紫の聖槍
ミーリ・ウートガルド
「で?」
「で? じゃねぇよ!」
机を叩く音が職員室に響き渡る。その一瞬その場にいた誰もが振り返って、現状を理解した。
机を叩く教師に、そのまえに立つ生徒が二人。明らか、お説教の時間だ。
「おまえわかってるのか? 単位がやばいんだよ! ミーリ、おまえの単位が! このままじゃ進級させてやれねぇだろうが!」
「知ってるよ」
「知ってるよじゃねぇっての! おまえはこのラグナロクのエースって自覚が――って聞いてるのか? おい! おぉい!」
この状況下においてでも、ミーリ・ウートガルドの眠気は留まるところを知らない。大あくびをかました挙句、ポケーっと上の空を決め込む始末。
そんなあまりにも不真面目である彼の態度に、ロンゴミアントは隣でクスクスと笑う。
怒られていることにまったく応えていない二人に対し、教師は半ば諦めた溜め息をついた。
「まぁいい、俺は優しい先生だ……補習さえクリアできれば、おまえにも単位をやろう」
「ざーっす」
なんでこうもやる気がないんだこいつは……!
単位が足りない他の生徒は、一人残らず教師達に泣きついてきている。
なのにこの青年ミーリに関しては、どれだけ単位が足りてなくとも、危機感というものがまるで発生しなかった。
だからこそ逆に単位をあげたい教師としては、困ってしまうところなのだが。
教師の口からまた、溜め息が漏れる。
「……ともかく、明日補習内容を報告する。さっさと行った行った」
職員室を追い出され、二人は行く先も決めず学園内をぶらつく。ロンゴミアントの槍脚の金属音が、建物内で響き続けた。
「補習かぁ、面倒だなぁ」
「そう思うのなら、授業に出るべきよ」
「だってあの授業つまんないんだもん。この学園ができた由来とか、それまでどうやって神様達の進行を阻止してただとか。三〇年前、神様達が人類殲滅を突然開始したのは何故だとか。そういう常識の復習ばかりで――」
ロンゴミアントの
「その常識を総復習しないと、自分達が人類存続のために戦ってるんだって、自覚できない人が多いのよ。あなたと違って」
「そうかな?」
「そうよ。ところでどうする? もう部屋に帰る?」
「そだね。学園グルッと一周して、それから帰る」
「散歩ね。いいわ、付き合ってあげる」
対神学園・ラグナロク。
ミーリとロンゴミアントの通う、文字通り神と戦う戦士を育成、教育するための公共施設。元々は時計塔のある巨大な教会だったのを、二〇年くらいまえに改修したのだという。
広大な敷地面積を誇っており、故に外回りを一周するだけでも、なかなかの時間潰しになる。
たった今から帰っても、夕食まではだいぶ時間が。そんなときはこうして外回りを散歩するのが、いつもの二人のパターンだった。
季節は今は春。若々しい緑を飾った街路樹が、学園の周囲を彩っている。もうそろそろこれらの木々は桃色の花をつけて、この道をさらに濃く色づけするだろう。
もっともこのミーリという男は、花より団子な奴なのだが。
「ねぇミーリ、今日は何食べたい?」
「カレー」
「また? 先週もそうだったじゃないの」
「そうだっけ」
「もう」
二人並んで歩くと、妙に注目を集める。
ロンゴミアントの槍の脚が珍しいのもそうだし、二人が学園で有名なのもそうだし、堂々と手を繋いでいることもそうなのだが、何より二人のオーラ的な何かがそうさせていた。
「よぉミーリ! 今暇か?」
「暇。だから散歩してっとこ」
だから友達が気付いて、よく声を掛けてくれる。この日もまた、同じクラスの同級生集団に呼ばれ、手首を数度曲げて誘われた。
「何、何かおもしろいことでもあった?」
「いやぁ実は、困ったことがな」
「じゃあ行く」
「待て待て! “乗りかかった船”って言葉が東洋にある! 頼むよ、ミーリ! 今度何かおごるからさぁ!」
「おごる?!」
何かおごる。
この言葉は、ミーリにすさまじい速度でやる気スイッチを押させる呪文のような言葉だ。しかし同時にそれを言った本人の財布は、すさまじい速度でやせ細る。
それがわかっていても言うということは、彼らにそれほどの問題が生じたという証拠であった。
「……それで?」
「実はこの後輩の頼みでなぁ」
背の高めな男子達に囲まれていた、ひと際小さな少女。その後輩はミーリを見ると即、黒い頭を下げた。その顔は、どこか泣きそうな雰囲気がある。
「
「ふぅん……」
後輩の前に出たミーリはしばらく彼女を見下ろして、その頭に手を置いた。
何をされるのかと、後輩は体を震わせる。そのままお互いしばらく硬直したかと思えば、ミーリのやや硬い手が、頭を撫で回し始めた。
「よしよぉし、いい子だねぇ……泣かないでねぇ」
後輩の顔が徐々に赤くなり、ますます硬く硬直する。
「ミーリ、その子後輩よ」
「あれ、そうだっけ」
話を半分程度聞いていなかったミーリの手は、ロンゴミアントの制止も中途半端に聞き流し、撫で続ける。助け舟に乗れなかった後輩はその手を受け続け、熟れたトマトのようになるまで真っ赤に熱くなった。
「とりあえず、その手をやめてあげなさい。倒れちゃうわ」
「んあぁ、わかった」
ようやくミーリから離れられた後輩は、その場で唯一の女性であるロンゴミアントの背へと隠れる。背中を覆い隠す紫髪の後ろから、警戒の眼差しでミーリを見つめた。
「怖がられたわね」
「なんで?」
「ちょっとは自分で考えなさい。それよりこの子のバッグよ、ミーリ」
「あぁ、そんな話だったっけ」
全員の視線がミーリに集まる。その目にこもった期待をポケーっと上の空でかわしながら、ミーリは空を仰ぎ始めた。
考えてるんだか考えてないんだか、他からわからない表情で夕焼け空の雲を追う。
「とりあえず、えぇっと……誰だっけ?」
「
「じゃあ暁人ぉ」
「じゃあって――」
「五〇〇円」
「……へ?」
時刻はまもなく日が沈む頃。場所は学園校門。決まった門限になると自動的にしまる鉄扉前に、暁人の五〇〇円玉が一枚。
そして鉄扉の後ろには、ミーリと暁人、後輩を含む生徒が計九人。道端に置かれた五〇〇円玉に、目を光らせていた。
「なぁミーリ、これって……」
「罠ですけど何か?」
「いやいやいや、こんなの! 神や妖に取られる前に人に取られる! 俺の小遣いが! 一週間に一度の小遣いが! 誰かに取られちまうじゃねぇか!」
「暁人のとこって小遣い制なんだぁ、俺は必要なときだけ親に貰う派ぁ」
「そんなことはどうでもいい! こんなのうまくいくわけが――」
「いくと思うよ。神様も必死だから」
「ミーリ」
全員改めて五〇〇円に目をやると、そこにいたのは半透明の金色の狐。数度鼻をヒクつかせて臭いを嗅ぐと、そそくさと五〇〇円玉をくわえて走りだした。
「行った! 追うぞ、我がパートナー!」
暁人の伸ばした手を握った男子生徒が、光に包まれる。姿形を一瞬で変化させ、黒い刀となってその手に収まった。
他の生徒も、自分のパートナーをそれぞれ武器にして狐の跡を追いかける。残ったミーリは大あくびして、彼らの後姿を目で追いかけた。
「今から武器持って追いかけることないのに……」
「あなたはもう少しやる気を出しなさい。かわいそうでしょう?」
追いかけて行った暁人達を見つめている隣の頭に手を伸ばし、撫で回す。後輩はその手をまた受けながら、顔を真っ赤に火照らせた。
「大丈夫だよ、後輩くん。バッグ、取り戻してあげるから」
後輩が初めて、ミーリの顔をしっかりと見上げる。黒い眼差しに頷いて応えると、ミーリもロンゴミアントを連れて走り出した。
「あっち行ったぞ!」
「待てえ! 俺の小遣いぃ!」
屋根や屋上を駆けていく狐を見上げながら、先を行った二人は人という人をギリギリで躱しながら追いかける。
一人はさらに上から弓を構えていたが狙いが定められず、結局狙うのを諦めた。
遅れてミーリとロンゴミアントも、狐が通った屋根や屋上を跳んでいく。一蹴りで家三つ分は飛び越えていく二人の驚異的身体能力に、道を行っていた人々はわざわざ足を止めて目で追いかけた。
対して、狐を見上げる人々は少ない。半透明な体は夕日によってたびたび透き通り、まるで空気に溶けたように視界から消えてしまう。
神や妖、悪魔が持つ力の残り香的存在を辿る訓練を受けているラグナロクの生徒達にしか、狐を追うことはできなかった。
そうして追いかけ続けていくと、狐の姿がまた消えた。だがそれは、空気に溶けてしまったわけではない。
石の鳥居に古びた瓦屋根。半分焦げたような色の賽銭箱。その上にかかっているへこんだ鈴。西洋風な建物に囲まれている中、ポツンと一人ぼっちでいたのは、東洋で神社と呼ばれている建物に違いなかった。
狐は石畳の道に飛び降りていて、一直線に賽銭箱へと走っていた。
「ミーリ!」
同じく屋根を行っていた弓使いの同級生が、遅れて到着する。
「狐は?」
「あそこの神社」
「暁人! 狐は神社だ!」
「わかってらぁ!」
一緒に走っていた友達を置いて、暁人は自らの全速力を超えた速度で走り神社に辿り着いていた。そのまま狐同様、一直線に賽銭箱へと全力で走り続ける。よほど、小遣いを妖にも神にもやりたくないのだろう。
「きぃつぅねぇ!」
限界を超えたダッシュの果てに、ようやく減速した狐に追いつく。刀を真横に振って空を切ると、刃を避けた狐はとっさに五〇〇円玉を放して単身、賽銭箱へと突っ込んでしまった。
五〇〇円玉を掴み取り、暁人はその場で拳を掲げる。目的はバッグのはずなのに、もう勝ったような雰囲気だ。
「なっはっは! 賽銭箱に入れるなら、五円で充分!」
「何をやってるんだ、暁人」
「ったく……ハァ、ハァ……ハァァ! やっと、追いついた」
弓を持つ生徒と、暁人と共に走っていた生徒が合流する。だがミーリだけは屋根から降りず、ずっと周囲を見回していた。
「おぉい! ミーリ! どうしたんだ! 早く来いよぉ! 狐の野郎、伸びてるぞぉ!」
手を振り呼びかける暁人の声は、半分ほど聞き逃していた。だが今は眠いからとか、上の空だったからとか、そんな理由ではない。意識を向けていなければ、気付けないことがあるからだ。
ロンゴミアントも気付いたようで、ミーリとは常に反対方向に意識を向けている。
「ミーリ」
手を繋いで、背と背を付ける。そうすることで認識可能範囲を最大にした二人の研ぎ澄まされた神経は、捉えようとしていたものをようやく捉えた。
目ではなかなか気付けなかった。その姿はやはり半透明で、沈みかけの夕焼けで空に溶けてしまっていた。
気付けたのは幸い、奴らから漏れ出ている力が多かったからだ。風に漂っている臭いを辿るように、奴らに気付くことができた。
すかさず屋上から飛び降りる。
「暁人ぉ、来るから構えた方がいいよ」
「来る? 何が」
「狐の群れ」
突風吹き付けるタイミングで飛び降りてきたのは、予告通り半透明の狐の群れ八匹。それぞれがくわえていたバッグや財布をその場に落とし、ミーリ達に牙をむいて唸る。
賽銭箱に突進した一匹もおもむろにやってきて、毛を逆立て始めた。
「こいつは……」
「一匹だけじゃなかったわけだぁ」
「どうする、ミーリ」
「うぅん……頑張ってねぇ?」
「おいぃ! なんのためにおまえを連れてきたと思って――」
狐の群れが襲い掛かる。鳥居の上に跳んだミーリとロンゴミアントを除く三人は、自らの武器を持って応戦した。
刀を避けた狐を弓矢が射抜き、動きが鈍ったところを鉄グローブの拳で叩く。三人の即興連携が、おそらく長い間一緒にいるだろう狐の群れの連携を超えて圧倒した。
「私達の出る幕はなさそうね、ミーリ」
鳥居の上から槍脚をブラブラさせながらほくそ笑む。その隣でミーリも大あくびして見ていたが、一匹の狐を見た瞬間にロンゴミアントに手を伸ばした。
ロンゴミアントは理由も聞かず、黙ってその手を握りしめ立ち上がる。そして握りしめたその手を持ち上げて、ミーリの手の甲にそっと口づけした。
「
ロンゴミアントの身体が紫の光に包まれて、その姿形を変えていく。
ミーリの手には、沈み切った夕日の残り日だけでも充分に輝ける紫の長槍が握られた。人々を魅了する魔力的な力か何かが、狐達と暁人達の視線を奪う。
その槍の名は――
「
「ミーリ?」
「暁人、下がってていいよ。お疲れ」
「だが――」
「本命、来るから」
再びミーリの予告通り、暁人達三人にやられた狐達が立ち上がり飛び上がる。
鈴の前に集結した狐達は光の塊となって、新たな生物へと形成されていく。いや、元の形に戻ると言った方が正しいのかもしれない。現に現れた狐の集合体は、存在をくっきり認識することができた。
頭には大きな狐の耳。さらりと流れる金髪を目立たせる赤い着物からは肩と胸元をさらけ出し、背中には大きな鏡を背負っている。さらにその背を隠すかのように生えている九つの尻尾の先からはそれぞれ火を灯し、怪しげに光らせていた。
「なんだ、こいつ……」
「暁人、東洋人なら知ってると思うよ。たしか妖の頂点とか、そんな感じだったと思うから」
「じゃあまさか――」
赤い瞳がミーリを映す。狐の耳をピクピク震わせて、八重歯を覗かせる口角を持ち上げた。
「九尾の狐、たしかそう呼んだはずだよ」
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