弱さを持てる強さ
ドゥルガーは戦いの最中で見ていた。
ミーリとユキナの攻防を、戦いの最中見るだけの余裕が存在した。
だが余裕は、ミーリが敵の攻撃に倒れ伏した瞬間に掻き消えた。
助けに行かねば、と自身を急かして向かうが、すぐさま阻まれた。
阻んだのは、ユキナ側の同じく武神に数えられるスサノオ。
偶然なのか狙っているのか、互いの陣営にとって最高戦力に数えられる両者が向かい合った。
「すまないが、おまえは行かせん」
「通して頂きます」
互いに譲る気はない。
雨に濡れたような美しい波紋で輝く刀剣と、自ら光を発しているかのような黄金の三叉戟。
それらを見ただけで、使い手の力量が計り知れるだろう武装が、衝突する。
十本の腕で巧みに槍を操るドゥルガーの攻撃を、スサノオは捌き切っていた。
脳天目掛けて繰り出された突きを回避。
お返しとばかりに振りかぶって斬り払い、身を反らされて躱される。
ドゥルガーも負けてはいない。
身を反らして躱した後、新たに槍を取り出して、切り返してきた刀を受け止める。
そのまま槍を突き立てて止めると、起き上がる勢いを利用して拳を振り抜き、叩き込んだ。
籠手を巻いた腕でガードしたスサノオだが殴り飛ばされ、後方の悪魔と騎士の戦闘の最中へと投げ出される。
突然スサノオが飛んで来たことで、不意を突かれた悪魔の首が騎士によって刎ねられるが、スサノオはその騎士の腕を捻って剣を奪うと斬り捨てて、ドゥルガーへと肉薄。
そのままの速度でドゥルガーに剣を叩きつけ、槍で防がれながらも横切ると、落とした刀剣を拾い上げて勢いのまま前転。すぐさま立ち上がって鞘に納める。
居合の構え。
対するドゥルガーは三叉戟を突き立てて、十本の腕にそれぞれ刀剣を握り締め、構える。
逆袈裟。
右薙ぎ。
左薙ぎ。
右斬り上げ。
左斬り上げ。
刺突。
一本目で防御しつつ、剣撃で狙うべき九つの軌道から同時に狙う。
今のやり取りだけでも感じ取った、相手との実力差。
未だ全盛期のキレを取り戻していないことを、今まで以上に痛感させられる相手だ。
さすがに武神の名は伊達ではない。
だが武神ドゥルガーと呼ばれる彼女にも、そう呼ばれるだけのプライドはある。
相手が格上ならば、こちらも自身のアドバンテージを生かすまでのこと。
一番明白な腕の数。
十本ある腕をここで生かす。
「行くぞ」
「来なさい」
肉薄のタイミングを窺うスサノオ。
相手の腕が何本あろうと、繰り出すのは居合斬り一本。
斬撃が二つあろうが九つあろうが、すべてまとめて一緒くたに、斬り捨ててしまえばいいだけのこと。
わずかなやり取りだったが、それだけで互いの膂力の差は感じ取れた。
ほぼ互角。しかしわずかながらに自分の方が上。
問題は、腕一本の腕力で十本すべて薙ぎ払えるか。
不安はない。心配はある。
だが、恐れはない。
ならば充分。
何をきっかけにしたわけでもなく、スサノオは意を決して飛び込んだ。
「“
「“
武神の一撃と武神の斬撃が交錯する。
一拍遅れて、剣戟の激しい衝突音が高々と響き、周囲の悪魔や騎士を振り向かせた。
そして血が舞う。
この場合、よくあるのは先に片方が膝をついて、勝ったかと思えばその相手がさらに深いダメージを負って倒れるという展開である。
だが両者は現代のそんなお約束を知らなかった。
故に血を噴き出したのは同時。衝撃に耐えきれなかった武器が砕け、片膝をついたのも同時だった。
攻撃回数で優勢を誇ろうとしたドゥルガーだったが、スサノオの斬撃に十本中九本が弾かれ、最後の一撃がようやく決まったというところだった。
それだけスサノオの抜刀の威力は凄まじく、ドゥルガーが受けた傷も深かった。
故にスサノオの方が立ち上がりが早く、ドゥルガーが振り返った瞬間には、すでに新たな刀を現出して抜いていた。
「さっすがスサノオの旦那!」
「やっちまえ!」
悪魔の汚い野次が飛ぶ。
悪魔の声援など、それらと似た存在と戦ったことで英雄として伝えられた神スサノオにとっては、受け入れがたいものがあった。
彼らは今、同じ相手を敵にしている同志であり、仲間なのだが、心のどこかが絶えず拒絶し続けている。
故にユキナがミーリをさっさと倒してしまって、戦いが終わる展開を望んでいた。
ミーリが倒れている今、あとはユキナがとどめを刺せばそれで終わる。
だから早く仕留めろと、ユキナを急かしている自分の存在を、スサノオはひしひしと感じていた。
「ユキナ……」
一瞥をくれる。
そして、二度見した。
ユキナが、座り込んでいる。
どこか怪我をしたのかと思ったが、視線を落とすと、ユキナはミーリの頭を掬い上げて、自身の膝の上へと移していた。
首と胴は繋がっており、未だ息もしている。生きている。
ユキナがとどめを刺そうとしている様子はなく、ただ膝枕しているだけにしか見えない。
そしてユキナの表情を窺い見れば、愛する者を愛でる優しい瞳をしていた。
疲れて眠ってしまったのね、そう言ってしまいそうなほど優しい笑みを湛えていた。
「なぁにやってやがる」
飛んで来たベルゼビート。
四本の腕の先は、滴る鮮血で濡れていた。
「あら、ベルゼビート。まだ戦いは終わってないのだけれど、抜けてきたの?」
「俺の相手してた魔神なら殺したぜ。正確には、致命傷を与えたからもうすぐ死ぬって話だが? てめぇは何をしてやがる。なんでとどめを刺そうとしねぇ。これはそいつを殺す戦争だろうがよ」
ベルゼビートの意見は尤もだ。
これはそのための戦いで、彼もそのために集っているのだから。
故に一向にとどめを刺す気配の無いユキナに、ベルゼビートは苛立っていた。
致命傷を負わせて、死ぬまでの苦しむ様を見届けてやろうなどと考えたのかもしれないが、そうでなくとも敵の死を確認するよりまえに離れるなど、悪魔にしては珍しい。
決着を着けようとしないユキナに、それだけこじれていた証拠とも言える。
悪魔であるベルゼビートに戦士の詩吟がわかるはずもなく、悪魔であるが故にユキナが彼と戦いを望んでいた理由も理解できておらず、彼を何故殺そうとしないかも理解できなかった。
「それとも、俺にとっての最高の餌って、そいつのことか? 食っていいってことか?」
ベルゼビートは唾液に塗れた舌を出し、唇を舐め回す。
二体の神を体内に飼い、元より上質な霊力を持つミーリは、さぞ美味なる餌に見えるのだろう。
暴食を司る悪魔ベルゼビートの肥えた舌にとって、久方振りのまともな食事になるのかもしれない。
まるで数百年以上何も食ってこなかったかのような飢えた表情で、ベルゼビートは笑う。
「そういうことなら、喜んでいただくぜ? そいつぁすげぇ美味そうだ」
ミーリを丸呑みにしようと、ベルゼビートが蛇さながらに顎を外し、唾液という唾液を滴らせた、そのときだった。
ベルゼビートは硬直する。
唾液は乾き切って、代わりに額から噴き出す汗が流れて落ちる。
大気そのものが重量となって重く圧し掛かり、背筋を冷や汗が這って耐え切れない悪寒で羽が震える。
悪魔にして蠅の王ベルゼビートともあろう者が、高位神祖をその身に宿しているとはいえ、たかが人間の少女一人に怯えたなどと、周囲にまるで示しがつかない。
だがそれは杞憂だった。
何せ周囲の悪魔も騎士も、力なき者は全員が彼女の圧に負け、気を失っていたのだから。
ユキナが一瞬だけ放った霊力の圧に潰され、数体の悪魔と魔神を除く全員が気を失っていた。
「ベルゼビート? その軽口、いえ、大口はそこまでにしなさい? あなた、食べられる側には回りたくないでしょう?」
殺される――!!!
心根の底から込み上げてきた危険信号に従って、すかさず飛び上がる。
外れていた顎はあっという間について、必死に呼吸するために震えていた。
「わかったなら、そこの魔神でも食べてなさい。この人は他の誰にも殺させない。他の誰にも食べさせない。殺すのも、食べるのも、ぜぇんぶ、私よ。ね? ミーリ?」
妖艶に、艶やかな唇を舐めるユキナは、ミーリの唇を優しく
戦場で、倒れる敵に捧げるキスの意味を、悪魔も魔神も誰も、理解などできなかった。
「貴様、何を醜態を晒しておる」
ミーリの精神世界。
天上と大地の一面に歯車が敷き詰められた世界で、ミーリは吸血鬼の叱責を受けていた。
叱責というよりは説教に近く、ミーリも正座させられている次第である。
精神世界では現実と時間の経過が異なるため、ミーリは気絶から随分と長く正座をさせられ、足が痺れている感覚に苦しんでいた。
「油断大敵、という言葉が貴様が妻に迎える女の国にあるそうだが? 貴様、油断だけはしないはずではなかったか。あの常時霊力感知を張り巡らせていた神経質なおまえはどこへ行った」
「うぅん……いやぁその、最近自分を殻に閉じ込めることをやめたっていうか、もっと気楽に行こうと思ったっていうか……」
それを進化、もしくは成長というのか、それとも退化、怠惰だと言って捨てるのか。
いついかなる状況にも対応しうるという点で言えば、以前の方がよかっただろう。
だがいつもいつでも何か起こると怯え、仮初の自信を持って自身を誤魔化しおく過去の青年と比べれば、大人になったと言えるのかもしれない。
自分には何ができて何ができず、他人に何を任せればいいのか。
自身の責任の在り処を理解し、自身のできる範囲での対処を行う。
ミーリ・ウートガルドはもう、何にも怯えていない。
自らの弱さと隙を受け入れ、それと戦おうとする強さがある。
もうミーリの中にあるのは、持っておいてある仮初の自信ではなく、過去の経験から得た絶対的な自信。
自身、と言い換えてもいい、ミーリ・ウートガルドの覚悟である。
しかし故に、過信にもなり得る。
それが現在の結果を生んでいることを、吸血鬼ブラドは怒っていたのだった。
成長半分、後退半分。
まさに人間らしく、神のような、完成された存在とは程遠い。
神になってしまったブラドからしてみても、ミーリはまだ、神の領域には程遠い。
それが嬉しいと感じるのは、やはり彼を愛しているからだろう。
だが悲しいかな、ミーリが弱さを持てる強さを得た理由としてはやはり、愛すべき人と出会ったからに違いない。
自分の恋は叶わないのだなと、現実を思い知る。
だが、悲しいばかりではない。
愛する男が愛する人と結ばれようとしているのだ、喜ばしいことではないか。
「外は劣勢のようだが、どうするミーリ」
「えっと……ミラさん」
「まったく、わかった。皆まで言うな……仕方ない奴め」
「――おはよ、ミーリ」
目を開けると、ユキナが笑っていた。
膝の上に寝かされていたことはわかっていた。
なんとも愛らしい表情で笑う彼女の頬を抱いて、ミーリは口づけする。
「おはよう、ユキナ」
「それで? 私を倒す術はあるのかしら」
「そりゃあ、もちろん――だけど、それはまだちょっと先の話。今はこの戦況を、どうにかしなきゃ」
瞬間、ミーリは消えた。
事態を見つめていたスサノオは、しまったと硬直状態にあった己を無理矢理動かす。
しかしすでにミーリがドゥルガーを抱きかかえ、飛び退いていた。
ロンゴミアントが人の姿に変わり、ミーリと共に走る。
すぐさまに追おうとしたスサノオだったが、追おうとしないユキナを見て思わず止まる。
離れ行くミーリの背を見つめるユキナは、誰にも聞き取れないほど小さな声で言の葉を紡ぐ。
スサノオからしてみれば、ただ唇を動かしただけのようにも見えたが、ユキナはそれだけ囁くと、ミーリとは逆の方へと歩き始めた。
「おいユキナ! 何故追わない!」
「……待っていれば、来てくれるもの。わざわざ追う必要もないわ。あなた達だって、別にミーリが怖いわけじゃないでしょ?」
「だが、何故さっき奴を殺さなかった!」
「殺せなかったのよ。ミーリには霊術が掛けられてた。ミーリが死んじゃう怪我を負うとき、それを代わりに殺す側が受ける反転の霊術。多分、ミーリの中の神様の仕業ね。ミーリが気絶している間、ずっとかかってた」
「そうか……ならば、次は頭を踏み砕け。脳がなくなればさすがに死ぬだろう」
「……そうね。でも次は、そううまく行くかわからないかもしれないけれど」
冷めた声色とは裏腹に、ユキナの心は弾んでいた。
ミーリがまた来てくれる。
自分に向かってきてくれる。
ミーリの目標に自分があることが、何よりも嬉しい。
あぁ、今すぐ私に会いに来て。
その腕で抱き締めて。唇で口を塞いで。
眼光は私だけを射抜いて。
私を殺すためだけに頭を回して。
私を愛すためだけに視線を配って。
私を穢すためだけに、技術のすべてを費やして。
私を、
「待ってるから」
ユキナの羨望を背中に感じながら、ミーリはドゥルガーの手を引いて駆け抜ける。
ロンゴミアントの最高速に合わせて、ひたすらユキナと距離を取るように走り続ける。
「アタさん!」
「……! ウートガルド!」
アタランテと合流する。
アステュアナクスがいたはずだが。
「アスナは?!」
「庭園に転移させられたようだ。だが、頭を撃たれている……魔神の生命力でも、果たして可能性があるかどうか……」
「大丈夫! アグネスおばさんを信じよう! あの人ならきっと救ってくれる! だから目の前の敵に集中!」
「……あぁ、そうだな。あぁ、任せろ! 悪魔など一掃してくれる!」
「ミスター、ミーリ……」
ドゥルガーは片膝をつく。
スサノオにやられた傷が痛むらしく、息が荒らい。
だが目は死んでいなかった。むしろ死地にいることで、戦士としての目に変わり光っている。
戦士としての血が、武神ドゥルガーとしての血が、ようやく目覚め始めたか。
「少し、不覚を取りましたが……任せてください。次こそは、取ります」
「ごめんドゥルさん。あの黒髪の子は、他の人にやってもらう。怪我もしてるし、まだ不完全な状態の君を、あの子とぶつけるのは避けたい」
「しかし……!」
「だけど、あの人の相手をしてもらう。あの人は、ドゥルさんじゃなきゃ勝てないと思うから。アタさん! ドゥルさんの移動を援護しながら、ガンガン悪魔打っちゃって!」
「了解した」
「よし、行くよロン!」
「えぇ!」
ロンゴミアントと共にミーリは走る。
何故ロンゴミアントを槍にせず、並走しているのかといえば、一つは霊力の温存。
もう一つは連絡である。
戦いに支障をきたすまいと自身は何も持たず、ロンゴミアントに通信機を持たせていた。
さらに周囲の状況を見て、ロンゴミアントも共に作戦を考えて相談役になってくれるので、大いに助かる。
いつでも冷静なロンゴミアントは、相談役に打って付けなのである。
「明らかに指揮されてる動きね。悪魔がこうも言う通りに動くなんて、あれの身勝手さをよく知ってる奴の仕業としか思えないわ。同じ悪魔か、それとも生前悪魔って呼ばれてた人か」
「いずれにしても、まずはその軍師さんを叩かないとね。こっちはそういうの、あまりいないから! だから君に頼むよ、オルさん!」
爆発。
遥か遠方で爆発が起こる。
そこには
攻撃したのはオルアで、太公望が防御のために繰り出した結界は、砕けて舞い散っている。
「遅いよ、ミーリくん! 僕もう、待ちくたびれちゃったんだから!」
「聖女が何故ここに……?!」
太公望は距離を取ろうとする。
だが後方に下がろうとして、オルアの結界に阻まれて背中から衝突した。
その隙に、オルアは霊術を紡ぐ。
「集え集え集え! 自らの
光が視界を奪う。
真白に呑み込まれたかと思えば、太公望は戦場にいた。
青々と広がる草原。雄大な空を駆け抜ける雲の群れ。
周囲には何もなく、ひたすらに地平線が伸びるのみ。
太公望と彼女の間には川が流れていて、一人孤立する太公望とは対称的に、聖女は数多の軍勢を率いていた。
その数、二万。
「やられた……ここは霊術の固有結界内か……」
「あなたがどこの英雄で、何をしてきたかなんて関係ない。僕らは、僕らの戦いをするだけさ。そう、僕らは僕らの戦いを、神に捧げるのだ!」
「いざ強く仰げ! 空を! 神は見下ろしている! 我らが勝利を願い、神もまた祈っている! 故に我らに敗走はなく! 死は、ただ神の御前へと近づくためのものなのだと、恐れることはない! 誇れ! 我らは、神の祝福を与えられた者! 神の祝詞を受ける者!」
「故に進め! 戦乙女の騎行が如く! 力強く、祝詞を叫べぇぇぇっ!!!」
二万の戦士が吠える。
かつて神の声を聞く聖女の下へと集い、共に戦った蛮勇達が、時代を超えてまた、彼女のために戦おうと、剣を掲げて咆哮する。
敵がたった一人だろうと慢心はなく、敵がたとえ怪物であっても臆さず、敵が例え神へと昇華せし存在だったとしても戸惑うことはない。
神の声を聞く聖女が、目の前で御旗を掲げる限り。
「進撃せよ! “
自分達の弱さも強さもすべて、聖女の御旗に宿る限り。
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