第17話 精霊流しか、花吹雪。
なにがなんだかわからぬままに、淳平が運転する軽トラックに乗せられた。
「出発じゃ」
とにかくお尻が痛い。天井に頭をぶつけた回数も、五回をすぎたころから数えるのをやめた。
「ねえ淳平、いったいどこへ行くつもりなの?」
どうも身の危険を感じたりもするし、確かめておいたほうが無難だと思った。
「黙ってついてこいや」
相変わらず淳平は、どこまでも上からものをいう。だけど私にしたってあまりしゃべると舌をかみそうだったので、これ以上、不平を述べるわけにもいかず、おとなしくやつのいうことに従った。
十分もすると軽トラックは停車した。
「着いたぞ、A子、車からおりてこっちへ来い」
連れてこられた場所は、なんと例の河原だった。暗くてここからはよく見えなかったが、あの小さな橋もきっとあるに違いない。
「足もとに気ぃつけて歩けよ」
やつが懐中電灯で前を照らしてくれる。だけど下駄ではかなり歩きづらかったし、私はあっちこっちでおっとっと、それを見かねた淳平が軽トラックの荷台に近づいて、そこから何かつかんで戻ってくる。
「これを履け」
私に向かって手の中にあるものをほうり投げた。道に転がった物体を恐る恐る確認してみると、どうやらそれはゴム草履のようだった。
「えっ、いいよいいよ」
あのゴム草履には絶対に足を入れたくない。
「ええことはないやろ。下駄のままじゃ不便やし、そのままやと河原におりることもでけへんぞ」
この格好で、誰があんなところへおりるんだ。
「でも私って、浴衣を着てるわけだし――」
「気にすんな。ちゃんと手を引いてやる」
「ここからでも十分に楽しめそう」
愛想笑いを浮かべながら、頭を左右に振ってみた。かなりかわいくやったつもりだったんだけど、淳平にはまったく通用しない。
「ええから、ぐずぐずせんとはよう来いや」
淳平のやつは話し方もそうだったが態度のほうもひどく乱暴で、その上、昔の健次よりもよほど強引な感じがした。こうなったら私も黙ったままではいられない。
「こんなところへ連れてくるつもりなら、なんで浴衣を着てこいなんていったのよ」
ついに私はキレて高い声でやつをなじる。
それに対する淳平は至極、落ち着いたものである。顔色一つ変えるわけでもなく、目を細めながら、私の姿を上から下までじっくり眺めたあと、ゆったりとした調子で口を開いた。
「A子は昔から浴衣がよう似合うたからのぅ」
それを聞いた私はやや和んだが、この程度のお世辞を真に受けるほど幼くもなかったし、淳平の変わり身の早さにはただあきれるばかり。だけど不思議と頭にのぼった血はいつの間にかおさまってしまい、結局のところ、ゴム草履に足を通す決心をした。
「ねえ淳平、これって淳平の草履なんでしょ」
「そうや」
「水虫とか、そういったたぐいのものを飼ってたりはしてないよね」
「当たり前じゃ。そんなもん、十代のときに医者へ行って全部、直したわ」
全部? 水虫以外にも飼育していたものがあったというわけか。それを聞くと足の裏がなおさらびくついて、皮膚呼吸でさえも危ない状態になったんだけど、今さらどうしようもなかったから、覚悟を決めて足を載せた。そのとたん、おぞましい感覚が全身に広がり、すぐにあちこちがかゆくなった。
「河原へおりる前に橋の上まで行くぞ」
淳平はそういいながら、軽トラックの荷台から一斗缶を抱えて戻ってくる。そのあと私の手を引いて、暗闇の向こうへ進もうとした。
引っ張るな。
「この草履って大きすぎて余計に歩き難いよ」
「ぜいたくいうな」
ほんとにえらそうなやつだ。いくら温厚な私にしたってもうそろそろ限界で、頭の中でぷつんという音がしたんだけど、まだそれほど大きな音じゃなかったから我慢した。私はひどい不満を抱えながらも、しかたなく淳平のあとをついて歩く。
やがて橋の上に到着した。そこから下を眺めてみると、闇の中を流れる小川の息づかいを感じ、星のかけらが川面でゆったりと揺れているのがわかった。首を回せばあたりを一望できる。周りを取り囲む緑の壁はすっかり闇のベールに覆われて、黒い樹木はまるで、両手を広げた巨人のようだった。その前に立つとなんだか少しおじけづく。全身の毛穴が縮むような思いがした。
「いったいなにをするつもりなのよ」
私がそんな風に聞いても淳平はしばらく返事をせず、抱えていた一斗缶を地面に置いたあと、こちらを向いた。
「ここにはな、おれたちの宝物が入ってるんや」
自慢げな顔をしながらやつはそんなことをいい、缶の上にかぶせてあった布を取り去って中身を明かす。
「これって、花びらじゃないの」
一斗缶の中には花びらがぎっしりと詰め込まれてあった。
「そうや、集めるのに苦労したんやぞ」
「こんなもん、いったいどうするつもりなのよ」
「橋の上からまくんや」
なるほどね、そういうことですか。
「A子と健ちゃんがこの下を潜ったときも、おれと辰ちゃんで花びらを集めてここからまいた。あのときのことはお前かて忘れてへんやろ」
「そうだったよね」
「落ちてくる花びらはきれいやったか」
「うん」
「けどな、この上から見る花びらのほうがもっと絶景やった。それをA子にも今から見せたるわ」
「この暗闇の中で――」
淳平のやつには私のことばは、決して届かない。
「ほうら、一気にまくぞぅ」
やつは一斗缶を頭上にかざし、それを逆さにして、あとは勢いよく振り回す。舞い落ちる花びらはチョウのように羽ばたいて、まるで生き物のごとく水面に着地した。
「どうや、きれいやろ」
「ほんとだね。暗闇ってひょっとすると、人間の想像力をめいっぱいに高めてくれるのかもしれないね」
淳平と並んで橋の上に立っているはずなのに、私の上に花びらが振ってくるような錯覚があった。鳥肌が立つ。そんな私を見てやつは満足そうな顔をした。
「次や、これもわれながらええアイデアやと思うとるんや」
そういいながら淳平は、シャツの胸ポケットにあるサインペンを引き抜いて、一斗缶の上から取り去った布でそれをくるんだあと、自慢げな表情をまったく隠そうともせず、手の中にあるものを私の前に差し出した。
「今度はなに?」
今の雰囲気はかなり心地よくて、わくわくしながら次の出し物に期待した。
「なんでもええからこれを見てみいや。こんな演出は普通のもんにはなかなか真似でけへんでぇ」
やつがそんなことをいうもんだから、私は差し出されたものを受け取ったあと、それに顔を近づけて確認した。
「これって、ひょっとして――」
絶句した。
「そうじゃ、おれのパンツや。さすがにこの場で脱いで渡すのはどうかと思うたから、家を出るときに、はき替えてきたんじゃ」
信じられない。橋の上から突き落としてやりたかった。
「それで、これをいったい私にどうしろっていうの」
「精霊流しがまた見たい。おれの欠点を今のA子に指摘してもらいたいんや」
私は口を固く閉じたままサインペンを持ち直し、それを手の中にあるおぞましいものに近づけた。〈へんたい〉そう書いてのち、淳平をにらみつけながら、やつのパンツを小川に向かってほうり投げた。そのあと不快感をひたすら込めて、大きなため息をついてやったんだけど、やつは私の様子などまったくおかまいなし、小川に落ちた白い布に夢中といったところである。
「ねえ淳平、一つだけ忠告させてほしいんだけど、いいかな」
教えてやったほうが、これからのこいつのためにもなると思う。
「なんや」
「ほかの女の子には絶対、こんなことをしちゃだめだよ」
「当たり前やろうが。こんなばかなことを、お前以外のもんにするはずがないやろ」
どういう意味だ。
「さあ、いよいよ河原におりるぞ」
そういってやつが私の腕を強く引っ張った。早くおうちへ帰りたい。
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