第5話:学生支援係、活動開始にゃ日常(後編)

 どうやらようやく目覚め粉の衝撃から落ち着いたようなので、ジェラルドたちは先客――つまり部屋のど真ん中ですやすやと眠っていた彼女に質問してみることにした。


「それで、あなたは?」

「ボクは、ミーシャ。生まれは違うとこだけど、アルベールの育ちにゃ」

「どうしてここで寝ていたの? 随分と熟睡していたようだけれど」

「入学した時から、この部屋には目を付けていたのにゃ。日当たりもいいし、そこそこ静か。ここで昼寝したらきっと気持ちいいと思っていたのにゃ」


 授業の時も思ってたけど、この子、言葉が特徴的――っていうか、ぶっちゃけにゃーにゃーすごいよね。突っ込んでも仕方ないんだろうけどさ。

「……それで?」

「今日見てみたら開放されてたからふらふらと吸い込まれちゃったのにゃ」

「……そう」

 リエルは冷静に言葉を返した……けど、その拳は握り込まれていた。この子、表情とかにはあまり感情が出ないけど内心は色々考えてるタイプなんだよね。


 それでもって、この、ミーシャって子。なんていうか、こう、特徴的っていうか。授業中の言葉については相当頑張っていたらしいけど、今なんて話し方もすごいアレだし。……ぶっちゃけ言えば異様なほど猫っぽいというか。

 残念ながら私に魔力を感知することは出来ないけれど、この子、と思うんだよね。本当にただ猫っぽいだけの子かもしれないけど、もしかすると、もしかするかもしれない。……そういえば、と私はあることに思い至る。


「ねえ、リエル」

 と私はリエルに囁きかけた。

「何?」

「リエルって、魔力感知は出来ないの? サルファみたいに」

「……何を考えているのか大体分かるけれど、残念ながら今のままでは私は魔力を感知することは出来ないわ。それこそ《魔力感知式》を使わない限りね」

姿にならなきゃ駄目ってこと?」

「有り体に言えば、そうね」

「そっかー、残念。仕方ないね」


 残念ながら、私の目論見は外れてしまったようだ。リエルなら、魔力を帯びているかどうか分かるかなーと思っていたんだけど。さすがにここで天使の姿を現してもらうわけにもいかないし、諦めるしかないかな。

 どうして私がこんなことを考えたかと言うと、リエルがなんだか警戒するような態度を取っていたから。なんか、縄張りに侵入されてる動物みたいな、そんな感じ(そこまで露骨じゃないけどね)。何か彼女から感じてるのかなーなんて思ったんだけど、特にそういうわけではないみたい。


「それじゃ、ミーシャは特に悩みや相談事があってこの部屋にやってきたわけじゃないってこと?」

 私たちがこそこそと話をしている間にミーシャを取り巻いている側は少しだけ話が進んでいるみたいだった。

悩みにゃやみとか相談事、にゃいわけじゃにゃいけどにゃ」

「ええと? ないわけじゃない?」

「そう言ったにゃ」

「……そっか」

 ……微妙に意思疎通に苦労してるみたいだ。


「それで、悩みっていうのはどんなものなの? あたしたちに言ってごらん?」

 っていうか、みんななんだかんだで仕事熱心だよね。わざわざ悩みとかないかって聞き出すんだもんなあ。もっと適当にやろうよ、適当にさ。

「キミたち、どうしてボクからそんにゃに悩みにゃやみを聞き出そうとするんにゃ……」

「ええと。僕たち、『学生支援係』っていうのを今日から始めることになったんだ。簡単に言えば、学生たちの悩みや相談事を聞いてそれを解決するっていうやつなんだけど」

「にゃるほど、そんにゃものが」

「それで、君がここに来た初めての人なんだよね。だから、何かないのかなって思って聞いたんだけど」


「ふーむ。にゃらば、ボクがキミたちにお仕事を作ってあげようじゃにゃいか」

 何故か乗り気になったらしく、ちょっと偉そうな態度で悩みを相談することに決めたらしいミーシャ。

「話しにくいものなら無理しなくてもいいけど」

「にゃんか、キミはいい人みたいだし、そんなに頼まれちゃったら仕方にゃいしにゃ」

「そう? それは……ありがとう」

 少し照れた様子のジェラルド。

 その一方でリエルの手には力が入った。駄目だ、ジェラルドがミーシャに付きっきりだから、リエルを止める人がいない。この子はこの子で放っておくと怖いぞ。え、私? 私はほら、そういう面倒なことはしない主義だから……。


「まあ、正直大した悩みにゃやみでもにゃいんだけど……一つだけ、あるのにゃ」

「へえ、どんな悩みなの?」

「最近、猫と仲良く出来ないのにゃ」

「……というと?」

「小さい頃はボク、猫みたいににゃることが出来たにゃ。猫と鳴き声にゃきごえでお話することも出来たんだけど、最近どうやってたのか、分からにゃくにゃっちゃったのにゃ」


 え、それって。

「それは……興味深いね」

 ジェラルドは彼女の話にとても興味を抱いたみたい。まあ、そうだよね。この子の話、どう聞いても。当然、亜人かもしれないって意味でね。

 ちらりとリエルの様子を窺ってみると、意外にもいつも通りの表情をしていた。……表情だけはいつも通りだった、という方が正しいかもしれない。なんていうか、親の仇か何かを見るような目でミーシャを見ている。今なら眼力だけで人が殺せるんじゃないか、そう感じさせてくれる目だね。


 そんなリエルの様子には一切気付かないジェラルドとミーシャは(ちなみにその他の三人はリエルの様子に気付いているみたい)会話を続行することにしたようだ。

「猫みたいになったって、どんな感じだったの?」

「そう言われてもにゃ~……」

「例えば、声だけがそうなったの? それとも、姿形まで猫みたいになったの?」

「姿形まで猫みたいになるって……《身体変質式》でもねえんだから」

 思わず突っ込んだって様子のカイル。口には出していないけどヴィオラも同じように思っているみたい。タンツちゃんは……ちょっと下を向いてるからよく分かんないけど。


 そういえば、カイルもヴィオラも(多分タンツちゃんも)、私のことは知ってるけど、リエルやサルファの正体のことは知らないんだよね。だから、亜人がこの世界にまだいるかもしれないってことは知らないんだ。そりゃ、姿形まで猫みたいになるなんて思うことは出来ないよね。まあ、知ってたからって猫みたいになれるなんて思うかどうかは別なんだけどさ。

「自分じゃどんにゃ感じににゃってたか、分からにゃいけど……少にゃくとも声は猫の鳴き声にゃきごえそのものだったにゃ」

「まさかとは思うけど、猫の鳴きマネが下手になったってだけじゃないよね。大きくなって声が変わったから、とかさ」

「ヴィオラ、それはいくらなんでも……そう、夢がない話じゃないか」

「夢があるかどうかはこの際どうでもいいと思うんだけど……?」


 それで? とヴィオラは続きを促した。

「そんにゃ単純にゃはにゃしじゃにゃいと思うにゃ。にゃんていうか、こう、心持ちが違うというか……心まで猫ににゃったようにゃ気分ににゃるのにゃ」

「聞けば聞くほど、あたしには子供の頃得意だった猫のモノマネが大きくなって出来なくなったようにしか思えないんだけど……そうだ。猫の気分の時って何か変わったことはなかった? 例えば、鼻……は今でもよく効くんだっけ。じゃあ耳が良くなったとか」

「ん~……?」

 首をひねって思い出そうとするミーシャ。だけど、

「分かんにゃい」

「あ、そう……」

「あ、でも、猫みたいにゃ仕草はしてたにゃ。にゃめて毛づくろいしたりしてたにゃ」

「思ってたよりも猫だね、それは……」

 人類っていうよりは、動物の仕草だよね、それは。


「でも」

 と口を開いたのはタンツちゃん。

「その、お悩み、どう、解決するんです、か」

「それだよねえ」

 確かに、今私たちが一番考えなくちゃいけないのはそのことかもしれない。どの程度猫っぽくなるかとか、正直どうでもよかった。

 初めての悩み相談にして、かなりの難題かもしれない。「小さい頃出来ていた猫マネが出来ないからなんとかして」なんて悩み、どう解決すればいいの……。



 とりあえず、外に出てみることにした。本人曰く、穴場の猫スポット(猫が集まってくるような広場)があるらしいので、そこに行ってみようって感じ。まあ、あの部屋の中で何か話し合ったからってなんとかなるような問題でもないしね。

「いい天気にゃ。こんな天気にゃらきっと猫たちもたくさん集まってるはずにゃ」

「それは素晴らしいね!」

「お前、出かけることになってからすごい楽しそうだな……」

「だってさカイル、猫が集まる広場だよ!? それはもう楽しみにせざるを得ないよ!」

 何を隠そう、私は猫好きなのだ。そんなわけで猫が集まるスポットに行くことを楽しみにしていたりする。この姿が怖がられないかだけが心配だけどね。野良猫は特に警戒心が強いし。


「そうか、それはよかったな……。俺は、猫苦手なんだよなあ。そこらはお前らに任せるよ」

「猫が苦手なんて、もったいないなあ。……逆に、犬は好きだったりするの?」

「犬は犬でなあ……俺はもっと小さいのとかが好きなんだよ」

「ネズミとか?」

「家に出てくるネズミは勘弁して欲しいところだけどな。こないだ市場の商人が売ってたサバクネズミってのは可愛かった」

 まあ、家のネズミが好きって人はなかなかいないと思う。いつの間にかすごい勢いで増えてるし、食べ物はかじられるしね。


「そういえば聞いていなかったけれど、広場というのはどの辺りなのかしら」

 リエルがそう言って初めて気付いたけど、目的地がどこにあるか聞いてなかった。中央広場からどの方角にあるかってことすら聞いてなかったね。ミーシャがいれば連れて行ってくれるとは思うけど、はぐれたりなんかしたら困るし、聞いておきたいところ。

「具体的にゃ場所を教えるのは難しいから結局は案内あんにゃいすることににゃるけど、南西にゃんせいブロックの入り組んだとこにあるにゃ」

「南西ブロックというと、商工会議所や下宿のある?」

「そうにゃ。商工会議所からはちょっと遠いけどにゃ」

 そう言うと、ミーシャは中央広場から西に伸びる通り(市場からも離れていて、とても静かな通り)へと歩き出した。


 商工会議所のある辺りを通り過ぎ、もうすぐ西門というところで、ミーシャは南側にある細い路地を指差した。

「ここを抜けて行くにゃ。狭いから、気をつけてにゃ」

 細いって言っても人一人はそのまま歩いてもなんとか通れるくらい。ちょっと汚いけど、服は洗えばなんとでもなるし。でも、

「こんな路地の先に、猫が集まるような広場なんてあるもんなの?」

「あるもんにゃ。信じにゃいなら付いて来にゃくてもいいにゃ」

「いや、私はジェラルドが行くなら憑いて行くしかないんだけどさ……」

「僕としては、とりあえずミーシャを信じてみるしかないしねえ」


「ってことだから、私も行くことになりましたとさ。……正直私には路地が狭かろうがどうだろうが関係ないんだけど」

「ってことは、壁も抜けられるの? つくづく不思議ね、ゴーストって」

「あんまりやりすぎると中にいる人を驚かせちゃいそうだけど」

「あたしが中にいたとしたら腰を抜かすわね、それは……」


「それじゃ、行くにゃ。しっかり付いて来るにゃ」

 そう言うとミーシャは小柄な身体を活かして、路地をひょいひょいと抜けていく。……のはいいんだけど、速すぎて後続が追い付けてない。

「待て待て待て待て」

「んにゃ?」

 少し離れたところで立ち止まり、振り返るミーシャ。どうかした? 遅いね、とでも言いたげな顔をしてる。

「んにゃ、じゃねえよ。後ろにいる俺たちのことを考えろ。追い付けねえよ!」

「しょうがにゃいにゃ~……」

「なんで俺が悪いみたいになってんだ……」

 速度を落とし、ゆっくり歩き出したミーシャ。これなら後ろのみんなも追い付けるね。私は元々どうであろうと関係ないんだけど。


「助かるよ、カイル」

「おお、気にすんな。どうせ誰か言ってたろ」

「それでも、真っ先に言ってくれたし」

「いいんだよ。なんかむず痒くなるからやめろって」

「うん」

「なんかその笑顔腹立つわ」

 そして男同士ではこんなやり取りが繰り広げられていた。なんか、こう、なんなんだろうね。心の奥から湧き上がってくる衝動みたいなものがあるのは。男同士の友情に感化されてるだけかな?

 もちろん、歩き続けながら。


 狭い路地をゆっくりと進んでいく。

「こっちにゃ」

「次はここにゃ」

「それでこっちに曲がるにゃ」

「ここはよくいい匂いがしてるにゃ」

 そんな風にしばらくグネグネと進んでいくと、ついに、

「着いたにゃ。ここにゃ」

 開けた場所に出た。私としては、

「ここが、穴場猫スポット? どんなのだろう!」

 と元気一杯だったんだけど、歩いてきたみんなは、

「やっとか……疲れたね」

「ええ……本当に」

「とりあえずここまで来てみたはいいけどよ、これで何の解決にもならなかったら泣けるな」

「ここ、帰りは戻って行かなきゃいけないわけね……?」

「あまり、考えたくは、ない、です……」

 愚痴三昧だった。お疲れ様。


 確かに、来るのがここまで大変だとは聞いてなかったもんね。歩いてたみんなはそりゃあ疲れてるでしょうよ。

 でも、

「みんな疲れたの? 情けないなあ」

 そう言いたい気持ちは抑えられなかった。そして、視線で人を殺せるなら(それでもって私が既に死んでなければ)五回くらいは死ねるような、そんな鋭すぎる視線が私に突き刺さったのだった。



 みんなが落ち着いた頃(殺意が収まった頃とも言う)、私はこの広場――ミーシャの言うところの穴場猫スポットを見回してみた。

 まあいるわいるわ。一部、首輪を付けてるのは飼い猫(脱走済みかもしれない)っぽいけど、ほとんどは野良猫だろう。白猫やら黒猫やら、茶トラ猫やら色とりどり様々な種類の猫が、そこらで昼寝したり毛づくろいしたり仲良くしたり喧嘩したり。

 静かで、日当たりが良いからだろう。ここは、猫の楽園だ、と私はそう思った。猫好きならたまらないだろう。ということで学生支援係のみんなの様子を見てみた。

 ジェラルド――楽しそうに広場を見回してる。リエル――よく分からないけど、悪い気分ではなさそう。カイル――猫が一匹足元に擦り寄ってきて微妙な顔をしてる。ヴィオラ――近くにいた猫に近付いて逃げられた。可哀想。タンツちゃん――目を輝かせて鞄から紙と木炭を取り出し、絵を描き始めた。

 うん。みんなこの広場を楽しんでるみたい。


「で、」

 と猫に逃げられて少し悲しそうなヴィオラが口を開いた。

「このまま猫と遊んでるのも悪くはないけど」

「逃げられてんじゃねえか」

 本人は扱いに困っているようだけど、カイルの足元には猫が数匹。猫に好かれる体質なんだろうなあ。

「うるさいな!」

 カイルの足元の猫たちを見て、涙目になるヴィオラ。これは猫好きとしてはさすがに同情したい。


「ここに来たのは猫と遊ぶためじゃない……と、そういうことね」

「そうそう、そういうこと」

 そういえばそうだった。ここに来たのは、ミーシャの悩み――小さい頃に出来ていた猫マネが出来なくなったからなんとかしてくれってやつ――を解決するためだった。

「そうは言っても、本人次第だよね……僕たちがどうこう出来る話じゃないし」

「あたしたちでなんとか出来るならもうやってるからね……」

 全員がミーシャの方を見ると、彼女は集まってきた猫たちと戯れていた。おいおい。


「お前、話聞いてたか?」

「んにゃ~……? にゃんのことにゃ」

「お前の問題を解決するために来てるんだろうがよ……」

「そういえばそんにゃ感じだったにゃ。ここに来るとどうも猫と遊びたくにゃっちゃうのにゃ」

「それで、どうなんだよ?」

「どうってにゃんのことにゃ」

「お前の猫マネのことだよ!」

 カイルの足元にいた猫たちが逃げていった。なるほど、叫ぶと向こうから逃げるのか、なんて呟くカイル。


「じゃあ、小さい頃を思い出しにゃがら頑張ってみるにゃ」

「せっかくこんなところまで来たんだし、頼むよ」

「任せるにゃ」

 目を瞑り、うにゃー、だのうにゅー、だの声を発し出したミーシャ。奇特なものを見るような(っていうか奇特なものを実際見てる)目で遠巻きに見つめる私たち。なんというかすごくシュールな光景だ。

 しばらく見つめていると、目を開いた。

「駄目みたいだにゃ」

「いや早いよ! ここまで来た時間考えて!」

「もー、しょうがにゃいにゃ~……」

「なんで僕が悪いみたいになってるんだ……」

 なんかちょっと前にも同じようなやり取りを見たような。それはともかく。


 ミーシャは再び目を瞑り、今度は首をひねって難しい顔をし出した。小さい頃を思い出してるのかな。

 そのまま彼女はまたうにゃー、とかんにゃー、みたいな声を発し出した。やれやれ、まだまだ時間は掛かりそうだな、とかあるいは諦めるしかないかな、なんて思ったその時。


 うにゃあ。


「ねえ、今……」

「猫の鳴き声、しま、した」

「だよね」

 確かに猫の鳴き声がした。近くにいた猫の様子を窺ってみると、みんなこちらを見ていた。こちら――正確には、ミーシャの方を。

 ミーシャの方を見てみると、また人の声で色々と呻いている。気のせいかな、なんて思っていると――


 ふにゃあ。


「また、聞こえまし、た」

 絵を描く手を止めて周囲を見回すタンツちゃん。やっぱり猫たちはミーシャの方をじっと見ている。

 にゃあ。ふにゃあ。みゃあ。

 いつの間にか、ミーシャの声が聞こえなくなって、猫の鳴き声ばかりが聞こえてくる。それに呼応するかのように周囲の猫も鳴き声を上げる。

 うにゃあ。みぃあ。ぶみゃあ。


「おいおい、なんか、すごいことになってんぞ」

「これは、もしかして本当に……?」

「嘘だろ、おい……」

 そのまましばらく鳴き声は続き、急に猫たちは鳴き止んだ。

 ミーシャの方――ミーシャがいたはずのところを見ると、そこにいたのは。

 猫だった。顔と毛並みだけ。

「どんなもんにゃ?」

 どんなもん、って言われても。



 とにかく、私たちの目の前に猫っぽい、でもベースはホビット族なんていう珍妙な生物がいるのはそういうわけだった。私としては予想も出来てたからもうあんまり驚かないけど、カイルとヴィオラの驚き方はすごいものだった。

「おいおいおいおい! なんだこれ! どうなってんだよ!」

「何これ、どんな魔術よ! さっきの鳴き声が詠唱だったわけ? それにしても触媒は!? どういう仕掛けよ!」

 こんな感じ。これが普通なんだろうなあ。こうやって見るとつくづくジェラルドの反応って異常だったんだな、って思うよね。


「まあまあ、二人とも落ち着いて」

 ジェラルドがそう言うけれど、

「お前は落ち着きすぎなんだよ!」

 ごもっともだった。反論の余地なし。

 そういえば、と思ってふとタンツちゃんの方を見てみると、半分猫となったミーシャを見て驚いている様子はなかった。っていうか、ミーシャの方をちらちら見ながら一心不乱に絵を描いていた。……これは、恐怖心とかよりも好奇心の方が上回ったんだろうな。


「キミたち、うるさいにゃ~」

「お前のせいだよ!」

「そんにゃこと言われても……」

 と、お騒がせの張本人は、どこ吹く風といった様子であくびをした。何を他人事みたいに……。


「それで、ミーシャ」

 カイルは問いかけた。真剣な、緊張感のある面持ちだ。やっぱり、小さい頃の知り合いがこんなことになってるわけだしね。

「んにゃ?」

 ……反応に緊張感が皆無なことはこの際置いておこう。カイルもそのことは無視することに決めたらしく、その面持ちを崩さずに次の言葉を発した。

「お前のその姿は、何なんだ? お前は一体、何者なんだ」

「……」

 カイルの緊張感が伝わったのか、緊張した顔でそのやりとりを見つめるみんな(ただしタンツちゃんは変わらず絵を描いていた)。ミーシャが、ゆっくりと口を開く。


「知らにゃい」

「は?」

「だから、知らにゃいって。猫みたいににゃってもボクはボクだし、それ以外の何物にゃにものでもにゃいにゃ」

「……ふっ」

 あっはっは、とカイルは大声で笑った。周囲のみんな(タンツちゃん以外)がポカンとしているのを置き去りにして一通り笑って、

「確かに、その通りだな。細かいこと考えるのはやめだ。お前はお前、猫みたいな見た目の姿になれるだけってな。まあ、サキみたいな変な存在もいるんだし、お前みたいなヤツがいてもいいよな」

「そんな、いい加減でいいの……!? あんたの幼馴染なんでしょ!?」

「幼馴染だよ。でも、その俺がいいって言ってんだから、いいだろ。少なくとも、俺は気にしねえよ。こいつがただのホビットでも、新種の魔物でも、あるいは伝説の『亜人』ってやつでもな」

 素直に、すごいなあって思う。器が大きいんだなあって。体格は小さいけど。


 それはそうとしても、ミーシャは亜人なんだろうか? 少なくとも、本人にその自覚はないみたいだけど。

「ねえ、ミーシャ」

 魔物好きの変態――もとい、ジェラルドが動き出した。一体何を言い出すつもりだろう。ちょっとワクワクしている自分がいる。

「ご両親を僕に紹介して欲しぐっふぅ」

 ジェラルド、大きく吹っ飛んだァー! そのまま地面に倒れ伏す!


 横に立っていたリエルは素知らぬふりをしているけど、私は見逃さなかったぞ。っていうかここにいる誰も見逃してないぞ。キミがジェラルドを思いっ切り蹴って吹っ飛ばしたのを。

「ねえ、リエル、今」

「……何のことかしら」

「いや、今あたしの目には――」

「はい、なんでもないです」

 そのまま圧倒的な恐怖感で有無を言わさずヴィオラを黙らせた。


「今、俺の中でのリエルの認識が大きく変わったよ……」

「こわいにゃ~……」

「……こわい、です」

 絵を描くことに集中していたはずのタンツちゃんですらこれである。さすがの私でも怖いと思うし。学生支援係の面々の中で、リエルという存在の恐怖感が高まった瞬間だった。


 倒れ伏していたジェラルドの気が付いたようで、ハッと起き上がる。

「とどめが必要だったかしら」

「待って! 誤解だから! 多分誤解だから!」

 なんか、浮気がバレた旦那さんみたいな発言になってる気がするけど、あえて突っ込むまい。……さすがにこの状況を引っ掻き回したらジェラルドの命が危うい。

「では、釈明してもらおうかしら。どうしていきなりご両親を紹介してもらおうなどと思ったのか」

「いや、ミーシャはこうやって猫みたいな姿に変身出来たわけだけど、ご両親はどうだったのかなって、そう思っただけなんだけど……」

「……言い方が、紛らわしいわ」

 そう言うとリエルは顔を背け、黙り込んだ。恥ずかしい勘違いだったね、リエル……。


「ええと、それで」

 立ち上がりながらジェラルドが再びミーシャに問いかける。

「どうなの? ミーシャのご両親が君のように猫みたいな姿に変身出来るなんて話は、聞いたことない?」

「んー……にゃいにゃ。そもそもボクみたいにゃ言葉遣いでもにゃいし、そんにゃ素振り見たことにゃいにゃ」

「そっか。もしかしたらって思ったんだけどな」

「あ、でも」

「何!?」

 すごい食いつきだ。


「なんか、ジェラルド、気持ち悪いな……」

「さすがにそれは傷付くからね?」

「いや、だって、ほんとに気持ち悪いんだもんよ……」

 幼馴染に蹴られて吹っ飛ぶわ友人に気持ち悪いって言われるわ、散々だなあ、ジェラルド。半分くらい自業自得だから同情はしないけどね。

「えーと、続けてもいいかにゃ?」

「あ、うん。どうぞ」


「ボク、田舎に住んでる母方のおばあちゃんにそっくりだとはよく言われるにゃ。なんでもおばあちゃんも猫みたいにゃ人だったとかいう話にゃ」

「ってことは、そのおばあちゃんもミーシャみたいに変身出来る可能性があるわけか」

「まあ、そっちのおばあちゃん、結構前に死んじゃってるんだけどにゃ」

「そっか……何か話が聞けるかと思ったんだけどな」

 残念ながらジェラルドの目論見は外れてしまったようだ。ミーシャは自分自身のことについて自覚がないみたいだし、同じような存在の可能性があったおばあちゃんはもう亡くなっちゃってるし、彼女についての話は聞けそうもないね。

「それでさ」

「何、ヴィオラ?」

「よく考えたら、これって悩みはもう解決出来たってことでいいのよね?」

「まあ、そうなるのかな……ミーシャ?」

「解決ってことににゃるにゃあ。また猫たちと今まで以上に仲良にゃかよく出来そうだしにゃ」

「じゃあ、そろそろ日も傾いてきたし、帰りましょうよ」

「そうだね。じゃあミーシャ、道案内よろしく。……あと、姿は元に戻しておこうね。街の人に見られたら大変なことになるよ」

「それもそうにゃ」

 そういうわけで、私たちは帰ることにした。……もちろん帰りも、あの狭い路地をグネグネと抜けて。


 別れ際、ミーシャはこんな言葉地雷を残していった。

「今日は楽しかったにゃ。また、あの部屋で会おうにゃ」

「あの部屋でって、あんた、またあそこで寝るつもり?」

「そりゃ、一度見つけたお昼寝スポットはにゃかにゃか手放せにゃいにゃ。それに」

「それに?」

「キミのこと、気に入っちゃったしにゃ」

 と、ジェラルドに向けて。

「じゃあね~また明日にゃ」

 そのまま手をひらひらさせて、彼女は自分の家(後で聞いたところによると、道具屋をやっているらしい)に帰っていった。

 手を振り返すジェラルド。その顔は、笑顔というか、なんというか、ニヤけ顔だった。……その隣のリエルの顔は、見た者を底冷えさせるような顔だった。少なくとも私の肝は冷えた。肝、ないんだけどさ。



 ちなみに後日、私とジェラルドとで学院長室に行った時に、ミーシャについてサルファと話をしてみた。

「ああ、彼女か。彼女もそういえば、魔素を纏っていたな」

「ってことは」

「君たちの話と合わせると、彼女も亜人である可能性が非常に高いな。しかし興味深い。か……」

「なんか一回変身出来ちゃってからは普通に変身出来るようになったみたいで、よく猫の姿をして生活支援室で寝てますよ」

「なんとも猫らしいじゃないか」

 くっくっく、と笑うサルファ。

 それで、とサルファはジェラルドに問う。

「どうだった、生活支援係としての初の悩み解決は?」

「そうですね……」

 うーん、と少し言葉を選び、そして笑顔で、

「楽しかったです」

「そうかい」

 それはよかったな、と。

 そんな感じに、私たち学生支援係は活動を開始したのだった。

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