vs 天の女王《イナンナ》

 一番見られてはいけない人に、見られてしまった。

 それはもう、例えるなら浮気現場を突撃されたような、デート現場に元カノと会ってしまったかのような、そんな感じだ。

 だが実際まさしくその通りで、今カノに浮気――ではないにしろ、他の女子といい雰囲気みなっているところを見つかってしまったわけである。

 そんなユキナは、ミーリに向けて指先から空気の塊を放つ。それをミーリが躱すと、背後の植木に咲いていた花が一輪、また一輪と散っていった。

「なんで躱すの? なんで避けるの? なんで受けてくれないの? ミーリ、私に愛想をつかさないで、私だけを見て。お願いだから、私以外を愛さないで。恋もしないで」

「いやそれはいいけど! いいけどさ! この攻撃を受けるのは無理! 無理だから! それ喰らったら俺死ぬから!」

 ぐずるユキナは泣きながら、だってだってと繰り返して攻撃を繰り出す。武器のないミーリは他の学園の生徒達もいるこの場で霊装を出すわけにもいかず、ひたすら回避を続けた。

 その騒ぎに気付いて、生徒達は駆けつける。だがユキナの桁外れの霊力を感じ取り、助けに入ることができなかった。

 むしろこの場合、平然と動き回っているミーリが異常なのだ。

 攻撃を回避し続けるミーリはロンゴミアント達を召喚しようかとも思うが、攻撃が速すぎて召喚術を使う暇がない。術式を描けても、詠唱を行う時間がまるでなかった。

「ミーリ、ミーリぃぃ……」

「落ち着いて! まずは落ち着いて! お願いだから、まずは落ち着こう?! ホラ、深呼吸して!」

「もう百回はしたわよ! 何回も何回も……でも、でもぉ……ミーリが、ミーリが他の女の子と仲良くしてるなんて……耐えられないのぉ!!」

 もはや号泣である。

 攻撃は止んだものの、その場で泣きじゃくる。その姿はもうただの女の子で、そんな彼女からこの場にいる全員を怯ませるだけの霊力を感じられることが、皆信じられなかった。

 そんな彼女の元にミーリは行こうとするが、そのまえに突き飛ばしてしまった空虚うつろを起こす。だがその行為がまた、ユキナの機嫌を損ねてしまった。

「ミーリの……ミーリの……バカァァ!!」

 一瞬で距離を詰め、首の骨を折るくらいの速度で蹴り上げる。

 その一撃をガードしたミーリは数メートルの距離を蹴り飛ばされ、転げる。そこにさらにユキナは追いつき、ミーリの顔を踏み潰しにかかった。

 右へ左へ転げて躱し、躱しきれない足の裏を受け止める。小柄な体からは考えられない重さと強さで、ジリジリと距離を詰められる。

 だが横から飛んできた文字通り横槍によって、ユキナは退いた。

 それは、白銀色の槍の脚。紫の光を反射する聖槍。それを持つ紫の髪を揺らめかす彼女は、鋭い足先で細い首筋を狙って振るう。そして回避し続ける彼女の腕を斬りつけ、より大きく後退させた。

 斬られた腕を修復し、ユキナは涙を拭う。そして、今まで通りの余裕たっぷりなその姿を見せつけまいと、何百回と繰り返したはずの深呼吸をまた繰り返した。

「こんなところにも来るだなんて思わなかったわ、ユキナ・イス・リースフィルト。私の主に、今日はなんの用かしら」

死後流血ロンギヌスの槍……またあなた、私のミーリと、また……」

「あら。だって、私の主だもの。当然でしょ?」

「うぅ、うぅぅ……」

 ユキナは強い。どれだけの横槍が入ったところで、その脚の一振りですべて薙ぎ払えるだろう。

 だがそれが、いつも大きな油断を生む。さらに今に至っては混乱もしているため、余計にできる隙は大きかった。

 放たれる銃撃に撃たれたユキナは、一時的に浮力を失って落下する。そこにさらに剣の列が突撃し、ユキナを貫いた。さらにツルが絡め取り、拘束する。

 だがユキナには神霊武装ティア・フォリマの能力を半減する力、“誰一人刃向かえぬ主イシュタール”がある。

 それは神霊武装が持つ殺傷能力をも半減させるもので、ユキナが神霊武装によって付けられた傷は、すぐさま塞がってしまうのであった。

 故にユキナは拘束を解き、自らに刺さった剣を抜き捨てる。たった今つけられたすべての傷が塞がると、再び浮かび上がった。

「ミーリの武装達……」

「悪いなぁ、ミーリの今カノ。てめぇをぶっ倒すのが、ご主人様の人生目標なんでな。遠慮はしねぇ……!」

 二丁の拳銃で連射する。だがユキナはそれらを一蹴りで文字通り一蹴し、いつもの余裕の笑みを浮かべた。ようやく調子を取り戻したようだ。

「ダメよ。あなたじゃ私を殺せない。だって私を殺せるのは、ミーリだけなんだもの」

「どうだか――」

 さらに攻撃しようとするウィンのまえに、ミーリが立つ。振り返ったロンゴミアントも視線で下げると、自分がさらに前に出た。

「今日ここではやめなぁい? ユキナ」

「嫌よ。やめるのは、私があなたに一撃与えて生と死の狭間を彷徨ったあとよ」

「それは勘弁願いたいんですけど……?」

 ミーリの背後から、首筋を狙って刀が振られる。

 隣にいたロンゴミアントとウィンもやっと気付くことができる速度で、確実にミーリの首をねようと振られたその一撃は、上から降ってきた三叉戟さんさげきによって止められた。

 少し首を傾げたミーリの肩に足を乗せ、三叉戟を持ち上げる。そして大きく頭上で振り回し、ミーリの背後に回っていた彼女を斬り飛ばした。斬撃自体は刀に防がれたが、吹き飛んで壁に叩きつけられる。

 それと同時、ユキナの上を取った影がいた。無数のトランプを散らせて登場したそれは、回し蹴りで襲い掛かる。

 だがすぐさまその手前の宙を蹴り飛ばし、即座に距離を取った。そうしなければ彼女を貫通していただろう黄金の武器の群れが、地上から空へと昇っていく。そしてそれは折り返し、ミーリに襲い掛かった。

 だがその直前で、光の束が降り注ぐ。黄金の武器をことごとく粉砕すると同時に止み、光を放ったそれは全員のずっと上空で詠唱を始め、即座に終えた。

「“堕ちゆく天界ホーリー・ダウン”、発動」

 三つの縦に並んだ陣から、黒と白の光の柱が放たれ落とされる。それは一直線にユキナへと向かって直進した。

「“這い上がる地獄イービル・グロウ”!!!」

 落ちる光とは真逆の色をした光が、地上から上っていく。それはユキナの側を通り過ぎ、落ちてくる光を完全に相殺した。

「ドゥルさん、アリス、ルーシー、待機タイム、待機」

 相殺されたと同時、ミーリが止める。出てきたドゥルガーにアリス、そしてルシフェルは、戦闘態勢を解除した。

 それと同時ユキナもまた視線を送り、自分の陣営に戦闘態勢を解かせる。そこでようやく、ミーリはユキナが集めている仲間の一部を見ることができた。

 一人は知っている。両手に籠手を巻き、四本の刀を差した黒髪の戦神、スサノオだ。だがまえに言葉を交わしたときよりは、段違いに強くなっているようだ。

 他の二人は知らない。

 一人は顔と腹部以外に黄金の鎧をしたこれまた全身黄金で統一された女性。その表情を見る限り何かが不服なようで、早く帰りたそうだ。

 もう一人は人間ではない。背中に三対六枚の虫の羽を生やし、四本の腕を持った全身黒の生物。その姿はもう、見たまま虫の擬人化である。

 その彼を改めて見たルシフェルは、思い出したように翼を広げた。攻撃こそしないようだが、警戒はしているようだ。

 そんな彼女を見上げた虫男の方は、久し振りに友人にあったかのように嬉しそうだ。

「さて、お互いのメンバーをごく一部紹介できたところで、どうしましょうか。私はあなたを半殺しにしたい。けど、それはあなたの仲間が許さない。あなたの仲間は私を殺してしまいたい。けど、それは私が許さない。本当、どうしましょうね」

 最後の一言。それだけはミーリの背後で聞こえた。ずっとミーリの上に浮いていたユキナが、一瞬でミーリの背後に回ったのである。

 その一瞬、ユキナの気配は感じられなかった――いや、感じられるられないの話ではない。気配そのものが存在しないかのように、誰も感知できなかった。

 ユキナの細い白指しらゆびが、ミーリの首筋をなぞり頬を伝う。

「どうする? ミーリ」

「そうねぇ……俺としては、ここで君達とやる気はないんだけど……でも色々訊きたいなぁ。例えばその脚とかについて」

 ユキナの脚は黒い瘴気をまとっていた。それは臭いもなければ熱もなく、触った心地も何もない。ただただ黒いだけの、真っ黒いだけのものだった。

 そんな代物が彼女の脚にまとわりついていることを、ミーリは無視することができなかった。

 それを待っていましたと言わんばかりの笑みを、ユキナは浮かべる。そしてまた気配というものを失って、元の位置に跳んで戻った。

「“神出鬼没ラスライオス・ヴィマタ”。元は影の道を行く旅人の神の力……だけど、それを私は手に入れた。聖約によって」

「聖約? 何それ初耳情報。神様の力を自分のものにできるなんて、学園の授業でもしなかったよ」

「あなたはもう一人の神様と聖約を交わしているでしょう? その不死身にも近い再生能力は、一体誰のもの?」

 ユキナが何故そのことを知っていて、どこで知ったのかもわからない。だがそんなことはどうでもよく、今の一言で色々と分かった気がした。

 あの日、不死身の吸血鬼を殺したとき、手に入れた再生能力。それをどうやって手に入れたのかと訊かれれば、少し恥ずかしいことを思い出さなければならない。

 異性の神霊武装ティア・フォリマとの上位契約ともなれば絶対に必要となるあの行為も、何故か神様や人とするとなると、それなりの恥ずかしさが湧く。

 まぁロンゴミアントらとするときだって、決してまったく恥ずかしくないわけではないのだが。

 とにかく、神様とあれをするのは少し恥ずかしい。同時、それをユキナがやったということが信じられなくて、そしてムカついた。

「ユキナ……君、俺以外とするなんていい度胸してるねぇ……」

「ミーリだって! 自分の神霊武装といっつもしてるクセに! それに神様以外しないわよ! この唇は、ミーリのためにあるんだから!」

「俺だって人間相手には君以外してまぁせぇん! ホントですぅ! 純潔守ってるんだもんねぇ!」

「今さっきそこの子としようとしてたでしょ! する雰囲気だったでしょ! だから怒ってるの! 私以外の誰ともしないで! 私だけを見てて!」

「君以外の誰も俺の本命じゃないし! 敵じゃないし! 俺はずっと君に一途だし! そもそもロン達とするのだって、君を殺すためだし!」

「じゃあさっさと私を殺しに来なさいよ! ミーリのバカ!」

 まったくこの二人の関係を知らない全員、今の会話が成り立っていることに疑問を感じてならない。だがこの二人はずっと本気で、愛するとも殺すとも叫んでいた。

 嘘はない。偽りはない。躊躇いはない。お互い肩で息をするまで、自分の仲間達に呆れられるまで続けた。

「……わかった。わかった。じゃあこうしようよ、ユキナ。この場は俺が謝るから、それで許してよ。戦いはまだしばらくあと。ここでやったら、被害が大きすぎる」

「……わかった。それでいいわ。じゃあミーリ、ちゃんと謝って」

 ミーリは一蹴りで跳びあがる。ユキナのまえに足場を作って立つと、その前髪をどけてそっと口づけした。

「ごめん、ユキナ」

 謝るときは、額にキス。それがずっと昔からの二人の決まり。

 それをまだお互いに憶えていたことと、ミーリが恥ずかしがらずにやってくれたこととが嬉しくて、ユキナはミーリに抱き着いた。

 そしてミーリにキスをする。一瞬だけだったが、その一瞬がこれまでにないくらい嬉しそうで、ユキナは機嫌をすっかり直してしまった。

「じゃあね、ミーリ。次会ったら、決着の日を決めましょう」

「いいよ? まぁいつにされたって、勝つのは俺だけどね」

「……そうね。じゃあ、また」

 漆黒の瘴気によって気配を消し、三体の神と一人の人間が姿を消す。それを見届けたミーリは降りてくると、ドゥルガー、アリス、ルシフェルを並べて順に手刀の制裁を加えた。

「勝手に行動しない!」

「申し訳ありません、ミスターミーリ。ですが我々の目標は彼女。ここで倒せてしまうのならいいかなと……」

「うぅ……アリスは何もしてないもん。頑張っただけだもん。ミーリのために、あの子を殺そうとしただけだもん……」

「申し訳ありません、マスター。命令違反ヴァイオレーションによる制裁は当然のこと。しかしながら、あの場であぁするのが最善ベストと計算したうえでの行動です」

「もう……知らない」

 拗ねた……ミーリったら、子供じゃないんだから。

 そう思ったロンゴミアントは、ミーリのご機嫌を取ろうと歩み寄る。しかし、そんな彼女より早くミーリに声をかけたのは、なんとグスリカのナツメ姫だった。

「ミーリ・ウートガルド様。少しお話があります」

「ほえ?」


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