第1話:始まった日常

「うわあ……」

 大きな荷物を持った田舎者たち――イヴァナ村からやってきた少年と少女、ジェラルドとリエル――は圧倒されていた。何に? 都会の人混みに!


 どうも、天の声です。夢見がちな赤髪の少年ジェラルドと、その幼馴染でクールな銀髪の少女リエルの二人はアルベールの街というところにやってきているよ。

 南門から入った彼らを待ち受けていたのは巨大な市場で、見渡すかぎりの人、人、人。どうやら彼らも都会の人の多さについて話には聞いていたようだけど、実物を目の前にして圧倒されてしまったみたい。


「何だこれ……。この市場にいる人だけでうちの村いくつ分だって話だぜ」

「全くね。これだけ人がいるとなんだか人混みに酔ってしまいそう。今までに感じたこともない変な感覚だけれど」

「ああ、なんか分かる気がする。僕もなんか目がクラクラしてきた」


 街の名前からしてなんとなく分かってくれるとは思うんだけど、この街は暗黒時代が終わりを告げてから設立された世界最大の教育・研究機関であるアルベール総合学院を中心として出来上がった街、らしい。残念ながら私にはこの街についての記憶はないから知識でしかないんだけど。


「ええと、とりあえず……どうしよう?」

「どうしようって……まずは私たちがこれから住む下宿に行けばいいんじゃないかしら。荷物も置いてしまいたいし、挨拶もしたいし」

「なるほど、確かにそれはそうだ。ええと、地図はどこにしまったっけ……」


 さて、どうして彼らが生まれ育った田舎、イヴァナ村を離れて馬車ではるばるアルベールまでやってきたのかと言うと、彼らがこれからこの街で住むことになったから。もっと正確に言うなら、アルベール総合学院の高等部に通うことになったから、かな。

 小さな村で生まれ育った、ついでに言えば受験も近くの小さな街(それでも彼らにすれば大きな街だったんだけど)で済ませた彼らにとってこれほど大きな(小さな国程度もある)街を歩くには地図が必須。


 学院から送られてきた地図をようやく見つけたようで、

「ええと……あったあった。それで、この印が今から行く、『黄昏の大鷲荘』? 南門からそう遠くはないみたいなんだけど……こうなってみるとどこだかよく分かんないな」

「ちょっと見せて」

 リエルが横から覗き込む。いやあ、これだけ大きな街ともなると地図を見るだけでも一苦労だね。


「……こっちの方角みたいね。外壁沿いに歩いて行けば見つかるんじゃないかしら」

「そっか、ありがとう。じゃあ荷物は重いけどあともう少し、頑張ろうか」

「ええ、もうひと頑張りね」

 外壁沿いに歩き出す二人。市場から離れると人通りもかなり減ってきて、二人にも周囲を見渡す余裕が出来てきたように見える。


「さっきは市場に圧倒されてよく分からなかったけど、この辺りはあんまり民家ってないんだな。家っぽいところは大体宿屋か下宿みたいだ」

「確か、アルベールの街にある家はほとんど中心街にある貴族の家だって話よ」

「マジか。でも確かに住んでるのはほとんど学生か商人だろうし、わざわざここに家を建てるのは初等部に子供が通ってる貴族くらいなもんか」


 学院の初等部っていうのは、彼らが通うことになる高等部とは違って貴族の子供のための教育機関としての側面が大きくて、学院の主収入源であるという話もある……らしい。七歳から十二歳の間、子供が通うためのその学費は庶民には一生かかっても払いきれないほどだとか。

 ちなみに高等部に入学出来るのは十三~十六歳の男女で、奨学金制度も充実してるから優秀なら誰でも通えるって話。もちろんジェラルドたちも奨学金で通うことになってるし、彼らの交通費や今後の下宿費も奨学金(多分、これも初等部の学費が元になっている)で賄われてる。


 さて、しばらく歩いたところでリエルがお目当ての建物を見つけたみたい。立ち止まって一つの建物を指差して、

「もしかしてあれじゃないかしら?」

 その手が示す先にあるのは二階建ての建物。一階の扉の上にあしらわれているのは黄昏色に染まる大鷲のマーク。

「確かに、それっぽいな。……名前も合ってるみたいだ」

「静かだし、外観も綺麗だし、いい場所かもしれないわね」

「そりゃ学院から案内された下宿なんだし、ある程度はいいところなんじゃないか?」

「私は逆に安い下宿でも仕方がないと思っていたのだけれどもね」

「まあでも、ありえない話ではなかったかもな。さて、じゃあ挨拶してみるか」


 ジェラルドが大鷲荘(長いからこう略させてもらう)のドアを開けると、ドアに付けられていたベルが鳴った(多分魔術式のものだ)。

「すみません、今日からここでお世話になるイヴァナのジェラルドとリエルなのですが、どなたかいらっしゃいますか」

 すると奥の方からはいはい、という声と共に一人の男――というより、二人と同じくらいの歳に見える少年――が走ってきた。


「どうも、いらっしゃい」

 人の良さそうな笑顔を浮かべた、短い金髪で浅黒い肌の少年だ。体格は少し小さめだけど、整った顔立ちに、長い耳――どうやらエルフ族の人みたい。長命な彼らとは言え、さすがにこの見た目ならジェラルドたちと同じくらいの歳だと思う。


「俺はここの息子で、カイルってんだ。よろしくな」

「よろしく。僕はジェラルド」

「リエルよ。よろしくお願いするわ」

「さて、おふくろが帰ってくるまでちょっと待ってくれ。今はちょっと市場まで買い物に出かけてて、すぐに帰ってくると思うんだけど――っと、ちょうどいいところに帰ってきた」

 カイルがドアの方を指差すと、ドアを開け、入ってきたのは大きな袋を抱えた、長い神の、これまた金色の髪をした、若そうな見た目にして母性を持ち合わせた感じの女性(若そうに見えるけど、エルフ族の見た目はあてにならないんだよね)。彼女は二人の方を見て、これまた人の良さそうな笑顔を浮かべた。この親子はかなり商売向きなんじゃないかな。


「あら、いらっしゃい! カイル、この二人は?」

「イヴァナのジェラルドと、リエルだってさ」

「そう、あなたたちが! 話は聞いてるわ」

「よろしくお願いします」

「長旅で疲れたでしょう。わたしはここの主人をやっているララよ、これからよろしくね。まずは部屋に案内するわ。カイル、これお願いね」

「はいよっと」

 カイルに持っていた袋を渡すと、ララさんはぱたぱたと小走りで階段の方へと進み、二人に向かって手招きした。……ジェラルドやリエルの両親と同じくらい(あるいはもっと上)の歳だと思うんだけど、なんか可愛らしいな、このお母さん。


 二階についてすぐのところでララさんは立ち止まって目の前にあるドアを指し示し、

「ここがジェラルドの部屋よ。リエルの部屋はもう少し奥。二人とも荷物を片付け終わったら下の食堂においで。さっき入ってきた玄関から正面だから。お茶を飲みながらお話を聞かせてちょうだい」

「ええ、分かりました。じゃあリエル、また後で」


 ララさんに連れられて廊下の奥へと進んで行くリエルに軽く手を振って、ジェラルドは案内された部屋の中へと入っていった。

 壁際に置いてあったベッドに腰掛け、背負っていた大きな鞄を床へと下ろし、部屋を見渡す。ベッドの他に机と椅子、タンスに本棚があって、それぞれに使われた痕がある。多分前にこの部屋にいた人たちのものなんだろう。


「さて、とっとと片付けちゃおう」

 鞄の中の荷物を次々と取り出していく。服がほとんどだけど、他にもペンとインクに羊皮紙、それから旅に必要だった物とか、色々な物が出てくる。そして最後にはボロボロになった本。彼が大事にしている魔物図鑑だ。


「さて、お前がこの本棚の記念すべき第一号だ。きっとこの本棚もすぐに埋まっちゃうんだろうけどな」

 そんなことを本に向かって語りかけながら(少し気持ち悪い)、空の本棚にその図鑑を置くジェラルド。そのまま他の物も淡々と片付けていく(なお気持ち悪い)。


 ジェラルドが荷物を片付け終わり、部屋を出るとちょうどリエルも片付けを終えたところだったようで、廊下に出て来た。女の子だけど特に荷物が多いってことはなかったみたい。


「お疲れ、リエル」

「そちらこそ、お疲れ様」

「そういやそっちの部屋はどうだった? ……って言っても僕のところと変わんないか」

「下宿なのだし、きっと部屋は同じようなものだと思うわ」

「だよな。僕はここ、かなり気に入ったんだけど、リエルはどう?」

「私も文句なしよ。これからここに住むのだと思うと嬉しいくらい」

「そりゃ良かった」

 と、そんなことを話しながら食堂(と思われるところ)までやってきた二人。食堂のドアを開けるとカイルとララさんの二人が既に座っていて、目の前にはティーセットとお菓子が。くそう、私も欲しいぞ。


「ああ、お疲れ様。クッキーを焼いたのよ。それからお茶も淹れてあるわ。座ってゆっくりお話しましょう、まだ分からないことも多いでしょう」

「では、お言葉に甘えて」

 ララさんはにこにことした笑顔を浮かべて四人分(当然だけど、私の分はない)の紅茶を注ぎ、再び座ってぽんと手を叩き、

「それじゃ、頂きましょう」

 ……ほんとに可愛らしいお母さんだと思う。


「二人はこれから高等部に通うんですって?」

「はい、そうです」

「俺も今年から高等部に行くんだぜ。家も同じだし、仲良くしてくれよな」

「そりゃあ、もちろん」

「ところで、今は他にここに住んでいる人はいないのでしょうか?」

 リエルの質問で私も気が付く。確かに、今のところカイル以外の居住者を見かけてない。


「ここは受け入れている人数は少ないのだけど、あなたたちの他に今年から高等部に通い始める子が一人に、高等部に通っている子が四人、大学部に通っている子が三人。だけどほとんどみんな今の時期は実家に帰っているの」

「そうなのですね。今も残っている人はどのくらいいるのですか?」

「ええと……。今年から通い始める女の子が一昨日やってきたのと、高等部の男の子と、大学部の女の子かしら」

「その人たちは、今は出かけてたり?」

「そうね、今のうちに街を見て回ったりしているみたい。学期始めまでもうすぐだし、あなたたちも明日あたりに街を見て回ってきたら?」

「そうですね。さっきは色々と圧倒されてゆっくり街を見ることは出来ませんでしたし、今の内に街を見て回っておこうかな。リエルはどう?」

「もちろん、私も行くわ。私だってこの街のことは気になるもの」

「それじゃ、今日はゆっくりして、明日街を見ていらっしゃい。じゃあ、私はそろそろ夕食の準備をするわね。そうそう、言い忘れていたけれど、普段もここは開けているから勉強したりお話したり、好きに使ってもらって大丈夫だからね」

 そう言ってぱたぱたと(これまた可愛らしい)食堂の奥の方――おそらくキッチン――へと消えて行くララさん。


 残された三人でどうでもいい話に花を咲かせていると、

「ただいまー」

 玄関のベルが鳴ってそんな声が聞こえてくる。

「お、誰か帰ってきたみたいだな」

「何、誰かいるの?」

 食堂のドアが開くと、そこに立っていたのはエルフ族の美少女(……だと思う、年齢的なことも含めて)。紫銀の髪をした、色白な子だ。買い物をしてきたらしく袋を抱えている。


「チッ」


 ……何故かカイルが舌打ちをした。

 彼女はカイルの方を睨みつけ、残り二人の方を見て笑いかける。

「もしかして今日来たの? っていうことは今年から通い始めるお仲間? よろしくね、あたしはヴィオラ。ラファールの森のヴィオラよ」

「うん、よろしく……。それで、あの、それはいいんだけど、さっきのやりとりは何?」

「ん? 気にしないで。よくあることだから。森エルフと街エルフの反りが合わないなんて」

「ああ、そういう……」


 暗黒時代、エルフは基本的に森の中に結界を貼って魔物から身を守って暮らしていたんだけど、街に出て働いていたままだった人たちもいた。で、そのまま文化的にもかなーり違う感じに、それでいて両方が同じくらい数を増やしちゃったのね。それで、森エルフと街エルフっていう二つの……派閥? が出来上がったわけ。

 両方共エルフ族としての肉体的特徴は変わらないし、性格なんかもほとんど変わらないんだけれど、とにかく文化が違う。そして、一番致命的なのは、森エルフと街エルフは基本的に反りが合わないってこと。それも徹底的に。多分、見た目なんかが似てるせいで文化が違うのが余計に受け入れられづらいんだろうって話……みたいだよ。

 まあ私も偉そうなことを言っているけど話に聞いただけだから、本当にここまで仲が悪いものだとは思わなかったんだけど。


「それで、二人のお名前は? 聞かせてもらっていい? それとも秘密?」

「いやいや、そんなことないよ、魔術結社のスパイじゃないんだから。僕はジェラルド。イヴァナ村のジェラルド」

「私はイヴァナ村のリエル。よろしく」

「うん、よろしく! とりあえずあたしはこの荷物を部屋に置いてくるから、また夕食の時にでも」

「……そのまま二度と顔見せんじゃねえ、森の引きこもり」

「何か?」

「何も」

 ……険悪すぎる。


「森エルフと街エルフって、ここまでいがみ合うもんなのか……?」

「さあ……。私も実際に見たのは初めてだから」

「だよなあ」

「今までも街エルフとは何人か話してきたけれど、これほどまでに反りの合わないのは初めてよ。何故かは分からないけれどなんだか許せない気分になってくるの、これを見ていると」

 二人の声が聞こえたのか、食堂から出て行くところだったヴィオラがわざわざ大きな声で返してきた。またそんな喧嘩を売って……。


「これ扱いかよ、まったく森に引きこもってる差別主義者共は……」

「いつの話をしてるのよ! これだから歴史も知らない怠け者は……」

 フン、と鼻を鳴らしてヴィオラは食堂を出て行った。ジェラルドとリエルは同時にため息を付いて、

「……駄目だこりゃ」

「……そうみたいね」

 二人の喧嘩については諦めることにしたらしい。私もそれが一番楽だと思う。もしかすると何かのきっかけで少しはマシになるかもしれないけどね。……ならない可能性の方が高いかも。


 さて、明日は街を観光するって話だったね。何か面白いことが起こればいいんだけど。

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