裏切りの厄災《レイヴォルト》
暁人の敗戦から二日後、ミーリは第二試験を終えた。
相手は槍使いの上級生で、風紀委員会所属の生徒だった。学園でも武闘派とされる風紀委員の参戦に、観客のみんなはミーリの苦戦を期待したのだが、それを大きく裏切って、ミーリはまた一歩も動くことなく勝利した。
その夜、いつも通りロンゴミアントの槍脚を洗ったミーリは、生徒証で珍しく電話をしていた。生徒証の通話機能など使う相手がそういないし、使う機会も滅多にないからである。
ちなみに相手は、
「お疲れだったな、ミーリ。結果は訊くまでもないだろうが」
「うん、勝ったよ。そっちは?」
「無論勝利で収めたさ。そ、それでな……ミーリ……きょ、今日この後、ヒマ、か?」
「うん、あとはご飯食べて寝るだけぇ」
「そ、そうか……そ、その、だな……」
後ろから声なき声援を受けながら、空虚は言葉を詰まらせる。パートナーの二人は口をそろえて、デートだデートと空虚を急かした。
「こ、これから、その、二人で会わないか?!」
「え? 今から?」
「あ、あぁ。最近できたショッピングモールに、おいしい和食の店があるそうなんだ。だ、だから一緒にどう、かなぁと……」
顔を真っ赤にして振り絞った言葉だが、電話ではミーリにその様子までは伝わらない。だからミーリは何故そこまで言いにくそうにしているのかわからなかった。
「いいよ? じゃあ行こうか」
「そ、そうか! うん! では行こう! あ、場所はわかるか?」
「うん、ショッピングモールでしょう?」
「そ、そうだ。じゃあ現地集合でいいな?」
「うん、じゃあまたあとでね」
「あ、あぁ!」
電話を切ると、ミーリは横になっているロンゴミアントをゆすり起こした。軽く寝ていたようで、少し重たくなった瞼をこする。
「ちょっと出かけてくる」
「あら、そうなの? じゃあ夕食は?」
「向こうで食べてくるよ。じゃあ俺、行ってくるから」
「いってらっしゃい。私は寝るわ」
首筋に口づけをして、送り出す。少しだけそっけない態度を取りはしたが、実のところは寂しかったりするロンゴミアントであった。一人では大きすぎるダブルベッドで、槍脚を抱えて丸くなる。
ラグナロク前の馬車停から二つ分乗ると着くのが、近年できたばかりのショッピングモール。服やアクセサリー店が多く並ぶが、飲食店も負けないような数が入っている。花より団子派のミーリとしては、そちらの方が嬉しい限りだ。
街路樹の木々が花を咲かせるその姿を照らし出すライトアップが街中で光る。冬のようなイルミネーションや夏のような花火はないが、季節を感じさせる形で街を彩っていた。
そんな街の景色をボーっと見つめながら、ミーリは馬車停から少し離れたベンチで待つ。体感時間で一時間、現実には五分の待機時間で、空虚はやってきた。
「すまない、待たせてしまったな」
「うん、待ったぁ」
「そこは嘘でも待ってないと言ってほしいものだが……まぁ、いいか」
ちょっとだけ頑張っておしゃれしてきたのを褒めてほしいと思いつつ、空虚は諦める。
学園も私服登校なので新鮮さには欠けるだろうが、少しは着慣れない可愛めの――具体的に言えば全体的にピンクで袖がフリフリの服を着て来たことを突っ込んでほしい。
かわいいとか似合うとかそういうのはもはや期待しないから、せめて何か言ってほしい。
だがこの男――ミーリ・ウートガルドが花より団子な奴だと思い出すと、もう諦めるしかなかった。
「じゃあ行こうか」
現に言ってくれないし。
「そうだな。案内するぞ、ミーリ」
とにかく満腹にでもしないと他のことに頭が働かなさそうなミーリを連れて行こうと、先導する。だがミーリは三歩歩くと立ち止まり、一点だけを見つめ始めた。
「どうした、ミーリ」
「あの子どっかで見たことあったなぁって」
ミーリが言う方にいたのは、背中を覆い隠せる茶髪に二つのリボンを巻き、二つの尻尾を頭につけた本当に背丈も小さな文字通りの少女。その背には自分の背丈より大きな黒い箱を背負っており、どちらかというとその箱の方が強く印象に残りそうであった。
ギッシュ・スルトの
何やら男性数名に囲まれて、赤銅色の目に涙を浮かべている。ミーリはフンと溜め息を漏らすと、一歩そっちに行こうとした。
「ま、待て。ミーリ」
それを止めたのは、フリフリの袖を揺らした空虚だ。
「私達には今パートナーがいない。いくらおまえでも、ロンゴミアントなしじゃ――」
「じゃあほっとくの?」
「ほっときはしない、助けるさ。だが無暗に突っ込んでも仕方ないだろ」
「ウッチー……その服可愛いね」
「なっ?!」
不意の言葉につい手を離してしまう。そのスキにミーリは軽く跳び、レーギャルンと男性陣の間に華麗に着地してみせた。
「な、なんだてめぇは!」
「対神学園・ラグナロク、三年。ミーリ・ウートガルドだよ? お兄さん達は誰? なんでこの子いじめようとしてるの」
「ラグナロクの生徒か」
「俺達は対神学園・ガルドの生徒だ」
対神学園・ガルド。
東西南北にそれぞれ二つずつ――計八つの対神学園のうちの一つで、西に位置する学園だ。ラグナロクとは、何かと因縁があったりする。どうも現在の互いの学園長の仲が、相当に悪いのだとか。
「それで? ガルドの人達がわざわざ何の用なの」
「お礼参りだよ」
「俺達の学園の仲間が、そこの神霊武装を使う奴にボコボコにされたんだよ。だからその借りを返しに来たってわけだ」
ギッシュ・スルト、どうやら問題児らしい。他学園との勝手な抗争は禁止だと言うのに。もっとも、今から人のことは言えなくなるのだが。
「だったら、スルト……だっけ。あいつに挑戦すればいいじゃん。ちゃんとどっちかの闘技場でやれば、校則にも従ってるし、一石二鳥だよ」
「るせぇな! ここで見つけたんだ! ここでやっちまえば楽だろうが!」
彼らは自分の武器を取り、すでに臨戦態勢。その姿に、ミーリは呆れた。
ようはスルトに勝つ自信がないから、主人のいない神霊武装を襲って気を晴らそうというわけなのだろう。暁人の爪でも飲ませてやりたいくらいだが、今はいないので仕方がない。
「さぁどきな! てめぇこいつのパートナーでもなんでもないだろ?」
「女の子の前だからってカッコつけんじゃねぇぞ!」
後ろを一瞥すると、少女は泣いていた。もう怖くて怖くて仕方ない、そんな様子だ。主人のスルトとは、正反対の性格と見える。
こんな状態でそうですかと下がったら、今自分はどれだけ酷い男として見られるだろうか。
「えぇぇ、男子なら女子の前でカッコつけたいんじゃないの? お兄さん達だって、同じ状況ならそうするクセにぃ」
「しねぇよ、バァカ!」
「そっか、しないんだ。ふぅん……カッコ悪」
男達の厚く触りやすいプライドに触れてしまったらしい。臨戦態勢でブレーキの壊れた剣が、ミーリに襲い掛かった。
「ミーリ!」
ミーリは跳んでいた。それも高く高く、跳ぶというより飛ぶ高さで。しかもレーギャルンを抱き上げて跳んでいた。宙で涙を飛ばす少女に、ミーリは耳打ちした。
「あのさぁ、相談なんだけど……」
男達はミーリの着地点を狙う。二人が剣、一人が槍、もう二人が弓矢を構えた。落ちてきたところを串刺し、あるいは滅多打ちにする気満々だ。
さぁ来い、来たところをグサリだ。
そう考えていた彼らはすぐ、自分達のそれが甘かったことを知った。
最高到達点からの折り返し――つまりは落下途中、ミーリの周囲が突如明るくなったかと思えば、ミーリは箱を背負っていた。そして代わりに、彼女の姿が消えていた。現状を理解できるのは、同じ神霊武装を操る対神学園の生徒達だけだった。
彼は契約したのだ。おそらく仮初の下位契約だろう。だが主人を得たのとそうでないのとでは、武器の性能はあまりにも違った。
「行くよ、
複製される無数の黒剣が、宙を踊る。今まさに降り注ごうとしているその様に、男達は逃げることも忘れて後悔した。
「えっと……じゃあね」
ミーリは空中で考えていた。そう、何をと訊かれれば、必殺技の名だ。だがじっくり考えてる時間はない。適当につけよう。
「“
雨というより豪雨。さらにいえば豪雨という種類の災害。無数に降り注ぐ剣の雨が、男子生徒達を斬り刻んだ。といっても傷口を同時に火傷させたので出血はないが。
「ミーリ!」
「終わったよ、ウッチー」
「……これでおまえも、リエンに目をつけられたな」
「あぁ、まぁ最悪仕方ないけどさぁ……ねぇウッチー」
「わかってる。向こうに非があったと、証言してやるさ」
「助かるわぁ」
黒い箱を下ろすと同時、少女の姿が現れる。小さな顔はしばらく俯いたまま、言いたいことを言えなそうにモジモジ指を絡ませた。
そんな少女に、ミーリは片膝をついて赤銅色の瞳を覗き込んだ。そして頭へと手を伸ばし、いい子いい子と撫で回す。その姿はまるで、父と子のようだなと、空虚は幼い自分を照らし合わせながら思った。
「あ、あの……」
「怖かったねぇ。もう大丈夫だからねぇ」
「あの……」
未だ怖がる少女に、ミーリは少し困る。だがとっさにいいことを思いついて、ニヤリと笑みを浮かべた。
「レーギャルン、だっけ」
「は、はい……そう、です」
「じゃあレーちゃんだね」
「れ、レー……ちゃん?」
「おいでよレーちゃん。俺ら今からご飯食べに行くんだ。一緒に行こうよ」
「お、おい!」
「だってさぁ、このままここに放置なんてしたら、また今の連中起きてきて狙うじゃん? 俺らがいた方が安心できね?」
「それは、そうなのだが……」
少しデート気分でいたかった空虚はすぐ、その先の言葉は飲み込んだ。レーギャルンがかわいそうだったし、何よりミーリがそう言うからである。
何せ彼女は、ミーリのその優しさ故に――
「わかった。いいだろう、ではミーリ。その子の分はおまえが七、私が三で手を打とうじゃないか」
「えぇ、せめて
「おまえが言い出したのだ、責任を持て」
「ぶぅぶぅ」
「あ、あの……」
邪魔ならいなくなりましょうか、なんて先の言葉は出てこなかった。怖かったし、何より二人が邪険にしないからだ。本当はどう思っているのかわからないし、二人のことも充分に怖いのだが、それでも、二人の好意には甘えたかった。
何より目の前の男性に、何か感じてしまっている自分がいる。
「じゃあ行こっかぁ。レーちゃん行くよぉ」
「は、はい……」
空虚とミーリの後ろを、トコトコとついていく。言い合う二人はとても仲良く見えて、なんだか羨ましかった。きっとこの二人は、パートナーとも仲が良いのだろう。そんな関係が、マスターともあればと、そう思わざるをえなかった。
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