第11話 ツチノコ探しに行くんやろ。
健次や辰男、それに淳平にしたって村では裕福な暮らしとはいえなかった。その村でさえ、都会どころか近くの町と比べても、貧乏くさくて悲惨だったというんだから、絶対的な貧困度を日本全国で比較すれば、私たちは相当下位の部類であったと断言できる。
お金がなければ気持ちはすさぶ。
金銭だけが幸福の尺度でないことは百も承知しているが、誰もが否定できない暮らしぶり、その『ぶり』というやつを見れば、幸せとお金の間には深い因果関係があることだけは確実だった。
そんな生活の中で暮らしていた三匹のピラニアは、たいていいつも自分の家には早く帰りたがらなかった。
『もうちょっと遊ぼ』
健次がそう言いだすと、辰男や淳平はいつも素直に従った。
『だけどすぐに日が暮れるよ』
私はそうでもなかったから、今から思えば恵まれた環境に育ったのだと思う。
『A子は帰れ、あとは男ばっかりで遊ぶから』
彼らは私を無理に引き止めたりはしなかった。
それでもあのときだけは、気になることばを三人が口にしていたから後ろ髪を引かれ、ついつい山のほうへ向かう彼らの背中を追いかけた。
『ついてくるなというてるやろ』
私を巻き込みたくなかったのは、母親からの苦情や村の年寄りたちからの小言をおそれてのことだ。
『ツチノコ探しに行くんやろ』
私が気になったのは、このツチノコということば、それを三人で探すという彼らの魂胆が、私だけをのけ者にして、みんなで大層美味な食べ物を隠れて食うのではないか、そんな次元の心配だった。今から思えばこっけいな話ではあるんだけど、ツチノコということばの響きがタケノコとよく似ていたし、タケノコは私の大の好物でもあったから、当然ここはおとなしく引き上げるわけにはいかなかった。
『私もツチノコ食べるもん』
これを聞いて三人は目を丸くした。
何年かあと、インターネットでこのツチノコを調べたときに出てきた画像を見て、同じく私も目玉をむいた。
『あとで怒られても知らんからな。A子が勝手についてきたっていうぞ』
『それでかめへん』
どちらにしても、なにか問題が起これば、まちがいなくしかられるのはこの三匹のピラニアのほうで、それが不平等というわけではなく、ふだんの行いこそが被害者を決めるのだと、幼い私には信仰めいた確信があった。
とは言うものの、あのとき暗い山道のどこをどう歩いたのか、そのあたりのことについてはひどくあいまいで、覚えていることといえば湿った洞くつの中に行き着いて、ひとしきり彼らに対して文句をいったことくらいだ。
『ツチノコがこんなところにはえてるはずがないやん』
『言っとくが、ツチノコはな、はえるもんと違うぞ』
辰男のやつが生意気にも私に対して口答えをし、じゃあどういうもんだ、動くのか、はうのか、飛んでいくのか、そんな問答のすえ、ようやく私にもツチノコの正体がおぼろげながらも見えてくる。
聞く話に寄れば、なんと幻の生物だというんだから驚きだ。しかもひょっとすると、百科事典では妖怪の分類に入りそうなほど謎の多い生き物らしい。食べるなんてとんでもなくて、食べられるおそれもあると、健次のやつが言いだしたんだからたまらない。
『また、私をだましたんやね』
私にとってはこの感覚は正当ではあったんだけど、彼らは口をとがらせながら反論した。
『食べもんやなんて、誰もいうてへんやないか』
『お前が勝手にそう決めつけたんや』
いいたいことはわからんでもなかったが、それを私の母や村のみんなが信用するとは、とても思えなかったし、当の本人である私にしても、ここまでいいわけがましいこいつらには、ほとほと愛想が尽きた。
『早く帰りたい』
目的意識がなくなった幼い頭には、カビの張りつく岩壁や、足の裏に感じる、ぬめっとした泥の感覚はおぞましいばかり。かといって一人で帰れるほどの度胸も方向感覚もなかったから、三人を説得して早々に山をおりたいと考えた。
『まだあかん、そのかわり、おもろいもんを見せたるわ』
健次のことばを聞いてようやく私は矛をおさめた。横にいる辰男がそんな私の態度を見てにやりとした。一人淳平だけは、健次のそばに近寄って大声で叫んだ。
『あかんあかん、A子にだけは絶対に見せたらあかん』
だめだといわれたら余計見たくなる。しかも、『私にだけは』と『絶対に』まで付け加えられてあったんだから、わくわくするなというほうが無理な話である。それに淳平の必死な形相からして、相当な秘密とかそういったたぐいのものだと予想できた。ツチノコにはひどく落胆したが、私にとってタケノコ以上の好物が、他人の秘密だったもんだから、こうなったらかなり期待できそうな予感がした。
抵抗する淳平を辰男のやつが押さえつけ、健次は洞くつの奥に向かって四つんばいになった。そのまま腕を伸ばし、小山のように盛ってある小石を脇へ寄せ始めた。その下には古いノートのようなものが隠してある。それを引っ張り出してこちらを向いた。
『これや、読んでみ、おもろいでぇ』
そういいながら健次が手渡してくれたものは、ひどく痛んだ大学ノートだった。早速、私は表紙をめくろうとする。
『あかんて、やめてぇな』
淳平は最後まで抵抗を試みた。だけど辰男のほかに健次までが体を押さえつけにまわったもんだから、とてもじゃないけど私のそばには近寄れず、今にも泣きだしそうな顔をしながら、こちらをにらんでいた。
私はそんな淳平にいちべつくれて、そのあとすました顔でノートを開く。一ページ目にはタイトルと記されてあり、その下には『ダーリン』などと書かれてあった。しかも作者として、斉藤淳平と続けてあったんだからおもしろい。
『なによこれ』
私の質問に答えたのは健次だった。
『小説や。淳平が書いたんやでぇ』
ここでも私は落胆した。
なんページかめくってそこらの文字をつなげてみたが、残念ながらそのときの私には、ふぅん、そう、くらいの感想しか思い浮かばない。これが小説ではなくマンガだったとしたら、多少の興味を示しただろうし、どうしても文字の連続でないといけない理由があったんなら、恥ずかしくてたまらないようなことばが並んでいないとリアクションのとりようがない。
『エッチなこと、書いてあるんやろ』
ざっと見たかぎりではそんな風には思えなかったが、私には絶対に見られたくない、そんな言い方までして拒むんなら、やっぱりいやらしいことが書いていなければおかしいと思う。
『そんなことないわい』
顔を真っ赤にする淳平はすごいけんまくだった。それを見て、健次や辰男はしてやったりと笑いだす。
『エッチな話とは違うんや』
健次がそういいながら一歩こちらへ進み出た。
『淳平、いつものように読んで聞かせてくれや。でないとA子はお前のことをむっつりスケベやと思うでぇ』
もうきっちりそうだとは思っていたが、正当な反論があるんなら受けつけてもかまわない。観念した淳平はようやく暴れるのをやめた。
『わかった。そのかわり絶対に笑うのはなしやぞ』
淳平のことばは私に向けられたものだ。
こうなったら私にしてもうなずくしかなかった。それでようやく洞くつ内の雰囲気は落ち着いたものになり、私たちは思い思いにそこらの石を動かして、淳平のそばに腰を下ろした。中央に位置する淳平は、私から手渡されたノートを手にとって、なんだか妙に、気取った調子で小説と称するものを読み上げだした。
あとから考えてみれば、淳平の書いた物語は、SFファンタジーと呼ばれるジャンルのものだったのかもしれない。当然たあいもない作文でしかなかったが、窮屈な洞くつ内に身を置く私たちにとっては、現実からほんの少し足を踏み外すくらいの効果はあった。
出口付近から入ってくる明かりも頼りなく、岩壁を伝う水の音と重なるように、狭い空間の中で淳平の声だけが響いていた。読むのではなく聞かされる、当時小説などにまったく興味のなかった私にしても、その行為が素直な意識を呼び覚ましてくれる。
月には二種類の生物がいて、かわいいほうの小動物はダーリンと呼ばれ、もう一種類の生物にはフュースという名前があった。フュースの姿はおぞましく、まるで怪獣のような生き物であったという。
これが淳平の物語の始まりだった。二種類の生物の関係は複雑としか言いようがなく、ダーリンのエサはフュースのウンコであり、フュースはなんとダーリンの体を丸ごと飲み込むらしい。このあたりの食の好みはフィクションとはいえ、私には許し難いものがあった。
『ウンコを食べるなんて汚すぎる。それに怪獣に食べられるダーリンもかわいそう』
そんな私のクレームに対する淳平の回答は、フュースのウンコはほんとはウンコじゃなくて、ダーリンが死ぬためにフュースの体内へ入り、それが姿を変えた形なんだと力説した。
意味がよくわからなかったが、そうなると、フュースはダーリン専用の棺おけだったということになる。しかもダーリンが食べるフュースのウンコは、まるでチョコレートのような食感と、こうばしいにおいがするというんだから、この日以降、私はチョコレートに対してひどい偏見を持つようになった。
話が進むとダーリンはなぜかZOOに連れてこられて見せ物になる。しかも一応宇宙人であるはずのダーリンは、情けないことにとことんひ弱なやつで、地球では一週間以上生き延びることができないらしい。
その理由は淳平の説明からすると、ZOOにはフュースがいないから――であるらしい。
ここまできてようやく主人公らしき少年が登場した。主人公はフュースのいない世界になじめないダーリンを、なんとか月へ帰すために奮闘する。
要約すると、冒険に次ぐ冒険を乗り越えて、がんばり抜く少年の姿をつづった物語だった。その課程では笑いどころも満載で、不覚にも私は何度か吹き出すはめになる。
ただ一つ、今から思えば気になることがあった。
主人公の両親は離婚している。そのため少年は父親といっしょに暮らしてはいなかった。それが淳平の現実と重なるし、離婚という洗礼を、健次や辰男の場合は経験してはいなかったが、それぞれの家庭に対する不満や、一見それとは真逆のあこがれを、彼らが常に心のどこかに抱えていたらしいことは容易に想像できた。
その証拠も私の記憶の中には残っている。
駅の線路の脇に転がっている枕木を、みんなで懸命に運んで広場の隅に置き、葉っぱを拾ってきてはクリスマスツリーに見立てて飾り立てた思い出があった。腐った枕木を囲んで遊ぶのは私たち四人だけで、そこでの役割は健次がお父さん、私がお母さんと呼ばれるのだ。やんちゃで乱暴者で性根の曲がりきった三匹のピラニアの、お気に入りの遊びがままごとごっこだったとは、私以外にはおそらく誰も思うまい。
演出の違いや役柄は変わっても、私たち四人の関係は遊びの中では常に家族である必要があった。その法則が淳平の物語の中でも存在し、どうやらフュースとダーリンの関係は、屈折してはいたが親子であるらしい。話のつじつまが合うかどうかはこの際重要ではなく、とにかくそういう関係でなければいけなかったのだ。
ダーリンはフュースを恋しがるあまり、地球では一週間の命しか与えられず、主人公の少年の助けを借りて、月にいる父親、つまりフュースを目指して帰ろうとする。だからこそ健次や辰男はこの話に夢中になった。腹を抱えて笑い転げた。あたりが暗くなりかけているのも忘れ、話の区切りがつくまで決して家路につこうとはしなかったのだ。
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