呪え
まるでこの世界の一部になっているかのようだった。
体すべての細胞が、原子レベルで分解されているから感じる、この感覚。
まるで、あのときのよう――
風に晒されているせいで冷えた細胞の核が、太陽の光に照らされて、燃え上がるように熱せられる。寒暖差が激しいという表現はまるで優しく、砂漠の大陸と氷の大陸を反復横跳びで往復しているが如く、灼熱と紅蓮に貫かれる痛みを、全身の細胞一つ一つで痛感する。
痛い、痛い、痛い。
熱い、熱い、熱い。
寒い、寒い、寒い。
何故こんなにも。あぁ、何故こんなにも。自分は痛みを受けなければいけないのだろう。全身を針で貫かれるにも似たこの痛みを、何故。
あぁ、世界が淀んで見える。
世界が、霞んで見える。潤んで見える。
この世界を見るための細胞が、壊死でもしてしまったのだろうか。世界が酷く
世界が、世界がユキナ・イス・リースフィルトを拒絶している。
もう世界は、自分の姿すら晒してくれないの。温かな緑を、熱い赤を、煌く白を、影の黒を見せてくれないの。人の、色の違う肌色を、別々に見せてくれないの。
酷い、酷い、酷い。
世界が私を、拒絶するの。誰も受け入れてくれないの。
みんなが私に意地悪するの。仲間に入れてくれないの。
みんなみんな、私を除け者にして幸せになろうとしているの。
何故私が贄なの?
何故私が供物なの?
何故私が、私だけが犠牲にならないといけないの?
どうして、何故、なんで、みんな私を犠牲に幸せになろうとしているの?
あぁ、どうして、どうして、どうして。
私は、幸せになってはいけないの?
――あなたは幸せになれないのよ
誰かが言った。言い切った。
まるで自分は幸せで、不幸の絶頂に立っていると嘆く友達を諭すかのように、その口元に笑みすら携えて言い放った。
――幸せになれるわけがないじゃない。みんなが自分を犠牲にしてる? そう思ったのなら、何故そこから抜け出そうとしないの。何故その境遇に甘えているの。自分の不幸具合に、主人公気分で酔ってるんじゃないの?
辛辣だ。
何もそんなハッキリと、言い切らなくたっていいじゃないか。
酷い、酷い、酷い。
――何も酷くないわ。ハッキリ言ってあげるけど、今のあなた最低よ。自分の不幸を他人のせいにして、それでいてそんな可哀想な自分に甘えているんじゃない? 周りに阻害されて、いじめられてる自分を客観的に見ちゃって、私ってなんて可哀想とか、なんて悲運とか、思っちゃってるんじゃないの?
酷い、酷い、酷い。
そんなことはない。
現に私は可哀想じゃないか。
私は世界から敵にされて、誰も味方なんていなくて、誰も私を、助けてくれない。こんな自分を可哀想と悲観して、その境遇に恐怖して、一体何が悪いというのだ。
――その可哀想って境遇に、何故身を浸し続けているの? 何故そこから抜け出そうと、何かをしようとしないの? 自分は幸せになりません。自分は不幸です。幸せになろうなんてしません。だから許してよ、可哀想でしょって。あなた、甘えているのよ
――あなたは幸せにならないんじゃなく、なれないのでもない。あなたは、幸せになろうとしていない
――幸せになる努力も何もせず、幸せになれるのなんて子供のうちよ。それも、親にチヤホヤされてる、それはそれは境遇のいい子供のうちだけ。あなたはその子供のままでいるつもり? 大人になりたいとは思わないの? 一切?
大人。
その単語が、胸の中に響いた。
全身を
大人。
その単語が想起させる。大人になった自分の姿。
そしてその隣にいる、愛する人の姿。
その姿を想像した瞬間、跳ねた鼓動が一瞬で、世界の色を変えた。
彼女が見える世界は、その一点だけが鮮やかだった。色彩のすべてが、彼に集約していた。彼だけが彼女の世界で、彼だけが彼女の幸せだった。
そうだ、自分には彼がいる。
彼といれば、幸せになれる。彼に愛されることで、幸せになれる。
じゃあどうしよう。どうしよう。
どうやったら、自分は幸せになれるだろうか。どうやったら自分は――
「そっか……そうだ」
――自分達以外を、蹴落としてしまおう――
何故、そのような結論に至ったのかは誰にもわからない。
だが彼女の中で、その結論は彼女の見る、聞く、感じる世界を変えた。
自分達が幸せになれないのなら、自分達以外の幸せすべてを蹴飛ばそう。世界中の幸せを蹴落とそう。
だって自分達の幸せ以外、どうでもいいではないか。
彼の幸せ以外、どうでもいいではないか。
自分の世界そのものが彼だというのなら、彼の幸せこそ自分の幸せ。
ならば彼以外のすべてを蹴落としてしまえばいい。人も悪魔も神すらも、すべて蹴落として、私達の幸福を見せつけて思わせよう。
おまえ達が、私達の幸せの贄であり、供物であり、犠牲だと。
そのためには力が欲しい。金も権力も、他の人からの愛さえもいらない。
ただいるのは、暴力的で残虐で、この上ない力。人のでも悪魔のでも神のでも、なんだっていい。ともかく力さえ手に入れば、なんでも。
そこまで思い立ったとき、彼女は目の前にその力が浮かんでいることに気付いた。
そして一切の迷いなく、躊躇もなく、予備動作も隙もなく、その手はその力を我が物とするため、容赦なく射殺した。
「私の幸せ、それは……」
そこから、貴族の下り階段へと発展して、気付けば世界を巡る戦争にまで進化した。
そしてその中心に、自分ことユキナ・イス・リースフィルトと、彼、ミーリ・ウートガルドがいることは、まさに、まさに。
まさにまさに、まさにまさにまさに、まさにまさにまさにまさに、まさにまさにまさにまさにまさに、まさにまさにまさにまさにまさにまさに、まさにまさにまさにまさにまさにまさにまさに、まさにまさにまさにまさにまさにまさにまさにまさに、まさにまさにまさにまさにまさにまさにまさにまさにまさに、まさにまさにまさにまさにまさにまさにまさにまさにまさにまさに、まさにまさにまさにまさにまさにまさにまさにまさにまさにまさにまさに、まさにまさにまさにまさにまさにまさにまさにまさにまさにまさにまさにまさに。
まさに重畳。この上なく、最っ高の幸せ。
世界に呪いあれ。皆の幸福に
すべての幸せよ、彼の下に集え。私の下へ集え。
私は世界を呪いましょう。世界のすべてを羨み、妬み、
呪え、呪え。
この世界は私の敵。この世界は私の敵。
誰もが見知らぬ他人を、見知っている人ですらも生贄にし、幸せを押収しようとする奴らから、その幸せを搾取しよう。
「ユキナ様、ミーリ・ウートガルドらに動きが」
「そう」
散らばっていた粒子が一か所に集束し、少女の姿を形作る。
まだ幼さすら残す整った顔と小さな体躯には、世界を呪い殺さんばかりの怨念が詰まっており、その影響か粒子の色はどす黒く、それが集まって復活したユキナの頭髪、瞳の色もまた、それに従ってより色濃く、真っ黒に見える。
漆黒のドレスワンピースまで着ているために、色白の肌が余計に白く映えて、その白と黒の両立が妖艶に映り、女神や妖精と言った神聖な存在に彼女を見せる。
天の女王。戦と美、豊穣を司る女神イナンナ。その化身。
その権能と力のすべてを奪い取り、世界中から幸せを奪うユキナ・イス・リースフィルトが、今ここに完全なる復活を果たしたのだった。
すでにスカーレットとの戦闘から、半日が経過しようとするくらいの時間が経っていたがそこにはまだかの空中庭園が見えていた。
さらにユキナの脅威的な視力――もはや視力とは呼べない何かしらの力が、その空中庭園から自分達を見下ろしている彼を見つけていた。
青。
空の色。
海の色。
世界の色。
少なくともユキナにとってはそうで、彼の髪の色。意匠の色が、彼女にとって世界の縮図そのものだった。
そんな世界が今、目の前から立ちはだかろうとしている。
世界が今、自分を否定しようとしている。
だがそこに、少女の頃抱いていたような絶望はなく、悲観することも何もない。
むしろこれから、彼と舞踏会に行くくらいの気持ちで、ユキナは漆黒のドレスワンピースの裾を払って、お辞儀した。これから共に踊る、パートナーに敬意を表して。
「さぁ、私を愛して、私を穢して? 私を愛していいのはあなただけ。私を穢していいのはあなただけ。さぁ、ほら、もうすぐだよ? だから、諦めないで」
「私を殺してね」
最後の戦いが、始まる。
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