アダムとイヴ
戦塵と、士気を高めるため戦士達が発する咆哮が昇る戦場。
見下ろすアンブロシウス・アウレリアヌスは、頬を流れる汗を拭う。
水晶石が淡く光る洞窟の奥では、聖剣を突き立ててなんとか立ち上がろうとするリエン・クーヴォがいた。
大量の汗を流し、息も絶え絶えに、今の今まで怪物を相手に決闘を繰り広げていたかのような、生命の危機に晒され続けていたかのような、命からがら生き延びたと言わんばかりの疲労感を感じさせる。
洞窟の中で何があったのかは誰もわからないが、少なくともこのときのリエンの表情を見れば、死地に値する過酷な状況が繰り広げられていたことは想像に難くない。
虫の息のリエンには一瞥もくれず、舞い上がる戦塵と戦士の咆哮で満ちる戦場を懐かしむように眺めるアンブロシウスは、静かに言霊を紡ぐ。
愛する人の耳元で囁くかのように紡いだ言葉は、すぐ後ろのリエンと彼女が携える聖剣にも聞こえることはなく、彼女達にやっと追いついた魔剣もまた、聞こえているはずもない。
空を仰ぎ、太陽が雲の隙間から出て来た頃を見計らって、なんの合図も挨拶もなくアンブロシウスは跳んでいく。
聖剣カラルドが人の姿を取って肩を貸し、リエンはようやく立ち上がれた。
魔剣エレインは飛び去ってしまったアンブロシウスを目で追って、追いきれなくなったところでさて、とリエンを見下ろす。
満身創痍で疲弊しきったリエンは傷こそ負っていないものの、すでに剣を振る力も失っていた。
「……聖剣王様の言うことが確かなら、この洞窟にいれば回復できるらしいけれどねぇ。どうするの、リエン」
カラルドの肩を借りて、すぐ近くの水晶石の側に座るリエンは、霊力回復を促す光を放つ水晶を握り砕く。
溢れる光をその身に浴びて、リエンの体を流れる汗は揮発していった。
「回復が完了し次第、すぐに出るぞ……もう、あのときとは違う。我が友の人生を決める戦いだ、友が出ずになんとする」
「ならばまずは回復をしましょう、マスター。出るからには勝たなければ。勝利こそ、惚れた殿方に捧げる武勲と存じます」
「ま、人様の戦いに勝手に入るなら、せめて勝たないとね」
「それはおまえなりの励ましなのだろうな」
リエンの隣に座ったエレインは、言葉を返すことなく眠りにつく。
彼女なりの返答なのだと解釈したリエンは、カラルドに状況把握を任せて眠りについた。
必ずや、彼のために駆けつける。
彼にとって最も親しい騎士が、必ずや助けに行くからと約束する。
彼はそこにいないので自分勝手に、むしろ自分自身に対して行う誓いのようなものであったが、彼女は騎士。
誓いを胸にすれば必ずや果たす。
故に今は、しばしの休息。
誓いを必ず果たすため、これから生き返るかのように、死ぬように眠る。
「ミーリィィィィィィィィィィィィィィィィィィっっっ!!!」
暁の空に駆け抜け、軌跡を描く二本の眩い流星。
ミーリとユキナ、この戦いの主役である彼らの戦いは、天空という広大な戦場を縦横無尽に駆け抜けて、文字通り火花と閃光を散らす。
流星と流星の衝突によって起きる花火サイズの衝撃が、地上の神々に激闘を想起させた。
ほとんど目で追えないため、想像する以外に戦いを知る術はない。
空中庭園にてミーリのサポートをしようと矢を構える
ユキナの膝蹴りがミーリのガードを掻い潜って、腹部を抉る。
蹴り飛ばしたミーリに追いつくと背後から蹴り上げ、また追いついて渾身の踵落とし。
地上まで落とされたミーリだが、地面と激突するより前に体勢を立て直し、霊力で作った足場を蹴り飛ばして飛び上がる。
槍を投擲してユキナに弾かせ、肉弾戦に移行。
槍を弾いた瞬間を狙って懐に潜り込み、拳を繰り出すがユキナの脚に阻まれる。
弾き返したユキナが全身を回転させて勢いをつけた回し蹴りを繰り出して、ミーリも負けじと蹴りで迎え撃つ。
脚と脚がぶつかって、衝撃が空を裂く。
腹の底に響く深く鈍い音が地上まで届くと、同時に相手の勢いに負けて吹き飛ばされる。
弾かれた槍の落下速度に追いついたミーリは槍を取り、ユキナはまるで雲を鷲掴んだかのように雲の上で停止する。
相手へと一直線に跳ぶと、再びユキナは回し蹴りを繰り出し、ミーリは槍を振るう。
槍が折れてしまいそうになるほど湾曲すると、ミーリは咄嗟に槍を離して衝撃を殺す。
そのまま身を反転。
翻った勢いでユキナの背後を取ったミーリは、振り向くことなく槍を回転させ、石突でユキナの脇腹を突いた。
体をくの字に曲げられるほどの衝撃を受けて、ユキナが吹き飛ばされる。
「“
追撃。
何とか空中で停止したユキナの懐に入り込み、強烈な攻撃を繰り出す。
「“――
五発同時の連続突き。
紫の刃が両肩、両腰、胴の中央を貫いて落とす。
ユキナの体はすぐさま再生し、傷は塞がる。
攻撃の勢いで吹き飛ばされたユキナだが、地面スレスレを滑空して激突を避け、グングン加速していく。
再び流星の速度になるまで上げると一挙に飛び上がり、ミーリと激突した。
そこからお互いに手を出し脚を出し、壮絶な乱打戦。
百など一瞬で超える数の攻撃を打ち込み、同じ数だけ防御して、そのうちのいくつかが体を抉り、筋肉を泣かせ、骨を軋ませる。
だが単純な肉弾戦ならば、ミーリよりもユキナの方が上であり、さらに彼女が取り込みに取り込んだ神々の霊力が彼女の攻撃力を大きく底上げしていて、ユキナの蹴りを体に受ける度、ミーリは細く小さな嗚咽で呻く。
臓器が潰れて込み上げる血を吐いて、蹴り飛ばされるミーリに追いつきさらに蹴りを叩き込むユキナの戦う様は、華麗と呼べて綺麗には程遠い。
軽々と振られる脚から繰り出される、見た目を遥かに超えた重量を持った攻撃は、大木などもちろん、鉱石すらも蹴り砕く。
ただ降ろしただけで、大地どころか星そのものをも踏み砕きそうな威力と霊力が、彼女の細く長い、ちょっとした力でポッキリとあっけなく折れてしまいそうな脚から繰り出されていることには、驚きを禁じ得ない。
初見の人間はまず彼女の脚を見て、一撃で首の骨を折られることを知らずにハンデなど設けてしまったなら、それが死ぬ時である。
彼女が全世界に知られている存在である現在、そんな阿呆など存在しないだろうが。
だが例えガードしたところで、彼女の蹴りはそのガードの上からでも臓器を叩き潰し、例え防具を忍ばせていたとしてもそれすら砕く。
故に彼女と対峙するにはまず、彼女の基本攻撃である蹴りを受けても耐え抜く防御力と、それを為せる霊力を身につけなければならない。
幾柱もの神々をその身に宿した彼女と対峙するということは、すなわちその数の神々を同時に相手取るという結果と同義である。
故にこれと対峙で来ている時点で、それこそ学園の闘技場で最初に向かい合った時点で、ミーリ・ウートガルドは超人と呼べる域にあり、天才と呼ばれる域を脱していたことになるのだが、超人では彼女には勝てないことは、そのときの戦いで明白となっている。
故にミーリ・ウートガルドが勝つためには、それこそ天才も超人も超えた存在へと進化するしか、昇華するしかなかった。
それが現在のミーリを差すのか否か、その回答を示すのは今まさに、この激闘の最中である。
「無駄よ」
フェイントを見抜いたユキナの蹴りが、咄嗟に繰り出されたガードを超えて撃ち抜く。
飛んでいた悪魔を潰して地面に激突したミーリは、大量の血を嘔吐する。
ロンゴミアントから与えられる霊力によって吸血鬼の血が発動し、一命を取り留めた。
しっかりしないか、とブラドも精神世界で叫ぶ。
『ミーリ、来るわよ!』
「わかってる!」
ミーリがその場から飛び退くと、ユキナが流星の速度で落ちて来て、ミーリによって潰された悪魔の死骸を跡形もなく散らばらせる。
悪魔を踏み締めた片脚を軸として回転し、繰り出した回し蹴りの風圧が周囲を吹き飛ばす。
それを槍で受け止めたミーリは槍を突き立てて跳び、頭上から足を振り下ろすが、ユキナが上げた足と衝突し、相殺された。
そのままの態勢で右手に霊力を収束させ、ユキナは初めて手刀を繰り出そうとするが、ミーリの方が行動が早かった。
自身とユキナの間に霊力で壁を作ると蹴り飛ばして跳躍、手刀を掻い潜り、槍でユキナの下顎を跳ね上げると、そのまま槍を振って横腹を薙ぐ。
薙ぎ払われたユキナはすぐさま身を転じて態勢を立て直し、なんなく地面に足をついて止まるが、顔を上げた瞬間に槍が再び胴を殴り、耐えたがすぐさま追撃によって再び薙ぎ払われる。
体勢を立て直して着地。
またも迫り来る槍を蹴り飛ばすが、ミーリはユキナが弾き飛ばす方向を予測していた。
弾かれた槍を握り締めて、間髪入れずに投擲の構え。
「“
ミーリの霊力を吸って紅色に染め上げられた聖槍が投擲され、炸裂する。
紅色の霊力が弾けて、悪魔もろとも塵芥と化すほどに焼き尽くす。
閃光の中から抜けてすかさず飛びかかるが、ユキナよりも先に槍が届く。
聖槍を取ったミーリの連撃がユキナの蹴りを受けきって、一つ多く出した一手がユキナを薙ぎ払う。
だがユキナも引き下がらない。
払われる寸前でミーリの袖を掴み、顔面につま先を叩き込んでいた。
故に同時に吹き飛ばされて、互いに空中で停止。直後に飛びかかる。
ユキナの脚とミーリの聖槍が衝突し、凄まじい霊力が弾け飛んで空を裂く。
周囲の悪魔や騎士が霊力の圧に負けて掻き消され、掃討される。
「やっぱりミーリだけね、私を愛してくれるのは。そうよそのまま私を愛して。私だけを愛して。あなたの愛があれば、他に何もいらないの」
「……ユキナ、俺は――」
「あの子が好き? 嘘を言わないで!」
槍と脚が衝突する。
互いに一瞬でも力を抜けば攻撃を喰らうという状況の中、ユキナは言葉を並べる余裕を見せる。
「私はあなただけよ! あなただけを愛しているの! あなたが好き! 愛してる! あなたはこれ以上一体何を望むの! 私の愛じゃ不満だって言うの?!」
「そんなはずない! 私はそのために、ここまで来たわけじゃない! 私はあなただけなのに! 私にはあなたしかいないのに! なんで、なんで!」
槍での攻撃はともかく、その後の防御が追いつかない間合いまで詰められた。
咄嗟に双剣に切り替えようとするが、ユキナに両手を掴まれて阻止される。
「ねぇミーリ? 私、あなたのためならなんでもできるの。あなたのためなら世界だって怖くない。神も悪魔も怖くない。世界中のすべてを一斉に敵に回しても、あなたさえいれば私は平気。私達はきっと、アダムとイヴの生まれ変わりなんだわ。そういう運命なのよ。なのに、あなたはたった一人のイヴを見捨てるの?」
ユキナの蹴りがミーリの下顎を撃ち抜く。
脳が揺れるどころか下顎が砕けて血が弾ける。
だがユキナは攻撃をやめない。
ミーリの両腕を掴んだまま、様々な角度から蹴り続け、血を浴び続ける。
「ねぇミーリ? 私を愛してくれるでしょう? 私を殺してくれるのでしょう? だったら私だけを見て。私だけを感じて。キスをしましょう、肌を重ねましょう、一緒に寝ましょう。あなたとなら、眠れない夜だって怖くないわ。だから、一緒に死にましょう」
ミーリの脚を深々と貫く脚は血に塗れて、トウシューズを履いたバレリーナのように鋭く伸びた様は槍のよう。
全身をその足で斬られ、貫かれたミーリはボロボロで、吸血鬼の能力によって再生をしているのが、逆に救いがないように感じてしまう。
星をも踏み砕く脚に蹴り砕かれる痛みはもはや死という概念そのものをまとった暴力で、それをひたすらに受け続ければ、体よりも先に心が死ぬことだってあり得る。
そのまま死ねれば楽なのに、過剰な再生能力を持ってしまったが故にその楽を選べない。
傍から見れば、彼女との対峙は死すら逃げる術となる。
ユキナは今、その恐怖を象徴するかの如く、誰もが逃げ出すような無表情で怒っていた。
「私はもう、あなただけが死因なの。あなたの口づけで死にたいの。あなたの抱擁で死にたいの。あなたの愛に殺されたいの。なのにミーリ、あなたは私を
下顎を粉砕されているため、ミーリは言の葉を紡ぐことができない。
反論の余地すらなく、ユキナはミーリを蹴り飛ばし、地上に落とす。
「あなたが
ユキナの頬を伝う一粒の雫。
気を失っているミーリは応える術を持たず、雫はほろほろと砕けて地上に落ちる。
「私があなたを愛したのは、間違いだったの……?」
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