ブラッドレッド・妖精石

最高位貴族

 外出公務二日目は、早速それぞれの公務に取り掛かる。サクラの最初の仕事は、同じ最高位貴族との朝食兼会談だった。

 場所は庭。それも城の上階にある、いわゆるテラスだ。そこにテーブルと椅子を置き、四人囲うように座る。

 そう聞くと少し狭いイメージを持つだろうが、テラスと言えど城のテラス。キャッチボールができるくらいに広い。そこにテーブルと椅子が、ポツンと立っている感じだった。

 最初に車椅子のサクラが到着し、次に到着したのはアルトメルカル家の当主。

 名をワイズマン。背の高い腹部が出たおじさんで、葉巻をずっと吸っている。重度のヘビースモーカーらしい。四人の中では、一番年長だ。

 次に来たのはガッシュ家当主。名はメルク。年齢はぱっと見二〇代。しかし実際は四〇代だという若さあふれる金髪男だ。常時サングラスをかけているため、視界はいつも暗い。

 そして、最後に来たのがオックスフォード家当主。名をリリス。黒のロングドレスと黒い長髪が目に入る、若い女性だ。最高位貴族という立場からなかなか結婚ができず、焦っているらしいという噂がある。まぁべつに、これはどうでもいい情報か。

 全員の後ろにはそれぞれ一人、従者がつく。ワイズマン、メルク、リリスのそれぞれにも屈強なガードマンが背後についた。サクラの背後には、土方ひじかたがつく。

 全員に食事が配られると、早速この場では年長者であるワイズマンが話題を振り始めた。食事に手を付ける様子は、今のところない。

「さて今回我々が集められたのは、例のあの件だろう。我々最高位貴族の中の一角が、王城就きのナツメ姫の補佐官になるという一件だ」

「そうでしょうねぇ」

 リリスがこれに頷く。彼女もまた、食事に手を付ける様子は今のところない。

「でもね、ワイズマンのおじ様。この一件、もうすでに結果は出ていると思いません? だって簡単なことですもの。これは、姫様のお気に入りがなるものですもの」

「姫様のお気に入り? そりゃあ聞き捨てならねぇな」

 乱暴な口調で、メルクも参戦する。

「つまりよ、オックスフォード。おまえは自分が姫様に気に入られてると思ってんのか? それはとんだ思い上がりだろうよ。おまえ今年、姫様に何度城に呼ばれた?」

「城に呼ばれた回数で計るのではありません。それを言うなら、あなただってそう変わらないのではないですか? メルク・ガッシュ様」

「見た目で判断しちゃあいけねぇな。俺ぁ、もう今年何度も城に呼ばれてるんだ。内容は言えねぇが、どれもこれもグスリカの将来に関係することばかりさ。ただの話し相手にしかなってないおまえとは違うんだよ、オックスフォード」

「なんですか、その態度は。では自分が選ばれるとでも? それこそ浅はかです。あなたの家が、元からそういう家だからでしょう? 城への出入りの数で決めるものではありません」

「おまえが気に入ってるかどうかって話を出したんだろうがよ」

「いい加減にしろ! 貴様らそれでも最高位貴族か! 恥を知れ、そのような下らんことで張り合いおって!」

 二人共、ワイズマンに怒鳴られる。こうなることはいつも通りで、最高位貴族のこの三家は仲がとても悪かった。

 同じ身分で仕事もほぼ同じ。違うのは年齢と、持っている領地の場所と大きさくらい。それくらいしか違わない。決定的に違うのは、生きてきた人生くらいのものである。

 しかして、この三人は本当に仲が悪い。こうして会う度に――いや遭う度に、言い合いをしている始末だ。ガッシュとオックスフォードの先代、そしてワイズマンは仲がよかったと聞くが、それも疑わしいほどの仲の悪さである。

 もっとも今回も仲が悪いと言うことは、それはいつも通りということだ。いつも通り、元気だということだ。それは何よりの知らせである。最高位貴族の一角が崩れる事態は、なんとしても避けなければならない。

 一角でも崩れれば、それは王国グスリカを支える王族をさらに支える柱が消えるということだ。かつてウートガルド家が消えた時だって、どれだけの損害を国が受けただろうか。

 故にいつも通りであるということは、心配しなくていいということだ。これでとりあえず何も心配せず、議題に集中できる。

 かれら三人にとって、そういう尺度があった。ただしそれは、この三人に限った話である。最高位貴族でただ一人、この尺度が通用しない人がいる。

 それがサクラだ。奇しくももっとも虚弱で脆弱な小娘には、この測り方は通用しない。わざわざお変わりはありませんかと、直接的に訊かなければならない。

 だが全員、そんな言葉を口にする様子はない。

 彼女と友好な関係を築いていれば、いざというときに力を貸してくれる。ほかの二つの貴族を、二人係で跳ね除けてやれる。だからここは――普通は、サクラに声をかけて仲間にしやすくするのが得策だ。

 だが全員そうしない。というのも、これはサクラに、貴族としての常識が通用しないということにある。

 普通なら機嫌を取っておくことで、その後の関係をよく保ち、自身の望むときに望めるだけの力を借りやすくしておくのだが、サクラにはそういったいわゆるご機嫌取りが通用しない。

 サクラの機嫌は、非常に取りやすい。花を送れば喜び、食べ物を送れば喜び、舞踏会に誘ってやればまた喜ぶ。彼女の機嫌は、必要以上に取りやすい。

 だがだからこそ、変わらない。いくら機嫌を取ろうとも、彼女はいつもと変わらない。機嫌がよくなることで軽率に後先考えず、相手の思うように力を貸してくれるそこらの貴族とはまるで違う。

 普段の手段が通用しないサクラを相手にするのは、彼らにとって非常に苦手であった。サクラ・イス・リースフィルトは、貴族にとって天敵に近い。

 故に彼らが取る態度と手段は、温かく迎え入れることではなく、冷たく跳ね除けることであった。現にここまで、サクラはまるで発言させてもらっていない。

 さらに姉のユキナ・イス・リースフィルトのこともあって、彼らのする疎遠はますます強くなっていた。

 だがサクラ本人は、そんなことを気にしてはいない。三人がいつものように喧嘩をしている中で、土方と今日この後のスケジュールと、仕事の内容を確認していた。

「大体貴様ら何を持って、自らが補佐官に相応しいと言い張る。戦争の経験も大してないクセに、よく言えるな」

「ちょっと待てよ、おっさん! 姫様の補佐官に、なんで戦争が関係あるんだよ!」

「馬鹿か貴様。いずれ来る第二次神話大戦に、今悩みのタネであるこいつの姉。政治経験よりも求められる経験だろうに。おまえ達に、戦の心得などなさそうだな」

 言い返せない。現にメルクとリリスの二人は、戦争時にはまだ何も知らない子供だった。実際に戦争を経験したのは、ワイズマンだけだ。

 もし姫様が次回起こりうるだろう戦争のために補佐を必要としているのなら、たしかにこの男が有力候補と言える。

「まったく、議論をする必要もない。ナツメ姫の補佐は私に任せてもらおう。貴様ら青二才では、所詮力不足。国の衰退が目に見えるわい」

「んだとこのジジィ……!!」

「リースフィルト! あなたも何を黙っているのですか! 何か反論はないのですか?!」

 ここでようやく、サクラにも話が振られる。

 調度確認作業が終わったところで、これからようやく冷めてしまった食事に手を付けようとしたところだった。

「反論、ですか……私はとくに。だって戦争となれば、私のような戦士にもなれない人は役に立ちません。戦いに関しての知識も、持ち合わせておりません。ならば戦えないにしても、せめてその知識がある人がなった方がいいじゃないですか。だからよろしくお願いしますね、アルトメルカル様。姫様のこと」

「貴様にお願いされずとも、わかっておるわ。それとも何か? 実は腹の底では、自分がなると貴様も思ってる方か? ナツメ姫とは、随分と仲が良いと聞くが」

「そんなことはありません。姫様だって、誰が補佐役に相応しいかわかっているはず。私のように、自分の領地で精一杯の人間を選ぶことはないでしょう。仮に、仲が良いとしても」

「そうだな。まだ最高位貴族に復帰して五年。俺以上の青二才が、補佐に選ばれるわけねぇよなぁ」

「そうですね、その通りです」

 サクラの背後で、土方は堪える。自分の主が、他の貴族からいいように言われていることが、腹の底から我慢ならない。

 だが耐える。だって当の本人が、まるで怒っていないのだから。むしろそれが当然であると、認めているのだから。そこで後ろから貴様ら! と、飛び出してはいけない。

 だが話が一通り終わって、全員がもはや温め直したい食事に手を付けようとした、そのときだった。

 思えば昨日の夜、そして今朝早朝は雪だった。その雪が、テラスにはない。

 いや厳密に言うと、雪はテラスの外側の隅にどけられていて、外から風が吹くと雪が冷たい――文字通り冷気を運んできた。

 その冷気が、突風並みの速度で吹きつけて、テラス全体から貴族達の全身を舐めるように撫で回したその一瞬。その一瞬を使って、貴族の護衛も気付かないうちに接近した彼は、テーブルの上の食事をすべてどけてそこに座り込んだ。

 そして、サクラのティーカップで紅茶をすする。

「この紅茶、変な味がする。毒入ってるよ、貴族さん達」

「な!」

「何者だ! 貴様!」

「何者って、ただの警備だよ。サクラちゃんの警備」

「み、ミーリ様、お部屋にいたのでは……」

「ミーリ? そうか、貴様ウートガルド家の――」

 槍も持たず、箱も背負わず、杖も肩掛けも持たずかけず、ミーリ・ウートガルドがそこにいた。たった今毒があると自身で判断した紅茶を飲み干し、自分でどかした目玉焼きを手づかみで食す。

「俺のこと知ってるの、おじいちゃん。あぁそっか、ケイオスを見たのか」

「貴様、今更何をしに来た! 最高位貴族の座を蹴ったと聞いてるぞ!」

「貴族の座? 何それ、おいしいの? なんて、蹴ったよ? 蹴りましたとも。貴族の生活なんて、十年も味わえばもうたくさん。俺は、貴族になる気はもうないよ」

「だから何しに来たって聞いてんだろ? ホント、今更」

「べっつにぃ? ただ毒が入ってますよって、サクラちゃんに教えに来ただけだもん。おじさんとかには、用はないもん」

「てめぇ……貴族の座を蹴っておきながら、よく俺達の前に出て来れたな」

「だって今俺、サクラちゃんの護衛依頼受けてるんだもん。しょうがないじゃん」

「依頼? 誰の依頼だ」

「そういうのは話せないんだなぁ、校則で。知りたいんなら学園長に訊いてよ。ま、俺より口が堅いと思うけど」

「言え、さっさと! でねぇと――」

「じゃないと、どうするの?」

 言えない。それは思いつかないからではなく、言っても無駄だと悟ったからだった。

 この男――ミーリ・ウートガルドには脅しの一切が通用しない。たとえ命を狙われることとなろうが学園が潰されそうになろうが、まるで応える様子がない。友達が死のうが恋人が死のうが、まるで応える様子がない。

 いや、応える。さすがに友人や恋人が死ねば、怒りの狂気に身を任せるだろう。

 そうなれば、身がほろぶのはこちらの方だ。一秒と時を待たずして、報復が来る。それも確実に、こちらを殺しに来る刃。

 それが生命的意味の死か、それとも精神的な死か、はたまた財政的な死か、そえはわからない。が、確実にこれまで通りの生き方ができなくなるくらいに、自分は殺されるだろう。それでいて、この男はまだピンピンしている。

 そんなわかりきった結末を彷彿とさせる彼の余裕たっぷりな笑みは、貴族メルク・ガッシュの次の発言を完全に停止させた。

「ねぇ、どうするの?」

 それでもなお、ミーリは訊く。相手が何も言えなくなっていることなど、わかってはいない。ただ単に、気になるから訊いているだけのことだ。悪気はない。

 だが傍から見れば、それはうまく言葉を操れない子供に対して、大人げなく質問で攻めたてる大の大人であるかのごとく、その立場は反転していた。かなりの強い姿勢である。

 その姿勢を崩すのは、同じ最高位貴族でも容易ではない。ワイズマンもリリスも、そしてサクラも、メルクを助け出すことはできなかった。

「ねぇ」

「ミーリ!」

 助け船が来たのは、ミーリがもう一度訊こうとしたそのときだった。テラスの方へと、ロンゴミアントが走ってくる。そして、テーブルの上のパンに手を付けたミーリの首を傾け、耳打ちをした。

「あの剣の神霊武装ティア・フォリマ、生きてたんだ……で、今の話ホント?」

「えぇ。まぁ、彼が偽の情報を掴まされてる可能性はあるけど、彼自身は助かりたい一心だったろうから、嘘は言ってないと思うわ」

「ふぅん……わかった。ロン、先に戻ってて? 俺ちょっと見てくるから」

「一人で行くの?」

「戦うわけじゃないしねぇ……それにちょっと話してみたいし」

「わかった。でも一応、あとで誰か行かせるわ。私は、城の警備を見てくる」

「よろしくぅ」

「あとミーリ、それはサクラのご飯よ」

 とは言っても、もう大半は食べてしまっているが。

 一言言い残し、ロンゴミアントは行く。ミーリは手に取ったパンを食べ終えると、ようやくテーブルから飛び降りた。

「おい! 今のはなんだ! なんの話だ!」

 ワイズマンの問いに、ミーリは答えない。それどころか土方を無視してサクラの車椅子に手をかけていた。車椅子のロックを解除し、テーブルの上のパンを一つ、匂いを嗅いでからサクラに手渡す。

「答える義理はないし、答えられない校則なんで。あぁでも、これだけは言ってもいいかな。誰とは言えないけど、誰かが最高位貴族の座がかなりほしいみたい。命を狙ってるらしいから、ま、気を付けてね」

「な……!」

「おい、そいつは誰だ! 教えろ!」

「ヤだ。まだ決定じゃないし、もし決定だったとしても、教える義理はないよ。だって、おじいちゃん達には優秀なボディーガードがいるもんね」

 そう、この子にはいない。サクラ・イス・リースフィルトには、生憎とそこまで優秀なボディーガードがたくさんといない。

 金に物を言わせて、ここにも既定の三人以上ガードマンを連れて来た彼らとは、彼女は違うのだ。

 だから教えない。これはもしかしたら遠回しの、大嫌いな貴族への小さな復讐なのかもしれない。だから教えない。

 彼らのことを見ていると、大好きで大嫌いだった父親と母親のことを思い出す。それがたまらなくイヤだった。彼らの顔すら知らないが、どうしても見たくない。

 それでも何故出て来たかと言えば、あの貴族らのボディーガードの一人が、暗殺者とすり替わっていることに気付いたからである。

 もし黒幕の目的が最高位貴族という地位なら、いなくなるのは誰でもいいはず。もしサクラが目当てなら、サクラがあの場で殺されることを阻止しただけ。そしてあの三人も標的なら、あのガードマンの雇い主が殺されるだけ。

 ただ、それだけのことだった。

 

 

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