第9話:ぽんこつと料理(?)の日常(後編)
少し遅めの昼食を済ませた四人(カイルはまだ寝ているようだ)。どうやらさっきのでサルファの魔法は制御出来るようになったみたいで、サルファも引き続き無事にフライを揚げることが出来ていた。……ちょっと調子に乗ってて鬱陶しかったけど、さすがに許してあげた。寛大だからね、私ってば。
「さて、……たった今気付いたことがあるのですが」
さて、と明るい顔で切り出しておいて突然冷静になったニンファ。
「ええと……何?」
「それがですね、ジェラルドどの。わたくしたち、もう当初の目的、達成しているのであります」
「当初の目的……?」
あれ、そんなものあったっけ。料理をするために集まってたような……。
「私に料理を教えることだろう」
「あっ」
あっ。
「忘れていたな……?」
「いやあの、ほら、途中、魔法の話とかになってたじゃないですか。それに圧倒されて。あはは……」
笑ってごまかすジェラルド(ごまかせてないけど)。
「まあいい。私はこれで工程さえ覚えれば料理の出来る体になったわけだからな」
「実際に料理の出来ない体であったのが笑えない冗談であります……」
「冗談のつもりはないのだが」
「そうでありますか……」
はあ、と嘆息して肩を落とすニンファ。この子、よく毎回サルファに付き合ってられるな……。やっぱり親戚だからなんだろうか。
「ええと、それで、なんでしたか……そう、昼食も取ったことでありますし、今から夕食の準備をしましょう」
「今から? 早くない?」
私は食べられないしお腹もすかないけど、さすがに時間が早いことくらいは分かるぞ。
「ええ、早めにやっておこうと思いまして。やはり、ローストビーフはじっくりと時間をかけて焼き上げた方が美味でありますから」
「そうなんだー。私は見てるだけしか出来ないから分かんないけど」
「それは残念でありますね。マウンテン・バッファローの肉でやるのは初めてですが、きっと牛を超える味でありましょうに」
「うーん……味わうとか、そこら辺は身体のあるキミたちに任せるよ。その分、私は料理の方は手伝わないってことで」
「まあ、サキどのがそれでいいなら、いいのでありますが」
実際、みんなが料理しているのを見ているだけでも、結構楽しい(さすがにサルファが作った謎物質には肝を冷やしたけど)。どうせ味わえないんだから、そこは考えたところで仕方ないしね。
「さて、スープの方は引き続きとろ火で煮込むとして、ローストバッファロー――やはりローストビーフと呼びましょうか――の準備をしていきましょう。準備と言っても、大したことはないですけれども」
「何をするの?」
「表面に、塩と香草を擦り込むくらいであります。後はフライパンで表面を焼いてから、オーブンに入れて弱火でじっくり焼き上がるのを待つのみです」
「確かに、やること自体は少ないね」
「時間はかかるのでありますがね。ジェラルドどの、肉を持ってくるのを手伝って頂いてよろしいでしょうか」
「もちろん」
ジェラルドとニンファ(と私)は貯蔵室に入っていく。
「寒っ」
「は、早く肉を持っていきましょう」
二人はお目当てのもの――つまり、紙に包まれたマウンテン・バッファローの肉――を見つけると、さっさと運んでいってしまった。まあ、長居する理由はないよね。寒いし、寒いし、何より寒いし。
作業台にどん、と肉を置くとやっぱりすごい存在感。六人で食べるつもりで買ったものだし、量が多いのは当たり前なんだろうけど……二人いなくなってるんだよなあ。戻ってくるのかな、二人とも。
ニンファがキッチンにある塩と、買ってきた香草を用意していると、サルファが手をわきわきさせながら、肉に迫った。
「私がやっても、いいだろうか」
どうやら料理が出来るようになって色々とやってみたくてたまらないようだ。子供か。
そしてその手は、鋭い目をしたニンファに、ぱしっと叩き落とされた。そのままニンファは、がるる、とでもうなりそうな顔をして、
「この工程は、ローストビーフの味を決める最も重要な作業の一つです。絶対に、わたくしがやります」
「そ、そうか……」
さすがの(褒め言葉ではない)サルファも、この迫力には気圧されたようだった。素直に、すごすごと引き下がっていく。
「……その代わりと言ってはなんですが、ローストビーフの付け合わせに作ると言っていた炒めものがあります」
「お?」
「その付け合わせを作るのは、サルファどのにお任せしてみましょう」
「おお! そうかね、そうかね。ふふ、腕が鳴るな」
「付け合わせの方は夕食の直前に作りますから、それまで楽しみに待っていてください」
「ああ、待っているとも」
まるで子供を扱ってるみたいだ。っていうかサルファが完全に大きい子供だ。
サルファを諭したニンファは肉の表面に塩を振り、擦り込んでいく。それが終わると次は細かくちぎった香草も。
よいせ、と肉を運ぶと強火で温めたフライパンに乗せ、表面をじゅう、と焼いていく。
「いい匂いね」
「うん、これは今からローストビーフになるのが楽しみだ」
「ふふ、オーブンで焼いている時の匂いは、きっと更にいいものでありますよ」
「それは楽しみだなあ。オーブンの前でずっと待ってたくなりそう」
「その気持ちはとても分かるであります。時間のかかる料理ほど待っている時間は楽しいものでありますからな」
ちなみにこの間にもサルファは落ち着きなく動き回っていた。完全に子供の動き。
いい感じに焼き色が付いたみたいで、肉がオーブンの中に移される。
「さて、それでは――」
「私の出番かね」
「……休憩を入れましょうか」
がっくりと肩を落とすサルファ。……もう何も言うまい。
「まだ、夕食には早すぎるでありましょう……」
一々サルファの相手をしなきゃならないニンファが可哀想だな、と私は相変わらずそう思うだけだった。
私たちが食堂で休憩をしていると、玄関のドアが開き、ベルが鳴った。誰かな?
「にゃんか、いい匂いがしてたから戻ってきたにゃ」
食堂にひょこっと顔を出したのは、サルファの謎の物体により嗅覚をやられて脱落したはずのミーシャ。
「ミーシャ、もう鼻の方は大丈夫なの?」
「しばらく鼻の奥から臭いが離れにゃかったけど、にゃんとか回復したにゃ」
「それはよかった」
「あれ。そういえばカイルの姿が見えにゃいけど、カイルはどうしたにゃ?」
「ああ、そういえば知らないんだっけ……」
ジェラルドは、カイルがあの謎の物体を口に運んだ勇者となったこと、そして倒れたこと、今もまだ戻ってきていない(部屋で寝てるってことね、一応)ことを説明した。
「カイルって、もしかして……いや、もしかしにゃくても馬鹿にゃのかにゃ?」
「やめてよ、僕だってそのことは考えないようにしてたんだからさ!」
「だってにゃ~……」
実際、カイルがやったことを考えると……まあ、馬鹿としか言いようがないかな。私ですら止めたからね、あの謎物質を口に運ぶのは。しかも本人もやばいことになるのは分かってたみたいだし。うん、やっぱり馬鹿だ。
「それで、このいい匂いはにゃんの匂いにゃ?」
「ああ、多分マウンテン・バッファローの肉を焼いてる匂いだね」
「もしかして、もうオーブンでローストしてるのにゃ?」
「そうそう。今はちょっと休憩中」
「にゃるほどにゃ」
と言うとミーシャは手近にあった椅子にちょこんと座った。
「サンドフィッシュはどうしたにゃ? 学院長が全部黒いのに変えちゃったかにゃ?」
「失礼な。もう私はあの黒い謎の物体の呪縛からは解き放たれたのだ」
「……それはよかったですにゃ。で、サンドフィッシュはどうしたんですにゃ?」
あんまり信用してないって顔だ。まあ、そうだろうね。
「全部フライにしたよ。まだ余っているから、食べたければ食べればいいさ」
「じゃあ、ちょっともらってきますにゃ」
お昼ご飯もまともに食べてないからにゃー、と皮肉っぽく呟いてミーシャはキッチンの方へと消えていった。
「……今更になって罪悪感を掻き立ててくるのはずるいと思うのだが」
「自らの背負った罪でありますから、我慢しましょう。実際あれは、食材への冒涜でありますし、わたしくとしても許せないとは常々思っていたのであります」
「そこまで言うか」
「言うであります。食べるでありますか? あれを」
「すまなかった。自らの罪の重さを自覚したよ」
「分かればいいのであります」
ふんす、と鼻を鳴らすニンファ。それにしてもサルファ、論破まで早かったな。まあ、あの謎物質を食べさせられるのはいくら作り出した本人とは言え嫌だろうけど。
「ただいまにゃ」
フライを一つくわえながらミーシャが戻ってきた。
「やっぱりこれ、美味しいにゃ~。まだ余ってるみたいだし、ちょっとアレンジして晩ご飯の方にも出してみるのはどうかにゃ」
「アレンジですか。どのようにしますか?」
「そうにゃ~……トマトの水煮にゃんかがあれば、それでソースを作って和えたりにゃんて出来るかもしれにゃいけど」
「トマトの水煮なら、持ってきているでありますよ」
「マジで言ってるにゃ!?」
「はい、こんなこともあろうかと鞄に入れておいたのです」
ニンファは鞄を探ると、そこから出てきたのは瓶詰めのトマトの水煮。確かに料理では便利なんだろうけど、なんで持ってきてるの……。
「……うん、それじゃ、作ってみるかにゃ。作ってる間にちょうどいい時間ににゃるだろうし」
もはや突っ込みをすることは放棄したらしい。ミーシャはそのトマトの水煮を持ってまたキッチンの方へと消えていこうとするけど、その背中にニンファが声をかける。
「わたしくたちも手伝いましょうか?」
「大丈夫にゃ、このくらいにゃら
こっちを振り返らないままひらひらと手を振って、キッチンへと姿を消した。なんかちょっとかっこいい。
「……じゃあ、ミーシャがフライのアレンジを終えるまでは、休憩って感じかな?」
「そうでありますね。ミーシャどののおっしゃる通り、水煮からトマトソースを作るくらいの時間であれば夕食までにはちょうどいいくらいでありましょう」
「オーブンの様子もちょっとは見てもらえるだろうしね」
「もしかするとちょっとどころではなく見て頂けるかもしれませんね」
「それは……やっぱり匂いが気になるから?」
「そうであります。先ほどから匂いを気にしていらっしゃるようでしたし」
「確かに、その通りかもね。結構ミーシャって、移り気な感じするし」
あはは、と笑うジェラルド。それを傍目に少し離れたところでリエルがサルファに話しかける。ジェラルドたちは聞いてなさそうだけど、私は耳を傾けておくとしよう。
「学院長は、その……自らのことについてどうお思いですか」
「どう、と言われてもな。優秀な人物だと思っているよ。つい先ほど、欠点も一つ改善されたことだし、更に磨きがかかったな」
「いえ、そういうことではなく。亜人――魔人であることについてです」
「魔人であることについて、か……。難しい質問だな。何か、そう思うに至ることでもあったかね?」
「常々、考えていることではあります。常人とは異なる、ということについては」
「ふむ……。質問を質問で返すようで悪いが、リエルくん自身はどう思っているのかね? 自分自身が天使であることについては」
「そうですね……天使であるからこそ背負わなければならないことも多くあります。少なくとも、私にはあります。それを、悪いことだとは思っていません。ですが、もし自分が天使でなければ、普通の人間なら――と、思うことはあります」
「そうか。君はやはり物事をよく考えているな。だが――」
サルファは立ち上がって、窓の外を眺めながら続けた。
「考えすぎだ」
「考えすぎ、ですか?」
「そう。物事なんて多少考えなしでも上手くいくようになっているのさ。私なんて、これで高等部の学院長がやれているわけだしな」
「それは……なんと言えばいいか分からないですが」
「そこは否定してくれたまえよ」
ははっ、と軽く笑うサルファにつられて、リエルも微笑みを浮かべる。サルファがなんかいい感じに学生の指導をしている先生のように見える、だと……。
「それで、なんだったか。魔人であることについて、どう思うか、だったか?」
「はい」
「少なくとも私は、便利な能力がある、くらいにしか考えていないよ」
どこか余裕のある表情で、サルファはそう応える。
「それに、この能力のおかげで私に興味を持ってくれる生徒もいるわけだしな」
と、ジェラルドの方を見ながらニヤニヤと続けた。
「……そうですか」
「あっはっは、そう怒るなよ」
笑いながらリエルに背を向けるサルファ。その姿がなんかかっこよく見えて、ちょっと腹が立った私は頬を膨らませてサルファの目の前に姿を現してみる。
「何か用かね?」
「サルファがかっこいいのがちょっと腹立つから文句言いに来ただけだよ」
「なんだね、たまには私にも格好つけさせてくれてもいいだろう?」
「へえ? いつも、格好つけようとしては失敗してるように見えるけど?」
「否定は出来んな」
苦笑いして、サルファは続ける。
「最近、生徒たちからの信頼が地の底に落ちつつあるからな。この辺りで少しでも信頼を回復しておかねば」
「その言葉がなければ最後までかっこよかったのに」
では聞かなかったことにしておいてくれ、なんて笑う姿もどことなくかっこよくて。ちぇっ、中身はただのぽんこつなのになあ、なんて思いながらも羨ましいって気持ちがどこかにはあったかもしれない。
「それで、ニンファ」
「はい?」
いつの間にかニンファの背後まで動いていたサルファは、彼女の肩に手を置いて、
「そろそろ私の出番ではないかね!?」
「はいはい、それではそろそろ付け合わせ作りを始めましょうか?」
「よし、腕が鳴るな!」
そのキラキラした瞳は間違いなく子供のそれで、でも今の私には――それを馬鹿にすることはちょっと出来なかった。
「サルファどのは、食堂の方で大人しくしていてください」
あそこまで盛大に、そして急激にサルファの評価を高めておいてなんだけど、結果から言えばサルファの評価は再び落ち込んだ。
散々「ついに私は黒の物体からは開放された」だの「本当の私の腕前を見せる時が来たな」だの言って敷居を高めてきたサルファだけど、まあ、予想通りというか期待通りというか、普通に料理は下手だった。
「そんなはずがない……私はまともに料理が出来るようになったはずなのに」
と呆然とした顔で呟いて、もう一度やらせてくれ、と懇願するサルファの目の前にあるその付け合わせ――になるはずだった野菜たちの末路――は、黒かった。うん、ぷるぷるはしてないからまだ成長はしたんじゃないかな。普通に焦がしただけだからね。
で、あまりに騒ぎすぎたから隣でトマトソースを作ってたミーシャがうるさいにゃ、と怒り出した。
そういうわけで、サルファはキッチンから放り出されることになってしまったのだった。
「今までまともな練習が出来ていないわけですから仕方ありません。また今度練習致しましょう」
しょんぼりと座り込んだその姿に、ニンファが優しい声をかけるけれど、
「……どうせ私は練習しても上手く出来んさ」
大人しくなったと思ったら今度は面倒だな! だけど、ニンファもやっぱりサルファの扱いには慣れてきている……はず! どうする? とニンファの方に視線を向けてみる。
「それではわたくしは付け合わせを作ってきますので……」
逃げた。ジェラルドの方に曖昧な笑顔を浮かべながら。
「……え、僕? 僕が学院長の相手しなきゃいけないの?」
ニコッ、と笑ってニンファはそそくさとキッチンへと入っていった。笑ってごまかした(ごまかせてない)けど、丸投げした……! 意外としたたかな側面も持っている子だったようだ。とかそんなことを言っている場合じゃない。
「ええと……学院長。そう気を落とさず」
「いいんだ。君もこのような面倒臭いやつの相手などしたくないのだろう」
ジェラルドが慰めようと近付いたけど、サルファは完全にいじけていた。
「ほんとに面倒だな!」
「そうだサキくん、私は面倒な女なんだ……」
「そこまでは言ってない!」
っていうかそれは意味が変わる。
うーん、どうしたものかな、こいつ……と思っていると、食堂のドアが開かれた。そして意外な人物が私たちの前に姿を現す。
「おう、そっちの方はどうなってる? ……っていうかもう夕方なんだな」
「カイル!」
そう、食堂に姿を見せたのはあの黒くてぷるぷるする謎の物体を口に運ぶという勇気を見せた馬鹿――カイルだった。
サルファは
「……カイルくんか。身体の方は大丈夫かね」
「ええ、もう大丈夫っす。あんなもんはもう二度と食いやしません」
ははは、と笑うカイルと対照的にサルファの表情は更に深く沈み、
「そうだよな、あのようなもの……。それを作り出した私なんていうやつは、万死に値するよな……」
「い、いえ、そこまでは思ってないっすけど……」
冷や汗を垂らしてそう返すカイル。そのままジェラルドの方に近付いてきて、こそっと、
「なあ、学院長、どうかしたのか?」
「紆余曲折あって学院長は黒い謎物質を作らずに料理が出来るようになったんだ」
「おお、そいつはよかったじゃねえか。上達したってことなんだろ?」
「それが、マシにはなったんだけど。致命的に料理が出来ない状態から、下手くらいになっただけでさ……」
「なんだそりゃ……」
「で、落ち込んであんな感じってわけ」
「学院長があんな感じって、なんか調子狂うな……」
どうしたもんかな、と二人で頭を悩ませていると、キッチンの方からニンファがやってきた。
「やあ、お待たせ致しました二人とも。……おや、カイルどの。お身体の方はもう平気でありますか?」
「ああ、もうすっかりよくなったよ。えらくいい匂いがしてっけど、そろそろなのか?」
「ああ、そうでしたそうでした。こちらをご覧ください」
ニンファはそう言うと、大きなお皿をこちらに差し出してきた。そのお皿の上に乗っているのは、いい焼き色の付いたお肉の塊。
「ローストビーフ、完成でありますよ!」
食堂のテーブルの上にそのお皿をどん、と置いて、誇らしげな顔。
「にゃっ」
その後ろからにゅっと姿を現したのは、ミーシャ。
「ついでに、こっちも完成したにゃ。サンドフィッシュのフライのトマトソース和えにゃ」
ミーシャが持ち上げたお皿に乗っているのは、お昼に作っていたフライにトマトソースがかかったもの。ニンファがそのお皿を受け取ってテーブルに置き、
「では、図らずも元の六人が全員揃ったわけですし、そろそろ夕食としますか?」
「ふむ、出来栄えが楽しみだな」
そろそろ夕食という言葉を聞いて、サルファが突然立ち直った。あまりにも突然すぎる立ち直りの早さ。もしかして。
「こいつ、さては途中からわざとやってたな……?」
「何のことかな」
「方向性は違えど面倒なやつには変わりないってことだよ!」
「そうさ、所詮私など面倒なやつだ……」
「うざっ」
「はっはっ、私とて空腹には勝てんからな。いつまでも沈んだままではいられまい」
「嘘くさいなー……」
そして長きに渡った(ような気がする)料理制作もついに終わりの段階。もう作るのは終わってるじゃないかって?
やっぱり料理は、味わってこそでしょ。だから、食べるまでが料理制作なんだよ。物を食べられない私が言うのもなんだけど、さ。
テーブルの上に並べられたのは、色とりどりの料理。配膳されたスープはお昼から煮込まれたからか、野菜がトロっと溶けている。そしてミーシャが作ったサンドフィッシュのフライのトマトソース和えに、真ん中に置かれているのは今日のメインディッシュ。周囲にはキノコ類を始めとした野菜類の炒めものが添えられ、それらに囲まれて中心に鎮座するのはお肉の塊。そう、ローストビーフ。
そしてその食卓を囲んでいるのは、六人――どころではなくて、十人を超えた。誰かが分身したってわけじゃなくて、ついさっき帰ってきたカイルのお母さん――ララさんや、匂いを嗅ぎ付けてやってきた大鷲荘の人たちが仲間に加わって人数が増えたというわけ。
ララさんはにこり、と笑って、
「美味しそうな料理。わたしなんかが頂いちゃって、本当に大丈夫なのかしら」
「是非とも、召し上がってください。場所をお借りしたわけでありますし、何よりも、六人で食べるには少し量が多すぎますので」
「そう? それじゃ、遠慮なく頂いちゃうわね」
ちなみに、匂いを嗅ぎ付けてやってきたみんなは最初から遠慮するつもりもないらしく、飢えた獣のような瞳で真ん中に置かれた肉を凝視している。ちょっと怖い。
その視線を受けてか、ニンファがナイフを取り出し、お肉の上で構えた。
「それでは、ローストビーフを切り分けていくとしましょう」
と言うと、周囲から起きる「待ってました!」の声と拍手。
「いきます」
ニンファの手さばきはまるでこのローストビーフを切り分けるショーを私たちに見せているかのように丁寧で、誰からともなく、ごくりという音を鳴らした。
ゆっくりと切れ目が入っていくお肉。ナイフがお皿に付く音と同時に、切られた肉が横たわっていく。
ローストビーフの断面を見て、みんなはおお、と声を上げた。
切り取られたその肉の、周囲は程よい焼き色。中心部分は肉特有の、鮮やかな赤。まるで生花のそれのような、鮮やかな赤。絞ればそれと同じ色の汁が湧き出てくるのではないかと錯覚させるほどのその鮮やかさから漂う匂いは芳醇そのもので、嗅ぐ者の食欲を沸き立たせる。
……なんてね。でも、そのくらい見ているだけでもすごいものだってこと。
「さて、一枚目は皆さん楽しみでいらしたでしょうからゆっくりと切らせて頂きましたが……ここからは本気でいくでありますよ」
手にナイフを構え直し、ニヤリと笑みを浮かべるニンファ。こっちはこっちで結構楽しんでるみたい。
本気を出す、というのはあながち嘘じゃないらしく、さっきとは比べ物にならない速度でお肉がお皿に横たわっていく。シュッ、パタッ。シュッ、パタッ。しかもすごいことに、厚みはほとんど均等!
「っていうかそのナイフ、切れ味すごいね!?」
「ええ、よく研いでありますから。触ると危ないでありますよ?」
「いや、私は大丈夫だけどね」
「それも確かにそうでありますな」
では触ってもいいでありますよ、と冗談めかして言うニンファ。これだけ正確な作業をしてるっていうのに、随分と余裕なもんだ。
冗談を言っている間にもどんどんとローストビーフは切り分けられ、すぐに付け合わせと一緒にそれぞれへと配られていく。美味しそうな肉を間近にして感動した様子を見せるみんな。特に飢えた獣たち(と化した大鷲荘のみんな)の喜びようときたら、大鷲荘が揺れるんじゃないかと思うほど。
その後はもうあっという間。みんなお腹をすかせていたのか、スープもローストビーフもフライもパンも、すごい勢いで平らげていく。みんなが発する声もほとんどは会話って言うよりは料理の感想って感じ。その一部をご紹介しよう。
「なんだ、この肉は……今まで食べたこともない。肉汁が……グスッ、肉汁が口の中に広がる……!」
ちなみに彼はこの後しばらく泣いていた。
「あぁ……野菜だ。野菜……野菜って、こんなんだっけ?」
その後彼はスープを全て平らげるまで、スープを口に運ぶ度に首を傾げていた。
「サクッ、ふふ、うふふ、サクッ、うふふふふ……」
サクッっていうのはフライをかじる音ね。正直彼女は見てるのがなんか怖かった。完全に狂気に染まってたもん。
こんな感じ。……あえて変なのを挙げたのは間違いないんだけど、美味しすぎる料理で人は変になることが出来るんだねって思った。
で、全員が食べ終わったから、今はみんなで食器を洗ってる。
「いやあ、美味しかったよ、ニンファ」
「そうでありますか、それはよかったであります。でも……あの料理が美味しかったのはわたくしの腕前のためではありませんよ、ジェラルドどの」
「へえ、じゃあ一体どうして?」
「それは、皆さん自身が作った料理だからでありますよ。わたくしはその手伝いをしたに過ぎません」
「じゃあ、そういうことにしておこうか」
「しておこうではなく、実際そうなのであります」
「はいはい」
皿を片付け終え、そろそろ解散というところでニンファが真剣な面持ちでジェラルドに話を持ちかけてきた。
「ジェラルドどの。お話したいことがあるのであります」
「何?」
「皆さんの前では、話しづらいことですので、外へ」
ニンファはそう言うとキッチンの勝手口から外へとジェラルドを連れ出した。とりあえず私は付いて行かなきゃいけないから一緒に外へ。……なんだけど、空気を読んで姿を消しておいてやろう。ニンファへの気遣いってやつ。話は聞くけどね。
外はすっかり暗くなっているけど、月明かりと街の灯火のおかげでお互いの姿を確認出来るくらいの光はある。
「それで、どうしたの?」
ジェラルドはニンファに向かい合ってそう尋ねる。ニンファは下を向いて少しもじもじして……なんか、見てるこっちがちょっと恥ずかしい。
「もしかして、何か言いづらいこと? だったら無理して言わなくてもいいけど……」
「いいえ」
そう言って、ニンファはバッと顔を上げた。
「昼頃のお話で、わたくしがお話しなかったことがあるのを覚えておられますか」
「ええと……もしかして、きみの一族の話?」
「その通りであります」
「なんだか昼のことなのに、随分前のことみたいだな」
「色々とありましたからな」
はは、と二人は軽く笑い合って、少しだけ沈黙が続く。
「わたくしたちにとって、家事は生きがいのようなものだ、と申し上げたのを覚えていらっしゃいますか」
「うん」
「正確には、違うのです。わたくしたちは、家事をしなければ死んでしまうのです。その代わりに、家を守るための能力を得ました。そういう一族なのです」
「家事をしなければ死ぬ……? そういう妖精の話が、あったような」
「その妖精の話はわたくしたち一族が元になっているのです。。人は妖精を家に住まわせる。妖精は家を守る。そういった関係性を保つ妖精で、その名を『ブラウニー』と言います」
ジェラルドは、それに対して何も言葉を発せない様子。
「もう今更申し上げる必要もないでしょうが、わたくしたちは、亜人の一族なのです。それも、人類と共に生きていく亜人の」
「……それで?」
「ええ、あなたにお願いがあるのです」
ニンファは、真剣な顔をしてジェラルドの顔を見つめる。
一体どんなお願いだというんだろう。彼女の、生死に関わることなのかもしれない。
「わたくしたち一族の所有する、空き家がこの街の外れにあるのですが」
「……うん」
「ジェラルドどのに、わたくしと共にその家に住んで頂きたいのです」
「それは、伝承の妖精のように、きみが家事をするために?」
「そう、なります」
「……」
ジェラルドは
「そうしないと、きみは死んでしまうんだろ? きみの命に関わることなんだから、僕はそうするよ。そうする、べきなんだろうな」
多分ジェラルドも色々考えたんだと思う。慣れないこの街で一人で暮らすこととか、住んで間もないとはいえ愛着が湧いてるだろう大鷲荘を離れることの不安とか、そういうことを。それでも、彼女を救いたいと――
「いえ、別にわたくしの命には関わりませんよ?」
「え? でも、家事をしなきゃ――」
「家事くらい自分の家でも出来るでありましょう」
おい、真剣に考えた私の時間を返せ。
「ええと、じゃあなんで僕にそんなお願いを……?」
とジェラルドが問うと、ニンファは胸の前で手を組み、虚空を見つめてうっとりとした表情で、叫んだ。
「わたくし、ブラウニーの伝承に憧れているのです! 人と共に家に住まい、家を守る……そうした関係性によってわたくしたちは真の能力を発揮出来ると言います。そういったことに憧れるのでありますよ! せっかくこんな身に生まれたのですから、真の能力を発揮してみたいのであります!」
「ちょっと待って、じゃあ別に僕じゃなくてもいいでしょ? それこそ親戚なんだから、学院長とかさ」
「わたくしだって一緒に住む人くらい選びたいのであります! お願いします、こんなことをお願い出来るのはあなたくらいなのです!」
「困るよ! そんな覚悟は出来てないし、この街にも不慣れなんだから、僕は!」
「そこを何とか! 先ほどは了承しようとしてくださっていたではないですか!」
「それは、きみの命に関わると思ってたからで――!」
その後も、お願いであります、後生でありますからあ、とすがるニンファをなんとかなだめたジェラルドは、今後も大鷲荘に住み続けるということをニンファに伝え、納得してもらうまでにまた時間をかけるのだった。
「そういうわけで、学院長の料理のせいで色々大変だったよ」
「で、あいつはそれを食べたわけね……。常々馬鹿だとは思ってたけど、そこまで馬鹿だとはね」
「さすがに今回のことに関しては、カイルは馬鹿なんじゃないかって思っちゃったね……」
学生支援室で、ジェラルドはヴィオラとタンツちゃんを前に、昨日あったことをかいつまんで話していた。魔法だとか魔人だとか天使だとかそういう話以外をね。
「それで、そっちの方はどうだった? 充実した休日だった?」
「んー……充実した休日ではあった、けど……」
「また、エロースさんたち、に、会いました……」
「……もしかして、またヴィオラが暴走した?」
「はい……」
「……」
ぴゅーぴゅーと下手な口笛でごまかそうとする(ごまかせてない)ヴィオラ。
「まったく……それにしても、他には誰も来ないのかな」
「確かに。珍しくミーシャも来てないし、なんかちょっと寂しいわね」
普段はミーシャを含めて六人いるのが当たり前な学生支援室だけど、今は三人だけ。
「喧嘩相手もいないし?」
そういう風にちょっと茶化すと、
「そこはどっちでもいいの」
との答え。どうだかね。
すると、なんだか扉の前が少し騒がしくなってきた。
「どうかしたのかな」
「さあ……」
顔を見合わせるジェラルドとヴィオラ。ちょっと様子を見てこようか、とジェラルドが立ち上がると、バン、と扉が開かれた。
扉の前にいたのはカイルと、リエル、ミーシャに……ニンファ。
「ええと……どうかした、カイル?」
「どうかしたじゃねえよ……。こいつがすごいことを言い出してよ」
「すごいこと?」
「ああ、なんかジェラルドと同じ家に住むとかなんとか」
ぶっ、と思わず吹き出すジェラルド。ニンファと目が合うと、彼女はジェラルドに指を突き付けて叫んだ。
「ジェラルドどの、わたくしは諦めないでありますよ! 絶対に同じ家に住まわせて頂くであります!」
「人聞きが悪いよ!?」
「ねえジェラルド、少しお話を聞かせてもらってもいいかしら」
「リエル、誤解だから。誤解だからね!?」
そうしてにわかに騒がしくなった学生支援室。
「あ、大事なことを言い忘れていたでありますよ」
「まだなんかあんのか……」
「わたくし、六人目の学生支援係に、着任させて頂いたであります」
「あ、そう……。これからよろしくな」
「はい、よろしくであります!」
久しぶりの修羅状態となったリエルと、それを何とか収めようとするジェラルドを背景に、そんなやり取りが繰り広げられていた。
そんなわけで、学生支援係に、六人目が増えたのであった。
僕と魔物と日常と。 瑪瑙 連翹 @OnyxGoldenbells
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