竜頭竜尾――自切

相死相愛、殺し愛

 互いに口を舐め、唇を貪り、舌を吸い合い、互いの生と性を啜り合う。

 そのまま互いの心臓まで吸い尽してしまわないかとばかりに、唾液まみれになりながらも口づけを交わした二人は切れる息を整えて、また同時に相手の唇に吸い付く。

 何度も何度も、このやり取りがずっと続いている。

 ここは戦場で、戦塵が舞う空の上で、戦塵を取り込んで鉛色に染まった雲の中だとしても、彼らがこれから性交したところで誰も不思議に思わないほどに濃厚で、熱い口づけを数十分もの間繰り返す彼らが直後、互いの首を狙って一撃を振るったのを見た者がいたとすれば、恐怖を覚えたことだろう。

 今の今まで愛のままに互いを貪り合っていた男女が、なんの躊躇もなく相手の命を刈り取ろうと首を狙う。たった今までの言動とは相対的な猟奇的愛情と狂気的恋情は、誰にも理解などできるはずのない、理解してはいけない領域にあった。

 首を斬り損ねた槍の切っ先と、首を刎ね損ねた爪の先とが互いの腕に止められる。そのまま相手を弾き相手に弾かれ、弾いた腕で相手の頬を狙って拳を握る。直後、二人の顔面が互いの拳で歪んで殴り飛ばされた。

 鉛色の雲を突き抜け、同時に地面に着地する。大地が凹み、地震に相当する揺れを生む震源が同時に二つも落ちたことで鉛色の空は大量の大きな雨粒を零して落とす。

 一秒にも満たない飛沫雨の中、相手に向かって一直線に駆け抜けた両者が激突して二人を中心に弾けた雨が吹き払われていく。

 ユキナの膝蹴りを受け止めたミーリはそのまま彼女を投げ飛ばし、自身もまた肉薄して槍を振り下ろす。応じて、ユキナは距離を取らずにむしろ肉薄して槍の柄を小さな肩で受け止め、ミーリの胸座に掌打と共に雷霆を打ち込む。

 常人ならば心臓停止必至の一撃に吹き飛ばされるものの、ミーリの左目が動き出す。左目の中に映る時計の針が逆向きに何周か回ると晩鐘が鳴り響き、吹き飛ばされたはずのミーリが消えて掌打を繰り出した直後のユキナのすぐ側に現れる。

 真横から襲い掛かる槍の石突を横っ腹に受けて飛ばされたユキナは体勢を立て直し、大気を足蹴に真上に跳び上がる。

 宝石のように硬化し、雷霆をまとって際立って青く輝く踵が空を斬る。

「“空より落ちる青の宝石ハーフィア・アルフィウア・クタァリク・アルサァマ”」

 硬化させただけではない。雷霆をもまとった霹靂そのものが、圧倒的質量を持って落ちて来るのと同格――いや、それ以上の破壊の塊だ。だというのに。

「ミラさん、お願い」

 強く、強く、自分の手を握り締める。爪が肌に食い込んで血が溢れ、垂れ流れて落ちる。

 たった一滴。ほんの一滴の血があり得ないほどの量となって足元に広がり、触手のようなものが伸びてミーリを包む。

 体の中に触手が溶けていくと、青い頭髪と対照的な黒の混じった赤い意匠に姿を変えて現れ、手には鮮血色の槍を握って振り払った。

「“鮮血神祖ブラドズ・ブラッド”」

「真正面から受けて立つ気?」

 もはや踵落としなどという次元を超越した雷霆が落ちる。

 大地が割れ、大気が裂ける轟雷が戦塵を巻き上げる。大地は焦土、大気はオゾンと化して、もはや生物の生きられる状況にはない戦場で、人間を凌駕した存在となった彼らは未だ攻防を続けていた。

 雷霆と化した上空五〇〇メートル超えの高さからの踵落としを受け止めたミーリの槍は砕け、霹靂で焼き斬れた腕からは大量に出血している。が、それでも不動。ミーリは構えた地点から一歩も動かず、膝すらも突かなかった。

「やっぱ、超カッコいい……」

 恍惚の表情と共に本音が漏れる。今にも抱き着きたい衝動に駆られそうになったところで、ユキナの踵を受け止めたミーリの腕が吸血鬼の血を持って再生し、取り戻した力で改めて握り締めて振り回し、生まれた遠心力のままに投げ飛ばした。

 両手両足を地面について着地したユキナだったが、直後、地中から先ほどミーリを覆ったのと同じ血の触手が伸びて来てユキナの四肢を縛りつける。見上げると、再び作った血の槍を投擲する構えのミーリ。が、槍が投げられるよりも先に地中から伸びた血の槍が腹を貫いて串刺しにする。

「今宵の月夜は格別の金色こんじき。兎の瞳も狂気に光る。人の侮りは犬も食わず、滑稽なるままに踊り続ける傀儡の愛おしさは朽ち果てず。故に、吸血鬼の魔神が今犯す――“串刺し魔神の大罪シン・カズィクル・ベイ”」

 久し振りに口上を述べて使ってくれたな。忘れられていたのかと思ったわ。

「ごめん」

 己の中の高貴なる吸血鬼に謝罪しながら、ミーリはユキナへと突進する。槍がユキナを貫いた直後、鮮血の刃が次々と地面から飛び出てユキナの全身を貫いた。

 本当ならこれで終わりなのだが、そうはいかないのが彼女である。

「やっぱ、カッコいいなぁ……最高よ。ミーリぃ」

「ありがと」

 賛辞は嬉しいのだが、片目を串刺しにされて目玉をくりぬかれた状態での恍惚の表情というのはホラーかつグロテスク過ぎて、ぎこちない笑顔で応えざるを得ない。伸ばされた手から雷電が光って後退を余儀なくされ、跳び上がって来たユキナを見たときにはさらに笑顔は歪む。

 全身に空いた穴という穴から血を噴き出しながら跳び、着地点にて回転して血飛沫が渦となって天高く聳える。数度のかまいたちが斬り裂いて、渦巻き聳える血の塔が散ったとき、現れたユキナもミーリのように赤と黒の意匠に衣替えして、先ほどまで女神と一体化している影響だろう金色に染まっていた頭髪も、赤と黒の混じったものに変貌を遂げていた。

 いやこの場合、女神イナンナの権能も人格もすべて、ユキナに掌握されているという証拠なのだろうか。だからこそ姿も変幻自在ということか。だとすれば、ユキナは時間を増す毎に強くなっている。より、神へと近づきつつある。

 もはや天の女王を取り込んだ少女ではなく、ユキナ・イス・リースフィルトという一柱の女神へと昇華しつつある。生きながらに、自らの力だけで神へと至りつつある。

「それ以上踏み込むと、戻れなくなるよ」

「もう戻れないでしょう? 私も、そしてあなたも」

 見抜かれてたか。まぁこれだけ手合わせを重ねていれば、必然か。

「出てくるまで随分かかると思ったら。あの黒髪の子に預けてたエレシュキガルの力を戻してたのね? 方法は知らないけれど、定着までここまでの時間が必要だったわけ。そしてそのために、あなたは改変と改竄能力を持った機械に頼った。つまりは神格化――あなたも、人間やめようとしてるじゃないの」

「そりゃ、君だけを怪物にはできないからね」

 頬が朱色に染まる。口の中の唾液が粘ついて、沸騰するくらいに熱された体から漏れる息は真白に色づき、まさしく恍惚の表情でユキナは泣いていた。

「あぁ、ミーリ……! ミーリ! ミーリ! ミーリ、ミーリ、ミーリ!!! そう、そうよ! 私だけを見て! 私だけを追いかけて! 私をけがしていいのはあなただけ! 私をはなしていいのはあなただけ! 私をころしていいのはあなただけ! だからねぇ、もっと愛し合いましょう? ミーリぃぃぃ……」

 今のミーリの意匠は、計っていなかったのだが原型モデルにした魔神の影響か腹部を晒しており、細い体の中で割れた腹筋が見えている状態だったのだが、ユキナはそこに性的刺激を感じてしまっているのかもしれない。

 興奮したユキナの視線が段々そちらに向いて来たので、一応は好機と見て攻撃した。

「“吸血衝動ドラキュリオン戦乱流魂詩ヴァルキュリア・ソン”」

 ミーリの腕から流れ、滴り落ちる鮮血が駆け抜ける。

 いばらの如く鋭く尖り、剣と呼ぶに相応しいほどに鋭利に砥がれた血の刃が、白波の勢いでユキナへ迫る。最初こそユキナを貫き押し込んでいくが、やがて膨れ上がったユキナの霊力に刃が砕け、ユキナの体に触れることさえできなくなってヒビ割れてミーリへと届き、完全に粉砕された。

「“愛と残酷の女神アスタルテ・アナァト”!!!」

 金色の霊力を帯びて、流星の如く駆け抜ける。今までよりもずっと早く、風切り音さえ置き去りにして迫り来て、ミーリの頭蓋を握り潰さんと手が伸びる。

 直後、ミーリの左目の時計が再び動き出し、晩鐘を鳴らす。

 気付くとユキナの伸ばした手は何も掴んではおらず、視線の先にミーリはいない。さらにいえば、気配は置き去りにした風切り音が遅れて通る背後にあり、紛れもなくミーリがそこにいた。

 場所の転換?! また時空神あの子の霊術――!

「“変幻自在未来デウス・コントロール”からの……ミラさんいくよ!」

 ミーリの右眼が緋色に光る。右腕が黒く変色したかと思えば右手へと集束し、掌に黒い血の塊を現出して低く唸り始めた。

「“吸血衝動ドラキュリオン血塗冷嬢談バートリー・ブラッドバス”」

 かつて彼女を殺さねばならなかった悲運の霊術。しかし彼女を取り込んでいるだけで吸血鬼そのものでないミーリならば、暴走することなく制御できるはず。神に次ぐ神祖とされてきた、吸血鬼の暴力的強さを。

 緋色の眼光を光らせて、右手の鮮血を振りかぶる。得体の知れない物質が向けられて反射的に躱したユキナだったが、先を読まれて――いや、もはや未来を見られて避けた先に右手の鮮血が針の形状に変化してユキナの肩を貫いた。

 さらに再び形状を変化させた鮮血で鎌のように薙ぎ、しゃがんだユキナの顎を蹴り上げて無理矢理体を持ち上げ、胴体を槌の形にした鮮血で殴る。

 血だからか、血中の鉄分が固まったのか鉄の如き硬度の鈍重な一撃が少女の脇腹を殴り飛ばす。常人ならば骨折は必至。臓腑が潰れてもおかしくない。だがもはや天の女王と同義たる少女には、反撃する力も気力も有り余っていた。

「“愛と残酷の女神”!!!」

 再び神速で以って肉薄。跳び蹴りで攻め、迫る。

 だがミーリが繰り出す右手の鮮血は盾のように広がり、先ほど少女を殴り飛ばした硬度で防御する。が、二、三秒で砕け散る。

 そのままミーリ目掛けて武脚を振るうユキナに、砕けた鮮血が鋭い針となって降り注ぎ、叩き落として縫い付ける。残った鮮血が収束して一本の螺旋する槍となり、這いつくばる少女の体を刺し貫いた。

 だがユキナは死なない。

 縫い付けられた肌が千切れながらも縫合された腕を解き放ち、ミーリの脚を捕まえて振り回し、投げる。直後に他の部位をも肌を引き裂きながら力づくで立ち上がり、背中に螺旋の槍が刺さったまま投げたミーリへと疾走する。

 着地したミーリの顔を咄嗟に挟んだガードの上から蹴り飛ばし、何十回転も大地に転がす。雷霆をまとった踵落としが上から圧しつけて止め、ミーリの背を海老反りさせる。

 直後自分の方を向いた緋色の目が狙いを定めようとしたとき、ユキナの手刀がミーリの右眼を抉り切って、瞳は霊術による光を失った。代わりに左目が時計を動かし、晩鐘を鳴らす。

 ミーリは消え、先ほどのユキナの踵落としで盛り上がった大地の上に移動して、吸血鬼の血にて視力を取り戻した右眼も含めた双眸で見下ろしていた。

「狂化なんてあなたらしくもないわ。私のことを忘れちゃダメよ。私のことだけを見てくれるのは嬉しいわ。私はあなたに見つめられているだけで……もう、子供ができそうなくらい幸せ。でも見つめるだけでは寂しいの。もっと愛を囁いて。愛の言葉を紡いで、その声で歌って? あなたの歌なら、私は讃美歌よりも高く称賛してあげられる」

「さすがに、この霊術で仕留められはしないか」

 なんだ貴様、我が霊術では足りぬというのか?

「いやいや、ミラさんを侮辱したつもりはないよ、ごめんね。だけど、あの子を止めるには一人だけじゃ無理なんだ。だから、協力して欲しい。頼むよ、みんな。ロンもね」

 応えたかのように、当然のように、ロンゴミアントは彼の側に降り立った。まるで今の今まで出番を待っていたかのように颯爽と、さもお決まりの如く――いや、もはやお決まりかつ定番となった答えを返す。

「えぇミーリ。私はあなたの槍、必ずあなたを勝たせてみせる」

 祈りではない。言い聞かせるでもない。絶対なる確信と自信を持った勝利宣言。

 だけど、展開的に少し早くない? と思ったユキナはロンゴミアントの首を刎ねようと迫って、二人の脚に蹴られて跳ね返された。着地に失敗して背中を打ち付け、跳ねる。

「早速水切りみたいに跳ねてくれたわ。サービスいいわね」

「ロン、機嫌悪い?」

「別に? 今の今まで倒れてた人達の介抱とかで仕方なく離れてたとはいえ、もはや私の存在なんて忘れ去られたみたいな激しいプレイをしてるあなた達を見てやきもちなんて焼いてないわ」

 そう具体的かつ詳細に怒りの理由を解説されると少し怖くなる。だがしかし、彼女は確かに怒ってなどいなかった。ただちょっと、拗ねているだけだ。

 何せ本当はとても、甘えたがりの女の子だから。

「勝つよ」

「もちろん。私が勝たせるんですからね」

 二人を見上げるユキナから血涙が溢れ出す。さも血走った彼女の目が血圧に負けて破裂したかのような、大量の血を流して泣いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る