vs アンラ・マンユ『大祭神書』Ⅱ

 もしも、もしもの話。

 もしも私とあなたが逆の立場だったなら、あなたは絶望しただろうか。

 正義と善。希望を司ったあなた。

 罪と悪。絶望を司った私。

 あのとき両極に分かれてしまってから数億年。私とあなたは本当に変わってしまった。

 あなたは言った、人間が大好きだと。

 私は言った、人間なんて滅びてしまえばいいと。

 あなたは人間の希望に向かって歩ける姿を尊いといい、私は人間がすぐさまに絶望に溺れて溺死する姿に失望を隠せなかった。

 人間は私と戦って必ず、絶望などしないと息巻いた。すべてを希望に変えてみせるなどと宣って、結局絶望の中で死んでいった。

 何回も、何回も、何回も何回も何回も何回も何回も、その様を見せつけられた。

 希望があると宣って、それで希望が見出せるのならどれだけ楽だろうか。希望は絶えないと嘯いて、それで希望を掴めるのならどれだけ、人間は優れているのだろうか。

 結局絶望する人間を、結局自分に絶望だけを残していく人間に嫌気が差した。日々衰弱していくあなたのその原因は、彼らが希望など抱けない脆弱な生物だからだと理解した。

 故に、滅ぼそうとした。

 希望を司るあなたと戦ってでも、人類は皆殺しにするべきだ。

 絶望しか振り撒けない農夫の種から芽生えるのなんて、新たな絶望だけだ。そんなものいらない。欲しくなどない。

 彼を穢してしまう何もかも、いりなどない。

 だから滅ぼす。人間を、人間を滅ぼそうとした――なのに、何故あなたがそこに立つ。

 何故あなたが人間を護るため、私と戦おうとする。

 弱り切ったあなたが、勝てるはずなどないのに。希望という脆弱で、小さな力が、絶望に勝てるはずなどないというのに。

 どうして――

 私は、あなたをそんな姿にしてしまった人間達に復讐するのだ。

 あなたは、それは間違っていると、反論して来ると思っていた。だけどあなたは、そんなことすらしようともしなかった。

 あなたはいつも、希望を持とうともがく人間達を理解しようとしていた。その目は、その理解しようとする目だった。

 理解しようとしていたのか。

 こんなにも理不尽で、暴力的な絶望という力さえも、あなたは理解しようとしていたのか。

 色のないモノクロの世界を、色彩豊かなその目で見ようと、理解しようとしていたのか。

 スプンタ・マンユ。誇らしくも憎々しいあなた。

 私はあなたが嫌いだった。自ら希望などと言う力を所望したあなたが嫌いだった。人間は尊いなどと、綺麗事を並べるあなたが嫌いだった。

 だからこそ、だからこそ、私はあなたにそんな弱弱しい姿でいて欲しくなどなかった。

 だというのに、あなたはその私の心すらも、理解しようとしていた。

 あなたの目はそう言う目だった。あなたは人間に希望を抱く力があると熱弁することもなければ、絶望から希望が生まれることだってあると正論を述べることもなく、ただ私を、私の苦しみを理解しようとしていた。

 その目が一層、気に食わない。これ以上ないほどに、憎々しい。

 何故そんな弱い力で、弱い姿で、立ち向かってくる。立ちはだかってくる。

 何故、何故……絶望は暴力の化身。絶望は破壊の化身。だというのに、どうして、綺麗事ばかりの希望の力が、こうまでして自分に立ち向かって来る。

 憎々しい。憎々しい。

 私を理解しようとするその目が憎い。私を理解したその先に、希望があると思っているその目が憎い。その希望の先が、絶望に繋がってなどいないと信じていそうな、その目が憎い!

 あぁ、スプンタ・マンユ。

 もしも私とあなたが逆だったなら、この立場すらも逆だっただろうか。

 私はあなたを止めるため、理解するために、あなたと戦って、あなたを封印しただろうか。

 そもそもあなたは、この絶え間なく自分に流れ込んでくる絶望の力に負けて、人類を滅ぼそうとしただろうか。

 あなたはその目で人間すべてを理解して、その後、どうしただろう。

 その目が見ている景色とは、一体。どのようなものだったのだろう。

 私の見ている景色にもう色はなく、光すらない。あなたには、この光明が、色彩が、映っているのだろうか。

「“槍持つ者の凱歌ロンギヌス・ランス聖骸布マンディリオン神子参来ヴェロニカ・ヴェール”」

 目の前に広がった光景は、アンラ・マンユの虹彩に光を齎す。

 温かな真白の陽光。鼻孔をくすぐる柔い緑の木々。ちょっと肌寒さを感じる群青の空。暴力的なまでに力強く燃える赤い炎。

 朝が来た。日は上る。暁が、アンラ・マンユを眩く照らして、その身を焼いて行く。

 それはまるで、伝説の吸血鬼の如く、聖なる陽光に焼かれて朽ちる。その足から、体が灰となって消えていく。

 だが最後に彼女が見たものは、希望に満ち溢れた世界だった。踊る色彩。歌う熱。温い光。すべてが希望に満ち溢れて、最後にはすべて、希望へと辿り着きそうなほどに満ちていた。

 あぁそうか。

 だから希望するのだ。人間は、この色彩を見るから、熱を感じるから希望する。これらすべての希望を掴みたいと、心の底から思うことができる。

 しかしその結果、多くの人が絶望を抱く。

 誰もが希望を掴めないこの世界は、やはり破壊すべきものなのだろう。だがしかし、絶望するからこそ、万人が希望を求めて動く。

 万人が、希望のために戦う世界。戦わなければ、希望が手に入らない世界。

 やはりこんなにも歪な世界は、壊してしまうべきではないのか。誰もが戦わなければいけない世界だなんて――

 ふと、アンラ・マンユは思い出した。

 彼の目を。彼の、自分を理解しようとしてくるその目を。そして、戦いを挑んできた様を。

――君は間違っている

 とだけ言って、挑んできたあなた。

 あなたの目は、私を理解しようとし続けて。そう、確か、そんな目を――

 ふと視界に入ったのは、ミーリ・ウートガルドの目だった。槍を掲げ、光の膜を翻すその姿はまるで聖人のようで、人々に希望を振り撒く存在に酷似していた。

 そしてその目は、何とも言えない眼差しで、アンラ・マンユを見つめていた。

 それはあのときの、スプンタ・マンユのような。そう思ったとき、アンラ・マンユは理解した。

 その目は理解しようとしてくれているのではない。自分を理解しようとなどしていない。

 救おうとする目だ。

 あのときあの神は、自分を理解した上で、それでも自分を否定しようとしたのではない。理解したうえで、そのうえで救おうとしてくれたのだ。

 その手段があなたは封印で、この人は討伐だった。それだけの話だった。

 あなたはもしかして、私を倒せないから封印したのではなくて、私に希望に満ち溢れた世界を見て欲しかったから、後世を見て欲しかったから、長い封印に閉じ込めたのではなかろうか。

 あぁ、だとすれば。あなたが見せたいものは今見れた。

 あぁ、本当に憎らしい。こんな素晴らしい世界を、あなたは見続けていたの?

 こんなにも希望に満ち溢れた世界を、あなたは護ろうとしていたの?

 あぁ、それなら。それならば――

 ――何も絶望することなんてなかった。

「忘れないで……希望のあるところに絶望あり。あなた達がいくら希望を求めようと、全員がそれに辿り着けるわけじゃない。一人が希望を貪る隣で、二人は必ず絶望している。結局人間の辿り着く先は、絶望……どれだけ希望を求めようと、それだけは、変わらぬ、事実……」

「それでも俺達は、希望のために戦える。たとえ何度絶望きみが蘇ろうとも、俺達は、また戦えるさ」

「……ぁぁ、ああ、憎々しい……希望に満ち溢れたその顔が、あの人のようで、これ以上なく……だがそれが、人間らしく、美しい……」

 アンラ・マンユは消失した。

 その灰は風に溶けて、世界に消えていった。

 最後の最後、彼女は満たされた表情をしていたが、それが彼女にとって希望だったのかは言うまでもない。

 彼女の言うあの人の正体をミーリは知らなかったが、彼女はその人の面影から、何かを見たことは確かだった。

 それを知ることはできないが、しかしそれが彼女にとっての救いになったというのなら、彼女がもう二度と、人類を滅ぼすために復活しないことを、祈るだけである。

 救われたままで、眠って欲しい。どうか、それだけを祈るばかり。

『ミーリ』

「……とりあえず、ダエーワの掃討から入るよ」

「ミーリくん!」

 飛ばしてきたのだろう。

 オルアとジルダ、そしてリストが待っていた。

 宙に浮かぶ大陸から飛び降りたミーリは、霊力で足場を作りながらゆっくりと降りていく。

 そしてオルアから、ウィンの帽子を受け取った。ミーリはそれを、涙と共に胸に抱く。

 アンラ・マンユを倒したことで得た一時的なの安堵もあって、激しく込み上げてくる涙を堪え切れず、ミーリはすすり泣いた。

 ロンゴミアントがその背中を、優しく抱く。

 だがこの悲しみから、絶望などしない。希望に繋いでくれた彼女のために、この戦いは勝利と言う希望で終わらせる。

 それが彼女の遺言なのだから。

「ミスターミーリ」

「マスター!」

「ミーリ殿……」

「ミーリくん」

「ミーリ・ウートガルド」

 神を討つ軍シントロフォス

 オリンポス。

 そして神霊武装ティア・フォリマ達。

 ミーリを慕い、ここまでついて来た仲間達が、集結した。全員とはいかないが、しかしここに集結してくれた皆、想いは同じである。

 敵はアンラ・マンユで終わりではない。彼女を復活させ、従えていた黒幕の彼女が、天の女王イナンナがいる。

 ユキナ・イス・リースフィルトが、待っている。

 だが――

「まずは残りのダエーワを狩るよ! 人類軍を撤退させて、庭園で体勢を整えたあと決戦にする! 向こうがちょっかい懸けて来ても、一人じゃあ戦わないこと! そのあとの作戦は追追伝えるから、ドゥルさん引率!」

「了解しました」

 ドゥルガーが率いて、魔神らはダエーワを狩りに行く。

 行かずに残っていたのはロンゴミアント、リスト、レーギャルンの三人に、オリンポスの五柱だった。

「まさか本当に、アンラ・マンユを打倒するとは思わなかった、ミーリ・ウートガルド」

「……俺の武装が、活路を見出してくれたからだよ。あの子がアエシュマを倒さなかったら、アジ・ダハーカもアンラ・マンユも揺らぎはしなかった。あの子が、命をかけてくれたお陰だ」

 言葉の意味を受け取ったらしい。アテナが突如背筋を伸ばし、踵を揃えて敬礼した。続いてアレスもまた、遅れて敬礼を送る。

 軍神として名高い二柱にとって、戦死は尊いもの。戦士にとっては誉れのようなものであるが、すでにそんな時代が終わっていることは二柱を含め他の神もわかっていた。

 故にこの敬礼は、彼女達なりにミーリを気遣いつつ、ウィンの勇姿を褒め称える行動だった。

 ミーリはウィンの代わりにその褒賞を受け取って、帽子を目深に被る。

「アレスくん、アフロちゃん。俺の武装を二人、任せてもいいかな」

「えええ、お守ぃ?」

「コラ……信頼の証として、責任をもって預かろう。あの庭園に連れ帰れば、よいだろうか」

「うん、お願い。アテナさんとアルテミさん、アポさんは怪我人の救護をお願いしたいな。応急処置だけしたら、人類軍に任せちゃっていいから」

「ついでにダエーワの掃討、だな。了解した。それで、敵が攻めて来た場合はどうする」

 アテナの疑問は最もだ。

 ユキナは今スカーレットに足止めを喰らっているが、他の軍の奴らが動き出す可能性は充分にある。

 ユキナが号令を出すのなら問題はないだろうが、敵の中に参謀のような立場の魔神がいれば、その魔神が号令を出して攻め込んでくる可能性はある。

 そうした場合、こちらはどうするのか。

「とにかく、人類軍を撤退させることを考えて。これから起こる戦いは、普通の人にどうこうできる話じゃないから。巻き込ませても無駄死にになる」

「すでにユキナ・イス・リースフィルトは世界の敵だ。そう簡単に引いてくれるとは思わないが……しかし、アンラ・マンユとの戦いで相当に消耗したはず。そこに付け込むスキあり、か」

「そゆこと。まぁそこはアンラ・マンユが強すぎたことに感謝……なんて、皮肉にしても酷い話だけどね」

「だがわかった。人類軍を撤退させることには賛成だ。ユキナ・イス・リースフィルトの軍を見て来たが、大半が中級以上の悪魔で編成されていた。ダエーワと同等かそれ以上の悪魔ばかり。疲弊した人類には荷が重いだろう」

「お願い。さて、じゃあ――」

 轟く爆音。

 見ると樟葉くずはの武装の能力で浮かんでいた大地の一部が崩落し、母なる地球へと帰っていた。

 さらにそれに続いて轟く音、音、音。

 それは冷たく響く剣戟の音。刃と刃がこすれてぶつかる、戦場独特の金属音。

 それは間違いなく、先ほどまでミーリがアンラ・マンユと戦っていた空中の大地から響いていた。誰かが、戦っている。

「師匠……!」

 スカーレット・アッシュベルが、人類最後の三柱の一人が、ユキナ・イス・リースフィルトと戦っている。

 途中から姿が見えなくなった樟葉もおそらく、師匠のサポートに向かったのだろう。戦いの途中で師匠の霊力は感じていたが、改めてユキナと戦っているのだと感じ取れた。

「ミーリ……」

「大丈夫。師匠なら負けないよ。俺達は人間の救出、そら行くよ」

 そうして皆を促して、ミーリもダエーワの掃討に走る。

 だがそうして自分を急かさなければ、スカーレットの戦いに飛び込んで、自分が代わると言って戦ってしまいそうだった。

 そうしなければ、師匠はきっと――

 最悪の展開を想定してしまった頭を振り、思考を振り払ったミーリは聖槍を握り締めて走る。

 ただひたすらに、目の前の悪魔に向かって、聖槍を振るった。

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