愛情の呪い

 人と、かつて人だった神。そして名のある大神が、同じ敵を狩る。

 神と人類の存続をかけた戦いから約五〇年。もう神と人が、手を取り合うことなどないと思っていた。誰もが、神を、人を敵だと思っていた。

 だから誰も予期などできていなかった。神と人とが、再び数万年前と同じように、手を取り合って共に戦う日が来るなどと。

「人間と神が協力し合う時代……その再来とも言える時代の先駆者が、その再来の背景が、男女の長い長い痴話喧嘩とはこれ如何に」

「そんなことを言っちゃダメよ、太公望たいこうぼう。神代、神話の時代だろうと、神も仏も人間も、やっていることは変わらないわ。雷帝と恐れられるゼウスですら、現代では考えられないくらいの女性問題を抱えて、奥さんとそれはそれは酷い仲になったそうだし」

「そうしますと、恋とは……愛とは恐ろしいものなのかもしれませぬ。そこには人も神も見境なく、盲目にしてしまう。それどころか、世界をも巻き込んで回る、時として世界を殺す毒でございましょう」

「その教訓、私とミーリから?」

「私は貴女様に仕える身でございますが、時々不思議に思うこともございます。片や妹を殺された恨みで、かつての恋人すらも殺そうとする男。片や世界のすべてに絶望し、愛する男の手で死にたいとする女。ここまで大きな規模とせずとも、落ちどころはいくらでもあるというのに」

「太公望、私に付いたことを後悔してる?」

 ユキナはいたずらにそう訊いた。

 太公望が言いたかったことは、そういうことではない。ただ純粋に聞きたかったのだ。

 死にたいというのなら何故彼でなければならないのか。彼の手によって殺されることと、他の者の手に掛かって殺されるのとで何が違うというのか。

 やはりそれもまた、愛ゆえにということなのだろうか。

 太公望はただそれを、確認したかっただけだ。自身が考えうる最悪の展開――彼女が途中で戦いを放棄する可能性を、改めて考えたいだけだった。

「貴女様こそ、この時代においての我が主。最後のときまで、御側に仕える所存でございます」

「そう……こんな馬鹿馬鹿しい戦いだけれど、よろしくね、太公望。さて――」


「まだやる?」

 遥か遠方より飛んで来た緋色の閃光。

 その霊力をまとって駆け抜けてきたスカーレットが、ユキナと衝突した。ユキナの足裏が、スカーレットの礼装である緋色の槍、その切っ先を捉えている。

 スカーレットの一撃はユキナの脚を傷付けられず、蹴り飛ばされた山から一直線に駆け抜けた数十キロにも及ぶ助走をつけても、それは変わらなかった。

 ユキナには自身に対する神霊武装ティア・フォリマの攻撃能力を半減させる“誰一人刃向えぬ主イシュタール”がある上に、より高い神性に対して効果を発揮する対神の力“金星の輝き持つ天女王イシター”がある。

 その高い防御能力だけでも充分にチートじみているというのに、さらにユキナには取り込んだ神々の力がある。

 現在わかっているだけでも、ヘルメスの無音超高速移動“神出鬼没ラスライオス・ヴィマタ”があり、パワープラススピード、かつ超絶タフネスのバランスが高い水準で保たれている、戦の女神に相応しい能力値。

 天空の女神にして天の女王――イナンナ本人ではないにしろ、そうして甘く見た結果死んでいった神々が、現在の彼女の血肉、力と化しているのだ。

 それだけ彼女は強い。だがその分、イナンナの力に頼っている部分も大きく、スカーレットが彼女と渡り合えている理由はそれだった。

 体術、武器の扱いの点において、ユキナはまったくのド素人。スカーレットの動きについていくには、当然女王の力に頼らざるを得ないのだが、スカーレットが押し切れない理由もまた、その女王の力の強さだった。

「何、もう少し付き合ってもらおうか。私は決着というものが着かないとどうにも落ち着かないんだ……!」

 槍でユキナの脚を払い、さらにそのまま槍を一回転させて石突でアッパーカットを叩き込む。

 顎を叩かれたことで脳を揺らされたユキナの顔面にさらに飛び蹴りを食らわせ、抵抗しようと腕を伸ばしてきたユキナの懐に入って拳を連打。百発近く叩き込んで殴り飛ばす。

 太公望が離脱した先に吹き飛ばされたユキナは体勢を立て直して着地するが、そこにスカーレットが突進して来てユキナの胸に槍を突き込む。

 ユキナはとっさに両腕を伸ばし、白刃取りの如く槍を掴んで胸に刺さる一歩手前で止める。

 だがスカーレットの霊力が緋色の雷電となってユキナの全身を駆け抜けて、真白の肌の表層を焼く。

 ユキナは霊力を放出して腕力を強化。槍諸共スカーレットを持ち上げて投げ飛ばし、さらに追撃の飛び膝蹴りを叩き込む。

 スカーレットに槍でガードされ、さらに槍で薙ぎ払われたユキナだが、霊力によって空気凝固。足場を作ってスカーレットの周囲を飛び回り、翻弄しながらも真正面から回し蹴りを叩き込んだ。

 それすらもスカーレットは片手で容易く受け止め、さらにそのまま投げ飛ばす。

 やはり体術の面では、ユキナはスカーレットの足元にも及ばない。そもそも勝てる見込みすら、イナンナの力なしでは厳しい、というよりもない。

 だが何度も繰り返すように、スカーレットがユキナを仕留めきれないのは、そのイナンナの力があるからが故である。

「“金色の名を持つ三日月角の堕天使アスタルテ”……!!!」

 ユキナの脚にまとわれる白銀の装甲。

 黄金色の刻印が光るその装甲をまとって、ユキナが走る。

 黄金色の軌跡を残し、残像をも残す勢いで駆け抜けるユキナの高速移動は、今度こそスカーレットを翻弄した。

 だが――

「上位契約・猛々しき猛犬キュクレイン

 スカーレットの意匠が変化した。

 全身を流れる緋色の霊力が彼女の全身を覆い、緋色と黒の羽織を着せた速度を感じさせる姿に変わり、さらに槍には刃の他に針と呼べる小さな刃が生えて、攻撃力を増していた。

「“駆け抜ける番犬クラン・バレル”」

 緋色の雷電と化した霊力が、狼の如く猛々しく荒ぶり、吠える。

 そしてそれは緋色の電光石火と化して、ユキナと同等の速度で駆け抜け、その戦いを陰から見ている樟葉くずはが浮かべる大地を足場に、ユキナと隙を窺い合う。

 痺れを切らしたユキナがスカーレットに特攻を仕掛け、その蹴りを躱されて胸座を掴まれ、スカーレットに投げ飛ばされる。

 スカーレットが投擲した槍を見切って蹴り飛ばすと、それを取ったスカーレットに石突で殴り飛ばされた。

「あぁ……目が回ってしまいます。樟葉はついて行けません……」

 途中からスカーレットに呼ばれ、ユキナと師匠の立ち居振る舞いに合わせて場所を拵えていた樟葉だったが、二人の戦いがハイペース過ぎて時折追いつかない。

 そして二人の戦いに他の人を巻き込まないためと、隙あらば師匠の援護をしようと付いてきたミーリと樟葉の姉弟子、エリエステル・マインもまた、二人の戦いについて行けず、二本の槍を握り締めたまま動けずにいた。

「エリエステル様」

「人類軍がダエーワの掃討を完了しました」

「ミーリ様達神を討つ軍シントロフォスは」

「空中庭園に一度撤退しました」

 周囲を警戒していた一二人の狩人、リングフィンガーが十一人集結する。

 一二人全員の感覚を共有する能力“一二人の狩人ツウェルフ・ディス・イェーガーズ”によって一二人目の個体がミーリ達に合流し、空中庭園に軍が帰還しつつあるのを確認していた。

「なら、あんた達もミーリと一緒に庭園に行きなさい。ここは私達だけで……なんとか」

「無理だな」

 と、現れたのは煙草を吹かす男、エンキドゥ。

 スカーレットやエリエステルらと共に行動していたのだが、今しがた到着したばかり。何せ彼は一人、向かってきていたからだった。

 確かに霊力を温存しろとは言いつけていたが、そもそもアンラ・マンユを打倒するために連れてきたわけであって、それが倒された今現れても遅すぎるというものである。

 故にエリエステルは今更現れた彼に大量に文句があったが、しかしエンキドゥのユキナを見る目がそれをさせなかった。

 彼は途中から移動を遅めたが、彼女が理由だったのかもしれない。

 無理もない。イナンナとエンキドゥ、この二人は何かと因縁深い関係だ。彼女がいれば、アンラ・マンユなど敵として映らないこともわかる。

「あの女め……イナンナがいるなんて言わなかったじゃねぇか。しかも向こうから感じるぞ……あっちにゃあギルガメスの奴もいやがる。どういうこった……なんで奴が向こうに、イナンナについてやがる」

「それは知らないけれど……こうなったらあなたの敵は――」

「皆まで言うな。あぁわかってるよ……俺の敵ぁ、ギルガメスだ。イナンナの野郎もぶっ飛ばしてやりてぇが、それはてめぇらんとこの坊主にやらせてぇんだろ? 言う通りにしてやるよ、そういう約束だからな」

「意外ね。そんな口約束を、律儀に護ってくれるなんて。あの女神が憎いんじゃないの?」

「憎いさ、そりゃあな。なんたって俺を殺した奴だからな。だがあいつはイナンナ本人じゃあねぇ。それに限りなく近いだけの、あいつの力を使ってるだけの別人なら、その別人と因縁のある奴に代わってやるさ。だからギルガメスの奴は俺にやらせろ。ぶっ飛ばす」

「……なら、あんたも空中庭園に行きなさい。この戦い、やるのは弟弟子だから」

 空中庭園を目視で見つけたエンキドゥは、霊力強化ですぐさま跳んでいった。それを見て、リングフィンガーの残り十一人も駆け出していく。

 二人になった弟子達は、絶えず目にも留まらぬ速さで疾走し続ける師匠とユキナを見上げて、再び隙を窺い始めた。

 それにはユキナも気付いていた。スカーレットが宙に足場を作るための霊力すら攻撃に回しているために、樟葉のサポートなしでは空中戦ができないことはわかっていた。

 故に何度か樟葉から崩してやろうかと思って突っ込むが、スカーレットが絶えずそれを阻止して一回も成功していなかった。

「さすがに二代目スカアハの称号を持つだけはあるわね。ミーリのお師匠様。人類女性最強も、伊達ではなかったということかしら」

「まだ口を開く余裕があるのか。参ったな。可愛い弟子のために体力を削いでやろうと思ったのに、まるで……私が倒してしまいたいが、それでは弟子の面子がないしなぁ」

「何それ。私に勝てると思ってるの? 私を殺せるのはミーリだけ。私を殺してくれるのは、ミーリだけなの……」

「そうか。確かにそのようだな。では一つ訊くが――その呪いはどこで手に入れた」

 絶えず口元に微笑を浮かべていたユキナの余裕が、ここで削がれた。

 それはまさしく、スカーレットがユキナの真実の一端に、確実に触れたからであった。その事実が、ユキナの口を結ばせた。

「因果変転。おまえはありとあらゆる死の可能性と概念を殺し、ミーリにだけ殺される身となったのだろう。龍の不死の特性が龍殺しにのみ効かないのと同じだが……それは自ら手にしようとして入れられるものではない。それは世界に、特定条件下以外での死を拒絶される呪いだ。おまえ、それをどこで手に入れた」

「……世界の淵。影の国の女王スカアハにも、知らないことがあるものね」

「真に影の国にいるスカアハなら知れようが、私は二代目を継いだだけのただの人。スラッシュでもあるまいし、すべてを知っているわけではない。だから訊く。その呪いを一体、どこで手に入れた」

 ここで、ユキナは再び微笑を取り戻した。

 冷静を取り戻した証だった。

「人間の人生は短いものよ、スカアハ様。生き抜く上で必要な情報以外のトリビアは、無駄に蓄積させると吐き出す場所がなくなるわ。わかる? あなたが知ったところでトリビアにしかならないの。あなたが知ったところで、もうどうにもならないのよ!」

 側面から襲い掛かったユキナを、スカーレットは槍で一蹴。

 薙ぎ払われたユキナは吹き飛ばされるが、一瞬で距離を詰めてまた槍に払われ、また肉薄。と連続して同じ攻撃を続けた。

「強いて質問に答えるのなら、これはミーリから貰ったのよ! そう、そうでしかないわ!」

「そんなわけがない。時空神を孕んでいるとはいえ、奴に貴様をそのような代物にするメリットがない」

 スカーレットの槍が、ユキナの片腕を削ぐ。

 だがすぐさまに回復し、その生えた腕で迫って来るユキナを、スカーレットは再び薙ぎ払う。

「あれはあれで、今の今までおまえが好きだったのだぞ。それが何故そのような呪いを施すこととなる」

「好き、だった……? 何それなんで過去形なの!」

 スカーレットのヒールがユキナの頭を撃ち抜いた。

 頭蓋が砕け、大量の血を頭部から噴き出すが、ユキナはすぐに回復すると気にする様子もなく攻めてくる。

「私は愛してるわ! 大好きよ! ミーリのことをこれまでも、これからもずっと愛し続けてる!」

「あれはもう、次の恋に進んだ。おまえはもう過去の存在だ」

「そんなはずないもん! だって――!」

 うるさい、と石突がユキナの喉を潰して吐血させる。

 だがすぐさまに回復し、迫ったユキナはスカーレットにまた薙ぎ払われた。

「私がミーリを愛する限り、ミーリは私を愛してくれるもの! 現に見なさい! あなたは私を殺せない! 私を殺せるのはミーリだけ! 私を愛せるのはミーリだけ! 私はまだ、彼の愛を注がれているの!」

 刃がユキナを斬り裂いた。

 凄まじい量の赤い血が、スカーレットの緋色の槍と、緋色の意匠と、緋色の髪を湿らせる。

「それは呪いだ、ユキナ・イス・リースフィルト。実際に人は誰か一人だけを愛するなどできないのだ。そんなことは聖者でも、神ですらも、できはしない。そしてその愛情は、本物であるが故に呪いなのだ。おまえのそれは、愛情の呪いだ。かつて受けた愛情が、呪いとなって自らを蝕んでいるのだ」

「呪い……? ならこの痛みは何? この辛いのは何? 世界は、私に痛みしか与えてくれない……炎しか見せてくれない……ミーリだけなの。私を連れ出してくれるのはミーリだけなの。私を殺してくれるのはミーリだけなの。私を愛してくれるのはミーリだけなの。世界が私に施す呪いを、ミーリが殺してくれるの!」

「――なに」

 先ほど斬り飛ばしたユキナの腕が、スカーレットの槍を掴んでいた。

 早々に朽ち果てたと思っていたが、誤算だった。その誤算が一瞬の隙を生み出したが、そこには樟葉とエリエステルがスカーレットを助ける間などなかった。

 ユキナの手が、スカーレットの腹を貫いて、胃を潰していた。

「三柱だろうと神様だろうと、世界だろうと……私はもう殺せない。私はもう、止められない。だってあの日、私はそう……

「――?! ま、さかおまえ……そう、か。そういうことか……なるほど納得だ」

 だがこれはミーリに伝えてやるべきではないか……。

 胃酸と血を嘔吐したスカーレットは、緋色の槍を振り回してユキナの全身を斬り刻む。

 無論すぐさま再生するのだが、その隙に後方へと跳躍したスカーレットは、全身全霊の霊力を槍に注ぎ込んだ。

 そして放つ。

「“雷の投擲ガエ・ボルガ”!!!」

 緋色の槍がユキナを遥か遠方へと押し込んで、炸裂する。

 周囲の山も大地もすべて灰と化した槍はスカーレットの下へと戻って来て、スカーレットはそれを取ると同時に上位契約を解除。その場に倒れ伏した。

「細胞を原子レベルまで粉砕したが……これでも、数時間しか稼げぬか……まったく、なんという体たらく……」

 元々時間稼ぎだけが目的だったとはいえ、さすがにこの結果は無様すぎる。

 たった一撃受けただけで戦闘不能寸前とは、やはり若い頃のようにはいかないか、とスカーレットは自らもまた老いに勝てないことを思い知った。

「だが時間は稼いだぞ……あとはおまえの仕事だ、ミーリ……おまえが決着をつけねばならん……あの娘は、おまえに殺されるためだけに……」

「師匠!」

「師匠! 師匠!」

 エリエステルと樟葉が、急いでスカーレットを運んで戦線を離脱する。

 人類最後の三柱、スカーレット・アッシュベルが、師匠が倒れたことに気付いたミーリだったが、師匠のした行動の意味を理解し、見舞いに行きたい気持ちを必死に押さえ込みながら、合流したリングフィンガーらと共に空中庭園へと戻っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る