vs アンネリーゼ・ミシェル

 ミーリがサクラを連れ、用意された部屋に戻っている頃、ヘレンはナツメ姫のところにいた。

 またも夢遊病で夜中の間に、姫様の私室に行ってしまった様子。

 だが元々、彼女はグスリカ王家の召喚士が召喚した神霊武装ティア・フォリマ。姫様の私室を知っているのも、当然といえば当然と言える。まぁヘレンが、姫様の私室を知っていたかどうかは微妙なところだが。

 そしてヘレンは起きてからも、ずっと姫様の部屋にいた。公務をする姫様の後ろで、この国の法律すべてが書かれた分厚い諸本を特に読むわけでもなく、ペラペラとめくっていた。

「……ヘレン、戻らないのですか?」

「戻る? どこに? 私のいる場所は、私がいる場所でしかない。もう他の人がいるのなら、それはその人の場所だわ」

「その……喧嘩でもしたのですか? 何か戻りにくい理由でも?」

「いいえ。でも、戻りたくないの。だって今戻ろうとしても、この城にはアリがいる。それをいちいち踏まなければ、彼の元へは戻れないから」

「アリ? もしかして、彼女を狙う何者かが、この城に潜んでいるというのですか? そうなのですか、ヘレン」

「昨日からずっといるわ。二〇……いえ、三〇はこの城に潜り込んでる。その大半が貴族やそのボディーガードに成り代わって、息を潜めている」

「! すぐに全員を呼び出して身体検査を! そのほかにも、色々と調べなければ!」

 立ち上がり、呼び出しのベルを鳴らそうとした姫様より先に、ヘレンはベルを取る。捲っていた本の上に腰を落ち着けると、そのベルを手玉にして遊び始めた。

「動かないで、お姫様。アリが巣に帰っちゃうわ。アリの巣はね、人じゃ狭すぎるの。だから追えない。追いかけられない。ここで騒ぎになれば、アリは自分の巣に潜って身を隠しちゃう。そうなったら、私達には手が出せなくなる。だからジッとしていて。あなたは手を出さないで」

「でも……!」

「それにあなたが騒げば、その騒ぎに乗じてあの子は確実に殺されるわ。だからあなたは慌てず騒がず、いつもの調子でいて頂戴。そう、今の私のマスターは言うでしょう」

「……わかりました。それで彼女が――私の友達が守られるというのなら、そうしましょう。だから戻ってください、ヘレン。どうか、彼女のことを守ってあげてください」

「お安い御用ね。私は盾の神霊武装。巨大隕石アンゴルモアが来たところで、私を砕くことは、できないのだから」

 そんな自信に満ち足りた台詞を残し、ヘレンはようやく部屋を出て行く。何が目的で、どうしてここにいたのかはわからないままだったが、彼女が行ったことで姫様はようやく落ち着いた。

 だが出て行ったヘレンはそうはいかない。彼女が持つ天性の気配察知能力はズバ抜けている。どれだけ気配を殺し、遮断したところで、彼女にはすべてお見通しだ。

 故にわかっている。今自分のことを尾行している影がいることを。三人――いや、四人はいるだろうか。ともかく全員がそれぞれの武器を持ち、その命を狙っていた。

 サクラを暗殺するうえでの最大の難敵、ミーリ。その戦力を、確実に削いで行こうという狙いだろう。

 だが生憎と相手が悪い。何せ自分は神霊武装中最強の盾。こと防御においては、右どころか左に出るものもいない。故の気配察知能力だ。不意打ちや影撃ちは効果がない。

 だが逆に、攻めることはできない。完全なる受け身だ。故にここは気付いてるが気付いていないフリをして、相手が出てくるのを待つしかなかった。

 二度、わざと大きく通路を曲がってみるが、出てくる気配はない。随分と用心深いようだ。その後もわざとスキを見せるが、見抜いているのかそれとも用心か、出てこない。

 これでは先に、ミーリ達のところに着いてしまう。それでは、彼らは断念してしまうだろう。まぁ、目的がミーリの借りている部屋の場所を知ることなら、ヘレンが到着した時点で目的達成なわけだが、それならそうはいかない。

 かといって、ずっと歩いていると寝そうである。どうしようかと困った、そのときだった。

 目の前から、誰かが歩いてくる。それはヘレンと同じ背丈くらいの、とても小さな女の子だ。どこの教会のシスターか、そういう服を着ている。ただし、頭には何も被っていない。彼女自身の背丈と同じくらいの白い長髪を揺らしている。

 そして、胸に下げた十字のロザリオだが、惜しいことに逆向きに下げており、逆さ十字になっていた。それでは、反神聖主義の現れである。シスターにあってはならない。

 しかしこの神様敵視時代、神様を信仰するシスターとは珍しい。しかも神霊武装召喚王国グスリカにいるとは、驚きである。まぁヘレンは、驚いてはいないのだが。

 彼女は何やら泣いている様子で、ヘレンのことは気付いていない。よろよろと危なく歩くその足は怪我だらけの素足で、足跡には微量の血が混じっている。

 その痛みから泣いているのか、それとも別の何かで泣いているのか。赤の他人であるところのヘレンにはわからない。誰かに叱られてしまったのだろうか。

 だが関係ない。今は追手をどうにかする方が先決だ。シスターの失敗談などに付き合っているほど、穏やかな状況ではない――いや、逆に付き合った方が自然だし、追手に気付いてない風に感じるだろうか。

 だとしても、涙の理由を訊くのは気が滅入る。ヘレンでも気が滅入る。故にここはスルーだ。彼女には悪いが、ここは訊いたところで大丈夫と言われるのがオチと考え、通過させてもらおう。

 そういう結論に至ったヘレンが、彼女の側を通り過ぎようとしたそのとき、ヘレンは蹴った。少女をではない、床を、である。

 そうしなければ死んでいた。今彼女の周囲は酷く歪み、隠れていた暗殺者達の体は原型をとどめておらず、何物ともわからないただの鉄臭い肉塊と化していた。あと一歩遅れていれば、自分もその仲間入りだったかと思うと恐ろしいものである。

 とっさの行動で回避したヘレンは、少女が歪めたその場所を見て絶句した。何せ彼女は、何もしていないからである。

 何もしていないのに突然霊力が渦を巻き、空間を捻じ曲げ、その場をグチャグチャにしてしまった。信じられない。霊術でもなければ、こんな芸当は無理だろうに。

 その驚愕のことをしでかした少女は、まだ泣いている。自分がしたことに、気付いていないようだ。泣きじゃくっている。

 だがすぐに、振り返った。自分のしたことには気付かなかったクセして、ヘレンがいることに今更気が付いたのだ。振り返って、なんでそこにいるのと言いたげな目で見つめてくる。

 その瞳は澄んで赤く、すべてを呑み込みそうな漆黒を持っている。その瞳に映っている世界は赤く、そして闇に満ちていた。

 その目で見つめられ、彼女が一歩踏み出そうとした瞬間、ヘレンは十数歩分後退した。

 どんな攻撃が来ようとも、それが速攻だろうと防ぎきる自信があるヘレンが、警戒している。今この場面をミーリ達が見たら、それなりに反応しただろう。

「どうして……逃げるの……? アンは……アンはぁ……」

 また泣きだす。するとどうだ。彼女の周りの大気が渦を巻き、空間が歪み始めたではないか。ゆっくりだが確実に、時空の単位で歪んでいる。

「教えて欲しいだけなのに!!!」

 空間の歪みが爆発する。揺らいだ大気は壁と床を破壊し、ヘレンを吹き飛ばす。とっさに“黄昏る獅子の金盾ベルセルク・プロテクト”で自身を守ったものの、ヘレンは数メートルの距離を吹き飛ばされた。

 空中で二転三転して、なんとか無傷で着地する。

「待って……ねぇ、待って? アンは……アンは訊きたいことがあるだけなの……」

「訊きたいこと?」

 ここでの違和感に、奇しくもヘレンは気付かない。

 数メートルの距離があるにも関わらず、二人の会話が普通に成立していることを、おかしいとは思わなかった。

 当然だが、大声なんて出していない。むしろ少女の方にいたっては、おどけながらのヒソヒソ声だ。それでも、この距離間で会話が成立している。

 それは少女の出す霊力によって空間が歪み、少女のいる場所とヘレンのいる場所との空間が繋がっているからだ。そんな超常現象が起こっているとは、まるで思えなかった。

「あの……えっと……なんだっけ……そう、人を探しているの。サクラって人、私、その人に会いに行けって言われてるの」

「あの子に……? 誰にそう言われたの?」

「……名前、わからない。でも、言うこと聞けば助けてくれるって。私のこのノイズを、消してくれるって、言ってくれたもん。だからアンは……アンは……っ、ぁぁぁぁぁぁあああああああ!!」

 彼女の咆哮と共に、また空間が歪む。大気が一気に圧縮され、そしてまた収縮の倍速で膨張した。その威力はもはや爆弾。轟音と共にその場を破壊し、壊滅させた。

 ヘレンはまたも防御したが、今さっきよりも大きく吹き飛ばされる。十数メートルある廊下の端まで飛ばされ、背中を壁に打ち付けた。衝撃で一瞬、体全体が麻痺する。

「悪魔が……! 悪魔が! アンの耳元で! ぁっ、はぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 幻聴でも聞いているのか、そこに悪魔などいないというのに、彼女は悪魔がいると叫ぶ。それと同調してまた大気に圧力がかかり、今度は収縮を続ける。上階の天井と下階の床とが引き寄せられ、耐え切れずに砕け散った。

 完全に暴走している。しかもすさまじい霊力量だ。名のある神々も顔負け――ミーリだって負けるかもしれない量、そして質と圧である。破壊力では、今までヘレンが経験した中で最高クラスである。

 この騒ぎ、さすがに周囲にも筒抜けになっているだろう。ミーリも駆けつけてくれるかもしれない。

 となれば、こちらは彼女を抑え込むことに専念すべきだ。この爆弾少女を、サクラに近付けないようにすることだ。そしてミーリが来るのを待つ。本当なら倒すのが最高だが、生憎とこちらは盾。相手を攻めたて、倒す術は持っていない。

「仕方ない……私の中での本気で行く」

「お姉、さん……?」

「悪いけど、あなたの要求には答えられないわ。あなたがいるだけで、世界が滅ぶ」

「っ……っ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 咆哮と共に大気が走る。床を破壊しながら駆け抜けてきた二筋の空圧を、ヘレンは獅子の頭をした光の幕で受け止めた。そして跳ね返す。

 だが跳ね返した二筋の圧は、少女にぶつかるまえに少女の周囲で渦を巻いている空圧に掻き消された。

「なんで……なんで助けてくれないの? アンは、アンはぁぁぁぁぁ!!!」

 大気が再び圧縮される。そして鼓膜が破れかねない轟音と共に膨れ上がり、弾け切った。ヘレンはその爆発を受けて、また吹き飛ぶ。

 だが今度はすぐに壁だったため、しばらく押し付けられた。爆発自体は防御しているので、そこまでのダメージはない。まぁ、痛いが。

 爆風が止むとヘレンはすぐに壁を蹴り、真横に跳躍する。そして少女の肩を掴み取ると、元々は窓があった場所から共に飛び降りた。十階建てビルに相当する高さである。

 だがその高さからの落下中であっても、少女の能力は止まらない。周囲の至るところで大気が圧縮され、すぐさま弾けて爆発する。

 だがその中で、ヘレンはずっと少女の肩を掴んでいた。このまま地上に叩きつけて、終わりにするつもりだった。

 だが、大気の圧縮が少女と自分との間で起こったとき、思わず手を離してしまった。離さなければ、たとえ防御膜を張っていても危険すぎる。最悪、片腕一本持っていかれるかもしれない。

 だがこれで、とどめを刺すことはできなくなった。いや無理をする必要はないが、それでも最高の手を打ったつもりだった。が足りなかった。面目ないかぎりである。

「ヘレン! 手!」

 声がした方に手を伸ばす。その手を取ってくれた手の甲に口づけを交わし、その人の肩掛けに姿を変えた。

「ヘレン霊力回して! ロン、行くよ!」

『えぇ!』

 ヘレンの霊力を投擲力に変え、全力で紫の聖槍を投擲する。大気の壁をも貫通した槍は少女の胸を貫通し、あとから走る閃光が弾けて少女の体を一瞬で滅した。

 少女の意識が、その速度に追いついているはずもない。彼女はおそらく死んだことにも気付かぬまま、死んでいっただろう。

 だがそれでよかったかもしれない。絶えず悪魔の囁きが聞こえているなど、苦痛でしかない。その生命を終わらせたのだ。彼女にとっては救いじゃないかもしれないけれど、これも救いの一つなのだと解釈願いたい。

 人間なら治療もできただろうが、神や魔神の類では悪魔の囁きであるところの幻聴がその神話や伝説になぞらえた能力そのものである可能性がある。それは治しようがない。

 彼女の霊力は限りなく人に近かったが、魔神のものだった。人から神へと転生した者。その霊力だった。生憎と名前を聞いていないので、どんな伝説の持ち主か知らないが。

――アンは……アンはぁぁぁ……!!!

 アン。それだけではわからない。だがおそらく、彼女は生前も苦しんだ挙句に死んでしまったに違いない。苦しみの果て、誰にも救われずに死んでしまったに違いない。

 だからこそ、彼女は神として転生しても、苦しみ続けていた。その生涯には、同情せざるをえない。

 しかし、こちらにも事情がある。会ったばかりの彼女の都合を、優先できる余裕はない。せめて彼女の冥福を祈ろう。どうか、理想郷にて安らかな眠りを。

『ありがとうミーリ、助かったわ』

「いやぁ、親玉のところに行こうとしてたんだけどね? あんな騒ぎになってるもんだから、サクラちゃんキョーくんに任せて来ちゃったよ。ねぇ、ロン」

「そうね。でも急いで戻らなきゃ。彼だけじゃ心配だわ」

「そだね。じゃあロン、急いでヘレン連れて戻ってくれる? 俺もちょっと確認したら、すぐ戻るから」

「わかったわ。行くわよ、ヘレン」

「えぇ……ミーリ」

 先を行くロンゴミアントの背中を一瞥しながらも、ヘレンはそっとつま先で立つ。そしてミーリの頬に、一瞬だけ口づけした。

「一人でいると、狙われるわ。すぐに帰って来てね」

「うん、ありがとヘレン」

 それだけ言って、ヘレンはロンゴミアントを追いかける。ミーリは地面を蹴り上げて、ヘレンが飛び出した場所まで跳ぶと、そこから城の中に入り込んだ。

「さぁてと」

 同時刻、城の地下。

 そこは城の人間でも滅多に入り込まない、牢のある場所だった。そこでは昨日ミーリが捕まえた暗殺者の尋問が行われていたが、もう行われていない。尋問する兵も暗殺者も、第三者によって殺されていた。

 それをやった犯人は、まだその地下にいた。というより、昨日からずっとこの地下にこもっている。

 長い背丈と同じくらい丈の長い白衣を身にまとい、その下の生地の面積が異様に狭い――ストレートに言えば露出の多い女。兵と暗殺者とのが混じった血で描いた陣の中で、胡坐を掻いていた。

「かつて七体もの悪魔に取り憑かれた少女、アンネリーゼ・ミシェル……さすがに戦闘経験のない魔神じゃ、仕留められなかったかのぉ。仕方ない。別のを呼ぶか」

 女の、怪しげな霊術が光る。

 

 

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