秘剣
「ってなわけで約十年前から、神々と人類は一時休戦中だ。だが言葉を持たない神や死、狂気などの神はこの休戦に関係なく、俺達人類を滅亡させる勢いで襲っている。俺達の今の役目は、神々との戦争までに力をつけることと、これら襲い掛かる今の火の粉を払うことだ」
去年と引き続き、自称優しい先生の授業を取ったミーリは爆睡していた。べつに眠りに誘うトーンなわけでもテンポでもないのだが、授業という魔法が彼を眠らせる。それがいつものことなので同級生達はまるで気にしなかったが、先生が黙っていなかった。
「起きろ! ミーリ・ウートガルド!」
教卓からミーリの眠る一番奥の席まで、射られた矢のようにチョークが飛ぶ。だがそれが頭に当たって炸裂するよりまえに、机に突っ伏したままのミーリが指と指で挟んでキャッチした。
まるで達人のような技に、周囲から関心の声が出る。だが当のミーリはチョークを机に置くと、また寝入ってしまった。
「コラ! ミーリ! 寝るなぁっ!」
結局そこから先生とミーリのチョーク投げと受けの対決になってしまい、授業は終了。先生は体力とチョークだけを消耗し、ミーリは体力を回復した挙句大量のチョークを手に入れた。
なんの得でもないが。
「ミーリ、おまえすごいなぁ」
「えぇっと……誰だっけ」
「っ!
突っ込む暁人を、パートナーの男子はまぁまぁと
「で、何か用? またおごってくれるの?」
暁人は一歩引く。獅子谷玲音との戦いが終わった後ミーリに捕まって、財布の中の金銭という金銭を食べ物につぎ込まれてしまったのを思い出していた。
「い、いやぁさすがにしばらくいいわ。それよりもさミーリ、おまえ例の神様討伐メンバー選抜戦、受けるのか?」
「単位貰えるからねぇ」
「実は、俺もなんだ! 絶対メンバーに入ってやるぜ? ミーリ、一緒に行こうな!」
そんな簡単な話じゃないんだけどなぁ……。
そう思いつつも、暁人のやる気に満ちた顔を見ると言う気が失せた。頑張ろうと意気込んでいるのに、言う言葉ではない。
「そうだね」
そして今日が、ミーリの試験第一戦目だった。相手は双剣使いの五年生で、なかなかの実力者だ。場所は第一闘技場・リブル。
上級生の連撃を一歩も動かず受けきったミーリは、その場で槍を回転させて双剣を払い、彼の喉元に先を突き付けた。ここで抵抗しようとも、間違いなく逆にやられる。
「……ま、参った。降参だ」
互いに傷なく、勝負が決する。わずか一分たらずのこの試験に不満を抱くのは本当にごくわずかな者で、他はミーリの圧勝に興奮した。
暁人も無論、興奮した一人。終わるとすぐにミーリがいる控室まで行って、その興奮を伝えに行った。無論パートナーである男子生徒も連行してである。
「マジでどうやったらあんなに強くなれんだよ、ミーリ。強さの秘訣とかあるのか?」
「秘訣ぅ? そだなぁ……よく食べてよく寝ることじゃない?」
「えぇ、嘘だろぉ? もったいぶらずに教えろよぉ!」
決して落とす気はない絞め技に、黙って絞められる。無論殺気のこもった技なら容赦なく躱して反撃したが、その程度のじゃれあいには喜んで参加する方だった。 それにも気付かず絞めている主人に、パートナーの
「悪いな、ロンゴミアント。試合で疲れてるのに。こいつが行くって聞かなくて」
「いいのよ、彼方。暁人のような人とのじゃれあいも、ミーリには必要だわ」
「そう言ってもらえると助かる」
二人じゃれあう控室の扉を勢いよく押して、入ってくるのが一組。たった数日でミーリはすっかり忘れかけていたが、
わざとらしくミーリを見つけ、大きく歩み寄る。
「初めましてだウートガルド先輩。一年後輩の、ギッシュ・スルトと言うものだ」
「あぁ……七騎入りするかもって人ね。確かに会うのは初めてだねぇ。これから試験?」
「いや? じきに同じ立場となる人に、挨拶くらいしておこうと思ってな」
「そう」
レーギャルンの方に視線を移すと、彼女はすぐスルトの後ろに隠れてしまった。相当の人見知りと見える。スルトも彼女を隠すように、さらに一歩前に出て手を差し伸べてきた。
「どうぞよろしくだ、先輩」
「うん、いいよ。そういうの」
「……というと?」
「先輩とか、そういうの。苦手でしょ。苦手どころか、嫌いなんじゃない? 君」
差し出した手を引っ込めて、スルトは苦笑しそして転げそうな勢いで笑う。その声は大きく響いて、この後の試験に控えている生徒達は一斉に振り返った。
だが誰も何も言わない。そこにいる誰もが、スルトに意見できるほどの度胸も強さも持ち合わせていなかったからである。もちろんパートナーのレーギャルンも、後ろで何か言いたそうにしただけで言わなかった。
「そう! その通りだ! 力ある者こそ上であるべきと考える俺に、年齢の上下関係など皆無に等しい! ご理解いただき嬉しい限りだ!」
大きく息を吸って笑いを止めたスルトは、目尻に溜まった涙を拭う。彼としてはようやく止まったという感じで、少し疲れてしまった様子だった。
「そういうわけだ、ミーリ・ウートガルド。じきに俺はおまえを倒す、倒してしまう。そして学園最強の座を手に入れるだろう。おまえの天下はそれまでだ。せいぜい残りの時間を謳歌しておくことだな」
再び笑い出すスルトだったが、その笑いはすぐさま止められた。止めたのはもちろんミーリではなく、かといってスルト本人でもない。それは彼らの目の前にいた、一人のピンと立った指だった。
「ミーリがおまえになんか負けるわけねぇだろ? 後輩よぉ。ミーリはこの学園最強! 俺らの目標! それを簡単に倒されちゃあ、俺らが困るんだ!」
「……誰だ貴様。知らん顔だな」
「暁人だ。パートナーの名前は彼方」
「暁人……彼方? フン、やはり知らん。名も残せぬ雑兵か。貴様俺のことを知らんのか。俺は――」
「あぁ知らないね。知らないさ。だからおまえなんか全然怖くない」
それは嘘だった。七騎入りが噂されるほどの実力者のことを、自称女の子と噂に関しての情報通である暁人が知らないはずがなかった。
だが怖くないというのは嘘ではなかった。強さも怖さも知っていたが、べつに今この場で戦うことになろうとも、かかってこいよくらいの姿勢でいられた。理由はわからない。
もしかしたら、後ろに友達が――ミーリがいたからかもしれない。友達の前で、目標の前でビビッてなんていられない。そんなところだろう。
スルトがそんな暁人に物言おうとしたそのとき、二人の生徒証がなる。生徒証は通信機器になっていて、学校の行事や試験の日程、緊急の報告などが入る便利な代物だった。
そして今二人に入ったのは、選抜試験の日付と時刻。見た二人はそれぞれ驚きの反応を見せ、互いを睨んだ。
「雑兵、たしか暁人と言ったが……
「おぉ、そうだ。ってことは何、俺の相手のギッシュ・スルトっておまえ?」
「いかにもそうだが?」
「調度いい! おまえがミーリに勝てるかどうか、この俺が見極めてやるぜ!」
「見極める? おまえが、俺を……?」
スルトは笑う。笑う、高らかに。そこに誰がいるとかそこがどこかとか構うことなく、笑いたくて笑う。その声はとても大きかったが、後ろでレーギャルンが怯えている様子なのが、ミーリは気になった。
大きく息を吸い込んで笑うのをやめたスルトは、その場でやることはすべて終わったかのように振り返り扉を開く。
「では期待して待つとしよう、倉敷暁人。明日貴様の実力を試してやる」
それだけ言い残して行くスルトを、レーギャルンは一礼してから追いかける。見送った暁人は何故かふんぞり返って、後ろのパートナーにしっかり親指を立ててみせた。
「また大物に喧嘩売ったなぁ……」
「いいじゃんか! その方がやりがいがある!」
「まったく……」
「見てろよ、ミーリ! あの野郎かぁるくぶっ飛ばして、おまえと並んでやる!」
「うん、楽しみにしてる」
その日の夜、脚を洗わせているロンゴミアントはふと吐息した。泡から抜け出た気泡が震えながら飛んでいく。
「どしたの、ロン。そんな溜め息ついて」
「……いいえ。ただあなたが、酷いこと言うのだなと思っただけよ」
「いつ言った?」
「今日、控室で。暁人に」
「んぅ?」
ピンときていないミーリに、また溜め息。槍の脚を金属音をさせながら組むと、その上に立つ泡をすくい取った。そのまま手の上でつついて遊ぶ。
「楽しみにしてる、なんて酷な言葉。あなたはわかっているはずなのに。暁人じゃ彼は倒せない。霊力は桁違い。能力も戦闘スタイルの相性も最悪。何より彼方とレーギャルンじゃ、
ロンゴミアントの話を割ったのは、ミーリの指先だった。滑らかかつ繊細な動きで槍脚をくすぐり、話をもはや中断に追い込む。そのままくすぐり続けてロンゴミアントが呼吸困難になりそうになってようやく、ミーリは止まった。
「そんな明らかな違い、暁人本人が知ってるよ。目の前にしたら、一目瞭然以上にはっきりだ。でもそれでも、暁人は引かなかった。挑戦するんだよ、暁人は。だから……」
「ちょ、ミーリ、えっと……」
くすぐられ過ぎて脱力し、倒れているロンゴミアントに被さる。泡に濡れた紫髪を指で束ねて、スッと指と指の間で滑らせた。
「俺から諦めろだなんて、言うわけにいかないじゃん」
「ミーリ……」
「ところでロン、この際だ。ついでに頭も洗っちゃおうか」
「え?」
「大丈夫。今日は徹底的にしてあげるから」
「え? え?」
「だから、ね? ロン」
妙にやる気のあるミーリの目が怖い。いつもは面倒くさがって脚しか洗わないくせして、こういうときのミーリが何かいたずらや意地悪の類を企んでいるのはいつものことであった。
逃げたいところだが、ミーリが上にいて逃げられない。普段クールなロンゴミアントだが、さすがに顔が青くなった。
「み、ミーリ? ちょっと、今日はいいわ。自分で洗う。だからどいて、ね?」
「問答、無用!」
その晩、二人の部屋からは一度だけ、喘ぎ声が聞こえたらしい。
そして翌日、場所は第二闘技場・ムスペル。
別名炎の闘技場とされている塔で、円形のフィールドと、それを螺旋状に囲む観客席が特徴となっている。構造は塔なので、対戦者によっては高度の空中戦も可能だ。
そのムスペルでは今、驚愕が沸き起こっていた。
スルトが力を発揮したのでも、暁人が奇跡の勝利を収めたわけでもない。それどころか、試験はまだ始まってすらもいない。皆が驚愕するそのわけは、暁人と対戦するべく現れたのが、スルトとは似ても似つかない青の着物を着た男だったからだった。
「どういうことだ!」
「スルトはどうしたんだ!?」
客席から、スルトの戦いを見に来た生徒達がブーイングと共に声を荒げる。だがスルトの代わりにやってきたその男はすまし顔で、ふと溜め息だけをついた。
「なんだおまえ。あいつはどうした!」
「奴? スルトなら、ここには来ない」
「何?!」
「聞いたところによるとこの試験、一度だけ両者の了承を条件に、試合を交代できるそうだな。スルトはその制度を使い、私と入れ替わった。今頃リブルで、スルトは本来私が出るはずだった試験を終わらせているだろう」
その制度は試験を受ける誰もが知っていたし、客席の皆も知らないことではない。だが普段健康上の理由などで使うはずのその制度を、ただ単に使っただけの生徒などいなかった。
だからみんなは驚いたのだ。わざわざ弱者と戦うものかと、スルトが言っているような気が、誰しもがしたからだ。
「そういうわけだ、先輩殿。悪いがこの試験の相手は私で我慢してもらう。この、
蒼燕の後ろに隠れていた右目に眼帯の少女が飛び出し、掲げられた手に口づけする。彼女に背負われていたむき出しの刀身を掴み取ると、彼女の体が柄となって鞘となった。
彼の神霊武装は、一メートル近い刀身を持つ長刀。
「では始めようか、見物客たちを飽きさせてしまう。そうなると、私もスルトに申訳がない」
「……一つ聞かせろ、後輩」
「どうぞ」
「おまえは、あのスルトって奴のなんなんだ? なんでこんな無意味な交代をOKした? おまえももう、交代は使えないんだぞ」
「彼の何、と申されても……私はただ、彼と同級生というだけ。今回のこれも、頼まれたからというだけ。強いて言うなら、腐れ縁。それだけだが」
「……そうかよ」
伸ばした手を彼方が握り、刀となる。研がれた刃が天上からの日を浴びて、白い光を反射した。
「じゃあ遠慮なくやるぜ! 後輩!」
先手必勝をかけた暁人が、肉薄する。その勢いのまま放たれた斬撃を、蒼燕は居合斬りで弾き飛ばした。紐に腕を通して鞘を背負い、そして接近する。縦横無尽の斬撃が、早速暁人の肩を切り裂いた。
そしてこれと同時刻、ミーリとロンゴミアントが到着する。当然暁人の相手がスルトでないことには驚いたが、すぐに状況を把握した。そして暁人と蒼燕の間にある差を、ミーリはまだ眠気の残る目で見る。
「うん……あの相手、間違いなく暁人より上だ。達人レベルだ」
「名前は、時蒼燕。一年下の後輩だ」
その場に居合わせたのは、パートナー二人を連れた
「ギッシュ・スルトの名に隠れてしまっていたが、彼もまた、七騎入りを有望視された一人だ。本人がそれを蹴ったので、話はなくなったが。彼は強いぞ。剣の上ではリエンの次かもしれない」
学園最強の次に強い剣士。それが相手なら、同じ剣士が勝てるはずもない。それはもう見えている未来で、決まっている現実だった。奇跡など、起きても仕方ない。
「残念だが、この試験、倉敷は……」
「負けるだろうね」
それをはっきり言ったのは、その場で一番の友達であるはずのミーリだった。あえて言葉を避けていたロンゴミアントも空虚も、言葉を詰まらせる。だがフィールドを見るミーリの目は、どこか応援しているようだった。
「この試験、相手があの後輩くんでも今の剣士くんでも、結果は変わらない。でも、暁人は相手が誰だろうと変わらないよ。相手が誰でも、諦めないだけ。だから俺も、ただ見守るだけだよ」
その通りだった。ずっと遠くにいるミーリの言葉が、まるで聞こえているかのように、暁人は蒼燕に立ち向かった。剣撃を受け流し続ける長刀に、剣撃を叩き続ける。次第に蒼燕の手が耐え切れなくなって、ついに長刀を落としてしまった。
「もらったぁぁっ!」
脚で蹴り上げ拾い上げる。身を回して剣撃を受け流した蒼燕は、一度距離を取った。
「ふぅ、危ない危ない。危うく一撃喰らうところであった。これは正直、見くびりがあったな」
「見くびるな!」
「そうだな、失敬。これは我が秘剣を披露しなければ、剣士として申し訳ないな」 そういうと、蒼燕は剣を収めた。そしてまた、居合斬りの構えを取る。神経を研ぎ澄ますと同時に溢れ出す霊力が、蒼燕の体を満たした。
「来い」
臆せば負け。だが、臆さず飛び込もうとも負ける。見る側からしてみれば、どっちにしても結果は同じのこの勝負。だがここで臆して引くのと特攻するのでは、戦う者にとっての意味がまるで違った。
「いって……やらぁ!」
もはや意地だった。同じ負けなら、せめて華々しく散ってやろうくらいの。それはこの戦いを見ている中の、二人の実力差がわかるものなら誰しもが、理解できる美学であった。
その意地も美学も一掃する蒼の斬撃が、暁人の体を宙に飛ばす。その剣の名は――
「“秘剣、
暁人の体が力なく倒れる。そしてしばらくするとパートナーの彼方が人の姿を取って両手を上げ、両膝をついた。降参の姿勢である。
勝負は決した。だがその場に送られた拍手は、二人に平等に送られたものだった。それは暁人も、蒼燕も、理解したうえで受け入れた。
「いずれまた手合わせする日が来るやもしれん。そのときは、また全力でやろう。先輩殿」
蒼燕は去る。そして、残った暁人は彼方の隣で泣いた。フィールドに流れる彼の涙で、そこだけが濡れる。
ミーリは何も言わず、何もせず、ただ身を翻して立ち去った。その目は試験が始まる前と同じで、ずっと眠そうな目だった。
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