第4話:学生支援係、活動開始にゃ日常(前編)

 猫だった。

 陽に当たる場所で丸くなって寝転がる。舌で自らを舐めて毛並みを整える。それでいて獲物を狙う時にはその俊敏さを遺憾なく発揮する狩人。そして、やはりくしくしと顔を拭う姿がどうにも愛らしい動物、猫のことだ。

 その顔立ちは、どう見ても猫のそれだった。その毛並みは、どう見ても猫のそれだった。その耳は、その目は、その仕草は。どう見ても、猫だった。


 ただ――

「どんなもんにゃ?」

 直立二足歩行で、人類の言葉を話し、しかもさっきまでホビットの姿をしていて。その上顔立ちと毛並み以外はさっきまでの姿とそう変わらないわけなのだが。

 こんな猫がいてたまるか。私はそう思った。でもどことなく可愛い。

 さて、どうして目の前にこんな奇妙な生物――猫っぽい、でもベースはホビット族なんていうもの――がいるのか。それには話が遡る。



 入学式の(サルファが厄介な頼みごとをしやがった)日が終わり、授業が始まった。

 当然ながら、私は授業中には姿を隠している。こんな美少女が周囲を浮いていたら周りの人の気が散るし、そもそも私は(状況を引っ掻き回すのは好きだけど)迷惑を掛けたいわけじゃないからね。

 ちなみに普段は堂々と浮いてるよ。周囲からはへーすげーくらいのことしか言われないし、むしろみんな初めて見るゴーストってやつに興味津々みたい。……正直、あんまり驚いてくれないからちょっと面白くないなーという気持ちがなくはない。フレンドリーだけど一応伝説の存在なのよ? 私ってば。


 まあ、というわけで私も暇だから授業を聞いたりしている。歴史だとか数学だとか色々あって、全部分かるわけじゃないけど、聞いていてなかなか面白い(サルファが入学式で変なことを言っていたから退屈なんじゃないかとちょっと心配だったんだけど、そこは心配要らなかったみたい)。

 ちなみに今からは生物・魔物学の時間。今日が初めての授業だから基本的なことから話すみたいだよ。前に立つのは――

「えー、私が君たちの生物・魔物学を担当するジャンティだ」

 私たち(というよりも二人)を学院長の元まで案内してくれたジャンティ先生。身体は大きいけれど、優しそうな顔をしているし、実際いい人なんじゃないかなという気はする。


「大学部においては生物学と魔物学は別に研究されているのだが、高等部の授業においては二つを同じ時間に行う。理由は単純だ。少なくとも君たちに対する教育段階では独立させて時間を取るほど魔物学と生物学の有意な違いが存在しないためだ」

 確かに今の時代魔物なんてほとんどいないし、そもそも一般的には動物と魔物なんてほとんど区別がつけられてない。図鑑を見て初めてこいつ魔物だったんだ、みたいに思うこともザラにあるみたいだし。


「では手始めに、君たちの知識の確認がてら、いくつか簡単な質問をさせてもらおう。何、成績には関わらないものだ。ウォーミングアップだとでも思ってくれ。まずは一つ目。魔物とその他の生物を区別するものは何だ? 分かる者は挙手して」

 教室に座っている人のほとんどが手を挙げた。このくらいは、さすがに私でも分かる……かな?

「では、そこの、エルフ族の君。名は」

 指されたのは私たちにとっては顔なじみの、元気な少年。

「カイルです!」

「では、カイル。魔物と他とを区別するものは?」

「魔力を帯びているかどうかです」

「実際に観察する上においてはそれで問題はない。しかし、もう少し定義の話をして欲しいところだ。他に、答えられる者は」


 カイルの答えは残念ながら一歩足りない答えだったらしい。……実は、私の考えていた答えも似たようなものだったりする。まあ、私は勉強したわけじゃないからね!

 ジャンティ先生は教室をぐるっと見回し、また違う生徒を指した。前の方に座っている背の小さい……あれは、ホビット族の女の子だ。短めの茶色い髪で、耳のような感じに二つのハネがあるのが特徴的。なんか、猫とかみたいな感じの。

「名は」

「ミーシャです……にゃ」


 ん?


「……すまん、もう一度頼む」

「ミーシャです」

 ……気のせいかな。さっき、何か聞こえたような気がするんだけど。気のせい、ということにしておこう。そんな、いくら猫みたいな髪のハネがあるからって、猫の鳴き声みたいな語尾が付くなんてあり得ないよね。


「えー……ではミーシャ。魔物と他とを区別するものは?」

「魔素によって変質したかどうかです。他の動物とは違った機構を持つことが多く、また影響を強く受けたために魔素を帯びています」

「では、具体的にどういった機構を持った魔物が現代には生きている?」

「水中ではなく砂中を泳ぐ機能を持ったサンドフィッシュや、引き抜かれた時に人を気絶させるほどの金切り声を上げるマンドラゴラにゃどです」


 ……気のせい、じゃないね。きっと、「な」が「にゃ」になるような訛りの地域から来た人なんだよ、うん。そうに違いにゃい。

「あー……ありがとう、完璧だ」

 ジャンティ先生も「にゃ」については聞かなかったことにしたらしい。

「では、二つ目の質問に移ろう。動物の中でも、家畜として我々の生活に深く関わっている――」

 とまあ授業はこんな感じだった。他の授業の様子はまた違う時にでも。



 今日の授業が終わって、私たちは学院にある食堂でカイルを交えて適当なおしゃべりをしていた。

「お前ら、この街にもそろそろ慣れてきたか?」

「いやあ、それがまだまだ。道なんかも全然分かんないしね」

「そうは言っても、さすがにうちから学院までくらいは分かるだろ?」

「それが分からないと困るってもんじゃないと思うんだけど……」


「だから分かるだろって言ってんだよ。リエルの方はどうだ?」

「そうね、私も似たようなものかしら。道はともかくとしても、まだ人の多さには慣れないことが多いわ」

「あー……俺には理解出来ねえなあ、それは。アルベール生まれアルベール育ちだしなあ」

 まあ、下宿のとこの子だし、そうだよね。でも、

「他の街に行ったことってないの?」

 これはちょっと気になる。


「俺はないな。大体この街で全部なんとかなっちまうし、おふくろはここから離れらんねえしな」

「そっか、それもそうだよねー」

 なんて話していると、ジャンティ先生が近付いてきた。どうかしたのかな。


「君たち、時間はあるか」

「まあ、特にやることはないですけど」

「そうか、それは気の毒にな」

「……もしかして」

「君は――サキだったか? そのもしかしてだろうな。学院長がお呼びだ。なんでも君たちの役職について重要なことだそうだ」


「役職ってあれか? 相談役みたいな」

「そういえば、カイルとヴィオラにも声を掛けたということをおっしゃっていたわね」

「……まあ、なんだ。君たちも面倒なことに巻き込まれたな」

 前に引き続きサルファのメッセンジャーをさせられているジャンティ先生もなんだかんだ面倒に巻き込まれてる側なんじゃないかって思うんだけど。



 そういうわけで、学院長室までやってきた私たち。

「……それで、今日はどういう要件でしょうか」

 手短に済ませてくれと言わんばかりの冷たい対応。さすがはリエル。

「まあ、待ちたまえ。まだ役者が揃っていない」

「確かに、まだ私たち三人……四人? だけだけど。ヴィオラはともかく、他にも声を掛けたって話をしてたけど結局何人集まったわけ?」

「……君には、私に対しての敬意だとかそういったものはないのかね。まあいい。君たち三人とヴィオラくん、それから五人ほどに声を掛けたのだがな」

「少なくないかな、やっぱり。それで? 何人が了承したの?」

「聞いて驚くな。君たちを含めて五人だ」

「……」

 全員が目を逸らした。五人って、ここにいる三人とヴィオラと、あと一人だけじゃん。


「……案外人望ないんだね」

「そういうことを言うのはやめろ。私だって心は痛むんだぞ」

「知るかそんなもん」

 私は三人に、どうする? という視線を投げかけてみた。

 ジェラルド――すごく複雑そうな顔をしてる。まあ、キミが安請け合いしたんだからキミは自業自得だ。リエル――目を逸らした。多分現実からも。強く生きよう。カイル――曖昧な笑みを浮かべている。いや、あるいは全てを諦めた笑みかも。


 そこで、コンコン、と扉がノックされた。

「入りたまえ」

 サルファが鷹揚に入室を促す。

「失礼します。ラファールのヴィオラです」

 入ってきたのはこれまた私たちにとっては顔なじみのエルフ少女、ヴィオラだ。ちなみに彼女が入ってきた瞬間に顔を歪ませた人がいた。――言うまでもなくカイルだった。


「失礼、します」

 彼女の後に続いて、もう一人の声が聞こえた。ヴィオラの後ろに目を向けると、そこに立っていたのはおどおどとした少女……というか、幼女くらいの年齢に見える。

 ああ、ドワーフ族の女の子か、と思った。低い背丈はホビットと似たようなものだけど、幼い顔立ちと胸についている立派なそれ(あえてぼかしたけどぶっちゃけて言えば大きなおっぱい)はドワーフ女子の証。……ドワーフって、男の人はずんぐりむっくりした筋肉の塊みたいな見た目の人たちなのに、どうして性別が変わるとこうなるんだろうね。


「ええと、君は……?」

 三人を代表してジェラルドが尋ねる。

「クンストの、タンツ、です。よろしくお願い、します」

 なんか話し方が切れ切れというか……話すことに慣れてない感じだ。


「キミが、五人目の相談役?」

 一応気になったので聞いてみる。多分、そうだとは思うんだけど。

「……あ、あう」

 どうやら私の姿に驚いてしまったようで、ヴィオラの後ろに隠れてしまった。どうやらヴィオラとは仲がいいみたい(カイルが絡まなければいい人なんだよね)。

「一応あたしからフォローしておくと、彼女がそうよ。クンスト山からやってきたタンツ。少し話すのは苦手みたい」

 ……相談役なのに話すのが苦手って。本当に大丈夫なんだろうか、このチーム。


「さて、役者は揃ったようだね。とりあえず皆、ソファに座りたまえ」

 奥の机で座っていたサルファが立ち上がり、少し芝居がかった感じに話し出した。

「さて、今日諸君を呼び立てたのは他でもない。相談役として今後動いてもらう君たちにとって大切な事項を決めなければならないからだ。ついでに、顔合わせという側面も持ち合わせているがね」


「大切な事項って……何のことですか?」

 ヴィオラが小さく手を挙げて、尋ねた。

「名前だ」

「はい?」

 しかし、こんなトンチンカンな返答が来るとは思っていなかったらしく、素っ頓狂な声を上げることになってしまった。名前って……?


「君たちの役職に、名前が必要だ。いつまでも『相談役』だなどと呼んでいられないだろう?」

「……もしかして、そのためだけに呼び出したわけ? 私たちを」

「だから、顔合わせも込みだと言っているだろう」

「ついでって言ってたでしょうが!」


 私をまあまあ、と諌めつつ(この間もこのやりとりしたね)、ジェラルドが口を開いた。

「……まあ、役職の名前の方はともかく」

「大事だぞ、そちらも」

「ともかく。まずは、自己紹介をしない? 大鷲荘に住んでる僕たちはお互いに知り合ってるけど、そっちの――タンツさん? と話すのは初めてなわけだし」

「あたしもそれには賛成ね。特に、なんか特殊な存在までいるし」

 ヴィオラが私の方を見ながら。「なんか特殊な存在」って……。だから私は美少女ゴーストだっての!


「じゃあ、言い出しっぺの僕から。僕は、イヴァナ村から来たジェラルド。趣味は、魔物について調べること……かな。よろしく」

「え、趣味とか言った方がいいの?」

 名前を言う程度かと思っていたのか、カイルが驚きの声を上げた。

「いや、なんか、自己紹介っていうと趣味くらいは言った方がいいかなって」

「そうか? まあいいや」


 趣味かー、趣味ねえ……なんて考えながら、私も口を開く。

「じゃあ次は私ね。私は、サキ。ジェラルドに取り憑いてる美少女ゴースト。喋ることとジェラルドを蹴ることくらいしか出来ないから、特に危害は加えられないよ。安心してね! 趣味は……面白くなるように引っ掻き回すこと? よろしくね!」

「僕が安心出来ない自己紹介なんだが」

「ジェラルドは大人しく蹴られてて」

「納得いかねえ……」


 次に口を開いたのはリエル。

「ジェラルドと同じく、イヴァナ村からやってきたリエルよ。趣味は……特にこれといったものはないのだけれど。強いて言うならば本を読むこと、かしら。この役職になってしまったのは成り行きのようなものだけれど、よろしくお願いするわ」

「そういえば、確かにリエルってあんまり趣味っぽい趣味は持ってないよな」

「日常生活の範囲内でなら何をやるのも嫌いではないから、そういう意味では日常生活全てが趣味なのかもしれないわ」

「では相談役の仕事も趣味としてやってもらえそうだな」

、ですから」

「そうか……」


 えーっと、途中にサルファの余計な言葉が入ったけど。

 次はカイルが自己紹介。

「俺はカイル。うちのおふくろがジェラルドと、リエルと……それからこれヴィオラが住んでる、『黄昏の大鷲荘』の主人をやってる。アルベール生まれアルベール育ちだ。この街のことは大体分かるから、困ったことがあれば聞いてくれ。趣味は……おふくろの手伝いで料理することかな」

「料理か。いいな」

「何が『いいな』なのかは分からないっすけど、大したことは出来ねえっすよ」

「それでも、料理が出来るということはいいものだ。うん」

 どこか遠い目をしながらサルファが語る。

「……もしかして、サルファって料理出来な――」

「おっと、その話はそこまでだ。さあ、次に進もう」

 どうやらこの話題は触れられたくないらしい。今度何かあったらこのネタを使ってやろう、と私が密かに決心した瞬間だった。


「ええと、では次はあたしが。あたしはラファールの森から来たヴィオラ。これカイルのお母さんがやってる『大鷲荘』に住んでるわ」

 どうでもいいけどこの人たちは自己紹介にもお互いの非難を入れずには済まないのだろうか。

「趣味は、そうね。魔術を学ぶのが好きだから、それが趣味ってところかしら?」

 やっぱり森エルフっていうと魔術って感じだね。なんか森の中で魔法陣とか囲んで討論とかしてそう、っていうのは私の勝手なイメージ。


「じゃあ、最後はタンツかな」

 こくり、と頷くタンツちゃん(呼び捨てよりは「ちゃん」って感じ)。

「えと、わたし、クンストの山から来た、タンツ、です。趣味、は……絵を描くこと、です。よろしく、お願いします」

 苦手ながら頑張った感じが出ていてとても健気だ。なんか、保護欲を刺激されるタイプ? 少なくとも私はクンツちゃんのことはとても可愛いと思う。多分ヴィオラもそう思ってる。でも、こういう子のこと嫌う女子も多そうな気はする。


 学生同士でうんうん、みんなよろしくねみたいないい雰囲気を作ったところに、ぶち壊す大人がいた。誰なのかは――言うまでもないね。

「私は、サルファ=クラウツィアだ」

「うん、今更自己紹介要らないからね」

「そうは言ってもだな、私とて自己紹介くらいはさせて欲しいと思う所存なのだよ」

「まあまあ、サキ。学院長だって僕たちを纏める先生なんだから」

「いや、私は顧問にならんぞ? 顧問はジャンティ先生にお願いするつもりだ」

「……」

 フォローに入ったジェラルドもさすがに黙り込んだ。最悪だな、この人。っていうか結局ジャンティ先生は被害者になるのね……。


「では、改めて。私はサルファ=クラウツィアだ。アルベール総合学院高等部の第六代学院長を務めている。年齢は秘密だ。諸君の顧問にはならんが、接する機会は多いだろう。皆、よろしく頼む」

 これ以上ないほどの、やり遂げた顔をしながらサルファは自己紹介をした。

 誰も、何も反応することはなかった。順当だと思う。



「さて、本題に戻ろうか」

 微妙な空気になったところでサルファが手を叩き、そう言った。

「……やっぱり必要ですかね。その、役職の名前を決めるってやつ」

 相談役自体は(サルファの策略によって)安請け合いしたジェラルドだけど、名前を決めることにはあまり乗り気ではないらしい。まあそりゃ関係ないしね、直接の活動には。

「必要だとも。役職名がきっちり決まっているのとそうでないのとでは、働く際の身の入り方が違ってくるだろう?」

 多分、そうでもないと思うけど……。みんなもそう思っているのか、この意見に賛同する声を上げる人は誰もいなかった。


 まあいい、と呟いてサルファは続ける。

「諸君から案を出さないと言うのならば、こちらから勝手に名前を付けさせてもらうぞ。いいのか?」

「……どのような名前かによりますが」

 リエルはこれまた冷たい反応。もう私とサルファ嫌い同盟でも組もうよってくらいには、気が合いそうな気がする。


「とりあえずいくつか考えてみたのだが。まずは一つ目。『アルベール学院高等部相談窓口』」

 だっせえ、という声をなんとか飲み込んだ。

 ……まあ、一つ目だからね。きっと本命は後に持ってきてるんだろう。

「二つ目。『学生何でも相談所』」

 駄目だ、さっきより酷いような気がするぞ。

「三つ目。『アルベールの情熱相談窓口 ~若き男女を添えて~』」

 絶望的なまでに、センスがなかった。センスがないというか、一周回って実はセンスの塊なんじゃないかって思わなくもない。でもこの名前はやっぱりあり得ない。


 私たちの間には、絶望のみが広がった。少なくとも、この人に任せていてはいけない。そういう空気は作られた。今後名前付けに関してサルファの意見は(さりげなく)なかったことになることだろう。

「あたしたち、何か名前、考えてみますね。やっぱり自分たちの役職名は自分たちで決めなきゃね!」

 ヴィオラ、ナイスフォロー。そういうわけで、私たちは(少なくともサルファが出したものよりは)まともな役職の名前案を出し合うことになった。


「さて、とは言ってもあたしには名前を付けた経験なんてないんだけど……どういった名前がいいんだろうね?」

「そもそも名前を付ける経験なんざあるわきゃねーだろ。それも役職の名前とかよ」

 カイルがわざわざ噛み付くように言った。もっと人数が多いならともかく、全部で五人なんていう少人数ともなるといがみ合ってる二人が顔を合わせて話すことも多くなるっていうのは問題だよね。今はカイルもかなり抑えて(これくらいなら抑えている方なんだよ)いるけど、何かの勢いで火が付いた時は大変そうだ。

「経験はないかもしれないけど、っていうか僕だって経験はないけど、『こんな感じがいいなあ』くらいなら、考えられるんじゃないかな」

「そもそも、人や動物以外の名前を考えることなんて普通はないと思うけれど。それはともかく、私としては短くまとまった名前がいいと思うわ」


「確かに、どこかの誰かが考えるような長い名前よりは、短い名前の方が呼びやすいしねー。これからこの役職名でキミたち――私たちのことを呼ぶってこともあるかもしれないし?」

「そのどこかの誰かというのは誰のことかね」

「自分の胸に手を置いて考えてみればいいんじゃないかな」

 首をかしげて不思議がるような素振りを見せる(多分、分かっていてやっているだろうけど)サルファは置いておいて。

「じゃあ、とりあえず、その『短くまとまった名前』って方向性で進めてみましょっか。あたしはまだ考えつかないけど」


 うーん……と首をひねる一同。かくいう私も特に何も思い付かない。

「やっぱり、難しいな。なかなか思い付かない……」

「そうかね。やはり、私の考えた名前の中から選ぶかね?」

 どことなく嬉しそうなサルファ。あなたは引っ込んでてくれ。

「いえ、遠慮しておきます。ヴィオラの言う通り、僕たちの役職名ですから、僕たちが名付けるべきですしね!」

 そしてすごすごと引っ込んでいくサルファだった。この人、もはや威厳も何もあったもんじゃないな。


「どうしたもんかなあ。役目を的確に言い表したような名前の方がいいんだろうけどよ、短くまとめてってなるとなかなか思い付かねえもんだな」

「そうだね……」

 うーん、ああでもない、こうでもない、とそれぞれ色々考えてみては何か違うなあと思い直す、みたいな状態になってしまった。かなり行き詰まっちゃったな、どうしたもんかなあ、これは。


 けれど、この状況を打破する人がいた。

 はい、と手を挙げたのは……今までずっと口を閉ざしていた、タンツちゃんだった。

「あの……わたし、も、考えてみたんです、けど……」

「おお、なになに? どんなのでもいいから言ってみてよ! 私たちじゃもう行き詰まっちゃってるしさ!」

「ひう……」

 未だに私のことは少し怖いらしい。傷付くわー。

「ほらほら、私、特に害なんて与えない系美少女ゴーストだから! 怖がらなくても大丈夫だから! だから怖がらないでお願いします」

「必死だな、お前……」

 カイルに呆れられたけど、どうでもいい。タンツちゃんからの信頼の方がよっぽど大事だ!


「が、がんばり、ます……」

 怖がらないように頑張るっていうのもなんかよく分からない話だけど、可愛いから許す。

「それで、あの、」

 と言いながら背負っていた鞄の中から羊皮紙とペンとインクとを取り出し、机で何か書き始めた。話すのが苦手だから、文字で伝えようってことかな?

 書き終わったようで、羊皮紙を私たちの方に向けて広げるタンツちゃん。そこに書いてあったのは、

「『学生支援係』……?」

 こくり、と頷いて同意を示すタンツちゃん。どうやらこれが、彼女の考えた私たちの役職名らしい。


「いいんじゃねえか、なんかこう、ビシっと決まってる感じがあって」

「あんたに賛成するのは癪だけど、あたしもいいと思うわ。相談に乗ることで学生たちの生活を支援する。私たちの仕事を現すいい名前だわ」

 私も、いい名前だと思う。っていうか何も思い付かないし。

 他からも反対意見は出なかった(そもそも誰もこれといった案を出せてなかった上に、サルファのよりはよっぽどいい案が出たから当然だろう)。

「じゃあ、これからあたしたちの名前は『学生支援係』ってことで」

「なんか、お前が仕切ってる感じになってるのが腹立つな……」

「何か?」

「何も」

 だからギスギスするのはやめてってば……。この二人のいがみ合いは胃が痛むような感じがして辛い(痛む胃はないんだけど、なんとなくそんな感じがするってことだよ)。


「いや、いい案が出て幸いだったな」

 あなたは何もしてないけどね。

「名前が決まったところで、諸君の活動に必要なものを用意させてもらった」

「何ですか?」

「では、クイズだ。君たちの活動に必要な人は揃った。名前も付けられた。それでも、活動のために必要なものがまだ足りないだろう?」

「お金ですか?」

「それは……必要な時に渡そう。今はその時ではない。ジェラルドくん、案外そういうのにシビアなのかね、君は」

「貧乏育ちしてるとお金の重要さはよく分かりますよ」

「そうか……。奨学金の受け取り以外にも何か小金稼ぎをしてみるといい。生活に潤いが出るだろう」

「あ、ありがとうございます……」

 何の話をしてるんだ、キミたちは。


「えー……それで、何だったかな。そうそう。君たちの活動に必要なもので、まだ足りないものは何かな?」

「場所、ですか」

「その通りだ、リエルくん。君たちが集まるための場所が必要だろう? まさか毎回学院長室に集まるわけにもいくまい」

「そりゃあ確かに、そうだね。こんなところに毎回来るのも面倒だし」

「こんなところとはなんだ。確かにここは少し外れた場所にあるが」

 そういうことだよ。毎回移動が面倒なんだって。

「それに、相談する人、も……学院長室には、入りづらい、です」

「そう、それだ。気軽に相談しに来られる場所ではないからな。何せ、学院長がいる部屋なわけだし」


 それで、とサルファは続ける。

「高等部の入り口近くの会議室を、君たちのための部屋として開放することにした。今」

「他の先生との話し合いは必要なかったのでしょうか……」

「大丈夫だろう。学院長権限だ」

 げんなりした様子のリエルをよそに、サルファは話を続ける。


「それでは、明日から活動を開始してもらおうかな。相談箱も部屋の前に設置しておこう。他の都合があればそちらを優先してもらっても構わんが、暇な時間があれば会議室――そうだな、学生支援室とでも名付けるか――に集まってもらええれば助かる。何、特に相談がなければ君たちで適当におしゃべりでもして花を咲かせていれば問題ない」

「了解っす。まあ、多分初日から相談事が持ち込まれるなんてことはないとは思うんすけど」

「それは分からんぞ、ジェラルドくん。案外、すぐにでも相談したいという者がいるかもしれん」

「どうっすかねえ……」

 最後にそんな会話を交わして、私たちは帰ることにした。のだけれど。


 最後の最後で爆弾を投げ付けてくる大人がいた。……誰がそうかは、言うまでもないだろう。

「ああ、それと。初等部や大学部の学生からの相談事も君たちの管轄なので、頑張ってくれたまえ」

「その話は初めて聞いたなあ」

「それはそうだろう。初めて言ったのだから」

「えー……」

 どことなくげんなりした様子で、私たちは学院長室を後にすることになったのだった。



 翌日。昼でジェラルドたちの講義が終わったので、私たちは昼を食べてから学生支援室に行ってみることにした。

「入り口近くっていうと、この辺なはずだけど……ああ、これか」

「うわ」

 思わずそんな声が出てしまった。

 だって考えてみてもみて欲しい。入り口近く、外側に面するようにあるその部屋の扉の周りには、サルファが取り付けたのか、「学生支援室」と書いた看板。それから、「相談事、悩み事があればこちらまで! 学生がお悩みを解決します!」という(無責任な)ポスター。


 ちょっと入るのが嫌になりそう。っていうかなってる。相談者側も入りづらいような気がするんだけど……まあそれはいいか。

「鍵は……開いているようね。入りましょうか。……少し気は進まないけれど」

 元々が会議室だからだろうけど、部屋は五人が入るには充分すぎるほどという広さで、長方形を作るように机と椅子が設置されていた。窓からは日光が入り、部屋の真ん中までを照らして――。


 そして机で作られた長方形のど真ん中で、寝ている人がいた。


「……先客がいるようね」

「……そうだな」

「……そうみたいだね」

 二つのハネが特徴的な髪型をした、茶色い髪の、ホビット族。……ジャンティ先生の講義で一緒だった女の子だ。


「もしかして、相談事があって入ったけど誰もいなかったから寝ちゃったとか?」

「それにしても、その真ん中で寝る理由は分からないけれど……」

「まあいいや、起こしてみよう」

 ジェラルドは正面の机をガタガタと動かして長方形に穴を開けて、寝ている女の子に近寄った。

「おーい! なんでこんなところで寝てるんだ? もしかして、相談事でもあるの?」

「うるさいにゃ……安眠妨害するんじゃにゃい……」

 そう言って、彼女はごろんと寝返りをうった。……起きる気はないらしい。


 陽だまりで丸くなって寝てると、髪型も相まって本当に猫みたいに見え……なくもない。猫にしてはかなりでかいけどね。

「困ったな……どうしよう、リエル?」

「私が起こすわ」

 リエルがどことなく据わった目をして二人に近付いた。リエルは寝ている彼女の正面に立つと、肩をつかんで揺り動かした。

「起きなさい」

「んにゃ」

 その手は振り払われた。もちろん、明らかに寝ぼけた様子の(というかまだ寝ている)彼女に。

 そして私は見逃さなかった。……リエルの顔が少し苛立ちに歪んだのを。


「……どうしてくれようかしら」

「蹴ってみるとかどう? 傷付けない程度に」

「悪くない案ね」

「穏便に済ませてくれ、頼むから」

 明らかに放っておくとまずい様子のリエルと、それを煽る私を諌めるジェラルド。なんかジェラルドって諌めてばっかりな気がする。……その原因の一端は私だけど。


 どうどう、とやっていると背後の扉が開いた。

「おーっす……どうした?」

 入ってきたのはカイルだ。彼は不思議そうにこちらを見ると、ああ、とため息を付いた。

「ミーシャか。全くそいつの昼寝癖には困ったもんだな」

「知ってるの、カイル?」

「まあな。そいつもアルベール育ちだし、昔は一緒に木に登ったりして遊んだもんだ」

「木ってもしかして……街路樹に?」

「街路樹に」

 大人に見られたら確実に怒られる気がする。とんだ悪ガキだ。カイルらしいと言えばカイルらしいけどさ。


「しかし、どうしたもんかな。なかなか起きないみたいなんだよ。目覚め粉でもあればいいんだけど、今は持ってないし、買いに行くにもなあ――」

「目覚め粉なら、あるわよ」

 いつの間にか、ヴィオラがそこにいた。タンツちゃんも一緒だ。

「ああ、ヴィオラ。……え、目覚め粉、持ってるの?」

「ええ、調合でよく使うからね。持ち合わせはまだあったはずよ」

「常に持ち歩いてるのか……」


 ちなみに目覚め粉は三日月草といくつかのハーブの粉末を混ぜたもの。

 薬によく使われるもので、雑貨屋に行けば安くで必ず置いてるような品物。

 正式名称はもっと違うのがあったはずなんだけど、この粉の爽やかな香りを嗅ぐと目が覚めるからって理由でもっぱら目覚め粉って呼ばれることがほとんど。……鼻に入ると強烈に目が覚める、らしいよ。


「あったあった。はい、これ。……ところで、何に使うの?」

「多分、あれを見てもらえればすぐに分かるよ」

 なになに、と机の向こうを覗き込んですぐ、納得したみたい。ちなみに彼女――ミーシャは未だに横向きに丸くなって寝ている。近くでこれだけ人が話してるのに、よく起きないもんだね。

 ジェラルドはヴィオラから受け取った目覚め粉を持って、ミーシャのそばにしゃがんだ。蓋を開けて、手で香りを飛ばすように扇ぎながら、

「おーい、起きろー」


 すると、すぐに変化が起きた。

「にゃ……? この匂いは……!?」

 バッと起きてすぐさま飛び退いた。そしてそのまま、ケホケホと咳き込み、

「にゃ、にゃんてことするんにゃ! けほ、はにゃが、はにゃが……!」

「お、大げさだな。ちょっと目覚め粉の香りを嗅がせただけだろ? 鼻に入るほどは近付けてなかったはずだぜ」

「ボクには問題大ありなんだにゃ!」

「あー。そういえば、昔から鼻がよく効くみたいだったな。動物か何かみたいに」

「……それは、先に言おうよ。僕、すごく可哀想なことしたみたいじゃん」

 目覚め粉には有名な注意書きがある。それは、

「犬や猫などの鼻の効く動物には匂いを嗅がせぬこと」。

 ……いや、ホビットだけどね? 嗅いだのは。

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