一なる魔法

近代魔法都市・新宿

 魔法戦争最終戦、開始時刻三〇分前。

 魔法学校最強の生徒、クンシー・ドロンは一番に来て紅茶をたしなんでいた。

 その側には、鎧に身を包んだ彼女の召喚獣。彼女はクンシーのカップからお茶がなくなれば、すぐに注いでいた。

「ありがとう」

 召喚獣に自由はない。言葉を発するにも、使役する魔法使いの許可が必要だ。それがこの世界での常識。でなければ、暴走してしまう可能性があるからだ。

 クンシーもまたそれを当然と思い、召喚の際に縛ることに関して何も思わなかった。

 しかしケットシーが召喚した彼――名をミーリ・ウートガルド。彼を見て考えてしまった。

 もしも自分の召喚獣が自由で、自分で言葉を選んで、行動を選んで、ときに自分に反抗してくることもあったなら。

 それは、とても楽しいのではないのかと。かけがえのない、友を得ることに繋がるのではないのかと。

 この世界、人間は生物。動物は生物。しかし召喚獣は、魔力で構成された非生物。それがこの世界での扱いだ。クンシー自身、そう思っていた。

 その姿がどれだけ動物に近くとも、どれだけ人間に近くとも、それはマネキンと一緒で生物を模した別物だと考えていた。

 だが、彼を見てその価値観は一気に崩壊してしまった。

 召喚獣もまた、一つの生物ではないか。命ではないか。特に自らが呼び出した人型に限るが、それらには性格があり性別があり、個人がある。

 ならばそれら一切を否定し、鎖と錠をかけて飼うことは、一種の冒涜ではないだろうか。例えその結果勝利を得たとしても、それは人間として死んでしまったということなのではないだろうか。

 遥か昔にどこかの国で、一部の人間を人間扱いしない法律が制定された。奴隷制度という奴だ。

 だがそれは時を超え、一人の人間と彼に賛同する人々の力によって間違いだと変えられた。その変化には、クンシー自身納得している。

 そんな自分が、いや奴隷制度に疑問し、否定した人類が、何故召喚獣という生物を否定するのか。わからなくなってしまった。

 現に今、自分に紅茶を注いでくれる彼女は人の姿をしていて、西洋の鎧を着た女性の姿をしている。

 彼女の人格を否定し、彼女の言葉を聞かないのは、人としての行いなのだろうか。今まで疑問視しなかったことが、こうして疑問として現れる。

 それによって感じるのは、尊厳の喪失。私はこんな人間だったのかと、痛感するような感覚。

 そして同時、ならばどうするべきなのかを考える。それは安直で安易ながら、しかして容易く頭に浮かび上がった。

 だがそれは、思い浮かぶのばかりは簡単ながら、実践すると話が変わり、難易度を増す。だがそれも、自身の身だけを案じていればの話だが。

 主を失えば、召喚獣は秒で消失する。それで終わるのだから。

「祖は純神にして悪神。祖は正義であって絶対悪。されど祖は自らの悪心に従い、正義を実行する者……誓いをここに。

 我は鎖を手繰る者。枷と錠の黒鍵を握る者。その瞳は燃え滾る灼熱よりも冷たく、その爪は撃たれる鋼鉄よりも脆い。

 故に割れは脆弱にして虚弱。最強にして最弱。度重なる戦場において、屈辱と光輝を知る者である。

 されど我は竜にして蜥蜴。されど我は狐にして烏。捧げる名は名もなき混沌の箱。その錠を外し、混沌の漆黒色を広げて神々を崇拝しよう。

 我は脆弱故に戦いを知らず、絶えず屈辱と恥辱に怯える者。故に我は強者を繋ぎ、鍵をかける。

 しかし今宵、この鍵を捨てよう。その錠を斬ろう。私の手には、其方の心は大きすぎた。

 今私の呼び声を聞き、再度の産声を上げよ。歴戦の勇士よ」

 静かな詠唱と共に、クンシーと召喚獣との間に紫に光る鎖が現れる。そして詠唱が終わると、鎖はクンシーの方からガラスのように砕け散り、跡形もなく消えていった。

「……召喚獣の拘束を解く術など、存在しない。だからこれは、私のオリジナルだ。効果のほどは期待できない。もし成功したのなら、君――あなたは自由を手にした」

 カップを置き、彼女の手からティーポッドを取る。それで自ら紅茶を注ぎ、彼女へと差し出した。

「どこへでも行ける。おそらくあなた一人が欠けたところで、この儀式に支障はない。私自身、一なる魔法にそこまでの興味関心はないんだ。だからあなたが死ぬ必要はない。どうか、ずっと遠くへ……」

 鎧の少女は茶を啜る。

 そして小さく一息つくとカップを置き、甲冑を脱いだ。

 光を受けると光沢を持って輝く金髪を首を振って揺らし、碧の虹彩でクンシーを映す。

「興味関心はない、か……では訊くが、犬の騎士。其方は私にも、興味関心は薄いのかな?」

 同時刻、学校の職員室。

 スネーク・スターズは担任クラスの生徒達の成績表にハンコを押していた。

 これから大魔法の儀式を行うというのにここまで落ち着いているのは、儀式や一なる魔法についての興味関心が皆無に近いくらいに薄いからだろう。

 彼の過去は、決して人に語れるほど壮大でもなければ、ドラマがあったわけでもない。

 彼は青年時代から生粋の魔法使いであり、ひたすら魔法を研究する人間だった。成績は優秀で、家族や親戚からは将来を強く有望視された。

 末は総理か大臣か、なんて呼ばれたが、彼は教職を選んだ。教員免許が取りやすいというのもあったし、何より教員は授業の準備と称して魔法の研究ができたので、文句はなかった。

 故に教員を目指してからも、研究を続けた。だが別に、研究を続けたのは家族親戚の期待に応えるためではない。ただそれ以外に、何もできなかったからだ。

 魔法の研究以外、何もしたいと思わないし何もできないし、したいとも思わない。しかしその成果に興味があるわけでもなく、過程が楽しいわけでもない。

 結局、魔法の研究のだからしていた。それ以外の才能はなく、諦めるしかなかった。

 そもそも何故研究しているのか、それすらもわからない。魔法の研究という、楽も苦も感じないことに、何故生涯を削っているのかが我ながら理解できなかった。

 だがもしその理由がわかったところで、スネーク・スターズという人間は変わらない。理由が良かろうが悪かろうが、スネークは変わらず研究を続けるだろう。

 結局、何事にも興味がない。他人のことは他人事。自分のことも他人事。この儀式にも、参加してくれと頼まれたから参加しているだけだ。

 故に興味はない。そこに熱はなく、溜め息が出ることもない。

 故に何が起ころうとも、ただ対処するだけだ。一人の教員として、生徒を守るだけだ。

「あら、スネーク先生」

「……あなたか」

 職員室になんの用か、メディア・ブルーハーツが入って来た。

 いつも履いているロングスカートに、今日はスリットが入っている。戦場でも動きやすくするための工夫をしている辺り、彼女は本気と見た。

 そんな本気すら、スネークからしてみればどうでもいいことだが。

「成績表に印鑑だなんて、あとでやっても充分間に合うのでは?」

「魔法戦争で怪我をする可能性もあるからな。念には念をだ」

「あら、この儀式は召喚獣同士の戦い。魔法使いわたしたちは蚊帳の外ではなくて?」

「こちらの世界の常識ではな。しかし常識では、戦う者すべてに命を賭ける義務があるとお見受けしたのだが」

「まぁ、何を勘違いされているのかは存じ上げませんが……どうぞお手柔らかにお願いしますよ?」

「……あぁ。まぁ、戦況次第ですがね」

 スネーク・スターズ……クンシーをも凌ぐ実力者と呼ばれる魔法使い……ここで消しておくのが、最善か……。

「お手柔らかに、という話ではありませんでしたかな? ブルーハーツ先生」

 スネークは動いていない。だがしかし、メディアの首筋には確かに銀のナイフが突きつけられていた。

 召喚獣の姿もない――いや、見えない。気配すら感じない。

 元より戦士ではないメディアが殺された気配に気付くことは容易ではないのだが、それにしたって首にナイフを向けられていて気付けないほど馬鹿でもない。はずなのに。

 気配をまるで感じない。首を触るナイフの切っ先から、殺気を感じるだけだ。故に恐ろしく、メディアは唾を飲んだ。

 瘴気くんを呼ぼうとしていた指を、ゆっくりと下ろす。

「そうですわね。ここでは止めておきましょう」

「……それが、よろしいですな」

 教師二人の小さくも命を賭けたやり取りは、こうして一時休止した。

 だがこのとき、メディアは気付けなかった。今のやり取りは瘴気くんが主人の命令に応える間もなく、ナイフが突きつけられたのではない。

 のだということに。戦士ではないメディアは、感覚でしかわかりえないその違いを、見極めることができなかった。

「はぁ……電車通学って辛い……こんなのに毎日乗るだなんて……」

 教師同士のやり取りがあった頃から、およそ三〇分後の魔法学校校門前。

 通勤ラッシュと呼ばれる名前が与えられた満員電車に揉まれたミーリは、体のあちこちを叩いていた。有数の戦士も、限界まで人間が詰められた箱の中ではどうしようもないということだ。

「ケットちゃんみたいに、体が小さいとなんかいいな……」

「そうでもありません。大きな人に囲まれて、潰されそうになったりとかしてしまいますから」

「……そっか。随分と――」

「リラックスできてるみたいね」

 校舎へと続く煉瓦道の端に立つ街灯に、ロンギヌスが座っていた。

 長く伸びていたはずの紫髪はバッサリと斬られ、肩に少しかかる程度になっている。槍の刃を模した髪留めで前髪を留めており、ロンゴミアントと同じ顔と思うとかなり新鮮だ。

 格好も限りなく少ない史実の再現か。

 胸部と右腕に桜色の装甲をまとい、左肩に結んだ純白のマントを翻す。両の腰には銀筒が下がっており、首から上以外を紫色のタイツ生地で包んでいた。

 微笑みを浮かべると軽いモーションで跳び、ミーリとケットシーの前に降りる。靴底が鉄板なのか、着地と同時に金属音が響いた。

「緊張していると思ってたけど、ちょっと安心したわ」

「ロンゴミアントさん、今までどちらに? それに、その格好……ま、まさか盗んできたんじゃないですよ、ね……?」

「違うわよ、私達は自分の力で衣装を編めるの。その人によっては武器だって出せるわ」

「そ、そうなんですか……確かに、ミーリさんも前に言っていましたね。だから洗濯の必要はない、とか……そういえば、他の皆さんは? 後で来ると言って残られましたが……」

「あぁ……ちょっとね、遅れてくるよ。ダイジョブ、俺とロンで今回はやるつもりだから」

「そう、ですか……わかりました。では、今回はよろしくお願いします。では、私はHRがありますので、後で校庭で」

「うん、またねぇ」

 ケットシーが校舎に消えると、ロンギヌスはおもむろにミーリに歩み寄る。そして次の瞬間には素早くミーリの手を取り、指と指を絡めて握り締めた。

「もう、最後かもしれないから」

「なんで?」

「……私、もう消えそうなの」

 突如のロンギヌスの告白。それにミーリは驚愕するしかなかった。そんな様子はまるでなく、素振りも見えなかった。本当に、消えそうなどとは微塵も思えない。

 ほんの一瞬だけ彼女が何かしらの理由で嘘をつこうとしているのかとも思ったが、しかし彼女の寂し気な目を見る限り、嘘だとは思えなかった。

「私は神霊武装ティア・フォリマの彼女達と違って魔神だから、霊力供給の術がほとんどないの。周りから霊力を呼吸で吸わない限りはね。でも、この世界は霊力が薄すぎる。いくら掻き集めても、すぐになくなっちゃう……だからもう、私はこの戦いで消えちゃうの」

「……なんとか、ならないかな」

「こればっかりは、どうにも……でも悔いはないわ。なんでこの世界に呼ばれたのとか、なんで記憶を失くしてたのとか、色々わからないことが多すぎて、説明を求めたいけれど……でも、あなたに会えたから、私は満足よ?」

「……俺には、魅了チャームが付いてるんだよ? 俺のことを好きに思っちゃうのは、そのせいなんだよ?」

「知ってるわ。あの子の記憶も、今はあるから……でもね? 知ってた? 私、聖職者なんですよ?」

 一瞬だけ、一生懸命に背伸びする。そしてミーリの肩を少し下に押して近付けた頬に、桜色の唇を重ねた。そして次の瞬間には、開こうとしたミーリの口に指を当てる。

「魅了も刻印も、同じ呪術の類なら、呪いを払拭することくらいできますもの。生憎と私は途中から聖職者になったから、そのものを剥がすことはできないけど……でも、こうして近くにいる間無力化することはできます。だから……」

 頬を撫で、髪の毛を掻き上げるロンギヌスの手は、冷たかった。体が冷たい人ほど、心は温かいだなんて言うが、彼女のそれは違うだろう。

 生命活動がもうすぐ止まる彼女には、体温を維持し続ける機能など必要もないということなのだろうことを察したが、察してしまったが故に、何も言うことができなかった。

 むしろ何か言おうものなら、泣いてしまいそうだ。

 そんなミーリの心情を悟ってか、それともただ言葉の続きか。ロンギヌスは優しく微笑んで瞳を潤ませる。

 今気付いたが、彼女の虹彩はロンゴミアントと違ってやや白く、銀白色に光っていた。

「私は、私の心に従って、あなたを愛しています。だから……死んじゃダメよ。私のためにも、あなたを慕う、みんなのためにも」

「……ロン、俺は――」

 ミーリの涙は引き、ロンギヌスの笑みは掻き消える。

 二人が見上げる青空は色を変え、紅色に変わっていく。まるで絵の具が落とされたかのように、波紋を立てて。

 そして何やら油が広がったような鼻につく臭いが広がり、校舎奥から透明な気泡のような波が一気に押し寄せると、ミーリはとっさにロンギヌスを抱き締めて守った。

 だが気泡は二人に何も影響を与えることなく、過ぎ去っていく。そしてその後もありとあらゆる障害物をすり抜けながら、新宿という街に広がっていった。

「何……今の」

『皆……生徒、諸君……』

 声が響く。

 校長のフォックス・ロバーツが、校内放送を使っているのはなんとなくわかったが、だがその声に生気がないのが、ミーリとロンギヌスは不可解だった。

『ただいまを……もって、一なる魔法へと近づく……ため、の、儀式……魔法戦争、最終陣の戦闘を開始する……!』

「ミーリ」

「うん、何かおかしいね。ちょっと電話してみる」

 生徒証で電話する。相手は同じく生徒証を持つ、ウィンフィル・ウィンだ。

 その頃ウィンは歌舞伎町のド派手な門の上に立っていた。ミーリ達と同じく、空の色と気泡の異変に気付き、ここまで来たのだ。

「ミーリ、状況はそっちも同じか?」

『空が紅色で意味不明の泡、あとなんか油の臭いがするってことかな?』

「それだけじゃねぇ。あの泡が通り過ぎて、人間が消えた」

『……それ、比喩とかじゃないよね?』

「さっきまで、汚ぇ連中がウロウロしてやがったがよ。それが一瞬でだ。本当に一瞬で消えやがった……なぁ、もしかしてだがこいつは――」

架空世界転移パラレルシフト?』

「かもしれねぇ。授業ってやったが……だがこんなこと、本当に起こるのか?」

 対神学園の授業でやった。

 一か所の空間を元に作られる大結界。風景は元にした空間そのものだが、術者が指定した存在以外の一切の入出を認めない。それ以外は除外される。

 現実世界と結界内の違いとしては、周囲の色彩が崩れるのが明確だというが、正直発動したのを見たのは初めてだし、閉じ込められたのも初めてだ。

 故にわからないが、しかし可能性は高い。だが同時、別ベクトルでわからないこともできた。

 誰がこの結界を発現したか。新宿という広大な領域を覆えるほどの力と、この新宿と言う場所を知っている誰か。相当の実力者であることは違いない。

 そして確実に、ミーリ達と同じ世界の存在だ。

 架空世界転移というのは霊術であり、今この世界には、霊力が満ちているのだから。

「先駆者よ!」

 空間を斬り裂き、リストが現れる。この異常事態を察して、次元を斬って移動できる彼女が指示を促しに来た。

「どうする。魔女の監視と暗殺、この状況では……」

「うん、無理だね。監視はともかく、暗殺は無理。まぁ、元々暗殺なんて最後の手段だったけどさ」

「では、皆にもそう伝えて――」

 リストが前に出る。そして大きく振りかぶり、鎌で攻撃を斬り裂いた。

「ありがと、リスッチ」

「ウム、悠長に話す時間もないか」

 赤刃の短刀を投げつけたのは、ゴシックドレスに身を包んだ漆黒のレースに顔を隠されている女性。そしてその側で、彼女の主人である緑髪が揺らめいていた。

「見ぃぃつっけたぁぁぁぁぁ……!」

 喜々として、そして狂気に満ちて、エレファ・バックショットの瞳が光る。

 

 

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