最後の儀式

 魔女と呼ばれた人生の中でも、メディアは決して戦いに長けた人物ではない。

 愛した男と共に世界を回ったが、その後自らがその男を裏切ってまで、国に帰ろうとしたただの女性だ。

 ただ自分の居場所、自分の居所を求める彼女は、そのためならあらゆる下法をやってのけた。時に自らを慕ってくれていた弟すら手にかけてまで、彼女は自身の居場所を手に入れようとした。

 だがことごとく失敗し、結局は人間としては無残に死んだ。

 神話によっては不死身となり、とある国を支配したなどとされているが、神でもなかったただの人間が、不死身になる術など当時でもそうない。

 神に愛されるようなこともしてこなかった彼女が、不死身の術など与えられるはずもなく、ただ孤独に死んでいった。

 だから神として転生した今、望みは一つ。

 自身の居場所を手に入れること。

 故に、彼女は霊術を研究した。

 高位の神々に近付き、その後将来を約束するのなら、神々が扱う力の中でも高等技術と呼べるものを会得している必要がある。

 戦場での逸話がない彼女があらかじめ持ちうるものは、呪いや占いなどのとても虚弱なもの。だが人類を滅ぼし、再び星を神々のものにしようとしている今、そんな虚弱ばかりな霊術は必要とされない。

 自分の居場所を獲得するには、人類を滅ぼすに足る力の一因にならなければ認められないのだ。

 故に多くの人間を殺せる術の開発のため、山にこもって研究を続けていた。そのために多くの人間サンプルを一人ずつ、自分にできる範囲で少しずつ確保し、大事に扱ってきた。

 人知れず、行方不明の原因が雪崩や遭難事故に思えるように工夫して、自分でも攫える人間を選んで。こんな言い方はズレてるのだろうが、彼女なりに頑張った。

 だが、結果は出なかった。

 何年時間をかけても、何人攫って実験しても、満足できる成果を上げられない。そうしているうちに、始まっていた戦争は停戦条約を締結。完全に出遅れてしまった。

 だがまだ、戦争は止まっただけ。まだ続く。

 そう自らに言い聞かせ、研究を続けた――だが、ついに見つかってしまった。作り上げた研究所は破壊され、まだ実験していなかった人間達は逃がされた。まとめていた研究成果も、すべて捨てられてしまっただろう。

 悔しい。

 腹が立つ。

 私の努力を破り、捨て、侮辱する。

 私の努力を、こんなにもあっさりと壊していったあいつらを許さない。

 孫の代では足りない。未来永劫呪ってやる。生憎と、呪いは元より得意分野だ。

 だが彼女に、あいつらを呪い殺すだけの力はない。そこは実力の差だ。いくら呪ったところで、あいつらには何もできない。

 彼女は無力――

 

 ――だった。

 だがこの魔法世界に来て、すべてが変わった。

 魔法と呼ばれる、魔力と呼ばれる星のマナを糧として行使される力は、彼女との相性が最高だった。

 自らの中に溢れる力だけでは虚弱でも、周囲の力を糧とするのなら話は変わる。 魔法世界に来て五年。魔法を得るのには充分な時間だった。彼女は魔法学校で教員として雇われるほどの実力をつけ、周囲からは認められていった。

 そう、世界が変わることで彼女は自分の居場所を見つけ、手に入れたのだ。

 人生でも手に入れることができなかった。神となっても手に入れられなかった、自分の居場所。それは家という場所のことでも、教員という役職に就けたことでもない。

 魔女メディアという一個人が、受け入れてもらえる場所を手に入れたのだ。

 胸の内を充足感で満たす毎日。

 自分だけの空間があり、周囲からは一個人として頼られ、仕事と趣味が両立しているという、満たされた時を過ごすことができる。

 もう自分の居場所を求める日々なんてない。もう自分の居場所を探す時間なんてない。自分は周囲から認められていて、皆が自分を頼ってくれる。

 魔女メディアは、自分自身の居場所を見つけたのだ。

 だが、その居場所を破壊しかねない、メディアの日常を脅かす奴らがやって来た。

 ケットシー・クロニカ。

 なんの間違いを犯したのかそれとも狙ってやったのか、彼女はよりにもよってあいつを呼び出した。元の世界で魔女メディアを追い詰め、崖からの転落まで追いやった青髪の青年。

 名は確か、ミーリ・ウートガルド。

 それを知ったとき、メディアの背筋を悪寒が支配し、喉まで胃液の混ざった異物が這い上がって来たような気分の悪さに蝕まれた。

 なんとかしなければ。

 奴をなんとか殺さなければ、いずれ殺される。自分の正体に気付くのも、時間の問題だ。バレれば殺される。

 どうすればいい、どうすれば――

 

 ――そうだ

 思い立ったメディアは、即実行した。

 魔法を会得したとはいえ、ミーリ・ウートガルドに勝てるかどうかはわからない。元々非力な上、虚弱だったただの女だ。むしろ負ける確率の方が高いことは、誰の目にも明らかだろう。

 だが、この世界にはまだ戦う方法がある。他人に頼るというのもまた違う。自らの思うがまま、自らのために命を賭けて戦ってくれる戦士――召喚獣の召喚。

 この世界で容易に召喚できる衛兵では意味がない。騎士や王と言った、有数の戦士が必要だ。

 故に彼女は自ら召喚術式を改良し、召喚に臨んだ。鬼が出るか蛇が出るか、いわゆる博打だったが、結果は成功だった。

 さらに彼女は召喚獣の理性を封じ込め、意のままに操れる人形とすることにも成功した。召喚獣の体から噴き出す瘴気については不明だが、元よりそういう怪物なのだろう。

 試しに奴とぶつけてみたが、それなりに戦える。さらに日が経つごとに増す霊力。そしてこの世界の魔力すら帯びて、より強力な召喚獣となった。

 これなら勝てる。この世界の魔法とより強力となった召喚獣。この二つがあれば、勝利の確率は大きく躍動するだろう。

 だがまだ。まだ確実ではない。

 確実に敵を殲滅するには自身を守る盾と、敵を貫くほこが必要だ。それもたくさん。

 故にその盾と鉾を集めることもした。

 同級生に対抗心を燃やす生徒。

 体に禁忌の魔法を刻んでしまった咎を、隠したい生徒。

 この世界では異端とされる、神々に興味を持つ生徒。

 そして、生徒の体を借りて逃亡を続ける一級戦犯。

 経緯は違えど、しかし実力は素晴らしい四人。本当は、学校最強の戦姫を迎えられれば最高だったのだが、しかし彼女の興味は好都合にも奴にある。

 この世界での最強だ。奴を倒せないまでも、体力と霊力を削るくらいはできるだろう。それくらいは期待していいはずだ。

 さて、あとは確実にするために、さらに一石。

「メディアぁぁ……メディアぁぁぁ!!!」

「うるさいですことよ、エレファ。勝手に飛び出して行った挙句、返り討ちだなんて。ベアクローさんが助けなかったらどうなっていたと思っているのですか?」

「るせぇよるせぇよ、うるっせぇぇんだよぉぉ。あの体が欲しいんだ俺はぁぁ。あの分だと半殺しにしなきゃ操れねぇからぁ……今から傷付けとこうと思ってたのによぉ……邪魔しやがってぇぇ……!」

 エレファ・バックショット。

 ミーリ達を襲った緑髪の狂人は、女とは思えない低くドスの効いた声でメディアに訴えていた。

 現在はメディアの家の地下工房に幽閉され、柱にロープで縛られている。

 召喚獣にかけた強化の魔法の反動が自身にも来てダメージを負っているのだが、それでも彼女はミーリを殺そうと行くつもりだ。

 そんな彼女を見つめるのは頭に首、そして両腕にヘッドホンをかけた少女ホーク・リンハイツ。白目を剥きながら脚をバタバタと暴れさせ、低い声で唸る彼女を見て正直引いていた。

「先生、こいつ大丈夫なの? 憑依の魔法で体乗っ取られてるって聞いたけど……この分じゃ、もう手遅れなんじゃ……」

「一なる魔法さえ手に入れば、どうとでもできます。それよりも、あなたの召喚獣は大丈夫なの?」

「あぁ……それねぇ……」

 ホークの背後には、がっくりとうなだれてほとんど動かない大男が一人。彼女の召喚獣だ。ホークもまた、ここに来るまでに一戦していた。

 エレファがミーリ達と交戦するよりずっとまえ、ホークはロンゴミアント――改め、ロンギヌスと対峙した。

 メディアから神霊武装ティア・フォリマの基本能力を聞いていたホークは、ミーリの戦力ダウンを狙って彼女に仕掛けたのだが、ロンギヌスの槍捌きのまえに返り討ち。

 なんとか戦線を離脱したが、彼女に召喚獣の心臓を穿たれてしまった。

 影の元では不死身を誇るはずの吸血鬼の召喚獣だったが、槍が何かしらの能力を持っていたのか――実際は不死身殺しの能力だが、ホークたちが知るはずもなく――存在が揺らめき、今にも消えそうになっていた。

「もうダメ、かなぁ……?」

「やれやれね。大人しくしてなさいと言ったのに……二人を見習ってほしいわ」

 メディアが差して言ったのは、工房から上がる階段に座って読書する女性と、その側で自分の爪を噛んでいる女性。

 眼鏡をかけて一生懸命に神話が綴られた聖書を読みふけるのは、異世界と神に多大な興味を持つ生徒、チュラ・パイソン。

 彼女が率いる召喚獣もまた、魔法戦争第二陣で深く傷付き、メディアの元で治療を受けていた。白く輝く毛並みを持つ狼だが、血に濡れてまだ鉄臭い。

 その狼の臭いに反応しているのか、それともエレファの苦悶に反応しているのか。ずっと爪を噛んでいる神経質そうな生徒が、第三陣をクンシーと共に勝ち残ったベアクロー・インデックス。

 彼女の召喚獣は、エレファを助けた灰馬に跨る鎧の騎士。それは今は姿を消しているものの、常にベアクローの側で立ち尽くしていた。

 魔法世界では異端とされる神祖崇拝者と、一晩の過ちから禁忌の魔術に手を出してしまった生徒。

 二人共この世界における教師メディアを慕い、ついて来てくれた二人だ。多少ミーリ・ウートガルドを過度に悪く言ったからだが、彼女達もまた打倒ミーリ・ウートガルドを目指してくれている。

 そんな愛すべき生徒達に何もなしでは絞まらない。調度失態を犯した他の二人への罰も、しなければならない頃合いだ。タイミングはいい。

「さぁ来なさい。私から餞別をあげるわ」

 そう言うと、メディアは魔方陣と霊術の陣の二つを重ねて展開する。それらは巨大化し、実体化していたホークとエレファ、そしてチュラの召喚獣が光を浴びる。

 そして三人の召喚獣の姿が純白の粒子となって散り、その召喚獣らがここまで蓄積していた魔力と陣から注がれる霊力が合わさり、粒子は純白から蒼白へ、そしてさらに紫白へと変化する。

 色彩を帯びた粒子が、それぞれ三か所に集束する。そしてその粒子、もとい魔力と霊力の混合素に、骨と肉が与えられ、新たな召喚獣――否、を顕現させた。

「何、これ……?」

 ホークが操る吸血鬼の召喚獣は、橙色の長髪を召喚時の残り風に揺らすベールに包まれた花嫁姿の女性。

「あぁ、あぁぁ?」

 エレファの氷柱を生やした召喚獣は、なんとも気品溢れる黒と白のゴシックドレスに身を包んだ女性。

「神、様……?」

 そしてチュラの狼は、漆黒の片翼を広げる白銀の狼のような瞳を持つ長身女性。

 それぞれが召喚獣として呼ばれた、しかしながらメディアの世界では神と称される存在だった。

 崇拝者のチュラは思わず読んでいた聖書を落としてまで立ち上がり、自らの狼の代わりである漆黒の女神に一歩一歩と歩み寄る。

 だが漆黒の女神はその白眼でチュラを一瞥すると、メディアの方を向いて片手を伸ばした。

「……なんの、つもりかしら」

「とぼけるな魔女め。ここが我らからしてみれば異世界で、おまえ達が我らを利用しようとしていることくらい察することは難しくない。魔女め……立場を弁えろ!」

 突如女神の手から白銀の鎖が伸び、メディアの首を締め上げる。

 軽く持ち上げられたメディアはもがくが、首は締まるばかりで次第に呼吸と意識を奪われる。女神はそのまま首をへし折る気だ。

 だが、そこで一人の少女が叫んだ。

「女神様!」

 女神の姿を見て呆然としていたチュラがその場で両膝をつき、両手を合わせて祈る。眼鏡の奥の瞳は、真っすぐ漆黒の女神を見上げていた。

「どうか、どうか先生をお許しください……先生は異世界からの刺客に怯えているのです。彼らを退散させ次第、あなた方を元の世界にお返しすると約束いたします。自分勝手なのは承知です、しかしどうか……先生にお力を、お貸しください……」

 語れば、メディアの首を縛るこの漆黒の女神は、彼女が祈りを捧げる神とは別物である。

 生きている者であれば等しくその首を狙い、死を与える死神。それが女神の正体だ。

 故に彼女の助力など、期待できるものではない。メディアも彼女の正体を知れば、呼んだことをさらに深く後悔しただろう。

 だがそんな相手とは知らず、チュラは祈る。それが女神の白銀の瞳を、怒気と喜々を交わらせた色で輝かせた。

 メディアの首から鎖が離れ、女神はチュラの側に降りる。そしてチュラの比較的小さな顔を持ち上げると、狼の眼光で瞳の中を覗き込んだ。

「力を貸して、我々になんのメリットがある。少なくとも我一人にすら褒賞も与えられないのでは、話にならんのだが……?」

「あ、ぁ……」

「あぁぁ……ヤバくない? あれ」

 ホークの予想通り、チュラは女神に催眠をかけられた。色鮮やかな虹彩から色素がなくなり、光をも失う。

「……では、私の……い、のちを……」

「いいだろう」

 催眠によって命を刈り取る約束を得た女神は、ここで初めて微笑を浮かべる。

 その神々しさと美しさ、そして狂気と覇気に気圧されたホークは、自身もまた花嫁の女神に恐怖を憶える。花嫁は何も言わないが、口角と相反して目がまったく笑っていなかった。

 そしてドレスの女神もまた、目がイっているエレファを見下ろして唇を舐める。そして漆黒の女神に今まで首を絞められていたメディアに歩み寄ると、胸元から出した瓶を差し出した。

「どうぞ? 少しは落ち着きますよ」

「……遠慮しておきますわ。力さえお貸しいただければ」

「あらそうですか……楽になれるのに」

 ベアクローは、初めて神という召喚獣ではない異質を見て思う。

 これは確実に禁忌だ。冒してはいけない領域だ。そんな危険な代物を呼び出してまで、排除しなければならない敵なのか。

 禁忌を犯した身だからわかる。禁忌を犯した者は、いずれ何かしらの代償を払わされるものだ。自分だってそうだった。

 だから、もしかしたら先生だけではなく、もっと多くの人が死んでしまうのではないだろうか。

 そんな不安を感じてならない。

 故に神を信じる気などないが、それでも祈る。何事もなく終わって欲しいと、ただそれだけ。たとえ届かない願いだとしても、強く、祈って――

「さぁ! みんな最後の儀式を始めましょう! 今日で一なる魔法に辿り着く! そして私は、安眠と安住を手に入れる! さぁ力を奮いなさい! 私の可愛い生徒達!」

 神の力と魔法。決して交わることのなかった力が混ざり、ミーリ・ウートガルド達に迫るのだった。

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