第3話 大阪、阪神高速の夜。

 左手にはグリコの看板があり、横にはツレがいました。道頓堀川が揺れています。この橋って昔は「ひっかけ橋」なんて言われれていました。ですが残念ながら、私はここでひっかけようとして、成功したためしは一度もありません。

 阪神タイガースが優勝すると、ここから道頓堀川に飛び込むやつが、数人でます。「あいつら、あほやな。便器に飛び込むのと、同じやぞ」 ツレがそんなことを言いながら、笑いました。

 高校生のころ、この近くのビアガーデンでアルバイトをしていました。私が育った家からここらまで来るのに、自転車で20分くらいで来られたので、いわば地元のような町でした。

 大阪の下町で生まれたことが、ずっとイヤでした。騒々しくて柄が悪くて、品性の欠片もなくて、繊細な神経なんてどこをどう探してみても見つからない。だから泣きたくなるくらい、私は私の町が嫌いでした。目につくものすべてが、どうしようなくイヤでした。

 アルバイトで遅くなると、その辺でおかしな奴らに絡まれて、薄暗い路地へ連れ込まれてボコられる。ポケットの底の底まで調べられて、金目のもんは何でも持っていかれました。釜ヶ崎で暴動が起こると、火炎瓶をみんながそこらじゅうに放り投げて、他人のことなんか一切、構わない人間たちがしゃしゃり出てきます。しゃしゃり出た人間たちが寄り固まって、それから村になって、やがて町になる。

 それが大阪の正体でした。

 私はそこから逃げ出したくて、必死になって考えました。考えれば考えるほど、私は他人のことなんか一切、構わない人間になってしまい、暴動を見物しながら笑っていました。おかしな奴らに絡まれそうになっても、うまく逃げのびて、ポケットの中のモノを他人に盗られることも、やがてなくなりました。いつの間にか私は町に馴染んで、町のほうだって、私を受け入れるようになったのです。

 だけどやっぱり、私は嫌いでした。生まれた町がイヤでした。

 給料を必死に貯めたのは、車が欲しかったからです。車を買えば、本物の足が生えてくるような気がしました。

 ツレは早くから自分の車を持っていて、土曜の夜になると、阪神高速の環状線をぐるぐる回りに行きました。当時は今よりもずっと夜が凶暴で、若い奴らがいきがって、車の腹をこすりながら火花を散らして駆け抜けて行きました。カーステでキャロルをガンガン聞きながら、走るのです。今から考えれば、まるでアメリカングラフィティのような夜でした。車のヘッドライトがまぶしくて、目を細める間もなく、あっという間に時が流れてしまいます。考えるよりも時計の針が動くほうが、ずっと速かった。いつだって小走りに呼吸をしないと酸欠になりそうな夜でした。

 運よく相手を見つけた日は、そのまま信貴生駒ハイウェイをドライブします。そこでもやっぱり、キャロルがかかってました。だけど頂上の遊園地の駐車場で、暴走族が集会をやっていることがよくあって、追いかけられて、ビール瓶を投げつけられて、車が傷だらけになって、真っ青になって逃げだしたこともありました。

 それでもツレは笑っていました。私だって底抜けに、笑っていました。

 何が可笑しくて笑っていたのか、今となってはよくわかりませんが、とにかく私たちはどうしようもなく、楽しかったのです。心の底から嫌いな町で、私とツレは土曜日の夜になると、阪神高速の環状線をぐるぐる回る。しこたま目を回しながら、そこらじゅうを逃げ回って朝を迎えるのです。

 今だって何が楽しかったのか、よくわかっていません。いつだって怖かったし、怯えていました。でも私とツレは、腹の底から笑っていました。

 あの町を出てから、私はあれほど底抜けに笑ったことがありません。なぜ私とツレは、あの凶暴な夜に身を置きながら、バカみたいに笑えたのでしょうか。本当に、不思議です。

 そんなツレが、2015年の3月に亡くなりました。ガンだったそうです。

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