第8話:ぽんこつと料理(?)の日常(中編)

 全員が揃って歩き出した私たち。中央広場を西側に抜けたところで、ニンファが全員を止めて話し始めた。

「えー……まず、料理に必要なものがあります。それは何だと思われますか、サルファどの」

「根性……かな」

 いきなり料理には必要なさそうな(全く必要ないってわけじゃないだろうけど)ものが飛び出してきた。

「……その根性は料理を覚えるあなた自身に必要なものでありましょう」

 なかなかに辛辣な言葉。最近みんなのサルファに対する風当たりがとても強いように感じる。本人のやってることを鑑みれば妥当なんだけどさ。

「そのような精神的要因ではありません。確実に今のわたくしたちに足りないものであります」

「では……人員、かね」

「六人もいるのですよ。あなたを除いても五人です。まだ人員が必要なのだとしたら、料理というのはひどく労力のかかるものなのでありましょうな」

 今ここにいるのは、ジェラルド、リエル、カイル、サルファ、ニンファ、ミーシャで六人。当たり前だけど、私は人数の換算には入っていないみたいだ。まあ、料理に関しては口出し以外何も出来ないから、人数に数えられても逆に困るけどさ。

「そもそも、料理というのは普通一人でも出来るものでありましょう。というか、本気で言っているのでありますか!? 今わたくしたちがこのままキッチンに行ったとして、料理が出来ると本気でお思いか!?」

「……その、すまない」

「本気でありましたか……」

 大きく溜め息をつくニンファ。そのまま私たちの方に向き直ると、

「皆さんは分かっておられますな!? お願いですから分かっていてください!」

 すがるような目だった。というか実際にすがっていた。ジェラルドに。

「ええと……食材、で、いいん……だよね?」

「そうであります、その通りであります」

 よかったよかった、と涙ながらに言うニンファ。なんか、サルファのせいで余計な心労がかかってるみたいでとても気の毒だ。

 少し落ち着いたみたいで、ニンファは少し鼻をすすりながらジェラルドから離れ、また話し始めた。

「えー、ジェラルドどのの言う通りであります。今のわたくしたちが料理をする上で必要なのは、食材であります」

「確かに、食材はどうするのかしらと思っていたのだけれど」

「今から、市場で調達しようと思っています」

「それは……大市場のこと?」

「死にたいのであれば、お止めは致しませんが」

 すっごい真顔。そういえば中央広場から南側をチラッとだけ見てみたけど、すごい量の人がひしめき合ってていっそ気持ち悪かったな……。

「いえ、私も大市場のことは聞き及んでいるわ」

「そうでありましたか、それならばよかった。無為に生命を散らすことを防げました」

 大真面目に安心した様子を見せるニンファ(と、カイル)。

「……そこまで言うほどのものなの、休日の大市場って?」

 昨日も聞いたには聞いたけど、まだ信じられないといった感じのジェラルド。

「ボクも何度にゃんどか休日の大市場には行ったけど……行くたびに死ぬかと思うにゃ」

「その、死ぬとか命を落とすとか言うけどさ。どうして市場でそんなことになるのさ」

「圧死って聞いたことあるかにゃ?」

「圧死? 押し潰されて死ぬってこと?」

「そういうことにゃ。それが全てにゃ」

「物に押し潰されるんじゃなくて、人に押し潰されるのか……」

「それでも、たまに行ってみたくにゃるのがあの大市場の本当の恐ろしさにゃ……」

 にゃにゃにゃ、とまるで怖い話でもしているかのようにジェラルドを脅かすミーシャ。

「俺もそれは分かるな。なんっか行きたくなっちまうんだよなあ」

「わたくしも、たまには行ってもいいかなという気分になるであります」

「にゃにか魔力とか、吸引力とか、そういうものを発揮してると思うにゃ、あれは」

「よく分からないけど、なんとなく分かったよ、うん……」

 とりあえず、休日の大市場にはやっぱり行かないほうがいい、っていうのはよく分かったね。その後の吸引力だのって話はよく分かんないけど……。

「話を戻しましょう。食材の調達の話であります。これから、ここの通りの市場――休日市場で食材を調達しようと思っています。それで足りないものは南西ブロックにある店で調達しましょう」

「じゃあ、見に行ってみようよ、ジェラルド!」

 先に飛んで行きたい気持ちは山々なんだけど、残念ながら私は一人じゃ飛んで行けないので、ジェラルドを急かすことにした。この市場も結構気になってたから、ここを見て回れるっていうのはちょっと嬉しい。

 私たちは市場を色々と見て回ることにした。さっきは通りすぎるだけだったからなんとなくしか見れなかったし、嬉しい。

「こちらの市場の方にも、食材は多いのかしら」

 リエルがニンファに尋ねる。

「休日において、食材に限るならば休日市場の方の種類があちらより豊富かもしれません。大市場では人が多くなる都合上、今日は早朝までしか搬入出来ませんから、新鮮でないと困る食材や、今日運ばれてくる食材を仕入れづらいのです」

「ということは、今日大市場ではどんなものを売っているの? 以前大市場を訪れた時には食材も豊富に取り揃えられていたけれど」

「例えば、乾燥させた食材であったり、変わった魔術触媒であったり、錬金術の材料であったりと様々でありますな」

「へえ……」

 ちょっと失礼、と言いながらニンファは手近なところにあった、魚を売っている屋台へと近付いていった。

「やあお嬢ちゃん。今日は海のは乾燥ものしか置いてねえが、川のは新鮮で良いのが入ってるぜ。それから、今日の目玉はこいつだ」

 屋台の店主はそう言うと、一番前の台に置いてあった黄色がかった色の魚を指した。とても大きく、口には凶悪な歯が並んでいる。これは――

「サンドフィッシュ、ですか」

 ジェラルドが横から覗き込み、そう答えた。

 サンドフィッシュ。砂の中を泳ぎ回る魚型の魔物。その凶悪な歯で人間を襲うこともあるらしいけど、この場で何より大事なのは美味しい食材になる、ってとこかな。

「おっ、兄ちゃん、よく知ってるねえ! そう、こいつはサンドフィッシュさ。今日の早朝にデシエルト砂海で採れた新鮮なやつだ。どうだいお嬢ちゃん、一匹どうだい。見た感じ、みんなで食べるんだろ? こいつは食いでがあるぜ。安くしとくよ」

「サンドフィッシュですか……。話には聞いたことがありますが、実際に食べたことも調理したこともないのであります」

「なんだ、そんなら簡単なことさ。こいつは焼いてよし、揚げてよし、煮てよし。生はやめといた方がいいが、適当に切り分けて他の魚と同じように調理してやればそれだけで絶品よ。ウロコもねえから調理も楽だしな」

「なるほど……では、一匹頂くとしましょう」

「ありがとさんっ!」

 ニンファが財布からお代を払い、店主のおじさんはいい笑顔でサンドフィッシュを紙に包むと、ほい、とジェラルドにそれを渡した。おおっと、と両手でサンドフィッシュを抱えることになったジェラルド。結構重そうだね。

「そういえば、ニンファ。お代は――」

「気にして頂かなくて結構であります、ジェラルドどの。後で全てサルファどのに請求しますので」

「そもそも今回の件でかかる費用は全て私が負担する、と言っているからな。私の個人的な頼みなわけだし。君たちは負担なしで料理が食べられるかもしれないわけだ」

「あくまでも『かもしれない』なんですね……」

「まあその、わたくしが出来る限り、食べられる分は残しておきますので」

「うん、よろしく頼むよ……」

 その後私たちは市場でいくつかの食材を購入し、無事食材の調達に成功したのだった。

 さて、ここからが本番。私たちの料理教室はここから始まる。……それが地獄を呼ぶことになるかもしれないということからは、目を逸らしておこう。


「お邪魔するであります」

 大鷲荘に着いた私たち。食堂で勉強したり話したりしている数人に挨拶しながら、キッチンの方へと向かっていく。

 食堂とキッチンを隔てる布をくぐり抜けると、そこに広がっていたのは――まあ、キッチンだった。そうは言っても、普通の家(ジェラルドやリエルの家)に比べると随分大きいように思う。キッチンから繋がるドアはきっと貯蔵室だろう。そうだとしたら寒そうだから、入りたくはないけれど。

 ジェラルドたちがここまで抱えてきた食材を作業台へ置くと、

「さて、それでは――調理を実際に始める前に、今日の作業工程をあらかじめ大まかに説明しておくであります」

 ニンファがジェラルドたち(主にサルファ)の方を見ながら、説明を始めた。

「まず、このサンドフィッシュですが、下味を付け、粉を付けて、揚げましょう。今日作るものの中では最も簡単なものとなるはずです。そして、わたくしたち自身の昼食になります」

「おおう……」

 思わず声を漏らすジェラルド。とりあえずサンドフィッシュのフライは、失敗したくないだろうね。

「次に、こちらの野菜類は、スープにしてしまいましょう。じっくり煮込めばよいスープになるでありましょう。これはサルファどのには任せませんので、ご安心ください」

 分けて調理が出来ないスープを、全部台無しにされたらたまったもんじゃないからね。

「そういうことだそうから、安心してくれたまえ」

「それでいいんすか、学院長……」

「私とて食事は取りたい」

「それもそうっすけど」

 呆れ顔のカイルをよそに、ニンファの説明は続く。

「残りの野菜類は、メインの付け合せとして炒めものを作りましょう。サルファどのにも、少し手伝って頂きます」

「よし、付け合せだな? なくなっても困りはしないな?」

「困らないというわけではありませんが……許容範囲内ではあります」

「ならば、よし」

 何がだ。まあ、炒めものなら失敗しても焦がすくらいだろうし、大丈夫だと……思いたいな。

「それでは、最後――」

 全員が、ごくりと唾を飲む。ニンファが指し示したそれは。

「奇跡的に安く手に入った、このマウンテン・バッファローの肉ですが」

 鮮やかな赤色をした、大きな牛肉(厳密には違うけど)の塊。

 全員、購入した場にいたはずなのに何故か「おお……」というざわめきが。

 マウンテン・バッファロー。牛型の巨大な魔物。山の方に生息する、山のような大きさ(本当の山ほど大きいわけじゃない)の魔物で、普段は温厚だけどひとたび暴れればそれはもう大変なことになるとかなんとか。

 昨日の夜に狩られたそいつが、一頭まるごと入荷したらしい。それで、色んな部位に分けられて安く売っていたのをニンファが見つけて、購入したというわけ。安くって言っても普段の牛肉の価格との比較でしかないから、実際はそこそこのお金がかかってるはずだろうけど、そこはサルファが全額負担だからどうでもいいね。

「これは、香草などを擦り込んでオーブンでじっくりローストしようと思うであります。もちろんこれも、サルファどのには触らせません。絶対に」

「私に料理を教えるための集まりだったはずが、料理を作ることが主目的になっているような気がするのだが」

「食材を無駄にするわけにはいきませんから」

「つまり私の料理は食材の無駄だと」

 そうかい、けっ、と拗ねて不機嫌な顔になるサルファ。……ちなみに、慰める人はいなかった。

「それでは、早速調理に取り掛かりましょうか。まずはスープの用意からでしょうか。カイルどの、貯蔵庫はどちらになりますでしょうか」

「ああ、貯蔵室ならそこのドアの奥だ。どれを持ってけばいい?」

「それでは、サンドフィッシュと、ここに固めて置いてある野菜以外を」

「りょーかい。ミーシャ、お前も手伝え」

「ボクに手伝わせるのにゃ!?」

「遅刻したろ。その罰だ」

「うにゃ~……」

 ジェラルドはカイルたちを手伝おう、と近寄ろうとしたところで、そういえば、とニンファの方を振り返った。

「ねえ、ニンファって将来コックを目指してたりするの? 料理には随分詳しいようだけど」

「ふむ……仕事にしようとは考えておりませんでしたが、それも悪くないかもしれません」

「ってことは、料理は趣味だったり?」

「趣味……というのも違います。わたくしたちにとって料理やそれを始めとした家事全般は――そう、生きがいのようなものなのであります」

「『わたくし』?」

「わたくしたち一族のことであります。わたくしたちは――いや、これは今言うべきではありませんな……何にせよ、『生きがい』というのが、この感覚を最も適切に言い表した言葉であると思うであります」

「生きがい、か……なんだかすごい話だね。その、ニンファたち一族のことは、今は秘密?」

 やっぱりちょっと気になるようで、ニンファの一族のことについて切り込むジェラルド。ジェラルドの後ろで浮いて話を聞いているだけだけど、私もなんかちょっと気になる。

「秘密といいますか、今言う必要のないことであります。そうですね……では、こうしましょう」

「なに?」

「今日の料理が無事に終われば、その時に、ということで。後のお楽しみというやつであります」

 そう言って、ニンファはジェラルドに微笑みかけた。その姿は、やっぱり可愛い女の子で。ジェラルドは少し顔を赤らめながら、あはは、と返すのが精一杯だったみたいだ。

 そして少し離れたところにいたはずのリエルの顔が少し険しくなったのは……気のせいだと思いたいな。感知能力か何か持ってるんじゃないか、あの子。


 余分な食材を貯蔵室に運び込んだところで、

「それでは、まずはこちらのスープの用意から致しましょう。この中で、包丁を扱える方はどのくらいいらっしゃいますか」

 ニンファがみんなに向かってそう問うと、が手を挙げた。……一人、手を挙げるのがおかしい人がいるね。

「サルファどのは元から戦力に入れておりませんので」

 ニンファは優しい笑みを浮かべながらサルファの手を下げさせた。まるで子供扱いだな……。

 ちぇっ、と言うサルファを置いて、ニンファはありがとうございました、と全員の手を下げさせた。

「でしたら、どなたにお任せしても問題はありませんね。それでは、ミーシャどのと、リエルどの。スープ作りを手伝って頂けますか?」

「任せるにゃ」

「問題ないわ」

 そう言うと、ニンファは二人にこれらの野菜を切っていてください、と指示を出して、今度はサンドフィッシュの前に立った。

「さて、続いてはサンドフィッシュなのですが……まずは食べられるサイズに切り分けましょうか」

 ニンファは自分の鞄の中を探り始めた。しばらくして、布に包まれた、少し長めの棒のようなものを取り出した。鼻歌を歌いながらその布を剥ぎ取ると。中から出てきたのは大きめの包丁。

「もしかして、包丁を持参してきたの?」

「その通りであります、サキどの。これ以外にもいくつか用意してありますよ」

 ニンファは鞄の中から大小様々な、布に包まれた棒――全部中身は包丁なんだろうけど――を取り出した。

「うわ、ほんとだ。すごいね……」

 あの鞄、他にも何か入ってるみたいだけど、あれも料理の器具だったりするのかな……。

 それでは、と包丁を構えたニンファに、ジェラルドが制止をかけた。

「ちょっと待って」

「……? なんでありましょう」

「よかったら、サンドフィッシュがどうなってるか、見せてもらってもいいかな。一匹丸ごと見る機会なんてなかなかないからさ」

 魔物好きとしての好奇心がうずいて仕方なかったらしい。

「なるほど。そういうことなら構いません。わたくしも一緒に観察させてもらってもよろしいでしょうか」

「もちろん、いいよ」

「マジかよ、お前ら……」

 カイルの突っ込みをものともせず、二人はサンドフィッシュの観察を始めた。

 まずは体表、と言いながら黄色がかった体表をなぞるジェラルド。

「うわ、この鱗っぽいの、全部ただの模様だ」

「本当でありますか!」

「マジか」

 ニンファはともかくとして、さっきは突っ込んだはずのカイルまで、サンドフィッシュの体表を触り始めた。

「マジだ、なんかさらさらしてんな、こいつ……。おっちゃんが鱗はねえって言ってたの、こういう意味だったのな」

「他の魚のような、粘液や鱗は砂の中では役に立たないということなのでしょうか。それにしても、気持ちのいい手触りでありますな」

「図鑑じゃ、こんなことは書いてなかったからなあ。僕はてっきり鱗があるものなんだと思ってた」

 わいわい言いながら大きな魚(のように見える魔物)を触り続ける三人。奇妙すぎる光景だ……。

 その後も、ヒレはすごくざらざらしているだとか、歯はどうだとか、エラにあたる部分はどうだとかやっていると、

「そっち! 遊んでるんじゃにゃいにゃ!」

 さっきから野菜を切りながらこっちを気にしていたミーシャから、ついに怒りの言葉が飛んできた。

「ボクだってサンドフィッシュ触ってみたくにゃるにゃ! やるにゃら静かにやれにゃ!」

「なんか、ごめん……」

 ふんす、と鼻を鳴らして抗議するミーシャに謝るこちら側三人。

「ほら見ろ。怒られたぞ、ジェラルドくん」

「なんで学院長は偉そうなんですか」

「私は食材に触れることすらろくに許されないのでな」

 どうにも料理のこととなるとなかなか口を挟めないから、話題がサルファのことに移っている内に茶々を入れておこうっと。

「それ、ただの腹いせじゃん」

「まあ、腹いせだよ」

「やっぱりか」

「えー……それでは気を取り直しまして」

 と、ニンファは包丁を再び構えた。

 その後は見事な手さばきで、サンドフィッシュをあっという間に食べやすい大きさに切り分けてしまった。

 思わず拍手する私たち。

「相変わらず、見事な料理の腕前だな」

 うんうん、と頷きながらサルファ。

「お見事にゃ」

「本当に……ってミーシャ。そっちは終わったの?」

「キミたちが遊んでる間ににゃ」

「だから、ごめんって……」

 またもミーシャに怒られるジェラルドはさておき。

「一旦スープの方に戻るとしましょう。それでは……カイルどの」

「おう」

「小麦粉を用意しておいて頂けますか? 出来ればバットなどの容器に入れて」

「ほいよ、了解」

 カイルはそのまま貯蔵室の方へと歩いていった。

「野菜に火を通して、煮込みまでやってしまいましょう。じっくり時間をかけて煮込み、野菜を溶かしたスープにすると美味しいでありますから」

「じゃあ、ボクがやっておくにゃ」

「ありがとうございます。野菜に火が通ったあたりで水を入れれば問題ないでしょう」

「おっけーにゃ」

 それでは、とニンファは切り分けられたサンドフィッシュの方へと向き直る。

「こうして見てみると、なかなかの量だね」

「そうですね。しかしジェラルドどの、心配はご無用です。サルファどのに任せた分が、

「そ、そう……」

 そこで、カイルが貯蔵室から戻ってきた。手には白い粉の入ったバット。

「小麦粉、持ってきたぜ」

「感謝致します。それでは、切り身に下味を付けていきますので……カイルどの、油はどこにありますでしょうか?」

「ええと……ここだな」

 棚を開け、カイルは瓶入りの油を取り出す。

「それでは……」

 とフライパンに油を注ぎ、火にかける。

「ジェラルドどの、一応見ておいてもらえますか。油から目を離すわけにはいきませんので」

「分かったよ」

「では、その間に下味を付けておきましょう」

 ニンファはサンドフィッシュの切り身に塩を振り掛け、それぞれに擦り込む。

「それでは皆さん、各自のものを自分で揚げてみましょうか。まずはわたくしが手本をお見せしますので、特にサルファどのは、よく見ておいてください」

「ああ」

 油の様子を見て、大丈夫そうですね、と呟いたニンファは下味をつけた切り身に水と小麦粉を付け、油の入ったフライパンへ投入。

「油はねにはくれぐれも気をつけて欲しいであります。揚げる際は冷静に」

 トングを取り出し、切り身をつつくニンファ。

「そうですね、この感じですと……身の色が白く変わり、表面の色がきつね色になったあたりでひっくり返せばよいでしょうか」

 と言いつつ切り身をひっくり返すニンファ。おお、綺麗なきつね色。

「もう片面も同じように揚げて、こちらの金網の上に置いておけば余分な油が切れます」

 実践しながら教えてくれるから、分かりやすい。私にも出来そうな気がしてくるもんね。作っても食べられないからやらないけどね。

「さて、とりあえず皮を付けたまま揚げてみましたがどうでありましょう……」

 揚げ終わった切り身をかじると、サクッという音がこっちまで響いてくる。香ばしい匂いも漂ってるし……うーん、美味しそう。身体があればなあ。

「素晴らしい味でありますね……ただ揚げただけでこれとは。皮もサクサクした食感がたまりません」

「なんか、すぐにでも食べたくなってくるからやめて!」

 うわあ、と頭を抱えるジェラルド。うん、私でも食べたくなるほどだから、ちょっとお腹が減ってきただろうみんなには辛いくらいだったかも。

「ところで、スープの方はもう食べられる状態にゃ」

 にゅっと出てきたのはミーシャ。スープの方はもう放置でいいみたいで、こっちに戻ってきた。

「でしたら、昼食にも少し頂きましょうか。昼と夜で食べ比べ、ということで」

「いいアイデアにゃ。ところでボクもそれ、揚げちゃっていいにゃ?」

「ええ、どうぞ」

「じゃ、遠慮にゃく」

 ミーシャも慣れた手つきで切り身を揚げていく。料理が得意っていうのは嘘じゃなかったらしい。

 ミーシャに続いてジェラルド、カイル、リエルも無事に切り身を揚げることに成功(出来栄えはそれぞれちょっと違うけど)。

 そして最後の一人が残った。

「さて、とりあえずこれで全員一つは確保しましたね? まだまだ余りはありますから、欲しい方は各自揚げていけば問題ないと思われます。……が、その前に」

「私の出番だな」

「……そうなりますね」

「そうは言っても、この揚げ物で失敗するなんて、焦がす以外あり得ないと思うんだけど……」

「サルファどのを甘く見てはいけません、ジェラルドどの。ここから何が起こるのか分からないのがサルファどのの料理なのであります」

「そう褒められると照れるぞ」

「褒めていないのであります……」

「まあいい。私の腕前をとくと見るがいい」

 そう言ってサルファは切り身を一つ掴むと、その表面に慎重に水をつけ、粉をまぶしていった。

 そして、それを油に投入。ここまでは、手つきは慣れてないながらも普通だ。

「色がきつね色になる程度までだな?」

「そうであります」

「よし。……あちっ」

 ちょっと油がはねたらしい。サルファはトングを持つと、フライパンの前で何やらむむむ、とうなり始めた。

 変なうなり声は上げてるけど、今のところ普通に揚げてるように見える。っていうか失敗する要素がない。

「そろそろだろうか」

 とサルファがトングで持ち上げたその切り身は――いや、切り身だったはずのものは、

 真っ黒だった。

「――!?」

 ニンファを除く全員が驚愕した。っていうか普通するし、頼むからして欲しい。

「はあ、またでありますか……」

「またこうなってしまったな」

 そう言いながらサルファが金網の上に置いた「サンドフィッシュのフライ」――になるはずだった美味しい食材――は、真っ黒な物体と化していた。しかもなんかぷるぷるしてる。気持ち悪っ。

「いや、おかしいでしょ」

 なんかすごい臭いしてるし、ぷるぷるしてるし、黒いし、っていうかあれほんとにサンドフィッシュの切り身に小麦粉付けて油で揚げたもの? おかしい。原材料は全て知っているはずなのに、どう考えてもその原材料と目の前にある物体が結びつかない……!

「く、臭いにゃ……!」

 そう言うと、ミーシャはキッチンを飛び出していってしまった。一人目の脱落者だ。……いや、二人目以降は出て欲しくないけど。

「学院長に料理教えても無駄とか、要するにこういうことだったんだな……」

「その通りであります、カイルどの。サルファどのに何を作らせても、いつの間にやら黒い謎物体が出来上がるのです」

「まさかサラダとかもそうなんのか!?」

「さすがに生野菜は無事だったぞ」

「加熱させると全てこうですがね」

 一体何をどうやったらこんな暗黒物質が作れるんだよ。怖いよ。

「……なあ、これって、味とかどうなってんだ?」

「……さすがに、食したことはありませんね。勇気が出ませんで」

「……まあ、だよな」

 ごくり、と唾を飲むカイル。

「ね、ねえ、カイル。まさか……」

「物は試し、って言うだろ?」

「やめときなって! 試さなくても分かるって! これはまずいでしょ! 色んな意味で!」

「いや、俺はやるぜ。後のことは、よろしくな」

「無事で済む気がしないんなら余計にやめときなって!」

 あとその勇気はどこから出てくんのさ!

 隣にいるジェラルドが止めようとしたけど、もう遅かった。カイルはフォークでそのぷるっとした黒い謎の物体の欠片を、口に運び終わったところだったのだ。

「あっ」

 カイルの口から奇妙な声が漏れる。やっぱやばかったんじゃ……。

 よく分からない声を上げてからしばらく、真顔になっていたカイルだったけど――白目を剥いて後ろに倒れ込んだ。

「おい、カイル!? 大丈夫!?」

 床に届く前に受け止めたジェラルドがカイルの耳元で叫ぶ。だけど、反応はない。

「こ、これって、死――」

「とりあえずまだ脈はあるわ。死んではいないみたい」

「そっか、よかった……」

 カイル、再び倒れる(一日ぶり、二回目)。そして二人目の脱落者が出てしまったというわけだ。


「……」

 とりあえずカイルを自室のベッドへと運び込んだ後、キッチンへ戻ってきた私たち(ミーシャは戻ってこなかった)は、絶望感に包まれていた。

 とりあえず、臭いがすごい。いや、知ってたよ、うん。食堂の時点でなんかやばい臭いしてたもんね。食堂にいた人たち、いつの間にかいなくなってたもんね。

「……まずは、換気しましょうか」

「……そうだね」

 窓を開け、サルファが《事象現出式:風》で部屋の中の臭いを外へと追いやり、ようやく私たちは一息つくことが出来た。

「一体何故、あのような謎の物質が作り出されるのですか……」

 げんなりとしたリエルがサルファに尋ねる。

 ちなみにさっき作られた謎の物質は、紙に包んで臭いを遮断した上で廃棄した。それでもなんかやばい雰囲気を漂わせていたのはさすがの風格といったところか。

「さあな。私はただ、教えられた通りの手順で料理を作っているだけのつもりなのだが」

「確かに、後ろから見ている限り不自然な点は――?」

 リエルは途中まで言ったところで怪訝そうな顔をして、口元に手を当てて何か考え始めた。

「どうかしたの、リエル?」

「いえ、何か、違和感があるような……」

 違和感? そんなの何かあったかな……と考えていると、リエルがはっと何かに気付いた。

「学院長、揚げている途中のフライを目の前にしてうなり声を上げていませんでしたか?」

「どう、だったかな……」

 首をかしげるサルファだったけど、

「……ああ! 確かに、念を送ってたみたいな感じだった」

 ジェラルドも思い当たったみたい。そう言われてみれば、うん。なんか、そんなことをしていたような気がする。

「念を……? ああ、『美味しくなれ』と念を送っていたことか。毎回やっているが」

「そんなことを毎回やっていたのですか……」

 気が付くと、リエルがまたふーむ、と考え込んでいた。今度は一体何を?

「……学院長」

「何かね、リエルくん」

「ニンファは、のことを知っていますか?」

「……君のことは知らせていないが、私のことは知っている。要するに、は知っている者だよ。何せ私の親戚筋だからな」

「分かりました」

 そう言うとリエルは目を閉じ、胸の前で掌を重ね合わせた。その姿はまるで祈りのよう。

「リエル、一体何を――」

 ジェラルドがそう言うけれど、リエルにはやめるつもりはないらしい。彼女の身体がまばゆい光に包まれていく。この光は、あの馬車の事故に巻き込まれた時の、あの光――。

 光が収まると、目の前にいる少女の背中部分から生えているのは純白の翼。そう、リエルの本当の姿――天使の姿がそこにはあった。キッチンの中ではその翼は少しだけ、狭苦しそうだけれど。

「その姿……リエルどのも、亜人でありましたか」

「亜人、ではないけれどね。私は天使だから。あなたからすれば似たようなものかもしれないけれど」

「正直なところ、その辺りの区分はよく分かりませんね」

 とニンファは苦笑い。

「それで、リエルくん。わざわざその姿を現す意味があったのかね? 君はあまりそういったことをしたがらない人だと思っていたのだが」

「確かに、出来る限り姿を現すことはしたくないと思っていましたが……思い付いたことがあります。この『眼』を使って、出来ることが」

 リエルは、覚悟を決めた顔で、更に続けた。

「学院長。もう一度、料理を作ってください」

「ほう?」

「なっ……正気ですか、リエルどの!?」

「ええ、正気よ。今から説明するわ」

 リエルは自分自身の目を指差すと、

「私の『眼』は、魔力の動きを完全に捉えることが出来ます」

「ほう、そいつはすごい。その力は普段使えないのかな?」

「ええ、その通りです。翼を現さなければ使うことが出来ません」

「なるほど、天使の能力というのは不便なものなのだな。それで、その『眼』でどうしようというのだね?」

「この『眼』で、学院長の料理中に不自然な魔力の動きがないか、確認します」

「魔力の動きがあった場合は、私から無意識に魔法が漏れ出している可能性がある、というわけか」

「そういうことになります」

「……なかった場合が怖いな、こうなってくると」

「……その時は、才能、ということで」

 ちなみにジェラルドはリエルの後ろで翼をしげしげと眺めながら、ふんふん、とリエルの話を聞いている。なんか、変態っぽい。

「いいだろう。また、サンドフィッシュのフライを作ってみることとしよう」

「……了解であります。それではわたくしが油を温めておきましょう」

 ニンファが油(さっき使っていた油は黒っぽくなっていたので新しい油)を温めている間に、サルファはサンドフィッシュの切り身に水と粉をまぶし、油が温まったところで油に投入……という、さっきまでと同じ工程を再びなぞった。

 じゅう、という音を立てる切り身。今のところ普通だけど、ここからが問題だ。サルファが油の中の切り身をむむむ、と睨みつけると同時に、リエルが叫んだ。

「学院長!」

「な……何かね」

 切り身から視線を離し、リエルの方を見るサルファ。ほう、とリエルは息をつき、

「そろそろのはずですから、ひっくり返して少し置いておきましょう」

 と、優しさを込めた顔で言った。

「そのように叫んだということは、やはり、そういうことかね」

「ええ。詳しくは後でお話ししますが」

 そろそろ大丈夫ではないですか、とフライを金網に上げることを促すリエル。

 トングで掴まれたそれは、見事なサンドフィッシュのフライだった。

「おお……やったぞ、リエルくん、ニンファくん! 黒くないぞ! 柔らかくもない!」

「どんな感想でありますか、それは」

 とニンファは苦笑いしたけれど、その表情は少し嬉しそう。

 緊張した面持ちでサルファはそのフライをかじる。サクッという音に、見えている身は白く。それはどこからどう見ても美味しそうなサンドフィッシュのフライ。

「しかも、美味い。いいものだな、料理というものは」

 眼鏡を外し、目元を拭うサルファ。そんなに嬉しかったのか……。

 そのフライを食べ終わったところで、サルファはキリッとした表情で眼鏡をクイ、と上げ、リエルに向かって、

「師匠、と呼んでも?」

「わたくしを差し置いてでありますか!?」

「いや、冗談だ」

 安心してくれたまえ、と言って再び真剣な表情で、

「私は、あのフライ……になるはずだったものに、無意識に魔法を?」

「そうだと、思います。私が途中で叫んだのは発動を中断できないかと考えたからです。結果としては上手くいきました」

「ってことは、何か変なことが起きていた可能性もあったってこと?」

 リエルの翼を観察し終わったらしいジェラルドが、不安そうな顔をしてそう言った。

「もちろん、その場合も想定していたわ。そのためにも、私の能力が使えるようにしていたのだしね」

「なら、よかったけど……あまり危ない橋は渡らないで欲しいな」

「それに関しては……ごめんなさい」

「それで」

 とサルファが二人の会話を遮った。

「結局、私が今後上手く料理をするためには、何をするべきなのだろうか?」

「そうですね……。まずは、無意識に操っているその魔法を制御するところから、なのでしょうが」

「まあ、そうなるだろうな。魔法の制御か……魔術と同等に考えるとするならば、『本質の理解』と『名称の決定』が必要だな」

「本質としては『変化』『変質』といったところではないでしょうか。《物質変換式》のような」

「なるほど。まずはその方面で試してみるとしよう」

 真剣な顔してよく分からないことを話してるけど、実は料理で暗黒物質を作らないようにするにはどうするかって話し合ってるだけなんだよね、これ……。

「《物質変換式》としてはデタラメすぎるな、あれほどまでの変質となると」

 とサルファは笑い、サンドフィッシュの切り身を一つ手に取った。

「ニンファ、一つ使わせてもらっても構わないかな?」

「一つと言わず、いくつでも。まだ、当初の想定におけるには余裕がありますので」

「そうかね」

 では、遠慮無く。そう言ってサルファは切り身を作業台の上に置き、

「名称は――どうしたものかな」

 何か考え始めた。

「変化、変質……変質、か。それでは――」

 少し集中してすうっと息を吸い、

「《変質アラギ》!」

 と発すると、目の前の切り身からぽん、という音がする。

 見てみると、さっきまでそこにあった切り身だったはずのそれは、同じくらいの大きさの人形に変わってしまっていた。しかもこれ、サルファを象った人形だ。妙に芸が細かいな。

「上手くいったか。まったく、自分の有能さに辟易するな」

「その一言がなければ、僕たちも素直に賞賛するところだったんですけどね……」

「そこは素直に賞賛しておきたまえ、君。目の前で『奇跡』が起きているのだから」

「それは確かに、間違いないんですけども。そういえば、学院長はリエルみたいに本当の姿を現さなくても魔法が使えるんですね」

「また、あの姿を見てみたいのかい? ん?」

「いや、確かにそれは否定しませんけど、純粋に気になっただけです」

 そうかね、何ならサービスしてやってもよかったのだが、とサルファが呟いて、ジェラルドはしまったという顔をする。その顔を見てサルファはくっく、とひとしきり笑って、

「少なくとも私は、この姿のままでも魔法自体は使えるよ。サキュバスという種族としての能力は、本来の姿でなければ発揮出来ないがな」

「そうですか……」

「そう拗ねるなよ。この学院にいる限り、私の姿を見る機会などいくらでもあるさ」

「そうだと嬉しいんですけどね」

「私としてはあまり姿を見せないで頂きたいですけれど」

 仲良さそうに話している二人の間にリエルが割って入る。

「どうしてかな? を奪われるような気分になるからかね?」

「……学院長自身が、恐怖や迫害の対象となり得るからです」

「そうかね。リエルくんは真面目だな」

 絶対信じてないな、と明らかに分かる顔をしてサルファがそう言う。まあ、私も信じてない。これに関してはサルファの推測が正しいと思うし。その「何か」が何なのかは……考えるまでもないね。

 そんな風に色々と話していると、ぐう、という音が鳴った。……お腹を鳴らしているのは誰かな?

「そういえば、お腹すいたな」

 ジェラルドがこぼす。そういや、カイルが倒れたからフライ作りも中断されてたんだっけ。

「そういえば、昼食がまだでありましたね。切り身を全てフライにして、スープとパンと一緒に食べてしまいましょう」

 そう言うニンファの顔が少し赤いのは……ジェラルドに免じて見なかったことにしておいてあげよう。

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