん」
「はい。《火》と《水》でしょうか」
「その通り。《水》で生み出した水を即座に《火》で熱することで急速に膨張させたため、あのような音がしたわけです。このバランスを少しでも変えると――」
先生は別の紙を取り出し、再び同じことをした。
今度は、起こった火からジュウ、という音がしただけだった。
「このように、狙った現象が起きないということになります。逆に、この魔術式の規模を大きくすると――もちろん、多量の魔素と、より強力な触媒、それから複雑な式が必要ですが――この教室が吹き飛ぶほどの爆発を起こし得るのです」
へえ、という声が教室のあちらこちらから聞こえる。私もびっくりだ。火を起こしたり、水を出したりするだけの魔術を組み合わせてそんなことが起こせるなんて。
イスキア先生はこんな感じに、前で魔術を実践しながら教えてくれるようだ。生徒が一々やると適性の有無が出るけど、先生がやるとそこは関係ないもんね。
さて、今日の授業も終わったので、食事を終えた後、ジェラルドたちは学生支援室へと向かうことにした。
「こないだのミーシャの一件を解決して以来、人も来ないし、暇だよね」
「一人、ずっと来ているのがいるけれど」
「ミーシャはすっかり居着くようになったね……」
苦笑いしながらだけど、その顔にニヤけが入っていることは見逃さないぞ。
ミーシャはあの空間が心地いいらしく、部屋の奥の方で佇んでいたり、真ん中で寝ていたり、はたまた私たちの話に参加してみたりと自由気ままだ。
「でも、私としては平和な方がありがたいわ。忙しくて首が回らなくなるよりはね」
「その気持ちも分かるけど、さすがに暇すぎだよ」
なんて話をしながら学生支援室の扉を開けると、中ではミーシャが、猫の姿をして部屋の真ん中でコロコロと転がっていた。
私たちのことに気付くと、転がるのをやめて床に座り込み、
「遅かったにゃ。キミたちがいないとヒマなのにゃ」
「……いつも思うんだけど、僕たち以外が入ってきたらどうするつもりなの?」
「んにゃ? んー……適当にごまかすにゃ」
「そっか……」
口調だけじゃなくて、空気感もなんかこう、ふわっとしてるよね。この子。
「それはどうでもいいにゃ。ヒマにゃ、遊べにゃ~」
「はいはい」
ジェラルドのことを気に入ったと公言しているからか、ミーシャはジェラルドによくじゃれついたりする。ジェラルドの方は毎回どことなく嬉しそうな様子だけど、その度にリエルの方を見るのが怖くなるから、私たちとしては正直やめて欲しいところではある。心臓が縮む思いなんだよね、毎回。
ほい、ほい、ほい、とじゃれあい始めた二人はさておき、リエルの方をどうしようかなー、なんて思っているとヴィオラとタンツちゃんがやってきた。
二人はジェラルドたちの様子を見るや否や、リエルの方を出来るだけ見ないように部屋の中へと入ってきた。
行けよ、と私は無言でリエルの方を指し示した。ヴィオラは、私が!? みたいな顔をしたけど、私にその気がないことが分かると諦めた顔でリエルの方へと近付いていった。これでリエルの相手を押し付け――もとい、任せられた。やったね。
「あー……リエル?」
棘の付いた物を扱うような態度が少し笑える。
ちょっと笑いをこらえていると、ヴィオラに睨まれた。ごめん。
「何かしら」
感情が一切こもっていない声だった(普段からそんな感じがするかもしれないけど、あれはあれで色々感情はこもってるんだよ)。
「あー、そのー……、誰か、来たりした? 悩み相談とかさ」
「いいえ。あれ以外は」
「そ、そう……」
どうしろって言うのよ! みたいな顔でこっちを見られても。悩み相談って言うなら、私たちだってこの状況について誰かに相談したいくらいだよね。なんとかしてくれ、マジで。
気まずい空気だ。そんな空気を全く読まず、ジェラルドとミーシャは部屋の真ん中でいちゃいちゃしている――って言うと何故か怖い気がするから訂正する――じゃれている。
どうしたもんかなー……。なんて思っていると、
「よー……っす」
カイルだ。元気よく挨拶しようとして、途中で私たちの様子に気付いたようで最後は小声の挨拶になってしまったらしい。
「あ、カイルにゃ~。おはようにゃ」
「おう、おは……よう?」
言うまでもないけれど今は朝じゃない。ミーシャの空気感の前ではそれがどうしたって感じだけど。
「あー……お困りみたいだな?」
「いつも通り、ね」
「ちょうどよかった。この状況を打破出来るかもしれない助っ人がいるぜ」
「へえ?」
そんな感じに小声でやり取りするカイルとヴィオラ。
ちなみに、リエルが修羅状態になると、二人はお互いいがみ合わなくなるということが分かった。……多分、互いよりよっぽど大きな恐怖の存在がいるから、くだらない喧嘩をしている余裕がなくなるんだと思う。
「おーい、入ってきてもいいぞ」
カイルが扉の方へ向かってそう言うと、一人のオーガの女の子が入ってきた。褐色の肌をした、長身で、胸の大きな女の子だ。下から見上げる形になるから、なんかすごい迫力。性別が変わると見た目が大きく変わるドワーフとは違って、オーガは男女とも身体が大きく、頭に角があるという特徴が変わらないから、見た目で分かりやすくて助かるね。
「自分、テトナっていうッス! 今日は皆さんに悩みを相談するためにやってきたッス!」
その言葉を聞いた瞬間、リエルの修羅状態が解除された。お仕事モードに入ったからか、それとも彼女が入ってきてミーシャが人の姿に戻ったからか。分からないけど、とにかく助かった。カイルの連れてきた助っ人は、この状況を打破してくれたわけだ。
そういうわけで、学生支援室に相談者第二号がやってきた。
「それで、もう一度名前を聞かせてもらってもいいかしら」
すっかり仕事モードになったリエル。こうなると学生支援係は平和そのものだ。ちなみにミーシャは部屋の隅の方でちょこんと座って大人しくしている。
「はい、自分、アマータ村出身のテトナっていうッス」
「かしまらなくても大丈夫ですよ? あたしたちと同じ学年――新入生の人じゃないみたいですし、多分上の学年の人……ですよね」
「いえ、自分、普段からこんな感じなので。敬語も使ってもらわなくて大丈夫ッスよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて。私はラファールの森のヴィオラ、よろしくね」
そんな感じに全員(ミーシャ除く)で一通り自己紹介を済ませ。
「それで、テトナはどういう悩みがあってここに来たの? あたしたちで解決出来る悩み?」
「聞いてもらうだけでも、いいような悩みではあるんッスけど……」
「どんな?」
「えっと、その……」
なんか、言いにくそうにしている。まあ、悩みなんてなかなか人に言いづらいものだしね。
「――、なんスけど」
「え?」
「――の相談、なんスけど」
「ごめんなさい、聞き取れなくて」
すると彼女は顔を赤らめ、部屋の外まで聞こえるんじゃないかというほどの声で、こう叫んだ。
「恋愛の、相談、なんスけど!」
一同、固まる。そして、どうしよう、と互いに顔を見合わせた。そこまで大声で言わなくてもっていうのもあるだろうけど、我々の顔ぶれを見て欲しい。
魔物好きの変態と、なんかちょくちょく修羅になる人、恋愛に興味なさそうな人、魔術が恋人って言いそうな人、そもそも人と話すのが苦手、ゴースト、猫。
恋愛相談……?
「ええと、非常に言いづらいんだけど……」
「なんスか」
「多分、私たちに相談するよりも、お友達とかに相談してみた方が……」
「それが出来たらもうやってるッス……。どうしようもなくて、途方に暮れてたらこの部屋が目に入って、部屋に入ろうとしてた彼にお願いしたんッス」
「そうだったの……」
そういう事情なら(そういう事情じゃなくても)、私たちが彼女を見捨てるわけにはいかない。私たちなりになんとか頑張ってみよう、うん。
「じゃあ、まず、相手の人について教えて欲しいにゃ~」
何が興味を引いたのか、いつの間にかミーシャが近付いてきていた。しかもなんか役に立ちそう。
「相手の人、ッスか?」
テトナの顔がにへら、と歪んだ。あ、これはまずい予感。
「すごくカッコいい人なんッス。自分、男の子からは基本的に友達みたいな感覚で思われるんッスけど、その人はまるで自分のこと、女の子みたいに扱ってくれて……。その人はいつもご友人と一緒にいて、その姿が楽しそうで、自分の目にはキラキラ光って見えるんッス。それで、いつも話しかけたいと――」
このまま放っておくといつまで経っても語りが終わらない気がする。ということで、
「ええと、色々教えてくれるのはありがたいけど、とりあえず、名前とか、種族とか、趣味とか教えてくれないかな!」
「あ、それもそうッスね。ええと、人間族の人で、趣味は……ちょっと分かんないッスね。名前は――エロースっていうッス」
「――!」
エロース、という名前を聞いた途端タンツちゃんがビクっとした。
「ええと、何か知ってるの、タンツちゃん?」
とこっそり尋ねてみると、
「その、人。この、間、わたしに……すごく声を、掛けて、きて」
「どんな感じに?」
「そ、その……かわいい、とかすてき、とか……そんな、感じ、です」
「あー……マジ?」
「まじ、です」
確かにタンツちゃんが可愛いのも素敵なのもその通りだからその点では気が合いそうだけど、そういうことを初対面の相手に言うってところから、なんか軽薄そうな印象を受けるなあ。
テトナも女の子みたいな扱いを受けて、って言ってたけど、ただ軽薄なだけなのでは……? って思わなくもない。でも、本当にそんな人なのかどうか分からないし、このことは私の胸の中に秘めておこう。決してその方が面白そうだからとか、そんなことはないよ、うん。真剣に考え込むみんなの姿を楽しもうなんて、そんなことは、ねえ?
「趣味が分からないとなると、どこから攻め込めばいいのかよく分からないわね……」
早速ヴィオラが真剣に考え始めた。攻め込むって。
「どうしても遠くから見てるだけになっちゃってるッスから、そこは分かんないんッス……申し訳ないッス」
「遠くから見ているということは、その人が普段どういう生活をしているか、ということは分かるのかしら?」
リエルも真剣な顔をしている。でもなんか考え方が怖いよ、この人。そんな、常に付き纏ってるみたいな――
「分かるッス。学院に来る時間から帰る時間、下宿の場所まで完璧ッス」
付き纏ってたわ。駄目だったわ、こっちも。
「それなら、好きな食事のメニューなども分かるのではないかしら? その料理を作ってみる、という切り口もありではないかしら」
なんかめちゃくちゃ真剣だぞ、この人。真面目なだけなのか、思うところがあるのか。どっちだろうね。
「なるほど……でも自分、料理は苦手ッス」
「ではこの案はなしにしても――」
二人はまた真剣に協議し始めて、他の人たち――つまり私たちは取り残されてしまい、どうしようかなといった顔で白熱する二人を見つめるだけになってしまった。なんか取り入る隙がないんだもの、この二人。
うーん、と考えていると、ジェラルドが何か思い付いたようで、ぽん、と手を叩いた。
「ねえ、リエル」
「だから、彼の生活から――何かしら、ジェラルド?」
「いい案がある。こういうのは、詳しそうな人に聞こう」
「詳しそうな人?」
「そう。まあ、どこまで頼れるか分からない人でもあるんだけどね」
そして私たちは、ジェラルドのその案に従ってとある場所に行くことにしたのだった。
「それで、どうして私のところに来るのかね」
やってきたのは学院長室。そう、ジェラルドの言う「詳しそうな人」にして「どこまで頼れるか分からない人」とは、高等部の学院長にしてその正体は魔人(これは私とジェラルドとリエルしか知らないけど)、そして最近実はぽんこつなんじゃないかという説が浮上しているサルファであったのだ。
「いえ、こういうのは僕たちの間でどうこう言うよりも、長く生きた人の意見を取り入れた方がいいかと思いまして……」
しかも本当の姿はなんかエロい魔人――サキュバスだしね。そういう経験は豊富そう。っていうか豊富であれ。私たちの役に立ってくれ。
「どうでもいいと言えばいいが、『長く生きた人』と言われると自分が年寄りのような気分になるからやめてくれんかね」
「では、年長者ということで」
「まあ、それならいいだろう」
実際のところ、サルファの年齢ってどうなんだろう? 魔人っていう存在の寿命も分からないし、年齢に従って見た目が変わるのかどうかも分からないし――なんて考えていると何故かサルファからの視線が痛い。
「何か失礼なことを考えていないかね?」
「いや、何も?」
「ならいいのだがな」
この人、私の考えでも読んでるのか。
「ええと、それで――」
「分かっているさ、ジェラルド。そこの女子――テトナの恋愛相談の話だったな?」
「はい」
「それで、相手が――エロース、といったかね。特に目を付けていたわけではないが、今まで素行に問題があったという記憶もないな」
え、という顔を私とタンツちゃんだけした。色んな女の子に声を掛けているようなタイプかと思っていたから、そういう関係の苦情はあるかと思っていたんだけど。あるいはその程度では素行が悪いことにはならないか、だけど。
「で、君――テトナくんはそのエロースくんのことを慕っている、と」
「そういう風に言われると、なんか恥ずかしいッスね……」
「事実だろうに。なに、この場で何度言われることか。すぐに慣れることだろうさ」
また微妙に無責任なことを。
「そうだな……。テトナくん」
「はいッス」
「目標の確認として尋ねておくべきだろう。君は、彼とどうなりたいのだ? 友人になりたいのか? 恋人同士になりたいのか? それとも――彼と結婚したいのか? まあ、学生の内の結婚は勧めないがね」
「結婚なんて、そんな大それたことは考えてないッス! 少なくとも、お友達になれればそれでいいッス。あわよくば、恋人になれれば……それは、嬉しいッスけど」
「あわよくば、ね」
ふーむ、とサルファは少し考え始めた。なんだかんだで真剣に考えているのだろうか。この人も腐っても教育者だな、とか考えていると。
「その程度なら、諦めたらどうだ」
ひどい発言が飛び出した。私は今にでも殴りかかりたいような気分に駆られて、でも殴れないから、叫ぼうとした――ところを、ジェラルドに手で制された。黙って見ていろということらしい。他のみんなもとりあえずは黙って成り行きを見守るつもりのようだ。みんな、未だにこの人に対する信頼度高いんだね。あれだけ色々丸投げされたのにね。
「それは、どういうことッスか。いくら学院長といえども――」
「君は、色恋沙汰を舐めているのかね」
「……と言うとどういうことッスか」
「恋は、闘いだぞ」
「闘い、ッスか」
「ああそうだ。君は、彼のことを慕っているのだろう? 彼のことを好いているのだろう? それは、本気なのだろう?」
「本気ッス。それは間違いないッス」
「ならば、奪い取れ。他の者に渡すな。自分のものにしろ。全力でぶつかり……それで砕けるなら、それはその時だ」
「当たって、砕けろってやつッスね……!」
「その通りだ」
……この人、話をややこしくしやがっている気がするんだけど、ほんとにこの人に任せていいの? ねえみんな?
目を逸らすんじゃねえー!
「学院長先生!」
「何かね」
「自分、何をやるべきか、分かった気がするッス」
「そうか、それは何よりだ」
「まずは、自分を見つめ直すッス」
「ん?」
「それが、闘いに備えるということッスよね」
「ちょ、ちょっと待ちたまえ」
「いえ、待たないッス。自分、どうしたらエロースさんを自分のものに出来るか、一晩掛けて考えてくるッス」
そう言うとテトナは鼻息荒く学院長室を出て行ってしまった。私たちは呆然として、その場に取り残されたまま。
あーあ、ややこしくなってしまった。
「あの、学院長?」
ヴィオラがサルファに引きつった笑顔を向けた。
「……な、何かね」
「どうしてくれるんですか、これ」
「どう、しようね」
ひどく曖昧な笑みだった。やっぱりこの人が変なことを言った時点で怒りに任せて止めるべきだったんじゃないかなあ。
「……今度から、学院長に頼るの、やめた方がいいと思うにゃ」
「だな」
「信頼が失われるというのは悲しいことだな。……仕事が減るのは嬉しいが」
この期に及んでそんなことが言える根性にはある意味感服するよ……。
で、翌日。
私たち(ミーシャを除いた、学生支援係の五人と私)は授業が終わってすぐ、テトナを探すことにした。昨日のことがあったし、何か彼女が気の迷いから変なことをするんじゃないかと考えてのことだ。
私としても、さすがに彼女がサルファに煽られるがままに変なことをするというのは気の毒で仕方がないので協力することにした。って言ってもジェラルドからそう遠くは離れられないから、壁の向こうを見たりするくらいのことしか出来ないんだけど。
探し始めて程なくして、見つけた。テトナだ。何か紙を大事そうに胸元で抱え、きょろきょろと周りを見渡して誰かと探しているようだ。……一度見つけてしまえばすごく目立つなあ、あれ。
どう声を掛けたものかなあ、としばらく彼女の様子を窺っていると、向こうもこっちに気付いたみたいで、おーい、と手を振りながら近付いてきた。
「いやあ、昨日は先に帰ってしまって申し訳ないッス」
「それは、いいんだけど……誰か探してたみたいだけど、どうかした?」
「昨日帰ってから、自分、どうしようかと考え続けたッス。そして気付いたことがあるッス」
私たちに向かってテトナは熱く語り始めた。
「自分、言葉で何かを伝えるのは苦手ッス。言葉で気持ちを伝えようとしても絶対に途中で混乱して言葉にならなくなっちゃうッス」
どっちかっていうと途中で暴走しそうな気もするけど、まあどっちにしても言葉で気持ちを伝えるのが苦手そうっていうのは変わんないね。
「それで、どうにかする方法はないかって思って考えついたのがこれッス」
テトナは胸元に抱えていた紙を掲げ、私たちに見えるようにした。表には、「エロース様へ」って書かれてる。
「それは……手紙?」
「そうッス、ヴィオラ。自分、字を書くのは得意ッスから。一晩掛けて書いてきたッス」
「そ、そう……。その割には元気そうで何よりだわ」
「授業中、ぐっすりだったッス」
「体力に裏打ちされたものじゃなかった!」
テトナは学院生活に微妙に支障をきたしたその手紙をまた大事そうに胸元へ抱えた。
「正直昨日は学院長先生にあてられてちょっと熱くなりすぎたというか……熱にうかされてたような感じだったッス」
「そこに気付いてもらえて何よりよ」
「なんで、エロースさんを……その、自分のものに、なんてことは考えず、自分の素直な気持ちをただ書いてみたッス」
「うん、それがいいわ」
「ヴィオラにもそう言ってもらると心強いッス。みんなはどう思うッスかね?」
少し不安げな顔でテトナは私たちに問いかけた。
「僕は、そういうことはよく分からないけど……自分の素直な気持ちを表現するっていうのはいいことだと思う」
「俺も、細かいことはよく分かんねえけど、気持ちを込めたもんは伝わると思うぜ」
「素直な気持ちを表現出来る、というのは少しばかり羨ましいとまで思うわ。素晴らしいことよ」
「ごめん、何て言ったらいいか分かんないや。でも、きっといいことだと思う」
そしてタンツちゃんが、こくり、と頷き。私たち全員からのお墨付きをもらったテトナはやる気で目を光らせた。
「ありがとうッス、みんな! 自分、なんだかいけそうな気がしてきたッス!」
こういう風にやる気を燃やせるのはいいことだけど、ちょっと単純すぎるのが難点だね、うん。でも、色々と思い悩んで結局動けないよりはずっといいのかな?
「じゃあ、エロースさんを探そうと思うッス。この時間にこの辺りを通るはずなんッスけど……」
生活パターンを把握してるのが少し怖いんだけど、そこは今気にするべきじゃないね、きっと。
「あ、見つけたッス! エロースさんと、ご友人のリーベさんッス!」
テトナが廊下の奥の方を指差す。男の人二人がとても仲よさげに話しながらこちらに歩いてきているのが見えた。お互いふざけあったりしてるみたいで、度々二人の笑い声が聞こえてくる。元気な二人だなあ。予想通り軽薄そう……かどうかは、ちょっとまだ分かんないけど。
「じゃあ、あたしたちはここで待ってるから。行ってらっしゃい」
「ちょっと待って欲しいッス。なんか、恥ずかしくなってきたッス……」
「えぇ……」
「ちょっと、先にエロースさんに話しに行ってもらって欲しいッス。落ち着いたらすぐにそっちに合流するッスから!」
テトナはそう言うとタタッと走り、曲がり角の向こうへと隠れてしまった。
ちょっと、いきなりの展開すぎてどうすればいいか分からないんだけど! なんて考えてる間にも、正面から聞こえる二人の声はどんどん近付いてきている。ああもうどうすれば! みんなは……駄目だ、こっちも固まってる。ええい、ままよ!
「すいませーん」
「――って言うワケ、ありえねーっしょ? ――ん?」
隣の友人と話しているところに、思い切って話しかけてみた。どうして私がこんなことを……なんて思ってみんなの方を見てみると、ポカンとした顔をしていた。キミたち、その「マジかよ……」みたいな顔やめてくんない? なんか腹立ってくるわ。
さて、次はどう話したもんか、と思っていると、向こうから口を開いてくれた。
「どしたんキミィ、えらいカラダ透けてんね」
「バッカエッちゃん、カラダが透けてるわけねーべ? ありえんべ? ……透けてるわ」
「透けてるっしょー、リッちゃん? いやマジビックリだわ。なに、実験で失敗でもしたん?」
「カラダ透けるとか、どんな実験だっつの!」
ぶっはっは、と笑い出す二人。軽薄……なのは間違いなさそうだけど、なんか思ってたのと違う。この人たちの会話、聞いてる分にはなんか独特な空気があって面白いけど、ここに入るとなるとすごく辛いぞ……! どうしよう、マジで。と思っていると、衝撃から立ち直ったのか、カイルが動き出した。
「こいつのことはあんま気にしないでください。透けてるけど、俺らとあんま変わんないんで」
「おーおー、気にしね気にしねー。ちぃと透けててビックリしただけだかんね、マジ。んで? そっちの透けてる彼女、オレらに話しかけてくれたけど……おぉ! こないだの可愛い彼女じゃん!」
なんだ、私のことか? やっぱ美少女ゴーストだからなー、なんて思って気取った顔で笑顔を作っていると、さっき話しかけた彼――エロースは私の前を通りすぎて、立っているみんなの方へ。そして、タンツちゃんの肩をぽんぽん、と叩いた。そういえば話しかけられたって言ってたな、タンツちゃん。
「やっぱ何回見ても可愛いーねー。こないだ聞けなかったケド、お名前なんてーの?」
「あの、その……うぅ」
タンツちゃんは何も言えないまま、ヴィオラの後ろに隠れてしまった。そのまま視線を上げて――必然的にヴィオラと目が合った。
「あの、この子が何か?」
ヴィオラ、まさかの母親みたいな発言。二人って姉妹みたいだな、と思ってたんだけど……どっちかというと親子だったらしい。
「聞きたい? 聞きたい? こないだ、この子をこの辺で見かけたんだわ。んでオレ、もうビビビ~ッと来ちゃってさー。なんせめっちゃ可愛いじゃん? もう我慢ならなくて即アプローチよな、コレ」
どうやら以前に出会った時、タンツちゃんは彼に気に入られたらしい。さて、どうするヴィオラ? と目を向けてみると。
「いやもうほんと可愛いんですよね! この仕草とか、愛くるしくて仕方ないんですよ!」
完全に母親目線だ、これ! 何その子供褒められて嬉しい母親みたいな感じ!
「わかるわー! ほんッとステキなワケ! もう声掛けるしかないっしょ?」
「その気持ちも分かりますけど、この子話すの苦手なんで、ちょっと怖がってるみたいです」
「マジ? マジぽん? いやー、ゴメンね? ただキミが可愛いって思っただけなんだわ。もうオレにとっては運命感じちゃったワケよ」
タンツちゃんに関する話で盛り上がり始めた二人。あの、一応その人にテトナが手紙渡すって話、忘れてないよね……? ヴィオラ、テトナと仲良さそうにしてたもんね……?
そういえばテトナは、と思って彼女が消えた曲がり角の方を見てみた。姿は見えない。どうやらこっちの様子を窺ってすらいないみたいだ。早く来ないとどんどん入りづらくなるよ、早く来て。
「なあ、そこの透けてる彼女」
うわ、びっくりした。エロースの友人――リーベが、私に話しかけてきた。
「なんか用あってオレらに話しかけてくれたんっしょ? ゴメンね、エッちゃんあの子にお熱みたいでさー」
こっちの人は割と冷静みたいだ。話は通じそうだし、こっちの人にちょっと相談してみるか。
「実は、エロースの方に手紙を渡したいって人がいてさ。後で来るって言ってたんだけどなかなか来なくて」
「エッちゃんに手紙? マジか、エッちゃんもなかなか隅に置けねーなぁ。女の子だよね? まさか男?」
「いや、女の子。名前はテトナっていうんだけど……」
「テトナ……テトナちゃん!? マジかよ、オレが欲しかったわ、その手紙ー」
「テトナのこと、知ってるの?」
「同じ学年だしさ、可愛い子って目ぇ付けてたんだわ。エッちゃんはちっさい子がタイプで、オレはおっきい子がタイプなワケ」
ちっさい子がタイプって言うとなんか危ない雰囲気がする。多分、ホビットとかドワーフとか、あるいは小さめの人間の子が好きってことなんだろうけどね。
っていうかエロースはタンツちゃんになんか夢中っぽいしテトナみたいな子は好みじゃなさそうなんだけど、どうするんだろ。サルファじゃないけど、当たって砕けろ、かなあ。
すると、後ろの方から誰かが走ってくる音。
「お待たせしたッス!」
テトナが、ようやく来た。出来ればもっと早くに来て欲しかったなあ。彼がタンツちゃんに気付いたりとか、彼の好みを聞いたりとかする前にさ。
テトナが来たことで、ヴィオラがようやく正気に戻った。ということで、エロースと二人で開催していたタンツちゃん褒め殺し大会がようやく終わりを告げた。タンツちゃんのヴィオラを見る目が今までと全く違うのは――当然だし、ヴィオラ自身のせいだから何も言うまい。
「お、テトナちゃんじゃーん。どったの? この子たちと待ち合わせしてたん?」
「いえ、その……」
覚悟を決めてきたはずなんだろうけど、いざエロースの目の前に立つと緊張するのか、なかなか言葉が出てこない。視線をあちこちにさまよわせながら、胸元に持った手紙をくるくると回したり、ちょっと強く掴んでみたりと手遊び。
「それ、お手紙? 誰かに渡すん?」
割と空気を読まず、エロースが手紙を指し示した。この空気でそんなことが言えるのはある意味強者だと思う。
でも、その言葉のおかげで踏ん切りが付いたのか、テトナはその手紙を両手でエロースの目の前に差し出し、
「これ、エロースさんに読んで欲しいッス! 自分、長く喋るのは苦手なんッスけど、言いたいことは全部手紙に書いたッス!」
本人なりに、勇気を出したんだと思う。決意を感じさせるそんな手紙に、エロースは、
「え何、オレに? マジ? マジっすか?」
なんとも軽い反応だった。
「マジ、ッス……」
「なーんか嬉しいなー。手紙貰うなんて初めてよ、オレ。これ今読んじゃっていいの?」
「え、あの、はい、どうぞッス……」
おっけー、と呟いてエロースは丁寧に手紙を広げ始めた。そのまま静かに、真剣な顔で手紙を読み始める。なんかちょっと意外。もっと実況しながら読むかと思ってたんだけど。
ごくり、と固唾を呑んで見守る私たち。テトナじゃないけど、ちょっと緊張する。誰も、何も言葉を発さない状態で、一人は手紙を読み、他はそれを取り囲んで廊下でいる私たち。他の人が見たら奇妙そのものだろうなあ。
しばらく経って、エロースは手紙を読み終わったようで、顔を上げ、首を回して。その間、表情は真剣そのもので、さっきまで見ていた彼の姿とは違って見えた。少しの間そうして、ふぅ、と息を吐き出し、
その瞬間表情が元に戻った。
「よっしゃ! テトナちゃんの気持ちは受け取った! バリバリ受け取った! もーさー、そういう風に思ってたならもっと早く言ってくださいよ~!」
「そ、それじゃあ」
「これからオレたちはソウルフレンド、魂と魂で繋がった友よ、そりゃ」
「え?」
「そういうことっしょ? いや女の子ってさ、こういう男同士に入るのってイヤなもんだと思ってたんだけどねー。そっちから言ってくれるなら遠慮ナッシングよ!」
と言って彼はテトナの肩をばしばし、と叩いた。
「……ええっとつまり、どういうこと?」
「テトナちゃん、オレらの仲間になりたいみたいだし? みたいな? あ、嫉妬すんなよ? これは特別だかんな? リッちゃん以外のソウルフレンドなんて初めてよ、オレってば」
「……なーんかそういうことみたいだし、よろしくなー、テトナちゃん!」
リーベの方はとても嬉しそうな顔をして、後ろから二人の肩に手を回した(片方は高くてちょっと腕が辛そうだけど)。そしてエロースとリーベは目を合わし、ぶっはっは、とどちらからともなく笑い出した。
テトナは少し困惑気味だったけど、二人が笑い出したのを見て、ふふっと笑顔に。
「……なんか想像してたのとは違うけど、本人が楽しそうだからいいかな?」
なんかヴィオラがいい感じに締めくくろうとしている。許さん。
「途中、テトナのこと忘れてたくせに」
「うぐっ」
「まあでも、いいんじゃない? 少なくとも遠くで見てるよりはさー」
「まあ……そうね」
「ヴィオラはタンツちゃんからの信頼を失ったけど」
「ああっ」
「失ってはない、です」
「よかった! まだ私は見捨てられてなかった!」
そのまま抱きつこうとするヴィオラだけど、タンツちゃんは後ろに下がって回避。
「抱きつかせる、のが……怖くは、なりました」
「そんなあ……」
がっくりと肩を落としたヴィオラと、それを見て少し笑うタンツちゃん。相変わらず学生支援係の面々は平和です。ミーシャが関わらなければ。
そういえば後で聞いたところ、手紙の内容をざっくりまとめると大体こんな感じだったらしい。
「いつもリーベさんと一緒にいて楽しそうなエロースさんを見ていると、自分も楽しい気分になります。もしあなたさえよければ一緒にいさせてください」
……ってさ。それをエロースがどう受け取ったかは知らないけれど、少なくとも誰も傷つかないような選択をしたんじゃないかな、って思う。少なくとも、手紙を読んでいる時に見せた真剣な顔は、私にそう思わせるには充分だった。
一応、事後報告ってことでジェラルド一人が学院長室に呼ばれた。当然私は離れられないから一緒に。他の者を一緒に呼ぶほどのことではないから、ということらしいけど、どうせ何か考えてるに違いない。
そういえば今回の一件、ジェラルドめっちゃ影薄かったな……。
「とりあえず、そんな感じでした。学院長がややこしくした分は本人の理性がなんとかしました」
「そうかい、それは……よかった。うん」
「あれでなんか変なことになって責任取れ、なんて言われなくてよかったね」
「そこまで思ってはいなかったが、まあそうだな」
似たようなことは思ってたのね……。
「それで、ジェラルドくん。君の方の問題は、どうするつもりだい?」
「……リエルのことですか?」
うむ、とサルファは頷いた。
「ジェラルド、リエルのこと気付いてたんだ」
「気付かないわけないだろ、あんなの……」
「いや、だって、リエルが修羅状態でも無視してミーシャと遊び続けてたし。気付いてないのかと思ってた」
「修羅状態って……。僕がどうこう出来る問題じゃないから放ってただけだよ」
そしてジェラルドは再びサルファの方に向き直る。
「それで、リエルのことですけど。リエルのは、恋愛とかそんなんじゃないですよ、多分」
「ほう?」
「昔からそうなんです。僕が他の子と遊ぶと、すぐ機嫌を損ねるんですよ。友達を取られたような気になるんでしょうね」
「それで、いつも放っておくと?」
「ええ、まあ、よく分からないですけどそうしておけばいつも勝手に機嫌が直るので」
「……そうかね」
サルファはそれを聞いて、ニヤリと笑った。
「君らしいな」
「?」
こうして、私たちの恋愛相談は終わった。ほとんど何もしてないような気もするけれど、そこはあまり気にしてはいけない。
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