聖約
式典は終わり、招待された生徒達は夜も遅いとあって国中の宿という宿に泊まることとなった。
自分達の家のよりもずっとふかふかのベッドに潜り込み、旅の疲れもあって皆すぐに寝付く。
だがそうしているのは今日の騒動に関して何も思っていない人だけであり、すさまじい霊力を発する少女のことが忘れられない何人かは、なかなか寝付けなかった。
だがそれでも、大多数は寝ようとする。ベッドに入って、枕に頭を置いて、天井を見上げて寝ようとする。それすらもしなかったさらに少数は、ずっと城を視界に入れていた。
その城には今、ミーリとその集団がいる。ミーリのパートナーである
もっとも彼ら全員、並んでいるガードマンよりも戦力としてはかなり上だが。
そんな部屋に、呼びつけたナツメ姫が入ってきた。彼女の入室と同時、ガードマンが扉を閉める。
呼びつけられたことといい、ここに来てこれまで以上に厳重だ。これから何を話すのかは知らないが、重要度はかなり上だと感じる。
だがミーリはそんなことよりも、遅れて来たティアが乗せてきた神の一人の治療具合が気になっていた。ルシフェルが応急処置をしたと言っていたが、それにしたって酷い。今はネキが治療しているが、時間がかかりそうだった。
「お待たせしました、ミーリ様」
「うん、待ったぁ」
「ミーリ、そこは嘘でも待ってないって言うのよ」
「だって待ったんだもん」
ずっとティアとじゃれて待っていたミーリは、かなりご立腹のようだった。
何せ式典で満足にご飯を食べられなかったうえ、姫に話があると言われて無理矢理終わってしまったのだ。キリが悪すぎるし友達と喋れなかったと、大変不満を積もらせていた。
ティアもお腹が空いていて、かなり不機嫌である。
「大体なんの話、お姫様。俺さっさと寝たいんだけど」
「彼女、ユキナ・イス・リースフィルトについてです」
それを聞いて、ミーリは少し雰囲気が変わる。
通常のダラダラ状態から戦闘時の緊張感ある姿勢に変わり、膝に顎を乗せてきたティアを猫のように撫で回して宥めた。
「ユキナについて?」
「ウートガルド家もリースフィルト家も、元はグスリカ王家に仕える貴族。その次期頭首となるはずだったお二人のことは、まえまえから存じておりました。その行方も、ずっと追っていたのですよ」
「それはご苦労様。だけど悪いね。俺の
「それがあなたが彼女を追う理由ですか。家族を殺された敵討ちだと」
「そうだね。でも、それに関して君に言われる筋合いはないな。ご先祖様が王族にどれだけ尽したか知らないけど、もう俺は貴族じゃないんだからさ」
「あなたの動機は、たしかに私が口を挟むことではありません。ですが、あなたにはもう彼女を追わないでいただきたいのです」
「どゆこと?」
ナツメ姫の態度が少し変わる。姫ならば絶対に組んではいけないだろう脚を組み、爪を噛み始めた。
「彼女はすでに、我々グスリカ――いえ、全世界を敵に回しました。今となっては人類にも神々にも属さない、第三勢力になりつつあります。彼女はもう世界の敵。あなた一人が手に負えるレベルを遥かに超えているのです」
「待って。全世界を敵に回したってどういうこと?」
「……まさか彼女を追っていて知らないとでも? 彼女はすでに人類に対して五つの王国を滅ぼし、神々に対して、十体もの神を聖約で取り込んだのです。彼女は、人類にも神々にも牙を剥いた!」
それを聞いて、ロンゴミアント一同ミーリに視線を送る。全員今の話を聞いて、ミーリの反応が気になったのだが、ミーリは全員の期待に応えた。
隠し持っていたビスケットの封を開け、ティアに食べさせる。リスのようにチマチマと食べるティアを撫で、ミーリもまた脚を組んだ。
ユキナが国を五つも滅ぼしたなんて事実は知らなかったし、神を取り込んだなんて事実も今さっき知ったばかりだ。
だがそんなことを知ったところで変わりはない。ユキナが何をしようとも、どんな力を手に入れようとも、何も変わらない。
「ユキナ・イス・リースフィルトを打倒するのは、もはや我々王家の役目です。あなたは即刻手を引き、ユキナ・イス・リースフィルトのことは忘れて――」
「お姫様。お姫様に、ユキナは倒せないよ? 軍でも、神様でも、三柱でも倒せない。あいつを倒せるのは俺だけだもん。ユキナは、俺にしか殺せない」
「我がグスリカが誇る対神軍を舐めないでいただけますか。グスリカ軍は全大陸王家最強の軍です。少女一人仕留められないか弱い組織ではありません」
「その少女が国を五つも壊して、神様を取り込んだんでしょ? もう普通の女の子じゃないんだよ? そんな女の子を俺より弱い軍で仕留めようなんてさ、お姫様、自分の王国も滅ぼす気?」
「何を……!」
ミーリから霊力が放たれる。それは一瞬でガードマンから意識を奪い、卒倒させた。そして同時、ロンゴミアントが槍脚を首筋に、ウィンが銃口をこめかみに、それぞれナツメに向ける。
「ホラ。選りすぐりのガードマンだって、俺が触るまでもないじゃん。そんな人達の集まりに、ユキナは倒せないよ」
一瞬で、圧倒的実力差を見せつけられる。
ケイオスの優勝も当然であるかのような、圧倒的実力。それが今目の前にいる人間にあることを、今ようやく気付けた気がした。優勝賞品を渡したのも自分だというのに、今になって実感できたのである。
槍の脚先も銃口も、等しく命を脅かしにかかっているというのに、ナツメは何よりも目の前にただ座って神様とじゃれている存在の方にずっと恐怖を感じていた。
あの顎を撫でている指先が、一瞬でもこちらの喉に触れたなら、張り裂けてしまいそうな気がする。それくらい怖かった。
「お姫様。ユキナがどんだけ危険で怖いかなんて、もうとっくに知ってる。だからね、この……なんて言うんだっけ……」
「因縁、ですか?」
「あぁそうそう、ありがとレーちゃん。この因縁はもう裂けないんだよ。誰にも邪魔できないの。俺とユキナは、お互いだけがお互いを殺せる存在って信じてる。誰も俺達を殺せないし倒せない。だけど俺達なら……ね?」
「……倒せるというのですか」
「もちろん」
ナツメは袖から拳銃を抜き取る。いざとなればそれで脅す気だったようだが、足元に捨てて軽く蹴り飛ばした。
それを見て、もう反論を含めた抵抗はないと判断したロンゴミアントとウィンはそれぞれ武器を下ろした。
拳銃はアリスが拾い上げ、ジャグリングのようにポンポンと投げて遊んでからハンカチで包み、合図と共に消した。たった一人の観客であるルシフェルが拍手する。
「わかりました。ユキナ・イス・リースフィルトの件はどうぞご自由にしてください。ただ、我々も黙っていることはできません。彼女を始末できるとなったなら、確実に兵を送り出します」
「まぁ無駄死にで終わると思うし、そんな瞬間俺のまえでしかないと思うけど……まぁそっちも自由にすれば? 俺も自由にやるから」
「いえ、あなたの動きも、我々の監視下に置かせていただきます」
ミーリの表情がムッとなる。
組んでいた脚を開き、ティアをどかして前のめりになった。威圧的姿勢に、ナツメも思わず唾を飲む。
「どういうこと?」
「我々はずっと、ウートガルド家の長男であるあなたの消息を探していました。ウートガルド家は、古来より我がグスリカ王家に仕えてきた最高位貴族。失ったままでは、我々も困るのです」
「つまり俺に死なれたら困るってわけ? 何それ面倒……そりゃ死ぬ気はないけどさ」
「あなたには対神学園をご卒業された後、このグスリカに来ていただきます。ウートガルド家を再建し、我々のために尽くしていただきたく――」
「ヤだ」
「は?」
「貴族の暮らしなんて、もう絶対にヤだ。神様になっても貴族にだけはならない。第一君の家に尽くす義理ないし、父親死んだ時点でウートガルド家は終わってるし。もう離してよ、いい加減」
「貴族が王族に尽くすのは当然の義務です! 王族は民を救い、民は貴族を救い、貴族は王族を救う。この連鎖が成り立ってこそが王国なのです!」
「お姫様は見てきた世界が狭いな……民は貴族を救う? 違うよ、それ。貴族が民から搾り取ってるだけ。それを肥やしにして、ブクブク太るのが貴族だよ。そういう貴族をうまく利用するのが王族。それもわかってないお姫様に、俺は尽くせない」
「私を愚弄するのですか! 先ほどから我が軍を見下したり、あなたは一体何様ですか! 私は、あなたのことを思ってすべて言っているのですよ!」
「そっちこそ何様? ユキナを倒せるって言ったり俺に尽くしてもらうとか言ったり、全部自分でできるし周りが自分の言うこと聞くとか思ってんじゃないの? だから世間が狭いんだよお姫様。お姫様はまず世界を見ることだ。表だけじゃなく、裏だって見るべきだよ」
「あなたと言う人は……」
「俺は自由にやる。ユキナを倒すのもその後どこで何かするのも、全部自由にやる。最高位貴族ウートガルド家はもうおしまい。先代で滅んだ。そう諦めてよ、お姫様」
ミーリは立ち上がり、全員に視線を送る。ウィンが扉を蹴り破ると、ゾロゾロとその部屋を全員で出て行った。眠たそうにしているティアを背負い、ミーリも出て行く。
そのときだった。ナツメの口が再び開いたのは。
「リースフィルト家は、今もこのグスリカに尽くしているというのに……」
その言葉を聞いたミーリは、一瞬だが立ち止まる。だがすぐに聞き間違いだという結論に至って、そのまま何も訊くことなく部屋を出た。
ユキナの家がまだあるわけがない。ユキナの家族は、ユキナ自身がその手で殺したのだから。妹が殺されたあの日に。
「ねぇルーシー、聖約についてちゃんと知りたいんだけど」
「了解。
宿に入ったミーリは、屋上で浮遊するルシフェルに検索してもらう。
今となってはあまり使いどころのない天使のネットワークだが、こうして普通にインターネットとして使えると知ってからは結構活用していた。
「聖約とは、人類と神との間に交わすことのできる、口づけ契約です。古来より、人類が神の力を手に入れるために行われてきた、現代では禁忌の術です」
「それをやって、ユキナは神様の力を手に入れてるってことか」
だがそれは自分も同じだ。
自分もずっとまえ、吸血鬼の血を流し込まれるために口づけをされた。それで聖約が完了してしまったのだろう。そのおかげで、自分は吸血鬼の不死身に近い再生能力を得た。
だがおそらく――
「禁忌ってことは、聖約ってなんかデメリットがあるの?」
「はい。聖約を交わした神は霊力を失い、
「なるほど……」
ユキナがやるなら自分もと思っていたが、神様が死んでしまうのなら仕方ない。ブラドと聖約を交わしたときは、タイミングがよかった。
だがそれと同時、思うところがある。もしかして自分は、もう一体の神とも聖約を交わしているのではないだろうか。
未来と過去、二つの時空を司る神。二つの姿を持つ機械仕掛けの女の子と。
もしそうなら、ミーリには彼女と口づけした記憶がない。ただ単に憶えていないだけだろうか。それにしたって、ここまで記憶がないものだろうか。
「マスター。マスターは……したいですか?」
「聖約? ……そだね。もし君達が死にかけて、もう助からないとなったときにはさ。君達の力を借りたいな。でも、今は必要ないよ。大丈夫。俺は君達を殺しはしない」
「……はい、マスター」
「もう眠……寝よ、ルーシー」
「はい、マスター」
その日――というよりもう翌日の深夜。もうすぐ日が昇ってしまうので、今は寝る。そうしてお姫様と決裂した国を出たのは、その日の正午を越えてからだった。
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