vs 九尾の狐

 “九尾の狐”と呼称されるに相応しい彼女は、着物の裾を捲りあげて一礼した。そこから見える白肌が、下心ある暁人達の視線を奪う。ただ一人、ミーリだけはなんとなく礼を返した。

「初めまして、人間さん。わたくしは妖の神、玉藻御前たまもごぜんと申しますわ。九尾の狐、とも申しますわね。以後、お見知りおきを?」

「対神学園・ラグナロク三年、ミーリ・ウートガルド。一応訊くけど、うちの生徒のバッグとか知らない?」

「さぁ、どうでしたかしら。何せ最近、街中の金銭を集めているので」

「なんで?」

 九尾の狐は数歩後退し、そのまま腐りかけの階段に腰を下ろす。その隣で座っている賽銭箱に手を伸ばし、尻尾を揺らしながら撫で回した。

「ここはかつて稲成神社と呼ばれていて、私はここにまつられていましたわ。毎日毎日人々がやってきて、お願い事をしに来ましたの。年に一度のお供え物も、それはそれは豪華でしたのよ」

「でも、長くは続かなかったわけだ」

 九尾の狐は悲しそうに頷く。今ではもう来る人もいなくて、お供え物など皆無であることは、この管理人も誰もいない神社の古びた様子を見れば充分に察することができた。

「三〇年前、神が人間一掃を開始した日からですわ。それから神は崇めたり拝んだりする対象ではなく、倒すべき敵として見られ始めた。私も当然その敵であって、来る人はぱったりいなくなってしまいましたわ」

 九尾の狐は唇を尖らせ、悲しそうな表情を浮かべたまま立ち上がる。しかし立ち上がって耳を少し動かすと、悲しげだった顔はどこかへ消えて代わりに余裕たっぷりの笑みが現れた。

「私のような参拝されていた神様は、信仰が――もっと言えばお賽銭がなければ実体を保てませんの。ですからごくたまに、ごくごくたまに、街に出てお賽銭代わりになるお金を拾いに行ってますのよ。おそらくあなたの言うバッグも、落ちてたそれを私が拾ってきたのでしょう」

「じゃあそれ、返してくれないかな。ついでに他の人のバッグも。お金は半分くらいパクっていいからさ」

「いや、いかんだろ!」

 ミーリとしてはそれで治まるならそれでいいのだが、暁人あきと達はそれでは治めたくはない様子。

 まぁ無理もない。神様を前にして臨戦態勢を解けない生徒は、ラグナロクではかなり多いのだ。神を倒すために入学したという理由がある分、倒さねばならないという義務が生じるらしい。

「神を前に下がれるか! いくぞ、おまえら!」

「ちょっと……」

 ミーリの制止も間に合わず、暁人達は九尾の狐目掛けて突っ込む。刀と拳が迫り矢が放たれたが、それら一つとして九尾の狐に届くことはなかった。

 すべては彼女が背負っていた鏡の中へ。そしてすべての攻撃は弾かれ、接近した二人は吹き飛び矢を放った一人には返ってきた矢が肩に刺さって仰向けに倒した。

 三人の攻撃を返した鏡は無傷の面を輝かせ、宙を回りながら狐の背に戻る。狐は八重歯を見せながらほくそ笑み、倒れている暁人達とミーリを見並べた。

「あなたは違うの? 青髪の子。あなたは神様を目の前にして、倒そうとか思わないの?」

 ミーリもまた、再起不能な暁人達を見回して吐息する。そして背後に倒れた弓使いの生徒の矢を引き抜くと、その矢を指先でクルクルと回し始めた。

「敵と戦わないで済むなら、それでいいでしょ。戦争する国はあっても、戦争したい国がないのと同じ。狐くんこそ、どうなの? 人類滅亡に、手を貸そうとか思わないの?」

「……人間なんて、百年もすれば死んでしまいますわ。わざわざ手をかけて殺すまでもありません。あと千年くらいすれば、自然と消えていくでしょう。寂しい、ですけどね」

「ふぅん……そっか」

 振り回していた矢を捨てて、紫の槍を躍らせる。空を掻き、抉るその槍の先から漏れ出す力を直視した九尾の狐は、背にしまったばかりの鏡を取り出し頭の上に浮かばせた。

「結局、やるのですわね」

「まぁ、俺もラグナロクの生徒だし。友達やられたのに黙ってたら他に怒られるし。バッグさえ返してくれればいいんだけどさぁ。返してくれないでしょ?」

「当然ですわ。私、まだ消えたくはありませんの」

 お互い、武器を持って構える。大きく体を傾け前傾姿勢を取ったミーリは、小さく呟いた。

「いくよ、ロン」

『えぇ、ミーリ。実戦は久しぶりね』

「そうだね……怖かったりする?」

『えぇ。でも大丈夫。私は、あなたの槍。必ずあなたを勝たせてみせる』

「そっか」

 一呼吸吸い込んで口の中にため込んだその直後、ミーリは肉迫する。空を掻く連撃はことごとく鏡によって弾かれたが、弾かれた攻撃すらも掻き消してしまう勢いで迫る。

 ついにさばききれなくなった九尾の狐はミーリの攻撃に後退し、扉を破って寺の中へと一先ず逃げ込んだ。

 だが再び距離ができても、まして場所が狭くなろうとも、ミーリの勢いは止まらない。鏡が追いつかない速度で攻め続け、ついに槍の先が狐の金髪の毛先をかすめ切った。

「コホホ……やはり別格。槍から漏れる霊力からして一目瞭然でしたが、まさかここまでとは思いませんでしたわ」

 あぁ、そうだ。力の名前、“霊力”って言うんだったっけ。

「ホラ、青髪の子、見えますか? あそこにあるのが」

 狐が指す方にあったのは、おそらく九尾の狐を祀って作ったのだろう銅の像。その九尾に包まれた足元には、今まで取ってきたのであろうバッグや財布などが置いてあった。

「まだ手は付けてませんわ。あそこに、あなたのいう子のバッグもあるのでは?」

「うん、多分」

「……仕方ありません。返しますわ」

 鏡を下ろし、手を上げた狐は片膝をついた。

 ラグナロクでは模擬戦の授業があって、降参する生徒もそうするのだが。まさか神様がそのやり方を知っているとは思わなかった。万国共通なのだろうか。

「私、あなたに勝てそうもありませんもの。今回は諦めますわ」

「……そっか」

 ミーリが視線を完全に逸らし、槍も下げたその刹那。狐の鏡は回転し、一直線に突進した。気付いたとしても防げない速度で、そんなタイミングで放った。

 だがしかし、防がれた。立てられた槍の防壁によって、鏡は弾かれてしまった。返された鏡は狐の側ギリギリを通過し、背後の壁に叩きつけられる。

「なん、で……」

「不意打ちは常に警戒してる。油断は神様と戦うとき、一番の死因だから」

「……そう。でも、まだ諦めませんわよ。私、消えたくないんですの。消えるのはイヤなんですの。あなたを倒して、あなたたちのお金ももらっちゃいますのよ」

 狐の本気か、九尾の先の灯が大きく燃え始める。鏡はより早く回転し、ミーリに飛び掛かり始めた。

「見せてあげますのよ、私の霊装“八咫鏡やたのかがみ”の真の力!」

「霊装? 何それ、神霊武装ティア・フォリマとは違うの?」

 ミーリはすっかり忘れていた。いや、まともに授業に出ていないから、知らなかったというのが妥当か。

 神霊武装。

 それは神話や伝説などで登場する、神々や偉人が手にした武器を人型にして召喚した物の総称である。普段は人の形を取っているが、契約者や召喚者の意思と命令さえあれば、武器の形を取り共に戦ってくれる。無論、ロンゴミアントもその一人。

 霊装もまた神話や伝説の武器であるが、人の形を取らない。神の元にあって、神の力となる武器それぞれの総称だ。

 つまりは人が使うか神が使うか。人になるかならないか、違いはその程度のものである。

 しかしまぁそんなことは結局、ミーリにとってはどうでもよかった。槍を再び構え、鏡と狐目掛けて突進する。

 回転する鏡がミーリの攻撃を弾き、その軌道を歪ませる。歪んだ反射攻撃はそれを遮断する攻撃を躱し、ミーリに襲い掛かった。

 そしてついに一撃、ミーリの脇腹をかすめる。

『ミーリ!』

「平気」

 八咫鏡の反射が、とてつもなく厄介な代物だとようやく気付く。とてつもなく遅い判断だが、それに気付けたことはミーリの動きを変えるきっかけとなった。

 槍を構えたまま、またも前傾姿勢。しかし今度はまっすぐ突進せず、途中曲がって壁を走り始めた。グングン加速して、スピードを上げていく。しまいには残像まで出して、壁や床どころか天井まで駆けだした。

 狐の赤い虹彩が、残像と本体を追いきれずにグルグルと回る。

「動き回れば反射もできないという算段ですの? でも逃げるだけでは、私には勝てませんわよ!」

 八咫鏡が縦に横に、その場で高速回転し始める。あらゆる攻撃を反射するその鏡に向けて、狐は自らの九尾の先で燃える炎を打ち付けた。

 炎は弾け、あらゆる方向に反射する。床も壁も天井も、跳ね返った炎の弾が飛び交い動き回るミーリの残像を潰していった。

 だが、その攻撃は即刻中断される。

 動き回っていたミーリが飛び掛かり、全体重を乗せた一撃を鏡に対して打ち込んだ。それも反射も何もできない、鏡の面を表とするならその裏に。紫の一撃を突き刺した。

 鏡は貫通し、裏側からヒビと傷が入ってボロボロと崩れていく。そして終いには砕け散り、幾数の欠片となってその場に散乱した。

「そん、な……嘘、でしょう? 八咫鏡が……三種の神器と謳われた、私の霊装が……」

 空を斬り、間を裂く。死後流血ロンギヌスの槍は紫に淡く輝き、ミーリの手の上で軽やかに踊る。そしてその先が狐の顎を持ち上げたとき、ミーリは虹彩を曇らせて首を傾げた。

「まだやる? 狐くん」

 狐は唾を飲み込んで、おもむろに両手を上げながら片膝をつく。正真正銘心の底からの降参であることは、彼女の表情を見る限り明らかであった。

 ロンゴミアントも槍から戻り、背中を覆い隠す紫の髪を手で撫で上げる。

「お疲れ、ミーリ」

「お互いにね」

 さて、後輩のバッグはどれなのだろうか。山のようにあるわけではないが、数はある。全部持って行って訊こうにも、かなり面倒だ。

 だがその心配はなかった。タイミングよく、後輩が到着したのだ。

 片膝をついている神と、それに向かい合っているミーリ達二人を見合わせて、状況は把握したらしい。トテトテと銅像前に行くと、水色の自分のバッグを取り出して抱きしめた。

「あった?」

 ミーリが訊くと、後輩は肩をブルリと震わせて振り返り、モジモジ脚を絡ませだす。そして口をモゴモゴ動かして、口の中に言葉を詰まらせた。

「し、しし……失礼します!」

 やっと振り絞った言葉を残して、後輩は走り去ってしまった。ミーリとロンゴミアントは顔を見合わせて、首を傾げるしかできなかった。




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